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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十一章 夢幻泡影の章
206/314

#16 狸寝入りと狐の嫁入りと

 



 永禄十三年(1570)三月十六日






「お五月蠅方、すべて黙らせてございまする」

「おお佐吉、ようやったん」


 あまり目立ってはいないが以外にも失態が続いていた佐吉は、常にも増して神妙な面持ちで報告を上げた。

 佐吉の心情はさて措き主君からお褒めに預かったのだ。少しくらいは喜んでもよさそうなものだが、その表情に晴れやかさは感じさせず、むしろ浮かない。


「はっ。勿体なきお言葉。なれど己の力量不足を痛感してございまする」

「そやろうなぁ。でも学びになったんか」

「はっ」

「ほな上々。当家にとってそれに勝る収穫はないさんや。何より身共はこうして喜んでいるん、そない萎れてんとしゃんと胸を張りぃ」

「と、殿……!」


 佐吉は天彦の繰り出した望外の言葉に、当惑しつつも感動に打ち震えた。

 だが天彦はそれを含めてよくやったと御満悦な笑みを浮かべて褒めたたえた。


 天彦にしてはかなり甘めの判定だが強ち間違ってもいないのだろう。佐吉のスキルアップが目的ならば。

 実際に佐吉のポテンシャルは高い。今は潜っている能力値が地表に上がれば上がるほど佐吉の実務領域はレンジを広げていくはずである。延いては菊亭全体のレベルアップにも繋がっていくことだろう。

 そしてやがては天彦の菊亭構想の主軸である、武の与六、政の佐吉を体現してくれることだろう。

 そうなるまでは天彦も根気強く、あるいはどんな声が届けられようとも何があろうとも当面は方針を曲げない心算である。佐吉の育成を諦めないかぎり。


 そんな佐吉は五月蠅方つまり門跡寺院を黙らせることに成功したと報告を上げてきた。嬉しさも一入である。

 むろん佐吉たち担当政務方も頑張ったが、今回は裏方がかなり頑張った。

 ルカ指揮の下、裏で実際に汗を掻いたのは射干党であった。


 佐吉の事務処理能力はずば抜けている。おそらく右に出る者はいないだろう。

 だがこれがこと対人関係に及ぶとこのスーパーコンピューターが鳴りを潜め俄然ポンコツと化す。つまり現下の佐吉に交渉事は任せられない。

 これはもはやへきだろう。一つにあまりにお家に対する忠誠心が高すぎるという気の病を抱えていて、この感情が弊害を生んでいた。

 交渉事に臨む際一ミリ一グラムたりとも損をさせられないという強迫観念に駆られている節がありありと出てしまい自分自身で思考の範囲を狭めてしまうのである。

 それでは交渉のテーブルに着くどころかそもそも、俎上にも上げてもらえない。

 実際に今回佐吉はかなりメンタルを削られたはずである。ずいぶんと声を荒げていたとも天彦の耳には届けられているので。


 よって今回のような損して得を取る系のタフな投資術的交渉にはまるで適性がなく、結果、外交は任せられない。との評価に落ち着いてしまうのだ。

 そして実際そんな家内評を確定させてしまうだけの成果に終わっているのだが、天彦は気にしていない。


 そもそも論、石田佐吉三成という人物のそれが総評なのだから。


 天彦にとって佐吉とは、高慢で鼻持ちならずいけすかない。自負と自尊心の塊で曲がったことが大キライ。言い換えるなら融通の利かない老害気質。

 だがひとたび友と認めた人物は何があろうと裏切らない。主と認めたお家への忠誠は何があろうと不変を貫く。


 そんな不器用で生真面目でポンコツ無敵かわいい佐吉が天彦は大のお気に入りなのである。まんまの彼が大好きなのだ。


 そんな佐吉に忠誠を向けられている天彦は、やはりどうしたって誇らしく。

 そんな不器用な佐吉だからこそどうしたってどうしたって信用できてしまうのだ。


 つまり可愛くて仕方なかった。


「よう頑張ってくれたご褒美さんに、土地でも与えんとアカンなぁ。それが世の習いらしいし。なぁ茶々丸どっかええとこ見繕ってくれへんか」

「無茶を申すな」

「そんな無茶?」

「菊亭、お前……」


 と、


「贔屓えぐっ!」


 そんな土地がどこにある。何重もの意味で呆れる茶々丸の頭越しに非難の声をあげたのはルカだった。妥当な反応である。むしろ温い。

 何しろ射干党は西院という拠点を失ってからというものどこに集うも肩身の狭い思いをしているのだから。あれほど貢献しておきながら。


 しかも主家の方針によってどこを奪うもダメときている。だからといって分けてもらえる土地はない。進退は極まっていた。

 むろん菊亭が最低な主家であると非難しているのではない。土地の代わりに過分な俸禄を頂戴している。だが彼らは土地が欲しいのだ。そこに根差せる確固たる土地が。


 だが現状はない。多くの郎党が城下建設予定にある長屋住まい。そんな窮屈な状況を二千有余の郎党はここ最近ずっとしてきているのである。


 それをこのポンコツ当主は……、


「言うに事欠いてそれはないだりん」

「あ、そ」

「あ、そ……! たったそれだけ!」

「なんや不満か」

「……不満など、滅相も……不満じゃいっ!」

「ふべしっ! ……っと返されるはずやが、なんやぶたへんのか」

「ノリでそこまではできません。でも次はします」

「せんといて?」

「いいえ、します。しないとうちの温度感をおわかりいただけないようなので。主家のポンコツお殿様には」


 デスヨネー。


 と、


「おい、もうそこらに致せ」

「っ――、は、はは」


 ルカの追撃は茶々丸の短い制止の声と険しい視線でどうにかやんだ。

 ルカとて茶々丸が恐ろしいのである。そしてそれはルカに限ったことではなかった。

 こうして茶々丸のどこかタガの外れた支配的な視線に咎められてしまうと多くの家来が身をすくめて縮こまった。


 偏に天彦を筆頭に朱雀・佐吉本気ボコ事件が広まったからに他ならない。

 あの三人をボコすのだ。それはもう誰だってボコされるというのが菊亭家での主流の見立てであった。


 だがいずれにせよルカとて本気で不満をぶつけたわけではない。何せ天彦の贔屓など今に始まったことではないのである。そして場面が代われば射干党とてその贔屓の対象になることは彼ら一門衆が誰よりも知っていた。

 日ノ本広しと雖も、自分たち郎党のために心を痛め人知れず涙してくれる主君など絶対にいないと断言できる程度には、彼ら一人一人は不遇な人生を歩んできているのであった。


 また他方では、菊亭天彦という人物。そもそも一人の家来を迎えに行くためだけにお家断絶あるいは菊亭滅亡を覚悟して織田家と一戦交えるような気狂いなのだ。

 誰ひとりとして天彦を真面な公家、真面な人物などとは思っていない。


 そして各々意地や矜持もあるのだろう。天彦の酔狂に口を挟む者がいないのはきっと、そんな感情が勝つからで。

 そんな感情とはあるいは、家の興亡を懸けてまで迎えに来てくれるその一人になろうとする心意気だったりするのだろう。知らんけど。


 その仮説が確かなら、たしかに嫉妬に狂い身内の足を引っ張り合うよりかはいくらか健全な発想ではある。

 だが重いか軽いかと問われれば、それはやはり天彦ならきっと重いと感じてしまうのだろう。何しろ愛され下手の極みのような人物だから。


 そしてそんな面映ゆい重みを煩わしく感じながらも、反面、受け入れざるを得ないほど、天彦への忠誠心は日に日に密度を濃縮させている傾向にあった。要するに人生の変調である。


「……なんや、そのいかがわしいお目目さんは」

「少し、ほんの少しお背がお高くなられましたね」

「唐突なまっまムーブ!」

「お殿様は本当にどうしようもなく照れ性ですね。ルカには病的とさえ感じてしまいます」

「黙れ! そしてそんなことより何よりも、お前さんに遠い目をされると何や知らんいっちゃん腹立つ」

「なんで……!?」


 ごほん。


 茶々丸の咳払いでたちまち和気藹々ムーブは消え去り、執務室にあるべき静謐が戻った。

 ルカでなければ確実に死んでいた。そんなひりつく感情を撒き散らされては誰もがそっと居住まいを正す以外に手段を持たない。


 場を制した茶々丸は満を持して持ちネタを披露、ではなく取って置きの厄ネタを披露した。

 そう。誰もが沈める、ネタの鮮度がぴちぴちのそしてとびきり特級呪物級の厄ネタを。


「菊亭、件のさるべじ事業とやら御味方の大勝利に終わったぞ」



 お、おお――っ!



 執務室にけっして小さくないどよめきの声が沸き起こった。

 それはそう。僅か中一日、移動込みなら実質ゼロ日での吉報に驚きを隠せなくて尤もであろう。

 それほどに錦の御旗の御威光は効果が高いのか。誰もが瞬時に脳裏に思い描いたことだろう。その雄姿を。そして秒で違うと答えを弾いたはずである。

 それほどに凄かったのなら時代はこんなにも荒れていない。QED定期として。


 そこからが不穏さんの出番である。あるいはずっと不穏さんのターンでも可。

 そのくらいこの話題には不穏な影が付き纏った。


 皆の脳裏には次いで可能性の高い、ならば三河兵が……。

 そんな考えが過っていることだろう。確実に。だが、

「それはないん」


 その考えは天彦自身が否定して打ち消す。


 天彦の口にした“それ”に果たしてどのくらいの者が考え及んだのかは定かではない。だがけっして少なくない数の諸太夫たちが作業の手を止め首を上下に納得の揺さぶりで共感していた。やはり優秀。

 菊亭の実務レベル人員はそうとうかなりの人材が確保されているようであった。



 閑話休題、

 さて、ではなぜこうもスピード解決したのか。消去法的に一択しかない。


「与六、さては本気出したんやなぁ」

「菊亭、危ういぞ」

「……うん」


 天彦は茶々丸の忠告に素直に理解を示した。

 伊予の一件と今回で樋口与六は武将としての大器を示してしまった。

 しかも今回は合戦を回避して調略まで使ってみせた。のだろう。でなければ速度の間尺が合わないから。

 血が流れなかったことは喜ばしい。だが別のけっして無視できない事項が浮かび上がってしまっていた。


 それこそが天彦と茶々丸の最大危惧。


 引き抜きなどは今後引きも切らないだろう。しかし些事である。

 問題は風潮。武家は公家を上に見る。仰ぎ見るかどうかは人に寄るがけっして下には見ようとしない。それも偏に公家の公家たる所以に惹かれるから。

 ましてや自分たち武辺な野蛮人とは違って、公家は文化人としての風雅な性質を持っている。

 即ちそれら人種、延いては血統、文化風習の違いにこそ武家は敬意を表しているのである。


 ところがそれが武辺に頼るとなると見方も180度変わってしまう。今更だが武力を有する公家など恐れるに足りないというのは公武共に抱いている普遍の真理なのである。

 史実の一条家がそうであったように。あるいは多くの在野に下った公家がそうであったように。武を掲げた途端公家はお仕舞いの始まりを辿るのだ。


 要するに公家は武家と同じ土俵に上がってはならないのだ。

 警戒される程度ならまだしも敵視されたらお仕舞いです。の悪例として。

 武士と言う人種はひとたび血が騒げば最後、必ず血を見ないと収まりがつかない人種である。(天彦の偏見調べ)

 そして天彦の菊亭はその血が滾る人種の極みのような人物が率いる陣営の、ど真ん中一丁目一番地に布陣していた。


「申し上げます!」


 ふぁ……!?


 そこに報せが舞い込んだ。


 奇妙な声を出してしまった天彦と、それを咎めることもせずに聞き流した茶々丸は共に苦い顔で互いが互いに発言権を譲り合う。どうぞどうぞと。

 但し目は雰囲気ほど柔らかくはない。

 ややあって、熾烈な視線の応酬もどうにか軟着陸に成功し、妥当なところで落ち着いた。


 天彦WIN――!


 本気の駄々をこねた天彦に勝てる者は滅多といない。本来なら。

 だが敵は茶々丸。彼とて稀代のカリスマである。本気を出せば天彦にも引けを取らない雰囲気は醸せる。

 ならばなぜ。単純に茶々丸が天彦に大甘いというだけのこと、そういうこと。


「ちっ、どないしたんじゃい」

「お、織田様のお使者が――」

「もうええ」

「え」

「もう訊きとうないと申した。下がれ」

「は、はは――!」


 使者がご無礼仕りました。言い終えるより早く、室内がざわめき始めた。

 というよりも屋敷全体が慌ただしい気配に包まれていく感覚はすでに早くから感じ取れていたことだろう。


 ダテに魔王様などと揶揄されていないのである。


「ご登場のようや。菊亭、癇癪はあかんぞ」

「前提が可怪しい」

「何遍でも言う。癇癪はあかんぞ」

「ふん。……内容にもよる」

「内容によるな。相手は魔王や。それも怒れる魔王や。警戒はなんぼしても足りんくらいや。お前が一番わかってることやろ」

「知らん。お茶々」

「なんや、珍しい凄んで」

「身共は菊亭天彦や。これだけは申しておく。身共は身共に誓いを立てたお家来さんはどんなことがあっても手放さん。ラウラに誓った」

「お、おう」



 与六は死守する。



 その意気込みと気迫が茶々丸の天然素材である覇気を凌駕していた。

 一重の常は涼やかな双眸にめらめらとした焔を宿した天彦の言外の訴えに翻意を口にできる者はこの世にはきっといないだろう。根が破滅的で投げやりなのも手伝って。


「菊亭……」


 いずれにせよ少なくとも茶々丸にはできないようで、彼にしては非常に珍しく言いたい言葉をぐっと飲み込んだような表情で、静かに天彦を見つめるだけにとどめるのであった。




 ◇




「なんじゃその面は」

「警戒しているお顔さんや」

「待て」

「待ちますん」

「……余が何かしたのか。貴様の気に障る何かを」

「これからするん」

「何を! まあよかろう。わかるように追って順に申せ。貴様にその顔で睨まれると背中が寒いぞ」

「え」


 違った。これほど嬉しい誤算もない。天彦を筆頭に執務室に集う面々から緊張の気配が薄れ、一気に室内は弛緩ムードとなっていった。


「何を勘繰っておった。これほどの変化、もはや看過できぬぞ」

「おうふ」


 しくった。痛恨である。

 喜びも束の間、今度は一転掘った墓穴の回収作業が待っていた。



 身共のあほ!



 天彦が視線で早とちり煽りの片棒を担いだ茶々丸の姿を追う。だがさすがである。すでにその背は執務室の扉に差し掛かっていた。


 逃げろ。


 専売特許が侵害された瞬間を目撃する羽目となってしまった天彦だが、すると急な来訪の意味を探さなければならなくなった。

 するとこれはこれで非常によろしくない。魔王様、ふらっと遊びにくるような暇人ではないからだ。


「……あの、もしや」

「うむ。本日は貴様に申し付ける儀があってこうして直接出向いて参った次第。余の言葉、心して聞くがよい」


 やーめーてー


 絶対に嫌だった。改まれるなど普通に氏ぬほど厭すぎた。

 だが拒否権はない。それが中間管理職の哀しき定めだから。天彦の方が何倍も格上なのに。

 やはり地位は実態を映し出してはいないのか。商人もやたらと偉そうだし。


 天彦はそんな不満を脳裏の片隅で思いながらも日ノ本で。いや世界中で。いや銀河系で最も訊きたくないであろう大事態に、泣く泣く覚悟を決めて泣く泣く耳を傾けるのであった。



「天彦よ、室を迎え入れよ。余の名に懸けて人選を致す故、軽々なる否やは許さぬ」



 シツヲムカエイレヨッテナンダロ。



 ………………、

 …………、

 ………、



 逃げろ!


 菊亭に本格的な外交の春が訪れようとしていた。

 天彦はその足音を全力で振り切るべく、今回ばかりは本気本域の逃げ足を披露するのであった。













最後までお読みくださいましてありがとうございます。


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