#14 二条衣棚界隈の絶対キャンセルできない勢
さらっとどうぞ
永禄十三年(1570)三月十三日
治罰綸旨を懐に、華やかなりし錦の御旗を棚引かせた五千有余の官軍を率いる徳川家康を送り出したその翌日。
二条衣棚、妙覚寺禅堂。
美しくもどこか質素で実に侘び寂びの情緒を感じさせる味のある境内に、ときおり混ざる野鳥の囀り。これぞまさしく美の絶技。技の妙技。
何たる贅沢。文句のつけどころなどどこにもない。それだけなら天彦の好む格好のロケーションである。
だが文句しかない。なぜなら所狭しと詰め掛ける厳めしい侍と対峙させられているから。それだけで天彦には十分、すべてを台無しにされる条件がすべて揃っていた。
言葉を選ばず言うなら圧迫面接。ブラック事情聴取である。
「申し開きがあるならば申せ。但し滅多なことなら口にせぬが善なるぞ。今宵の国重は激しく荒んでおるからの」
……じんおわ。
何やら魔王様の愛刀・長谷部国重は血に飢えておられるご様子だが。
天彦は脇汗びっしょりの内心をひた隠し涼しい顔(の心算)で応接する。
「信長さん、お話だけでも訊いて?」
「申せと申しておるではないか」
「あの、ならば訊く姿勢というものがあると思……あ、はい」
「ふん」
信長は居合斬りの姿勢を解き愛刀を雑にぽんと放った。――ほっ。
天彦は露骨に安堵のため息を漏らす。それが悪手だとも気付かずに。
「痛いっ!」
「足らぬようじゃの」
「足る! 足りてますっ、あ。うごっ、――んぎゃ」
ぬおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ
絶対に心棒に鉱物が入っているだろう軍扇でどつかれて七転八倒、天彦は畳の上を転げ回って悶絶する。
脳細胞が死滅するやろッ!
ややあって幾分か痛みが和らぐと痴態から脱した。周囲の何とも言えない視線が集中、普通にハズい。
だが天彦は見逃さなかった。己の無様を見て、腹の底から可笑しそうに笑い転げてリンクする三介のおバカな共鳴を。
覚えとれよ。の感情で三介から視線を外した天彦は定位置(信長の右真隣)に居住まいを正しておっちん。
すると珍しく、まるで飢えた子ぎつねが親を殺されたハンターに向けるようなどこか荒んだ目で座に集う織田家臣団を睨みつけた。
「身共は朝家の侍臣、太政官参議におじゃる」
「……で、あるか」
家来扱いは不愉快です。
天彦は言外に、けれど明確な意志として抗議の感情を言葉に預けて訴える。
信長の意図を正しく理解した上で。
意図とはつまり公然と格下扱いすること。即ち家来扱いにすることによって、目下織田家内に渦巻く反菊亭感情、あるいは菊亭への不審を払拭しようとしたのであろう。よほどよくない風潮なのか。
いずれにせよ要するに信長の温情である。だが天彦は差し出された救済の手を払いのけてしまった。すべてを理解しておきながら。なるほど。ならば信長の唖然も必然であった。
そしてそれは周知の事実である。ともすると信長が菊亭贔屓なのは京の洟垂れ雀でさえ知る事実なのだ。織田家臣団ももちろん承知している。それを証拠に、座には粘度を伴ったような何とも言えない重い空気が漂った。
そのただでさえ重い空気が漂う室内の、更に粘度を増す視線が上座の二人の動向を凝視する。
そんなこの世の感情がすべて凝縮されたような重苦しい空気感の中、初めに口を開いたのは……、
「徳川を滅ぼしたいのか」
信長であった。
なん、と――!
とんだ爆弾発言の投下である。当然のように座には驚愕のどよめきが巻き起こった。
が、それも束の間。まるで何かを暗喩するかのように、すると天彦の返答を遮って季節外れの春雷が閃光するのであった。
ずばばばば。凄まじい轟音と遅れて落明する何条もの閃光を背に、信長は告げる。
「市若、人払いじゃ」
「はっ」
小姓が下知に従い言付けると、織田家臣団は即座に応接。たちまち禅堂は天彦と信長の二人きりとなった。
「場は整えた。問答無用である。内に秘めたる存念、この場ですべて明かして進ぜよ」
「……」
信長の有無を言わせぬ甲高い声が峻烈な視線と共に放たれると、天彦の瞳を釘付けにした。
◇
ぱく、むしゃむしゃ、もぐもぐ、……んまー
打って変わって和気あいあいと。
人払いした禅堂には先ほどまでの殺伐とした空気は影も形も気配さえ感じさせずに霧散していた。
「美味いか」
「それはもう。職人さんの知恵と工夫と妙技を感じる美味しさにおじゃります」
「ほう、抜かしおったな。ならば原材料を言い当ててみせよ」
「はい。自然薯、砂糖、餅粉、水、配合は6:5:4:3におじゃります。あ、お茶ください」
「……化け物めが。おい化け狐が所望しておる、茶じゃ」
「は、ただいま」
天彦はいともたやすく言い当てる。それはそう。かるかん饅頭など日本人なら誰だって一度は口にしたことのある九州地方の特産品だから。
だが畿内では食べられない。むろん再現は可能。だが天彦も口にするまでは忘れていた。そんなエアスポットに嵌りやすい甘味だった。
そしていつもの天彦も健在で、美味さと懐かしさと嬉しさのあまりテンションが上がってしまい、余計なことをつい口走ってしまう。という一連の流れまでをセットで行い信長をまたぞろ呆れさせるのである。
「大友、竜造寺。……いや島津さん、ご機嫌伺いに参らはりましたか。一撃必殺の示現流が動かはると。ほな近々参内しはりますね。身共も日を合わせて参内してお裾分けに預かろ。レシピと権利、譲ってくれはりますやろか」
「言い当てた上で関心はそこか」
「そこ以外に何がありますのん」
「……一を訊いて十を知る貴様のこと。他にいくらでもあろうものを。くく、なるほど三河守もこれにしてやられたか」
「なんですやろ、これとは」
「やつは恐れ戦いておる。貴様の得体の知れなさにな」
「恐れ戦慄く……? はて、何のことですやろかぁ」
この異才は常人にとって脅威を覚えさせる。だが目線が同じ者になら。
ご存じ世間一般には畏怖されて、近しい者ほど恐怖させる天彦だが魔王にとっては手の内なのか。この迂闊さ込みで愛されていた。
あるいはこの意図してかせずかは判然としまい馬鹿馬鹿しいまでの脇の甘さがあるからこそ逆に信頼されているのかもしれなかった。
「しらばっくれおって。貴様ら狐と狸は化かし合いをしておればよいものを」
「酷い!」
「何が酷いことがある。しかし貴様ら、何を互いに恐れ合っておるのじゃ。タヌキはタヌキでびくびくオドオド。狐、貴様も険がある。三河守への応接には終始熱を帯びておる。何故であるのか」
「気のせいにおじゃります」
「ほう面白い。貴様はこの儂の目が節穴と申すのじゃな」
「う」
「三河守は貴様の申すその気のせいとやらで正気を失い、実母と嫡男を人質として差し出すと申し入れて参ったぞ」
「え」
……いやいやいや、はぁ?
於大の方を人質に差し出すって……、はぁ!?
信康くんを……、はぁ!? げろまんじ。
天彦は一瞬何事か理解できず固まってしまう。
ややあって少しずつ持ち直しても釈然としないことだらけの感情に、やはり表情は冴えないまま。
「信長さんはその申し入れ、迎え入れはったんですか」
「盟友国当主の達ての願い。聞き入れぬわけにもまいるまいよ」
「嗚呼……、なるほど」
どうやら天彦を警戒するあまり家康は切り札を切ったようだった。
それも最低最悪の悪手の一つであり、天彦の最も望まない結末パターンの一つでもある臣従という形で。
おそらくだが豊臣政権下でのポジションより悪くなる。なぜなら徳川家にそれほどの国力も価値もないから。無いが言い過ぎなら相当かなり部分的にしか価値はないから。
何しろこれから駿河を奪われ遠江も半国奪われてしまい、戦略的に価値が相当減退してしまう。
最大のネックである武田の押し込めは越後が担う。だが然りとて三河一国、遠江半石の身代となった徳川が動けるかというとそうではない。やはり国境を警戒しなければならなくなる。それも張り付き状態で。
ならば徳川は……、
「同盟国をまんまとお荷物に変えてしまいよって。まあよい。企んだ以上、責任は取るのであろうしの。のう悪狐よ」
「ギブ。参りました。堪忍してください」
「ふっ。で、あろうの。手打ちといたすか」
「はい」
「うむ、相分かった。余が取り計らって進ぜよう」
「おおきにさんにおじゃります」
「よい。しかし天彦よ。弱い獣ほどそうして牙を剥くものであるぞ」
「……あ、はい」
「学べばよい。ならば訊かせよ」
「はい。実は――」
降参した天彦は策意をぼかさずすべて、なぜ家康の心に織田家への反感感情を植え付けたのかだけを秘匿して明かした。
こうなっては今は昔。あるいは後の祭りでも可。いずれにせよ対徳川戦術は今更何を明かそうとも今後の戦略に一切影響しなくなったのである(棒)。
「駿河が侵攻される、じゃと」
「はい」
「……貴様、それは誠か」
「はい」
「訊いておらぬが」
「話しておりませんでしたので」
「ならば三河守の不信も納得である」
「はい」
「己、まさか仕組んだのか。北伊勢に続き二度までもっ!」
「ま、まさかっ。ま、待った!」
「待たぬ」
「えー」
ギロリ。信長のかなり本気の目で睨まれ、鷹に睨まれた小鳥状態に陥ってしまった天彦は、しどろもどろと言い訳を連ねる。
だが言い訳は所詮言い訳。重ねれば重ねるほど真実味から遠ざかり、やがて空転して空々しさだけを浮き彫りにしていくのである。
つまり下手。
天彦は無類の“おまえ言い訳下手くそか!”系男子であった。
「墓穴を掘ったな」
「ぜんぶ誤解なん。信じてー」
「ふん」
だが信長の疑念も尤もである。
北伊勢侵攻時も背後を越後に突かれて肝を冷やした。そのときも偶然で一切関知していないと弁明した。今回問い質しても神託があったと言い張るばかり。
実に怪しいもの。何らかの伝手で甲斐を操っていると勘繰った方がいくらか納得が深いではないか。故に今回も仕込んだのは狐。
この理論で信長は天彦にかなり厳しい目を向けていた。
「貴様、もしや余に天下を取らせたくないのでは」
「ひっ」
違う! それだけは絶対に。
声を大にして叫びたかった。だが何かを発した瞬間、手元に立てかけてある愛刀の錆にされてしまう予感が走って発せなかった。
試す気にもなれない勘どころに、さすがのポジティブシンキングも役目を果たしてはくれなそう。弱ったん……。
膠着状態のまま途方に暮れていると、
「がははははは、友の窮地に儂、登場――っ!」
「……ちっくそガキ、何をしに参った」
「そんなことは決まっておる。親父の横暴から友を救出に参ったのじゃ!」
「たわけめが。興醒めである。者ども、控えおろう」
ほっ。
言うや信長自身が禅堂を後にした。してくれたのか。
遅れてやって来た主役は得意満面、いい顔で笑うと天彦の肩を気安く二度叩き、
「なんとか細い肩であるか。ちゃんと食っておるのだろうな」
「食うてます」
「ならばよい。そんなことよりも菊亭、礼は要らぬぞ! がはははは」
「そうなん? ほなそれで」
「……む。礼は要らぬと申したぞ」
「はい。そやから仰せのとおりに申しませんやん」
「ぐぎぎぎ、己……ッ!」
一応お約束で揶揄っておいて。
「おおきにさんにおじゃりますぅ。やはり持つべきものは偉大なる大三介さんにおじゃりますなぁ。ほんにおおきに」
「お。おう。……そうでもある。後で一緒に殴られてくれよ」
「厭に決まってるやろ、アホか」
「ハァ!? おいコラ」
逃げろ。
だがまじの大まぢに命拾いしたった。助かるぅ。
「あ、待て! 待たぬかぁ――」
天彦は内心の安堵感を一ミリも隠さず喜んで、そして一人勝手に三介に付けていたイエローカードのマーキングを外して人外魔境の巣窟、魔王城から退散するのであった。そっとね。
◇
「えらい汗びっしょりでどないしはりましたん」
「ただいま」
「お帰りなさい」
妙覚寺を後にした天彦は予定通り雪之丞と合流する。
そう。朱雀雪之丞は戦地には赴いていない。当たり前である。
天彦が自分の命と同等かそれ以上のお宝さんを危険極まりない戦場に送り込むはずが……、あるわボケっ!
どこの戦国室町に命大事で家来を過保護に戦から遠ざけるお殿様が居んねん!
這ってでも行けよ。総大将という一生にあるかないかという大栄誉なのに。何がお腹痛いやねん。
天彦は久しぶりに腹の底から本気で呆れた。
「なあお雪ちゃん。ええか、それはお外さんの領分なんよ。これに懲りたら落ちてるもんは拾って食べたらアカンのよ」
「はいもうしません。某もびっくりしました。本当にもうしません」
「いやキミ、またする顔でゆーてるやん。それも二遍の使い方が応用編やん」
「ぎく」
幻聴かー。知らんけど。
雪之丞はあの後すぐ嘔吐と下痢を繰り返してのまさかの離脱。
曰く拾い食いをしたらしい。東宮の永代別当さんが。まさかの野良犬の真似事をしての離脱である。
むろん菊亭家内は大荒れの大顰蹙大会で、さすがに罰が悪いのか居場所に困っていそうだったので体調と相談しつつ連れ出していた。
と、そこに。
「殿、よろしいでしょうか」
「なんや是知、深刻なお顔さんして」
「はっ、朱雀殿に関して申し上げたき儀がございまする」
「……申せ」
天彦は渋々耳を傾けた。仕方がない。贔屓もすぎれば毒となるから。
「はい。朱雀殿の失態。目に余るものがございまする」
「うん」
「当家も大身にございますればやはり家中には示しが必要にございまする。何よりこのままでは当人のためになり申しませぬ」
「……か」
状況は最悪だった。是知の提言だけならまだしも、天彦を無限大の愛情で100肯定してくれる存在、即ち石田佐吉までもが首を縦に振って同意の意を表明している。つまり天彦の退路はすでに絶たれてないことを意味していた。
「お雪ちゃん」
「是知の言葉なんか放っておいてください」
「あかん。それはできひん」
「なんでですのん、できますやん」
「できひんのよ」
「え。……えぇ本気のときの目さんや」
「そうやで。本気なん」
「ひー、若とのさん酷い!」
「くっ、酷うてもせなあかんのん」
「酷い!」
くっ、効く。むちゃんこ効く。
だが天彦は心を鬼に雪之丞を突き放した。我が半身とまで言い切れる一の家来にして血の通わないたった一人の家族でもある。もちろん罰は共に負う。
そんな覚悟で、是知に問う。
「何が妥当か」
「はっ、降格させ用人働きから始めさせるのが妥当かと存じまする」
妥当だった。むちゃんこ罰として適正だった。
「お雪ちゃん」
「厭です! 断固として拒否しますっ」
ですよね。キミ、雑用とかまぢでキライやものね。
だが天彦は是知に目配せで合意のサインを送った。
「参ろう」
「え」
「この期に及んでじたばたするな!」
「え、えー」
辛い。つらたん過ぎる。
だが天彦は踏ん張った。己も同等の罰を受けるその覚悟を以って、我が半身の背中を見送るのであった。
「いやいやいや、お雪ちゃん無様すぎん!? さすがに」
「はい。酷い有り様にございます」
「あれで別当。……むしろ太平の到来を予感いたしますな」
「笑うに笑えないだりん」
「ですがあれで存外……、いや気のせいにござった」
佐吉、吉継、ルカ、氏郷が本音をもらすと、
「さすがに預かり切れませんぞ。あれの世話は労力と甚だ釣り合いませぬ故に」
「某も同じく」
且元は高虎に激しく同意。
そんな二人に倣ってか厭な予感がしたのだろう青侍組は、挙って何を申し付けられるでもなく咄嗟に予防線を張って保身に走る。……あ、うん。デスヨネ。知ってた。
ならば、
「孫次郎?」
「あ。え、いや……」
「孫次郎?」
「くぅ」
投げるのは断れない筋としたもので。
天彦の猛烈なお強請りに観念した吉田孫次郎意庵(兄弟子吉田与七了以の弟・菊亭の財務担当兼会計士)は泣く泣く首を縦に振り、雪之丞の預かり役を引き受けるのであった。
「勘八郎、どこに参るん」
「う」
「おいで。身共の傍に。お前さんの定位置はずっとここなん」
「……はい」
もちろんニコイチ。今にも逃げ出しそうな岡村勘八郎(兄弟子吉田与七了以の従兄・薬師/菊亭医療班のリーダー)もがっちりと抑え込んで。
【文中補足】
1、治罰綸旨
別名菊章旗・日月旗とも呼ばれる錦の御旗を掲げることができる綸旨。朝敵討伐の証、御印の勅書。
猶、この御旗は討伐を上奏した者が自ら用立てる。むろん御用達が設定した適正価格(鼻ほじ)で。
2、帝の内意・指示・命令を伝達する書面、方法のおさらい
>勅書 天皇の命令を下達する文書。最格上
>綸旨 主に天皇の仰せを奉じて蔵人所から発給される奉書形式の文書。勅に準ずる
>女房奉書 天皇の意思命令を後宮女房が発給する文書。綸旨と同格の効力を発した
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
暑い、氏ぬ。皆さまも熱中症にはお気をつけ遊ばしませー
ばいばいごきげんよう




