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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
16/314

#16 家名に泥を塗る




 



 永禄十一年(1568)十月二十五日(旧暦)錦小路茶屋前






「ふぁ!?」


 勝負は一瞬で決した。その結果を受けて天彦のどこから出したのか素っ頓狂な声が鳴り響く。


「くっ――、このラウラ、一生の不覚」



 ……………………。

 ………………。

 …………。



 カラスがかぁとひと鳴きした。


 天彦、佐吉はもちろんのこと、息を凝らして成り行きを注視していた野次馬も唖然茫然と言葉を失う。


 ややあって、


「いやいやいや、どんなおもしろコントでも、そうはならんやろ」


 天彦はたまらず呆れながら突っ込んだ。


 お前、達人級やゆーたやんけ。何の触れ込み? 何の自薦? 正気?

 現実に引き戻された天彦はなるほどこれこそ現実かと、呆れを通り越して半笑いしてしまう。


「くっ不覚。ちゃうねん。真顔で笑かしてどないすんねん。うちは道化を演じる旅芸人一家とちゃうで」

「お侍、命までは勘弁を。血止めを貸してもらえませんか」

「貸すかっ! お前ら主従、とことん舐め腐っとるな」


 ラウラが恥も外聞もかなぐり捨てて懸命の助命嘆願。

 その姿があまりにも無様すぎたので次第に場の空気が弛緩し始め、いよいよ野次馬からも失笑が漏れ始める。


 この流れの完全に変わった臨場感を受けて天彦は、


「あかん、腹立ってきたわ。こんのっ、期待感返せやっ!」

「な、なんたる無様……、せめて一太刀くらい浴びせてほしかったです」

「佐吉、お前は黙っとこか」

「ぐぅ」


 野次馬の空気感側に立ってラウラを悪し様に罵った。

 すると観衆も同調しラウラにどこか可笑し味のあるツッコミをする者が現れ始めた。狙い通りだ。


 天彦は佐吉を八つ当たり気味に叱り飛ばして、


「おいラウラ。どないするんこのえげつないアウェー感」

「殿さまぁ」

「知らん知らん、甘えた声出しても知らんもんは知らん」

「ぐすん」


 仕上がった。


 やはりラウラは超一流の道化師だった。あるいはこの際天彦の最も欲しかった家来キャストかもしれない。

 技前一流の触れ込みが事実か詐称かは証明できないが、あるいはこの醜態さえも彼女一流の擬態であるのかどうかの証明も先送りとなってしまったが、それでも。


 天彦はラウラに賞賛を送った。


 ここで突っ張っていたら果たしてどのような結果を招いていただろう。

 これは現実。結果がすべて。ラウラは一太刀も交えることなく秒で場の空気を掌握した。

 少し考えればわかることだった。天彦は真剣に猛省する。やはり心のどこかでファンタジー脳に毒されていた。


 何度でも肝に銘じよう。これは現実。これは現実。やはり織田の兵は精強だった。

 ラウラの技前。触れ込みとおりに達人級なのだろう。一人は確実に始末できる程度には。

 だが敵は少なく見積もっても七名。しかも背後にはこの寸劇を終始面白がって酒の肴に観劇している“帯刀”なる人物とその取り巻き共もいる。最低でも都合十数名の敵勢だ。


 帯刀と確かに言った。確かに訊いた。

 織田の破落戸兵は帯刀様と言っていた。帯刀とは百官名。朝廷の権威を冠する侍が主上のおわす大内裏の膝元で公家の連枝を切り捨てるだろうか。

 天彦はそうは思えなかった。何事にも100%は絶対にない。だがこの場面では確実にないと確信できた。


 即ち、ラウラが道化を演じて示したとおり、まさしく負けるが勝ちを示す好形だったのだ。

 天彦は半ば呆れ気味の破落戸織田兵を前にして、敢えて佐吉に問いかける。


「この局面、佐吉ならどないな手を打つ。最善はなんや」

「拙者が腹を召しまする」

「佐吉、それは違うで」

「ですが」

「違うとゆうた」

「ですがっ」

「違う」


 天彦は珍しく声を荒げて断定した。

 佐吉はただ「はい」とだけ言って俯いてしまう。家来に雇ったつもりだがまさか育成までセットだったとはやや荷が重い。


「そうしょげるな。失敗を糧にして考えたらええんや。その考え抜いた答えは必ず佐吉の実になる」

「……某の招いた失態、これではあまりに無念です」

「泣いてもええで」

「涙など持って生まれておりません」

「身共はよう泣くけど」

「某は武士もののふなれば」

「さよか。よしよし」

「くっ」


 天彦は完全に色味を失ってしまった目をしてしょぼくれる同級生ショタの頭を撫ぜ撫ぜ、


「家来の失態は主君が取り返したろ。見とけ」

「はい!」

「おのれ織田。そっちがその気やったらこの喧嘩、高値で買うたる。見とけ」


 これが習いある一流の手筋や。天彦は敢然と啖呵を切った。

 すると佐吉の目に精気が宿った。

 しかし佐吉の目に精気が宿ったのも束の間、


「殿さま……そ、そんな」


 天彦は佐吉の動揺著しい声を頭上に、それでもかまわず膝を折って地面に額を擦りつけた。跪拝、あるいは土下座姿勢だ。

 佐吉への当て擦りの意味はない。単にこの局面での最善手を追及した結果である。

 人の目にどう映っているかはこの際、だが確実に効果はあった。嫌がらせという名の絶大な効果はあった。


 大小二本を誇らしげに差す侍を相手に、まだ児童にしか見えない公家の連枝が額を擦りつけて助命する図。低く見積もっても織田兵の風聞は悪い。見た目が悪すぎた。

 しかもここは花の都。公家役人とは朝廷に仕える役人であり、延いては天皇に給仕する直臣である。その直臣を地に平伏させることの意味は、見た目以上に悪印象を植え付ける。



 織田の思い上がり甚だ度し難し――!



 誰かが叫んだ。趨勢は決した。


「やりおった。おい退け!」

「帯刀様」

「何をぼさっとしているのだ、人払いをせい。この場は封鎖だ、誰ひとり居残らせるな」

「はっ。退け退け。貴様ら散れ、とくと往なんか!」


 それまでずっと様子を覗っていた大将格の若侍がどこか慌てた風に場を仕切り始めた。

 大将格侍の下知に従う破落戸侍たちの動きは俊敏である。何者かはわからないが、統率力だけは抜群のようである。

 その侍大将はまだ指示に従わない野次馬を強引に押しのける撤収作業に腐心した。彼の中でこの光景は非情によろしくないようだった。


 野次馬もやがて退散した。すっかり織田兵と天彦一行だけとなった通りは閑散とする隘路錦小路。これが堀川目抜き通りならこうはいかない。


 依然として這い蹲る天彦にどこか呆れた風な視線を落とすと、大将格の若侍は真横に並び自らも進んで膝を屈した。

 そして「ご無礼、ご免仕る」言って天彦を引き起こそうと肩に手を添えた。


「無礼やろうが」

「肝の据わった御子様ですな」

「その発言も無礼やろ。直言を許した覚えはないで」

「ではお許し下され」

「許す」

「恐悦至極」


 だが天彦はそれ以上に応接しない。まるでそんな侍などいないかのように額を擦り付けじっと許しの言葉を待った。


「困ったお人だ。……お直りくだされ、拙者の負けにござる。しかし公家の若殿様がいつまでもこんな無様を曝すものではござらぬぞ」

「ゆうたな。言質は取ったぞ」

「武士に二言はござらん」

「さよか。ほなら言葉に甘えて」


 天彦は何食わぬ顔で立ち上がった。


「強かなお公家様ですな」

「異なことを。強かさこそ公家の代名詞やろ。身共らはその物騒な光もんを持たんよってな」

「言葉や態度も時として得物に成り得るとご存じのご様子ですが」

「それを世間では知恵というらしいで」

「ははは、左様でござった」


 天彦は何でもなかった風に涼しい顔で小直衣の膝をぱたぱたとはたく。そして会心の笑みを浮かべて侍に最上級の笑顔を送る。

 権威は勝っ……て、いないのだろう。良くて引き分け、悪ければ試された。いや遊ばれたのか。いずれにしても相手の方が一枚上手だ。


 なぜなら、


「御連枝殿、我らの忠誠のお試しもほどほどに。その生きる術とやらも頻発されれば引くに引けぬ事態にもなり申す。我らは人の命を糧とする武士もののふなれば」


 メインディッシュとしてしっかり釘を刺されたからだ。肝の冷える脅しを添えて。高級フレンチかな。

 天彦は一本取られたので一本奢らせることにした。好物の串団子を。


「そこの茶屋、新作の菓子が好評らしいで」

「手打ちの提案にござるか」

「好きに取ればええ」

「ではお言葉を頂戴したく」

「お主も十分強かやないか。そや属人的合意形成や」

「ぞくじ……、某に学がなく存じ上げませぬ」

「手打ちや」

「恐悦至極。お詫びになるかは存じませぬが、某が馳走いたしましょう」

「三人分や」

「むろん」

「うん。お侍さん、そろそろ名を明かしてや」


 天彦が催促するや、侍は片膝を落とし視線を天彦よりも低くした。

 一旦ゆっくりと首を垂れ、「御前失礼仕る」言って天彦の下知を待つ。天彦は「直言を許す」と儀礼的な文言を告げる。

 その言を受けて侍はゆっくりと視線を戻した。双眸には覇気が漲り、顔相にはまさに侍の野性味がにじみ出ていた。


「はっ、お初に御目もじ致し申し仕る。拙者、惟任日向守が家臣にて旗本小姓衆が一人、肥田帯刀則家にござる」

「惟任さんの小姓さんか。帯刀はん、よろしゅうな」

「はっ、恐悦至極に存じまする。帯刀とお呼び下されば結構にて、御曹司、以降お見知りおきくださいませ」

「身共に知己を得ても何の得もないけど。なんせ一門がそこらの破落戸より信用してないのが身共やで」

「何卒」

「そんなおっかない顔、忘れとうても忘れられんやろ」

「はは、某、これでも貴公子として売ってござる」

「さよか。覚えおいとこ」

「祝着至極」


 天彦が何者か。どうやら肥田帯刀は承知している風である。小姓と言うからには側近であり、おそらく茶々丸引き取りの場面で惟任の傍にでもいたのだろう。

 いずれにしても明らかに天彦の人物と顔を一致させて存じている態度であることはたしか。


「佐吉、ラウラ。下京の流行を堪能するで」

「殿、某は……」

「辛気臭い顔すな。覚えときこれが菊亭の奥義やで」

「奥義、とは」

「負けるが勝ちや」

「なるほど。ですが某、納得できません」

「ほな訊くが、身共は負けてるか」

「いいえ」

「誰か血を流したか」

「いいえ」

「どっちかに遺恨残したぁか」

「いいえ」

「そういうこっちゃ」

「ですが恥辱を」

「黙れ。口答えするんはこの口か」

「うぅ、頬っぺたが痛いです」

「当り前や本気で抓ってるんやから。佐吉、恥がナンボのもんや。あんなもん掻きまくったったらええねん」

「う゛ぅ、痛い」

「返事は」

「某、恥は掻きたくありません」


 どうしても承服できないのだろう。だが佐吉は天彦に従った。

 一方、ラウラは一言たりとも反論せず、何なら心もここには無いようだった、我先にと茶店に入っていこうとしていた。


「殿! ラウラ殿は達人にござる。某、毎朝付けて頂いている稽古でこの身に刻んでございます」

「ん? 佐吉それはラウラを庇ってるんか」

「あ、え」

「怒ってない。むしろ褒めてるんや」

「はい。庇っております」

「そうか。それでええ」

「はい」


 いい傾向だ。女家令レディコンサル、悪くないかも。

 そんなどうでもいいことを思いながら天彦は、まんまと不良織田兵大将格の侍から和解の言葉を引き出すことに成功して、いつにも増して舌も心も滑らかだった。




 ◇




 流行の戦国菓子スイーツを堪能して、渋い茶で口腔内の甘味を注ぐ。


「如何でござった」

「こんなもんやろ」

「御連枝は舌が肥えておられるな。さすがは左丞相御大の御寵愛を一身に受ける寵児ですな」

「なんや、おおごっさんを知っとるんかいな」

「一言二言、お声がけ頂いた程度の間柄にございますが」

「さよか。ほなら帯刀に馳走になったとゆうとくわ」

「有難き幸せ」


 天彦じっじ公彦からすれば惟任日向守でさえ陪臣扱い。その家来など声をかけたとて記憶にあるのかはかなり怪しい。


 天彦は茶を啜り、


「帯刀は身共の助太刀に来てくれるんか」

「主君御自らは御出陣なされませんので、まだ声がけは頂いておりませぬ。ですが志願したく存じます」

「してくれるんか」

「志願は致します。ですが採用されるかはさだかではござらぬ」

「どないすればええ」

「側近与力として殿の御耳に名を挙げていただければ必ずや」

「ずいぶんと買うてくれるな」

「主君の慧眼を信じておりますれば」

「惟任さんはなんぞ」

「それはもう絶賛なさっておいでです。都におわす菊亭の神童は八意思兼命オモイカネノミコトの化身に相違ないと仰せでした」

「何の揶揄や」

「揶揄などと滅相もない。終始ご機嫌様で褒め通しでござった」

「なら褒め殺しや」

「事実にござる」


 はずい。だが身に覚えしかないので反論はしない。


「わかった。これで貸し借りなしやな」

「いえ」

「なんや」

「これからずっと貸し付けまする」

「ほう、それしきのこと造作もないか」

「いえ、はい」

「なるほど。笑ろたらあかんな。頼りにしてるで、錦馬超」

「きん、……ははっ! 肥田帯刀、確と承ってござる」


 瓢箪から駒とはこのことか。帯刀の熱意を感じてさすがの天彦も自然と緩んでしまう表情を引き締めた。

 しかし内心ではにまにまが止まらない。強力な助っ人を得て気分は上々。

 引き抜いたら惟任さん怒らはるやろか。レンタル移籍制度なかったっけ。

 惟任自身が足利と織田の二君に仕える武将だと思い出し、あるいは十分その可能性を感じた天彦は悠々と茶店を後にした。










【文中補足・人物】

 1、肥田帯刀則家(19)明智光秀旗本小姓。野心溢れるやんちゃな武者。

 土岐肥田氏直系、肥田玄蕃允の次男。正妻が定住し中津川肥田氏の祖となる。

 禁制の地である山崎での決戦を避け勝竜寺での作戦を進言。

















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