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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十二章 破顔一笑の章
211/314

#02 銀鏡神楽と並び鷹の羽とマージンコールと

 



 元亀元年(1570)五月朔日






 京は炎上。織田壊走軍は未だ帰還せず。



 そんな京都の洛外の避難先である広隆寺禅堂に天彦はいた。

 神楽舞を鑑賞しながら。


 星の神降臨を機に、次々と神々が聖地に降する様はむろん厳粛さがその中心にいる。

 だが描き出される雄大さは隠しきれず、夜を通して舞われる神楽は全部で三十三番もあり、次第に熱を帯びる神楽舞は誰の目にも鬼気迫るまさに圧巻の様相を呈していた。


 だが……、


「ワタシの年収は53マン。ザーボンの介さんドドリアの守さん、やってお仕舞いなさい。ほら、ぼさっとしてどうしたのですか。やってお仕舞いなさい」

「あう」

「う゛ぅ」


 佐吉と是知が進退窮まったような表情で苦渋に震える。むろん全力でふざけているのはおバカ彦なのだが、そのボケすらボケと伝わらないようではウケているかどうかはお察しである。


 と、そこに、スパン――! 軽快な打擲音が鳴り響き、実にお寒い場の困惑を打破してくれた。


「何するん茶々丸! 痛いやろ」

「何をしとるは儂の台詞や。場を弁えんかいっ」

「あ、はい」

「ったく」


 たしかに一理はあった。だがいくらなんでも延々すぎた。彼是半日は見させられている。天彦の興味が尽きてもさほど不思議はないだろう。

 このように、目下天彦たちの目の前では銀鏡神楽(別名米良神楽)が披露されていた。

 舞手はむろん正式継承者である。即ち米良一族の者である。


 米良氏とは古くは藤原を祖とする菊池氏に通じる名門武家であり、かつては肥後国菊池郡を拠点とした大豪族であり菊池権守と呼ばれていた。

 だが栄枯盛衰。二十六代菊池義武の代に大友宗麟の手によって滅ぼされることとなった。


 天彦たち菊亭が逗留する山城国梅津にある広隆寺には、その菊池の末裔であり現米良五代当主である重良の子、重隆が米良家の名代として寄越されていた。


 さて名目は果たして。改元を祝うには脆弱な彼らでは三日という時はあまりに足りず、定例の機嫌伺にしては縁がなさ過ぎてむしろ不審を買ってお仕舞いであろう。

 あるいは遠縁である土佐一条家の好繋がりならばとも考えたがやはりそれも可怪しい。可怪しいというよりも筋が通らない。先ずは主家たる伊予西園寺家を頼るのが一般的な筋、もしくは作法である。


 公家は作法に殉じる氏族である。その公家を頼る以上、作法には厳格であってもらわなければ天彦とて正しい応接はできないのである。


 いずれにしても、つまり彼らは名目も接点もなく時期当主であろう幼君を送り込んできたのである。その重鎮配下を軒並み揃えて。


 ようやく第十七舞が終わった。小休止が告げられる。


 これで半分。ぞっとしない。

 そんな感情で天彦が茶を啜っていると、


「さて菊亭、なんやこれは」

「うん。身共も今それを訊こうと思うてた」

「は? ほななんで出迎えとんねん」

「藤原性を出されて拒絶できる藤原公卿はおらんのよ。それも正式な家系図までだされたら猶更なん」

「嘘をつけウソを」

「ほんまなん」

「ふーん、まあええ。してその心は」

「一生見られへん銀鏡神楽が観たかったん。もう二度と懲り懲りやけど」

「まあ妥当か。つまり米良の来訪はほんまにわからんのやな」

「やね」


 わからない。それは事実。それ以上でも以下でもなかった。

 だからこの不穏極まりない情勢下にあっても、今はただ粛々と舞われる銀鏡神楽しろみかぐらを淡々と鑑賞するしかないのである(棒)。


 だってそれが唯一の解答への近道だもの。と嘯いて。


 むろん天彦には凡その見当はついている。

 ニコニコと終始ご機嫌さんで愛嬌を振りまいている名代人質キッズの状況も、米良家の状況も細大漏らさずほとんどすべて。何しろ目下一番熱く関心度の高い地域からのお報せなので。用意周到さを売りにしている天彦が知らなければ商売上がったりなのである。


 それと同じく理論で、今も茶々丸に怪訝な目つきで睨まれている人物にも凡その見当は付いているはず。

 一昨日に当主代行を返上して、新たに側近衆に取り立てられたルカである。

 その彼女はイルダやコンスエラといった純度100%の社会不適合者とは違い、ちゃんと会社勤めのできる常識人なので。菊亭の置かれている状況に関するアンテナなら常にびんびんに張っている。


 即ち見ず知らずの縁も所縁もない米良家の来訪を饗応しているのもすべて、この家が将軍義昭匿いの重要情報を握っていることを、天彦もルカも重々承知しているからであった。


 舞が厳かな管弦楽器の導入で再開される。


「菊亭、儂を舐めるなよ」

「ぺろぺろ――痛い! 冗句に一々拳で応じるな!」

「ほなちゃんとせえ」


 あ。


 舞手に動揺を誘ってしまった。ごめりんこごめん。


「場を弁えんかい阿呆が。で、どういうこっちゃ」

「ふん、阿呆言うほうが阿呆や」

「もう一発喰らいたいんやな」

「ギブ。……あの阿呆めは伊東を頼ったんや」

「……阿呆とはあの阿呆か」

「うん、その阿呆や」


 現下、京の都では阿呆といえば彼しかなかった。

 それは如何なる地位も年代も性別も一切無関係に全レイヤー共通の代名詞となるほどの独占状態を恣にしている彼の代名詞となっていた。


「伊東、伊東か。……米良はたしか九州やな。なるほど、将軍は日向伊東家を頼って下向したんやな」

「ご明察。おそらくはたぶんそうなん」

「理解した。お前は米良から何らかの情報を引き出したいと」

「うん」

「ほなきっちり接待したらなな」

「そういうこと。お願いできる?」

「任された」


 でなければこの米良の来訪があまりにイミフすぎるので。きっとそう。


 天彦と茶々丸の最強タッグ決定。謁見という名の共闘尋問会が決定したところで、真剣を持ちながらのでんぐり返しが行われ、いよいよ舞が終わった。




 ◇




 広隆寺禅堂。


 京は洛の内外問わず激しく荒れている。洒落にならない途轍もなさで。


 天彦とて心苦しい。襲っているのが庶人百姓の愚か者集団であり、襲われているのが同じレイヤーの京町人であったとしても。

 その元凶の撃鉄を引き起こした程度の自覚があるのでどうしても気に病んでしまうのだ。


 つまりかなりの罪悪感に苛まれているのだが、日ノ本広しといえどもその感情を少なからず共有できるのはこの二人。


「のう菊亭、茶が渋いの」

「うん茶々丸、ほんま渋いさんやなぁ」


 天彦と茶々丸の二人をおいて他にはきっとないだろう。


「替えさせようか」

「いや遠慮しとく」

「さよか」

「うん」


 問題が違うので、この渋みは取っ替えたところで変わらない。

 そしてそんな二人が上座に座るその目の前には、茶の渋みを増させるもう一つの原因が顕在化されていた。


「参議さま、何卒!」

「なにとぞお聞き届けくだされ」

「我ら菊池をお救いくだされ」

「この通りにございます、何卒」


 天彦と茶々丸の目の前では問答無用で辞を低く懇願する武士の姿があった。

 だが天彦はいつもの薄ら笑い顔を浮かべるだけで、これといった態度は示さず流し見している。

 だがけっして田舎武士の無作法を揶揄しているわけではない。ならば彼らの幼君を人質に差し出しでも利を得ようとする意地汚さや生き汚さを誹っているわけでもない。


 もっと単純に苦いのだ。渋いのだ。


 彼らが求める要求があまりに切実で切羽詰まっているものだから。


「内紛なぁ。この世で一番耳障りで醜い言葉なん。あーいやいや」

「こればっかりはのう、そやけど切ないのう」


 彼らは米良家名代、米良重孝の家来である西郷純久すみひさ赤星統家むねいえ、奥松、そして舞手の一族銀鏡であった。


 その米良側から差し出された書状にはたしかに将軍義昭の動向が記されていた。

 予想通り史実とは違い伊東家を頼ったようである。

 この義昭問題はいったん脇に置くとして、主眼を米良におくとする。なぜならそれが義昭問題の一番の近道だと考えるから。

 米良は将軍の身柄を売ってもいいと提案してきた。但し米良家の窮状打開と引き換えにして。


 さてその窮状とは。

 米良家は現在五代当主重良が病床にあり、その息子たちで家督相続争いを演じているとのことだった。きまずっ。

 お家の恥なのですべては記されてはないない。だが謀反騒動を策謀したのは家来衆であり、三兄弟はその神輿として担がれているのが実際のようであった。


 少なくとも天彦と茶々丸は本能的に予感していた。

 そして戦国あるあるなので大きくは外れていないはずである。


 さて本題に戻る。

 先にも述べた通り米良家は古くは藤原氏に通じる菊池家の支流にあたる九州の名門武家である。

 二十六代菊池義武(大友重治)の代に大友宗麟の手によって攻め滅ぼされてしまい、生き残った一族が日向国早良山中銀鏡郷に落ち延びて今に至る。

 その際に菊池の幼君を手厚く迎え入れたのがここに集う家来たちの先祖であった。


 天彦は書状のとある文面をしげしげと見つめる。

 ここにはこう記されてある。


『鞠智権守ここに御座り』――と。


 即ちここに寄越された幼君こそ菊池の正当継承者であると訴えているのだが、その文言が洒落ていた。少なくとも天彦の心にはかなり響いて伝わっていた。


 菊池は元来、鞠智と書いたそうである。そのように認めてあったのできっとその通りなのだろう。知らんけど。

 他ではどうかわからないが随分と頓智の利いた文言であった。少なくとも公家である天彦の目にはそう映っていたのである。


 鞠は一般的にはまり。蹴鞠けまりのまり。ただの道具、ただの球体。

 だがそこに意味を持たせる人種もいる。そう。天彦たち公家である。

 公家間での鞠の意味はやや異なる。いや大きく異なる。鞠とは極めるの色合いが強い修練の語句となる。あくまでニュアンスだが天彦の視覚にはとても厳かなイメージで映し出されていた。


 信念を以ってお仕え致す。締めくくられた文言と合致させればその意味合いもまた更に濃度を増してくる。

 天彦が二度の飯より大好きな“あなたをけっして裏切らない”そんな誓いの言葉とも受け取れた。


「鞠智家か」

「菊池家やな」


 天彦は調子を取っていた扇子を止める。


「御三人さんの中で決定権のある家老さんはどちらさんで」

「はっ、家老は某、赤星新六郎統家にございまする」

「ほな新六郎」

「何卒、統家とお呼びくだされ」

「ほな統家。そこな重隆にお墨付きが欲しいんやな」

「はっ! 願わくは若様に代々米良当主が受け継ぐ石見守の自称をお許しくだされば重畳にございまする」


 すると天彦はいったん頷き。けれど首を左右に二度振って応じた。


「足りんやろ、もはやその程度では」

「……なれど」

「菊池を再興させたらええさん」

「な……ッ!」



 な、な、な、な、な。



 座には人の数だけの“な”が吐き出されそれと同時に重苦しい沈黙の帳が降りていく。

 それが叶うなら確かに最上。だが叶わないから菊池は滅んだ。

 性を変え名を変え地下に潜って凌いできた。宿敵大友の目から逃れるために。


 それをいともたやすくこのガキは……。


 家老を筆頭に居並ぶ米良衆の目に嫌悪と敵意が浮かび上がる。


 が、


「イルダ、コンスエラ」

「にんにん」

「えー、ヤなんだけどぉ」


「察しがええな。行ってくれるか」

「まぢオニ」

「天ちゃんドイヒー」


「行かんのか」

「行くけど」

「行くよ」


 二人の社不は即座に行った。一番弟子である誰かさんのオニ恥ずかしい思いを後に残して。


「……どちらに遣いを」

「大友に決まってるん。何か不満でも」

「え。あ、いや……」

「ふふ、まあ訊き。ええかみんなさん。たった今この瞬間、菊亭は日向伊東の反目に回ったん。どや、それでも大義にならんと申すか」



 おお……!



 どよめきが巻き起こった。


 なる。見解が全員もれなく一致したからのどよめきである。


 むろん一介の京都公家の意向などカスも同然。遠く離れた大名の行動を制約するほどの権威などない。あるいは果たして権威はどうにか及んだとしても実行力など毛ほどもない。


 だがこれがこと帝の御意向ともなれば如何する。


 ある。絶大にありすぎた。

 ましてや伊東家、朝敵となった将軍義昭を匿っているのだ。これ以上の大義はない。

 つまり九州の情勢を逆手に取った天彦一流の強権外交(二流策謀)である。


 猶、現下の九州地方は豊後の大友、日向の伊東、肥前の竜造寺、薩摩の島津と大きく分けて四つの勢力が熾烈な覇権争いを演じている真っ最中。

 絶妙な四すくみのバランスで保たれている現状、どこかに天秤の針が触れることを最も嫌うのがこの四家四勢力に違いなく。

 けれど振れるとなれば振れる先の利益は理が非でも手に入れたいのが正当な感情であろう。あるいはマストで。


 そしてこの九州情勢に最も強く厳しい影響力を行使できるのが西国の大大名毛利家であり、この毛利家への菊亭の影響力を知らぬ九州大名はいないはず。いたらきっとそんな情弱大名はきっと淘汰されてお仕舞いのはず。知らんけど。


 天彦はその利をすべて差し出すと言っているのだ。戦国における土地利権は途轍もない。あるいは未来永劫の真理なのかも。

 いずれにせよそれらを放棄した上での譲歩策。しかも錦の御旗の御威光を引っ提げて。受けない大友はいないのである。


「毛利からも圧力として牽制軍を派遣させよ。どうや、これが京風の裁きや」

「お見事にござる! この赤星新六郎、感服仕ってござりまする」


 これにて一件落着。早晩、義昭も捕獲されることだろう。


「くふ、くふふふ。バイオレーションには厳格なペナを」

「震えとるぞ、程々にしたれ」

「そうなん? そやけど茶々丸。この菊亭、たとえ将軍であろうと逃げ得は絶対に許さへんのん。どこのどなたさんを敵に回したのか。思い知るがええさんや。この件はそういうことなん、ちゃうかな?」

「違わへんが菊亭、お前……、別の意味で味方にも思い知らせとるぞ」

「ひどい」

「ひどない。見てみぃ」


 あ。……やっぱし酷い! 別の意味で。


 周囲の反応はお察しで、それほどに天彦の愉悦笑いはいつにも増してえぐかった。

 それはきっとこの一揆で亡くなっただろう推定数百万人の呪詛のせい。だがそれが何由来であろうとも、この禅堂に集う者に天彦の顔を直視できる者はいなかったとか。

 あるいはすっかり日差しが高くなった今日この頃、禅堂には寒風が吹き荒んだとか、吹かなかったとか。


 すると、


「ご嫡男重隆様の御身をお預け致しまする」

「相分かった。確と預かって進ぜよう。よろしゅうさん、重隆」

「はい! こちらこそよろしく御願い奉りまする」


 人質のテイで米良(菊池)重隆を預かることにした。

 こうして菊亭は菊池を通じて大友という九州に太いパイプを持つことになった。

 流れとしては悪くない。いやむしろいいはずである。


 何より最良なのは、将軍義昭に対してマージンコールの差出を要求できることであろう。不足の証拠金、きっちり納めてんかーって。


「くふ、くふふふ、くはははは」


 天彦は誰もが目線を伏せるほどの、とびきり取って置きのいい(悪い)顔で嗤うのであった。



 まるで失われた数百万の魂のレクイエム代わりに……。

















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