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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十一章 夢幻泡影の章
208/314

#18 雑感でよいのなら

 



 永禄十三年(1570)三月十九日






 徳川家家臣団・天覧馬術披露大会当日。



 そもそも信長の無茶振りによって始まったこのイベント。菊亭は大儲けするはずであった。だが蓋を開ければいつもの有り様。あらぬ方向からの横槍と圧力によってすべてご破算。


 挙句菊亭は草臥れ儲けのホネオリゾン。儲かるどころか多大な銭を失って労力にまったく見合わない悪風のおまけまでつけられて今日という日を迎えていた。


 なんでぇー!


 何でも何もない。欲を掻きすぎたから。それ以上でも以下でもない。



 さて、菊亭は押しも押されもせぬ名門名家である。家格は清華英雄家。血筋は朝家にまで通じる貴種中の貴種。


 然りながら……、


 どの時代も家の評価はスコアで決まる。この場合のスコアとは資産。イコール銭(名声も換金可能なら可)。それ以上でも以下でもない。

 この室町も例に漏れず保有する資産(銭)の多寡によって格付けが確定する。むろん菊亭は下の下、であった。


 上から数えた方が断然早い名家中の名家なのに……。


 当主の資質が低いのか。あるいは敵性の有無だとか。

 いずれもYESでありNOでもあった。天彦の経済センスはそれほど悪くない。当主の資質だって日々膨れ上がっていく郎党の数を見れば明らかである。


 なのに貧乏。なのにずっと素寒貧。

 今日は。今日こそはすべてのネガティブを払拭しにきた。


 そんな一大イベント。大天覧馬術披露大会当日。


 天彦は一大決心をして臨んでいた。決心とは労力と釣り合わない作業はしないこと。そしてずっと嫌ってきた正論だが表現がクソな言葉も使うこと。この二つの決意を引っ提げて理が非でも銭を儲ける意気込みで臨んでいた。


「なんと……、あれが三河衆」

「織田兵にも負けず劣らずの凄まじい武威ですな」

「しかし何たる集客力。我が殿が妖術遣いと揶揄されるのも合点がいく」

「然り。戦でもないのによもやこれほどの人出を集客するとは恐れ入る」


 菊亭郎党が呆れ返るほどの観覧者たちが、数段高い位置から望める彼らの視界を一面埋め尽くす。

 その数ざっと十数万。あるいは二十万にも及ぼうかという途轍もない数の民衆が、大会メイン会場であるここ桜馬場さくらのばばに詰め掛けていた。


 こうなるともはや個別識別は不可能であろう。群衆はさながら群体の様相を呈している。

 そして大群衆の視線を一身に集める集団こそが今回の主役。

 そう。徳川家康が誇る自慢の家臣団三河衆である。

 鳥居・酒井・本多らを中心に整然と居並ぶ騎馬武者たちの何と精悍で美しいことか。

 群衆の誰もが惜しみない賞賛の声をあげ三河武士の雄姿に魅入られていた。




 ◇




 本日の主役。その軍団を率いる総大将は観覧席についている。

 この巨大イベントの仕掛け人であるキッズと並び、特等席から観覧していた。


 ま、まぶしっ――。


 その金ぴかお狸様。いつもより五割増しでテカピカしている。

 天彦はあまりの眩さにややげんなりしながらも、それでも笑顔を絶やさず隣に臨席していた。


「これが参議の仕掛け……、聞きしに勝る辣腕ですな。後世にまで言い伝えられる祭典に御座るぞ。この三河守、いやはや心底から感服いたしました」

「大袈裟なん。そんなことより此度の一件、祝着至極におじゃりました。規律はまさに神座に臨むが如し、行軍はまさに鬼神の如し。であったそうな。しかとこのお耳さんに聞き及んでおじゃりますぅ」

「何のそれしきのこと。むしろ手柄を独り占めしたようで心苦しく思っております」

「この辺で」

「ならばこの辺で。ですが参議、この三河守。借りっぱなしでは示しがつき申さぬ。いずれまたの機会に御返戻いたす所存。なにとぞ機会を設けてくだされ」

「ほう、宜しゅうさんにおらしゃりますなぁ。身共は律儀なお方が大好きなん。ほな三河さんの意気に免じて、ではまたの機会を設けさせてもらいましょ」

「必ずや」

「ん、必ずや」


 天彦は苦笑いを浮かべつつも上機嫌で会話を仕舞った。


 多くの耳目を集める場での公の会話。社交辞令と受け取るのが筋だが、あるいは本気なのではと感じさせる熱意と熱量が家康からは発散されていた。


 たしかに徳川家にとってはいいこと尽くし。今回の出征では一兵たりとも失わずして最大の利益を得た。朝家の覚えもたいそうめでたく、同時に実益である名声と地位を得た。棚ぼたで従五位侍従の地位を得たのだ。家臣にも多数の官位官職も得られた。

 またこの叡覧も然り。帝の御前で技前を御披露叶う名誉はもとより、日ノ本中の民が詰め掛けたのではと錯覚させるほどの会場の熱気。そしてその民に称えられるは我がお家の技術と家臣とあっては……。

 馬術披露要員を置いてはいったが天彦の指摘が大げさではない神速の速度で帰還を果たし今日という日に間に合わせていた。

 それほどの栄誉である。しかも主役で。由緒正しき徳川家を高祖にまで遡ってもない誉れ。家康はまさしく名誉絶頂の興奮状態にあった。


「……ほんでね三河守さん。身共、とーっても心苦しいさんなんやけど」

「皆まで申されるな。心得て御座る」

「あ」

「ささ引っ込められよ」



 ……え、えぐ!



 足元でそっと握らされたのは“銭一万貫”と書きつけられた木札(手形)であった。

 振出人は堺の豪商茶屋四郎次郎となっていた。裏書はむろん三河守徳川家康さん。

 さすがに信長ほどの気前には及ばないもののそれでも十分な額であった。何しろ天彦的金銭感覚に直すなら12億JPYである。

 天彦の知らない世界線にはこんな報酬もあるのかもしれないが、少なくとも策を練りほんの少し汗を掻いただけの報酬としては破格であった。


 が、


「それもこれも御仏の思し召しにございまするな」

「あ、……うん」


 やはり当主。きっちり要所では釘を刺してくることを忘れない。


 天彦の知識では三河の一向宗は掌握されているはずだが、どうやら別件の宗教紛争問題を抱えている様子であった。でなければ天彦に釘を刺してなどこないはずである。

 尤も家康に限らずこの時代、大名を頭を悩ませ抱え込ませる最大勢力はご存じ茶々丸ぱっぱの手下の真宗勢力と相場で決まっていた。


 そして天彦は数度その恩恵に預かっている。あるいは家来の意向による偶然の結集か。いずれにせよ世間の目が天彦の意図、あるいは恣意が関与しているのではと勘繰ってもそれほど無理のない解釈であった。


 その茶々丸がニヤリ。


「ご当主様、主上の行幸にあらせられまする」

「ん」


 外面で催促してきた。

 呆れるほどの切り替えの上手さだが当然である。茶々丸は教養のオニなので。


 茶々丸に促され来賓席に静謐が訪れる。


 さあ本番。熱気も初手からクライマックスの様相を呈し始めた。




 ◇




 天覧馬術大会同日夕刻、二条衣棚魔王城妙覚寺。



 天彦は家康と共に天覧馬術披露大会の盛況無事な終幕報告をしに魔王様の許へと参っていた。

 本来なら天彦が参る筋合いではない。だがどこで訊きつけたのか家康が同席してくれと必死の懇願で強請ったのだ。一万貫の件もあり否と拒絶もできなかった天彦は渋々ながら付き添った。


 地獄かな……。


 だが悪い方のよく当たる感はやはり冴えていた。

 魔王様は字義に相応しい形相で、あまり得意ではないはずの酒を手酌で引っ掛けていた。片膝を立てて、愛刀の大般若長光を杖代わりに抱きかかえて。


 要するにオコである。あえて激オコとは表現しない。なぜなら表情がすん。と虚無だから。

 あまりに恐ろしすぎたためか。真傍で侍る小姓ですら震えを隠せずにいるほどであった。


 そんな無限オコの魔王様と向き合うこと彼是半刻。

 ずっと地獄モードにもようやく一縷の光が差し込んだ。


「かっ、気に食わん。どいつもこいつも膾にしてやるぎゃ」


 気のせいだった。

 膾にはされたくない彦は無になった。案外これで得意技なのでそれほど苦にはならずに続行。


 しかしなぜこうも荒れているのか。天彦は推察するも確信には一向に至らず少しだけ焦っていた。

 可能性としての一番候補はやはり嫡男信忠の愚行であろう。天彦は自分で言うのも何だが一番のお気にの自負がある。そのお気にを敵視するなど馬鹿げている。

 しかも今回は暗殺である。いくら何でもやりすぎで、結果謹慎を命じなければならなくなった。その心痛がこのオコに注がれている可能性である。

 家臣数名も同様に。此度の征伐遠征でビッグネームの数名を始末する口裏は合わせている。

 いくら清濁併せ呑める信長とて思うところがあるのだろうか。


 天彦がつらつらと仮説を立てているとそこに、


「狐、おみゃあなんで儂をのけもんにするぎゃ」

「え」


 見当違いの方角から正解が飛んできた。

 魔王様、まさかの御拗ねになられていた。……あるん、そんなこと。あったけど。


 天彦が愕然とした表情で間抜け面を晒していると、


「儂の兵はもっと精強だぎゃ。三河もんがなんぼのもんだぎゃ。今すぐにでも捻り潰してくれたやりゃあよ!」

「あ」

「うへ」


 よで抜き放たれた大般若長光が線を描いた。すると背後に飾られていた高級そうな靭が真っ二つに。


「……」

「……」


 すると小姓たちが音もなく安全距離まで遠ざかり、その状態のヤバさを見える化させて天彦に伝える。――氏ぬ!


「おみゃーはどう思うよ」

「同感におじゃります」

「ほじゃろ。ほな何とかせえ」

「え」

「出陣は十日後じゃ。それまでに何とか致せ」

「え」

「ふっ……で、あるか」

「あ」


 一本取られた。ずっと演技されていたことに気づき、天彦は苦虫を噛み潰したような負け犬の顔をした。むろん敢えて。


「それでよい。三河守、貴様に差配のすべてを預ける。その辣腕とやらを揮い、存分にこの弾正忠を持て成すがよいぞ。下がってよい大儀であった」

「は、ははぁ――」


 うそーん。


 最上級の演技指導を頂戴したところで、そのお代は飛び切り高かった。

 そしてこれもまた食らってしまう。

 これこそが本当のお強請りであるという、特大特級のお強請りをされてしまうという形で。


 魔王の前を辞した二人はぞろぞろと互いの御供を引きつれて境内に出る。


「参議様、またぞろお手数おかけいたしまする。ですが主命には抗えず。何卒、お力添えくださいませ」

「……」


 この金ぴかお狸め。こいつ特級呪物じゃね。


 何気にもう完璧に信長を主と認めてしまっているし。とんだ負け犬もあったものだ。

 むろん天彦とて人様のことは弄れないが。


「何卒」

「……」


 こうして天彦は家康に胡乱な視線を向けたまま、二条衣棚を後にするのであった。




 ◇




 しかし災難であった。未来を見据えてすり寄ってはみたものの実は家康まぢもんの厄ネタではと勘繰り始めた今日この頃。


「ルカ」

「無理です!」

「……まだなーんも、あ、はい」


 ルカもあの場にいたのだ。まだ何もはさすがに苦しい。

 開催は期日から逆算して六日後が期限。六日で同じ規模の催しを開かなければならなくなった。いくら何でも無茶振りすぎる。

 観衆諸々は可能だとしても行幸はさすがにちょっとでは済まない無理筋である。


「はぁ。お茶々ぁ」

「都合のいいときだけ甘えるな」

「でもぉ」

「ったく、お前という男は……」


 性格がドブキモいと言外に言われた気がしたが気にしない。したら負けなので気づいても気づかないフリを徹底して甘える。


「……雑感でええか」

「やた! お茶々好き!」

「黙れ。さすがに帝を動かすのは舐めすぎや。それは魔王とて承知のはず。ちゃうか」

「……やな」

「お前、もう気付いてるんと違うか」

「うん。……今気づけた。おおきにさんお茶々」

「なんやこれは」

「スキのハグやよ」

「……そうか」

「ハグわかるんや」

「この様でやろ。そのくらいはわかる」

「怒らへんの?」

「ふん、好きにせえ」


 お言葉通り好きにした。なのに五秒後にはシバかれる理不尽に見舞われ、けれど天彦は魔王城から出てきたときの表情がまるで演技だったかのような晴れやかな顔をしていた。


 うし、気合は十分!


「見つけたんやな」

「あたぼー」

「それでこそ菊亭や。で」

「信長さん、今回の一件を取っ掛かりにしようと考えたはるようや」

「取っ掛かり」

「うん。室町第の一掃と朝廷の大掃除の」

「……いくら何でも僭越やろ」

「そうでもないよ。先に舐めプしてきたんは彼方さんやし」

「なめぷ」


 九条と近衛とその後ろ盾の帝と幕府と。あと茶々丸ぱっぱと。


 主な首謀者はざっとこんなところ。


 信長はこれらを一掃しようと考えている。天彦の星読みにかこつけて。

 さすがは稀代のトリックスター。考えが人の数倍斜めっている。


 たしかに目の付け所は素晴らしい。知己たる東宮への皇位禅譲のテイも策として悪くない。何より血が流れない一番温和な策である。


 だが問題もかなりある。一番のネック。それは天彦がすべての事実を明かしていないこと。信長は敗れるのだ。今回の大遠征では。

 そういうこと。信長には負けてもらう。そうでないと自然な形で藤吉郎に退場してもらえないから。英雄とはそういう星の下に生まれているので中々自然には逝ってくれないのだ。


 常勝秀吉の今回がその数少ない機会であった。


「くふっ。ふふふ、氏んでくれる別の機会……、あったかなぁ」

「菊亭、お前……」

「ん? どないしたんお茶々」

「思考が声に駄々洩れで、新顔が小便ちびってもうとるぞ」

「あ」


 くるるが失禁してしまっていた。


 それほど不穏当な発言のオンパレードだったのだろうか。

 雪之丞は興味なさげに周囲に舞う蝶々に気もそぞろ。青侍衆は訊かないふりでそっぽを向き、佐吉は涼しい顔をしているが是知の頬は引きつっている。


 その中身はわからない。だがやはりだだ漏れではあったよう。


 まあええ。今更や。

 天彦は気分を切り替え思考に集中。


 抵抗勢力の一掃。たしかに悪くない発案である。しかもしくじっても責任は半分。言い出しっぺの魔王様が被ってくれる。

 それを言っていない。知るかボケとはけして返さないのが魔王の度量。あるいはそれがまかり通る程度には信長への信頼感を抱いている。


 つまり失敗しても許される公算が俄然高いのだ。メンタル的にもフィジカル的にも。

 するとやはり天彦には絶好の機会に思えてならない。むろんこれが仕掛けられた罠である可能性も捨てきれないが、それを差し引いても十分な期待値が稼げる案件であった。


「やるだけはやってみよか。ルカ」

「はいだりん」

「呼び寄せや」

「え」

「ぐずぐずすなっ、お前さんらの親分二人とも伊予から呼び戻すんや。疾くいたせ」

「は、はい!」


 天彦の叱咤に射干党が俄然活気づいた。

 それに遅れて且元、氏郷ら青侍衆も血をたぎらせる。

 対する諸太夫はどこか遠い目をしながら、けれど意気には感じているのか誰もが背筋をしゃんとした。


 当の天彦と言えば実益には御免やで。思うところはやはりそこ。

 だが一番は己が家。菊亭が滅びては主家もへったくれもなにもない。


 再度決意。伊予からも援軍を呼び寄せることを決意して。


「時を早める。身共は動く。家内は任せたで茶々丸」

「おう、任せんかい」

「佐吉、動員をかけて棚卸や」

「はっ! 直ちに」


 いよいよ菊亭の本格始動か。

 そこまでの熱量には達していないが、うだるような暑さの京都の真夏日くらいの熱量は感じている。

 そして天彦の熱量は側近たちイツメンにも十分伝播していることだろう。

 誰も彼もがスイッチを入れた凛々しい顔つきに変わっている。


「あ、黒鳳蝶や! カッコええわぁ触りたいなぁ。なんで届かへんねやろ」


 若干名、お一人様を除いては。


 天彦はちょいちょいと手招き。こっちにおいで。何ですのん。


 耳元でひそひそ。


 お雪ちゃん黒は縁起悪いからアカンのんよ。

 何でですのん。奇麗やのに。

 何でもなん。そういう決まり事やから。

 ほな若とのさんが決まり事作り変えてくれはったらよろしいですやん。

 そういう子供じみた無茶ゆーたらアカンわ。

 御自分はいっつも無茶言わはるのに、ズルいです。

 あ。

 あ。

 まあええさん。ええか、偉いとはズルいということなんやで。厭やったら偉なり。それが唯一の対抗手段や。

 えー面倒そうやし、某、今のままでいいですわ。何かあったら若とのさんにお強請りします。

 ふふふ、それも立派なズルやな。

 ふふふ。そうみたいですね。


 わきゃきゃむふふ。


 二人はこっそりの心算が全員にまるっと共有されるいつものいちゃいちゃのやつを交えて。


 いずれにしても事は動き始めた。成り行きだがこうして総動員での反攻作戦が始まろうとしていた。














最後までお読みくださいましてありがとうございます。


またねー

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