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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
17/314

#17 豪商吉田屋

 



 永禄十一年(1568)十月二十五日(旧暦)丸太町花園




 来年になれば二条城となる斯波氏武衞陣屋敷(現将軍義昭邸)を横目に、丸太町から花園町を目指す。天彦の記憶が確かなら、そこには臨済宗大本山の妙心寺があるはずである。目印として記憶していた。むろんこれまで一度足りとも参ったことはない。

 そこから目的地まではほとんど直線。広隆寺近辺。太秦映画村建設予定地といった方がイメージはしやすいだろうか。


 あまり不安感はない。なにせ千年の古都。現代(未来)記憶と現在進行形地形とがほとんど変化していないはずだ。身体が勝手に記憶しているだろうと高を括って歩くのだが、全旅程1.5里(6キロほど)の僅かな移動にも徒歩というだけでうんざりしてしまう。


 現代なら往復二時間もあればどんな交通機関でも行き来できる近距離だが、この時代では容易くない。特に天彦の足ではきつい。安全にも留意するとなると小旅行とまではいかないにしても気軽に向かえる道程ではない。


 船を使えばもう少し楽はできるが天彦は移動手段としての水運を一ミリも信用していないので移動の候補に上がらない。これは安全面に不安視しているのではなく、単に天彦が水嫌いというだけの話である。誰しも苦手はあるものだ。

 閑話休題、ラウラを選抜したのには乗馬スキルが高いという点も大きい。何かあれば最速の移動手段である。

 総員三名。よってアウラが乗れるので貸し馬も考えたがかなり高くつく。支払って支払えない額ではないがこの額の支出は激痛なのでできるなら避けたい。


 故の徒歩移動。だが移動半ば、既に猛烈に後悔している。


「殿、我らはどこに向かっておるのですか」

「広隆寺。真言のお寺さんや」

「恥ずかしながら存じません」

「風神さん雷神さんは居たはるんやろか。どっちにしても右京嵯峨野や」

「嵯峨野。洛外長安とはまたずいぶんと辺境に向かうのですね」

「偏見やろ」

「どこに偏見がございましたか」


 内外の概念から説明すんのしんどいな。天彦は面倒がって撤回する。

 天彦は佐吉育成(説明)を面倒がるほど疲労していた。とにかく道が悪く、おまけにこの体フィジカルスペックがそうとう低い。体力不足は単純に筋力不足、延いては栄養不足が起因しているはず。

 まじで本当に真剣に向き合わないといずれ致命傷になると危惧している。万が一都が陥落し敗走の身の上となったらお仕舞いである。


「ここらでちょっと休もか」

「水を汲んでまいります」

「頼んだで」


 ラウラが遠目に見える村落に走っていった。しかしラウラ。どう見ても完全に男性。目鼻立ちの立体的な造形は見る者が見れば目を引くが、おおむね美男子にしか見えない。化粧もしていないようだし、そういうスキルなのだろうか。

 この姿、天彦が指示しているわけではない。自発的に行っている。なにせ男の民度が異様に低い。もはや文明人とは程遠く、女性というだけであらゆる危険度が跳ねあがるのだ。

 仕方がないがやはり自然な形で雇用してやりたいと思ってしまう。請われた側なので罪悪感がないとしても、それはそれ。


 閑話休題、

 道の途中、なだらかな坂の天辺あたりに丁度いい木陰があった。地蔵と並んで腰を下ろす。

 遠慮せんと座りや。佐吉も並んで座らせる。

 佐吉は小袖の泥を払い落し草履の鼻緒を調節すると、


「殿、どなた様に無心されるので」


 どストレートに疑問をぶつける。


「いつからや。いつから殿、と付けたら何でもゆうてええ風潮になった。可怪しいやろ」

「では違うと」

「佐吉、ええか。正しいからと言って……、もうええわ。無心言うな」

「では徴税ですか」

「当家に関や座や寺社があったか」

「ございません」

「そういうこっちゃ」

「では何でしょうか」

「無心や」

「ほら」

「どつく」


 天彦は発言と同時に右の拳を振り抜いた。

 むろん熱血指導という名の鉄拳制裁は原則禁止しているので、あくまでフレンドシップ肩パンの上位互換レベルの強さのつもりだ。だが気持ち力加減は本気よりだったように思う。のに、


「え」

「え」

「もう少し鍛えた方が宜しいかと。こうへなちょこですと示しがつきません」



 弱かった。へなちょこだった。雑魚だった。

 それこそ佐吉には撫でると同義の威力しかない言わしめる程度には脆弱だった模様である。


「そんな?」

「はい。そんなです」


 そこは“ぐはっと大げさに腰を折って蹲るとこやろがいっ!

 天彦は切れた。ジト目で見当違いの怨嗟を佐吉にぶつけながらも、主張点は明確につけて。


「麿はゆくゆく月卿雲客になる身でおじゃる。段平振り回す係の其許らとは種類が根本的に違うでおじゃる。おほほほ」

「では殿は武芸など不要と仰せですか」

「ガチで返すなや。要るやろ普通に」

「では」

「うっとい黙れ」

「はっ」


 天彦ははっきりと聞こえる音量で舌打ちして不愉快を表明し、全力でこの話題から力技で回避した。汚い大人のやり口である。佐吉の授業の一環として。

 しかしこのままでは気分が悪いままなので、これから逢いに行く人物のことを思い起こした。そこに至った選択肢の狭さを反省しながら。


 天彦は遂に切り札を切ることにしたのである。已むに已まれず。

 徴税など荘園しかない。堺など知らん。有名なのは知っているが第一遠い。この時代距離は致命的だ。話にならない。すると自ずと打てる手は限られる。

 家族には頼れない。とくにじっじ。助けてくれるが支配下におかれてしまう。利害関係が絡まなければいい祖父だが絡むとどうだろう。きっと汚い大人の代表格ではないだろうか。危惧が邪魔をして踏み込めない。


 消去法的に選択肢は限られた。残す候補は、ツレに頼る(縋る)か、ラウラが持ち掛けてきた正体不明の沈没船引き上げ(海洋サルベージ)トレジャーハンターかの二択。

 後者はちょっと何言ってるのかわからないので真面には取り合えない。くっ、一生の不覚、を見せられた後では猶更のこと。


 すると一択。


「今から向かうんは、師(月空清感・月空和尚)を同じくする同門の兄弟子や」

「寺子屋の」

「そうや。名を吉田与七という」

「存じ上げません」

「まあ知らんやろな。あり触れた名やし、当時はどこにでもいるクソガキの一人やったし」

「お公家様ではござらぬようですが。在地の国人でしょうか」

「武士でもない。平民や」

「殿は平民と同門なのですか」

「そや。身共が自ら頼み込んだ。何でもない平民に、友人になってくれと頼み込んだ」

「……豪商の倅だったのでしょうか」

「いいや。親を亡くした孤児やった。尤も今は素質を買われて富裕人の養子に入っているようやが」

「では、なぜ」

「考えてみ」

「おいくつのお話でしょうか」

「身共が5つ。相手が十一や」


 数え五歳。実質三歳半。自らも通った道だ。記憶に定かかどうかは別問題としても。子供はかわいい。犬っころのようだ。

 無邪気な年頃と考えればあり得るのか。わからない。佐吉はうんうんと頭を捻った。


 ややあって。


「まさか」

「そのまさかや」

「この日のため、に」

「そういうこっちゃ」

「化物、っ……! ご、ご無礼を。まことに、も、申し訳ございません」


 佐吉が大慌てでひざを折った。


「ちょっと誘導したところもある。かまへん、直りや」

「はっ、失礼仕りましてございます」

「固いなぁ。そんなことで怒る身共か」

「いいえ、では御免ください」


 佐吉は直った。


「怖いか。身共が」

「忌憚なく申せば、はい。畏怖を覚えまする。ですが一方ではたいへん頼もしく思います。亜将様が我が子龍と仰せの一端を垣間見た心地です」

「実益さんもたいがいの化物やけどな。さよか。でも佐吉、尊敬するのは大歓迎やけど怖がるのはあかんで」

「……はい」

「身共と佐吉はずっトモやろ」

「ずっ、はい?」

「まあええわ。どうせ無理やろしな。適度に怖がり。そやけど今から会いに参る相手の方が何倍も化物やで。化物の中の化物で大物中の大物やで」

「殿よりも、ですか」

「ゆうたやろ」

「はぁ」


 佐吉は納得を保留した。目は正直なもので、我が主人より化物染みた人物などそう滅多にいてたまるものかと二つの眼で雄弁に訴えていた。


 禅林寺永観堂で学んだ同門の徒であり、師(月空清感・月空和尚)を同じくする六つ上のお兄ちゃん的存在でもある。

 机を並べた期間はごく短いものの中味は濃い、と思っている。何しろあれだけアピったのだから。これで記憶になければ普通に泣ける。

 猶天彦、じっじから真言宗御室派総本山仁和寺も勧められたが格式(門跡寺院)が高すぎるのとは別に、人材に期待してここに進んだ。その有為の人材の最上格がこのお目当ての人物であった。




 ◇◆◇




 永禄十一年(1568)十月二十五日(旧暦)嵯峨野太秦




「ようこそおいで下さいました」

「水臭い。身共と兄弟子の仲やないか」


 ようやくたどり着けたのは夕闇迫る夕暮れ時。中秋の名月間際の小望月、嵯峨野の土地はかなり冷える。天彦は暗に急な来訪を詫びた。


「冷えますでしょう。ささ、どうぞお上がりください」

「世話になる」


 ラウラは寒さに強い。ヒスパニック系の体質だろうか。一方の佐吉など唇を真っ青にガクブル震えている。むろん泣き言ひとつ零さずに。


 天彦一行は招きに応じ屋敷に上がった。

 家来二人は別室で控えさせている。重要案件の談合は一対一の膝を向き合わせた体面差し向かいとしたものである。


「お話は伺っております。天彦様、師はお嘆きでしたよ」

「そやろな。耳の痛いこっちゃ」

「疚しいことはないと信じております」

「身共もや」

「なるほど。では茶をどうぞ」

「頂こか」

「どうぞ」


 ずずず。


 吉田与七は急な来訪にもかかわらず快く迎え入れてくれた。

 天彦をけっして下に置くことなく丁重に扱い歓迎の意として上座も明けた。

 これを断る天彦ではない。秒でおっちん。上流階級特有のどうぞどうぞ上座譲り合い合戦は非合理的な時間の無駄なので好きになれない。生理的に無理ともいう。


「美味いなぁ。使こてる茶葉がちがうんやろな」

「ありきたりな宇治産です」

「宇治か。お高いんやろ」

「ぼちぼちでんな」

「ぼちぼちが一番信用ならんのや」

「あはは、たしかに。しかし天彦様は当時から舌が確かでございましたな」

「そやったか」

「はい。すべてにおいて明るうございました」

「照れるやろ」

「その飾らぬ性質も当時の曇りなきまま。祝着至極に存じ上げます」

「さよか」


 兄弟子与七は一度叱るとあとは旧交を温めるべく温厚に話題を作った。

 昔話もそこそこに未来志向の話題で大いに盛り上がる。

 話題は多方面に拡散し、改めて兄弟子与七の見識に舌を巻く。目下まだ十六のはずである。つまり十四。末恐ろしいとはまさにこのことであろう。


 畏怖と畏敬の念を一旦しまい込み、天彦は頃合いを見て本題を切り出した。


「銭を借りたい」

「宜しいですよ」

「金額くらい訊こか」

「借金まではできませんが、いや事と次第では借財してもお貸ししますよ」

「信用がコワい」

「あはは、借りる側が恐れてなんとします」

「そやけども」

「心苦しいですか」

「そやな」

「ならば安心させて進ぜましょう。どうぞこちらへ」

「なんや」


 客間を出た。

 すでに外は薄暗い。提灯を手にした用人の先導に従い敷地内を歩いて行く。

 油を使った提灯はこの時代かなりの高級品である。普通はまったく使わないか松明を使う。


 しばらく進み、奥まった場所にある複数連なった倉の前に案内された。


「こちらです」

「想像つくけど」

「さすがの御慧眼。すでにご承知しておられる」

「1、2、3……、七つこれ全部か」

「この奥にも幾つかございます。どうぞお好きなだけお持ち帰りください」

「好きなだけって」


 土倉(高利貸し)どんだけ儲かっとんねん。


 さすがに引いた。倉はおそらく10はある。これ全部に銭が詰まっているとするなら果たして如何ほどあるのだろう。低く見積もっても凄まじい。


「おおきに。ほなら一つほど借りとくわ」

「ではお二つお持ち帰りください」

「押し貸しは禁止やで」

「利子がつけばの話でございましょう」

「無料ほど怖いもんはないんやけどな。とくに商才えぐい相手には」

「よくご存じで。むふふふ」


 むふふちゃうねん。怖いねん。ぞんぞんするねん、借りるけど。


「相変わらず肝が冷えるほどの大博打うちやな」

「生き様ですれば。ところで天彦様、本日はお泊り下さるので」

「迷惑やなければそのつもりや」

「是非ともお泊りください。本日は飲み明かしましょう。お付き合いくださいますね」

「付き合おか」

「ありがたき幸せ」


 十歳児。実質八歳半の外見完璧児童に何ゆうとんねん。と思わなくもないが、兄弟子一流の大人扱いリップサービスなのだろう。

 いずれにしても言葉通り付き合うだけなので問題ない。天彦は酒精の危険性を知っている。


「様式は大事やしな。いっぺんだけ頭下げとこか。吉田屋吉田与七」


 天彦は唐突に改まった。急変した気配を察した兄弟子与七もそれに倣い最上級で改まった。


「はは、畏れ多くも御前におりまする」

「今出川大納言晴季が長子菊亭天彦。ここに感謝の気持ちを記すなり。この恩生涯忘れぬと誓う。吉田与七、大儀であった」

「ははぁ――」


 痒いんはこのへんにしとこ。


「兄弟子、ほんまおおきに。この通りや」

「あ……、お直り下さい」

「まだ足りんやろ。膝も折ろか」

「何卒――」


 ご容赦を。と、つづく言葉が出ないほど兄弟子弥七の喉はからっからに乾いていた。

 世が世なら殿上人。世が世でも殿上人になること必至の貴人が、己のような卑しい商人に頭を下げる。


「これは身共の偽らざる心境の具現化や」

「勿体なきお言葉。末代までの家宝と致しまする」

「大袈裟や。花押したためよか」

「あいかわらず御冗談てんごうがお好きで」

「上手と言った方が喜ぶで」

「お上手です。震えるほどに」

「催促したようで堪忍な」


 なんにも望まへんから何にも与えてへんのに、なんでやろ。


 天彦はこの日初めて腰を折った。慇懃にあり得ないほど深く丁寧に。

 その様を見つめる兄弟子弥七の瞳には畏怖を突き抜けてもはや恐怖の念が滲み出ていた。


「さすがに無料ろはは気が引けるな。なんぞ欲しいもんはあるか」

「そのままのご尊顔をわたくしに向けて頂ければ結構です」

「無欲やな」

「ははは、まさか」

「口約束やったら貴族にもしてやれるで。さすがに雲客は無理やけど」

「御心だけ頂戴いたします」

「さよか」


 借りた額、実に一万貫。米に直せば二万石収穫相当であり、現代日本円に換算しておよそ12億円。織田上総守が自治都市堺に要求した矢銭が二万貫。あの堺が出し渋る額である。その二分の一。

 額の多寡は個人の判断にゆだねるが、信頼の証としては最上級ではないだろうか。

 果たして信用だけでこの額を借りられる公家が、いや大名でさえこの戦国の世に存在するかはかなり怪しい。










【文中補足・人物】

 1、吉田与七 後の角倉了以(すみのくら・りょうい16)

 京都の豪商、佐々木氏の末裔、将軍お抱え薬師吉田宗桂の嫡男。当作では養子としている。ご都合主義。

 了以は父から継いだ土倉業と自身の才覚で儲けた資金で朱印船貿易(海外貿易)に投資をした。また三十万貫(360億円)という途轍もない巨額の私費を投じて大堰川と高瀬川を開削する。

 この馬鹿げた投資に多くが破滅を囁く中、結果、莫大な通行料収入を得て一大事業を成功裏に収め投資額の大半を僅か一年で回収してみせた商才の塊。天彦曰く天性の勝負師。山師。

 角倉家は茶屋史郎次郎の茶屋、後藤庄三郎の後藤屋と並び“京の三長者”と称され権勢を誇る。

 猶、日本酒の酒蔵である岡村酒造もこちら角倉グループの参画企業である。



 2、月卿雲客

 月卿=公卿、雲客=殿上人。

 猶、公卿とは三位以上の公家であり、殿上人とは清涼殿殿上の間に昇殿が許された基本五位以上の公家を指す。


 3貴族階級

 摂関家と清華家と大臣家が上流、羽林家と名家がほぼ同格の中流、半家が下流とされている。猶、摂関家だけは別格の上流であり清華家と大臣家にも多少の格差がある。また各々の家格に応じて上がれる官職の上限が決まっていた。そういう意味で摂政・関白に就ける摂関家は別格である。位人臣を極める。


 4、貸し馬(駄賃馬稼)

 従事する人を駄賃または馬子といった。使用された馬を駄馬、稼馬、荷馬といい輸送料金を駄賃と称した。一日の使用料500文(60,000JPY)。


 5、一万貫

 =一千万文=二万石≒1,200,000,000JPY(円)としている。













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