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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
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#02 そして身共は途方に暮れる

 



 永禄十一年(1568)十月二日(旧暦)




 秋晴れのひっそりとした神社境内に、童がぽつんと独りきりそっと佇んでいた。

 手にでんでん太鼓を握って。


「ぽこぽこぽこぽこ、たんたんぽこん、からんからん、ぽこりん」


 なにもこの童、御父様(おもうさま)御母様(おたたさま)を想いでんでん太鼓で遊ぶ綺麗な顔の童こわい説。を、立証しようと敢えて太鼓の音の擬音を口ずさんでいるわけではない。


「これ、めっちゃコワいやん」


 わけではあった。


 うらぶれた境内の隠し中庭ででんでん太鼓を無表情で打ち鳴らす狩衣の児童、改めて俯瞰で思うと寒イボが立つほどホラーである。

 説が立証されたところで行為に飽きたのか童はでんでん太鼓を放り投げると、


「……なんでやねんっ! ふざけろ管理者もしくは神。と、声を大にしては訴えたいぞ」


 強い口調で何者かを悪し様に罵った。


 この童、菊亭天彦(数え9)という。正室(継室)の第一子男児として出生したのだ。本来なら清華家名門貴家の嫡子となって然るべき童であった。だが現実は。

 実母はそっと離縁され行方は杳として知れず。行方どころか存在すら秘匿されてしまっている。もはや怪談。

 だが天彦は男児。母不在ごときでくよくよしていられない。実母の行方はこだわり気質の妹姫がどうにかするから任せるとして。


 ふふん、さてはもったいぶっているな。

 

 天彦は必ず何らかの強イベントが発生すると固く信じて、己を律した。律してきた。

 何を置いてもまずはそれだけを心中に刻み込み徹底して生きてきた。気色悪いイントネーションの本音をひた隠した根性悪公家言葉も我慢して習得に気張ってきた。苦手な人付き合いもだ。



 なのに、じゃない方のまんまだなんてあまりにもあんまりじゃないか。



 ざ、けろっ!



 天彦の愚痴は延々尽きない。


 双子が禁忌なのは時代背景的にわかる。善悪ではなく是々非々、騒動の火種として消去しておきたい事案だ。

 そんなことはどうでもよくって、そうであるからこそ一般的な通説なら本来は妹(後に生まれると上にいるという謎上下理論によると姉)が物理性を問わず抹殺されるはず。

 ところが実際は嫡子であるはずの兄(先に生まれると下にいるという謎上下理論によると弟)の方が抹殺されているではないか。


 物理的に抹殺されていないだけマシだなんてとても思えない。本家と分家では待遇含めすべての面において天と地ほどの開きがある。それこそ主人と奴隷くらいの身分差があるのだ。

 それを証拠に妹は生まれながらにして官位を授かり(女性なので正式な官位は預かれないが正六位下相当の女官位を授かっている)。


 他方天彦は無位無官、つまり庶子でさえないと公言されているのだ。

 なぜなら公家には血縁地位継承の定めがあり(父親当主が甲斐の虎の妹を正室として娶ったために昇進、正二位左大臣に昇官している)今出川家の継承権なら子はたとえ庶子でも従六位下スタートが確約されているはずだった。※猶、正二位の嫡子なら従六位上と決まっている。


 よって本来ならすでに少納言程度には昇進していても可怪しくはない。

 だが絶賛無位無官。それがすべて、それが現実。


「まぁええわ」


 天彦的には全っっっ然、全っっったく、よくはないが敢えて気丈にふるまって、さて。

 ようやく主義主張を展開してもやれ狐憑きだやれ物の怪だとと騒ぎ立てられない年頃(数え九歳)になって思う。――公家て!


 想定も色々と違ったが約束はもっと色々と違った。絶対に裏切らない護衛は出逢って三日で今生の別れを余儀なくされ。血を分けた遺伝子99.999%同じの妹(姉)は天彦の苦悩などなんのその、本家でのうのうと威張り粋り散らしているし。

 肝心要のメインオーダーであるオフショア口座に至っては未だ尻尾を掴ませるどころか片鱗さえ覗えない。


「管理者さん、約束ちゃいますやん」


 一旦マックスまでボルテージを上げつつ緩やかに感情を落ち着けていく。

 天彦のいつもの工程、いつもの作業だ。


 さて、今出川家とは鎌倉末期に西園寺家から分家した清華家の末席に叙される名門貴家である。

 また公家は家格(摂家・清華家・大臣家・羽林家・名家・半家)に応じて出世が定められていて、清華家の師弟は公達と呼ばれ、近衛大将・大臣を兼任し最高は太政大臣にまで昇進できる家格である。――とか。


 知らん。今出川、だれ。西園寺、どいつ。戦国転生なんて武家一択に決まっていたしそもそも公家に引きがあるのか。生まれた瞬間から偉いとか血液がなんぼのもんやねん。

 シークエンスにこそ絶対性があるとかどんなクソ独裁国家やねん。そんなんは競争に特化したお馬さんだけの専売特許やろがい。


「あかん、裏っ返りそうや」


 天彦はまたぞろひっくり返りそうな感情を必死に宥める。


 記憶のかぎりでは穏やかな性格だったと記憶しているが、果たしてどうやら激情的な気性を自覚してしまう。これもブラッドサインの為せる業だろうか。

 いずれにしてもガチャは回された。こうなっては名もなき農民の倅よりかなりマシだったと思うしかない今日この頃、


「菊亭天彦、数え九歳。官位は従五位の下相当の無位無官、でもいいもんいずれは必ず出世して、そうだな官職は二年もすれば太政官に配属され少納言を拝命、実務事務官になる予定(秘書的な位置づけ)です。キラン――」


 天彦はこのいかれた戦国で正気を保つための儀式を一頻り執り行い、だが希望は叶える。と決意を新たにする。

 家柄的におそらくきっとかなり厳しい。家格によって頭打ちという概念があるからして。あるいは進路は太政官ではなく八省を司る左弁官局、もしくは右弁官局かもしれないが、どうでもいい。因みに左弁官局とは秘書的な事務仕事を扱い、右弁官局は雑務を扱う総務部署である。どうでもいい。


 管理者まじ管理者さんよぉ。


 管理者にお強請りして唯一叶ったのが身分ある転生で、名門公卿の末席に生まれたはずの天彦だったが、どういうわけだか今出川家には席を置けず別家(半家菊亭家)を設けられ離れで除け者扱い。この場合は腫物か。


 おまけに付けられた傅役(専属カテキョ)は野心に釘を刺された左遷組の意気消沈清水谷公松(こうしょう39)。取り柄はイケおじなことくらいでむしろ他はポンコツである。

 それ以外の家人は目も合わせてくれない用人(無位無官の雑用係)くらいで、特におもしろエピもない。

 なにせ絶対権力者たる義母に疎まれている。菊御料人といえば甲斐の虎の実妹だ。睨まれれば最後、明日には首チョンパの刑に処されている。大真面目なトーンで。

 そんな方に疎まれた者となどいったい誰が絡みたいというのか。若干一名いるにはいるが、アレ(天彦が姉とは頑なに認めない例の姉)は例外なのでカウントしない。


 唯一の救いは父晴季が双子を忌避してはいないことだろうか。そのご家来衆も同様にそれほど酷い対応はしてこない。甲斐の息がかかった新参武官には多少いびられはするが命までの脅威はない。離れに移され別家を立てられたのは、ひとへに陰陽院の後ろ盾があったからに他ならない。


 何やら曰く、その日天に龍が駆け上ったそうである。吉兆の証だとか。ほんとかね。いずれにしても父晴季の申し立ては易々と詮議を通り院の承認を得るに至った。



 さて、どないしたもんやろ。



 天彦はおふざけモードを切り替えて真剣モードで検討に入る。


 今後立ち回りには相当の慎重さを求められる。

 本家は目下意気消沈ムード一色。明るい話題はまるでなく、父晴季は宮廷内での肩身は狭い。ただでさえ頼りの綱が細くなった。桶狭間で甚大な被害を被ってしまい滅んでこそいないだけでもはや死に体、虫の息だ。


 他方しかも甲斐(武田)・駿河(今川)と義兄弟である父晴季は、言い換えるなら時勢の本流尾張とは完全に反目。すると必然政治的には完全に落ち目である。

 猶も加えて天彦の存在が足を引っ張った。時代が時代なので生存率を上げようと奮起したのが災いしたのだ。我が菊亭御殿は別名、御妖邸と揶揄されるほど周囲から不気味がられてしまっていた。


 と、境内の裏庭奥。そこに三名の共(内一人は無手の文官、内二人は二本差し)を従えた直衣が凛々しい童が姿を見せた。

 童はどこかご機嫌風にお目当ての人物を直視するなり扇子で差した。


「やっぱりここにおじゃったか。探したで子龍」

「それはえらいすんませんでした近衛中将さん。ご機嫌さんにあらしゃいます」

「なんやえらいつれないな。なんぞあったんか」

「まぁ、少し」


 天彦に親し気に語り掛けるのは清華家の御曹司。

 出世レースでは影さえも踏ませない英傑にして西園寺家期待の俊英、従三位近衛中将実益さねます(数え9)であった。


 彼らは共に貴族の子弟が多く通う、この寺社系寺院学舎(寺子屋の前進)に学ぶ同期の徒であり、ときには悪友であり基本的には背中を預けるに足る盟友だった。家門閥的に。

 因みにこの寺社系学舎には武士の倅や豪商の師弟なども通っている。むろん学舎は別々だが。


「尤もらしい顔作ってどうせなんもないんやろ。ほら佐吉懲らしめにいくで」

「行かん」

「なんでや」

「気のせいやろうか、いっつも逆に懲らしめられてる気がするんは」

「ほーん、やられっぱなしでええんか、子龍は」

「うん。負けるが勝ちにあらしゃりますし」

「おぉ、実に尤もらしいのう。ようは厭なんやな。ほな撫子揶揄いにいこか」

「もっと行かへんよ。実益さねますさん出禁になったばっかしやん」

「麿、本家の本流ぞ」

「撫子にゆうて」


 実益さねますは数舜虚空を見やる。

 程なくして童らしくない無理を覚った諦観の表情を浮かべた。


「さよけ。ほな誰を懲らしめにいくんや」

「どなたも」

「ん? なんや子龍らしくない。ほんまに調子悪いんかいな。拾い喰いはアカンと教えたはずやで」


 天彦は実益に白い目を向けて無視を決め込んだ。

 実益は普通に気難しい。権高く傲慢で高慢な人物だ。尤も若くして公卿にまで上り詰めているので当然の成長過程ではあるが、なのに天彦にはやたらと胸襟をひらいて地を見せてくる。


 時に乳母を共有した竹馬の友であることを除けば思い当たる節はまったくなく、例えば幼馴染を探せばそれこそ実益の周囲には無数にいるだろう。公家の師弟のほとんどがそれに該当するだろうから。

 このように本来天彦はそうやって立ち回ってきたこともあり大勢の中の一人に埋もれてしかるべきなのだが、どうやら違う。あからさまに特別だ。


 それを証拠にこの間もお供から向けられる生暖かい視線が面はゆい。主従が見せるこの信頼の起源は果たして。皆目思い当たる節のない当人にとってはどこまでも謎だった。いずれにしても油断ならない。



 どうしてこうなった。



 実益はいいやつだ。だが己の手は短い。天彦はこれ以上の深入りを自制する。

 絡む命は少ない方が断然有利。絶対に生存確率は上がる。それを持論とする天彦にとってはかなりの重荷、負担であった。


 なにせ本年(永禄十一年)は織田上総介信長が大軍勢を率いて上洛を果たしている。その際、将軍義昭を奉じたとの噂である。

 今は祝賀ムード一色だが早晩この浮かれムードも一変するはず。史実をなぞるのなら京周辺は戦場となり多くの土地が火の海に沈む。むろん都とてその例に漏れない。公家も同じく。


 地位ある大人でこうなのだ、小僧にできることは少ない。いやほとんどない。

 ならば精々生き汚くとも意地汚くとも生きることに主眼を置かなければと、天彦は覚悟を決めている。救うのは妹撫子ゆうづつだけ。


「子龍、また考えこんでからに。ほどほどにしいや」

「あ、うん」


 本家の御曹司だけが彼を子龍と呼んだ。天彦にとって普通にハズいだけならまだよかった。むちゃくちゃ重いので救いがなかった。

 なにしろその意味が期待感一色だから。元由来の字義のまま“麿の趙雲子龍になってや天彦”というとんでもなく高いハードルの願が掛けられていた。


 あらゆるエピを思い起こしてみてもやはり何も該当ヒットしない。

 と、実益が扇子をぴしゃりといい音を響かせ、自分を前にして気もそぞろの天彦の気を引いた。


「これ子龍、麿の御前ぞ。しゃんとええかっこせんか」

「はは、ご無礼さんにあらしゃります」

「善き哉、許して遣わそ。ほなどないする」

「碁でも打ちましょうか」

「お前、手加減しらんから厭や」

「生来持った負けず嫌いなものでこればっかりは」

「負けん気は大事なこっちゃ。ほな次」

「市井探索などはどないでしょうか」

「銭がない。それとも子龍はあてがあるんか」

「はは、ウケるぅ」

「受けるとな。それはなんぞ」

「意味は特にございません」

「さよか。ほな碁やな。おもんないな」

「では興三郎に挑みましょ。実益さんと身共が組んで」

「二人がかりで興三郎たおすんか。腕が鳴……おい子龍、さすがにそれはなんぼなんでも図に乗りすぎちゃうか。それとも勝算あるんか。あれは達人やで」


 冗談は察してナンボやで。未来の本因坊たおすとかアホかと言いたい。齢10にしてすでに名人の風格を纏い実際に名人級の腕前を有している。

 天彦は口調だけは慇懃に、けれど飛び切りの白い目を向けて“一寸もありませんし、身共はなぁーんもゆうてません”の意を込め言外の拒否を示した。


 が、意をくんだ上で実益はまだあきらめない。


「ほな茶々丸やっつけにいくで」

「……まさか作麼生説破そもさんせっぱで? あれほどコテンパンにされているのに?」

「あたりまえや」

「阿保やろ」

「おい」

「ごめんなさい。そやかて」

「そやかても糸瓜もない。麿は取って置き用意してきたで。子龍はどないや」

「むりぃ」

「そうゆうてお前さんはなんぞあるんが常や。期待してるで。ほないこか」

「ほげっ」


 主君筋の御曹司に強請られたら否やはない。襟を掴まれ強制連行。

 お供に目線と少しの態度で申し訳ないと謝意を示された天彦は、不承不承実益親分の後に続くのだった。








【文中補足】

 1、この時代。様より“さん”の方が丁寧語としては格上とのこと。



【登場人物】

 1、今出川家諸大夫筆頭・清水谷公松(こうしょう39)。

 九代清水谷実久の養子、第十代清水谷家当主だが目下は没落させている。

 御家再興のため本家西園寺を頼り諸派今出川家を紹介され諸大夫筆頭色に就き現在に至る。が、虎視眈々と家令の地位を狙ってしまったため腹黒宰相に疎まれ左遷。

 結果、半家菊亭家のぼんくら我がまま御曹司の傅役(専属侍従または鬼カテキョー)となる。


 2、今出川撫子(なでしこ9)

 通称夕星ゆうづつ、その凛々しい美しさを宵の明星に例えた絶妙な通り名。なにせギリシャ神話では美と愛の女神アフロディーテに例えられたほどの金星だもの。今出川の姫様にぴったり。とは半身の言(((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル

 実際は自己主張激しい系ゴリラマウンテンむっきっきぃ女子。または天才の名を恣にする絶技弁士。あの口達者っぷりでは絶対に行き遅れる。


 3、西園寺従三位近衛中将実益(さいおんじ・さねます9)

 清華家の出世頭。齢一歳にして叙爵、10歳で家督を継ぐや従三位に昇爵、近衛中将の職に就く俊英。

 今出川家からは本家(主君筋)にあたり、天彦にとっても主人である。


 4、佐吉9(寺子屋小姓)

 言わずと知れた佐和山城城主。治部少輔三成のご幼名。


 5、茶々丸(学友)

 教如12(きょうにょ)上人、石山本願寺(大阪本願寺門主)の幼名


 6、加納興三郎(学友)

 本因坊算砂10(さんさ)一世名人(囲碁)の幼名、史実では八歳で出家しているが作中では未だせず。











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[一言] スミマセン読めないのでルビをお願いします。「作麼生切羽」
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