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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
15/314

#15 なれば、身共に聴しの宣旨を与え給え

 




 永禄十一年(1568)十月二十五日(旧暦)






 ノリと勘と少しの知識で生き残っていくのはもはや不可能と察した。

 改めて戦国修羅の時代の厳しさに直面した天彦は己の温さと向き合い、金策の大方針を策定することに決めた。

 もちろん大修正や180度の方針転換は不可能である。できてもしない。それは思想や生き様といった人生観(理念)の捻じ曲げになるからではない。根っからの無精者だからだ。

 他評はこの際関係ない。ゼロベースから性根を入れ替えるなんて作業、自分にはできっこない。当人が確信していることがすべてであった。


 だが一方、微修正なら100%可能だと確信している。天彦の場合、基本方針を受け身策から積極策にほんの少し切り替えるだけで大幅アプデとなるからだ。

 知識チートはそれほど重要局面を引っ繰り返せる腕力があった。知識というチートである。


 毒を食らわば皿まで。歴史上の偉人や英傑や主人公ならば本来敵性である徳蔵屋なども取り込んで我が道を行くのだろうけれど。

 あいにく天彦にそんな気概もスキルもなく、根性はもっとない。そして大前提として絶対に欠かせないその意志もないとあれば、やはり新規開拓しかないのである。


「佐吉、お金持ちの知り合いおらんか」

「お役に立てず申し訳ございません」


 断る前に先ず理由くらいは訊こか。という文句が脳裏を過ったが、数舜考えて飲み込んだ。

 察しのいい佐吉のことだ。たとえ近江商人に知り合いがいてもおそらく紹介はしてくれないだろう。不義理になると確信して。菊亭家の台所事情はそれほど火が点いていた。燃え盛っている。


 天彦はラウラから順々に視線を巡らせ、もれなく否の雰囲気を察して深いため息をこぼした。


「若とのさん、某はまだ訊ねられておりません!」

「おお、お雪ちゃん、知り合いおるんか」

「おりませんが」

「ほんなら何でゆうとんねん」

「仲間外れが不愉快やったからや。某はごまめちゃう」

「あ、はい」


 それはそうだ。天彦は真摯に謝意を示して詫びた。

 それこそ雪之丞が恐縮してしまうほど。

 褒め殺しならぬ詫び殺しである。最上位者であることの多い天彦だが、半分無自覚でやっているので家来や下位者は堪ったものではないだろう。


 気の合う仲間とこのままいちゃこらしていたいが、じゃれ合っていても埒が明かない。

 というより金策の話題を家人に振ったのはあくまで設定の伏線としてであり、端から期待はしていない。そして伏線なら回収されてナンボである。


「お雪ちゃん、ちょっと下京に出向いてくるわ」

「では若とのさん、妙案が浮かばれましたんで」

「当り前や」

「なんと!」


 すると、


「さすがは我が殿」

「天彦さん、やるぅ」

「ファンタスティカ、エストゥペンド」

「ザッツアメイジング」


 賞賛の声が心地いい。だが締めるところは締めなければ。


「ラウラ、いっこも直ってへんで」

「やつら確信犯です。天彦さんが理解を示すのが悪いのです。反応を面白がっています」

「わかってしまうもんはしゃーないやろ」

「どうしても直せと仰せなら、体罰禁止を解除していただければ即刻是正させていただきますが如何」

「それはあかん。少なくとも身共の直臣には許可できへんな」

「お優しいことで。では再三具申しているとおり、直接叱ってくださればよろしいのに」

「一個のチームとして雇い入れた。指示命令系統は徹底する。それが身共の延いては当家の方針や」

「コンスエラとイルダが扱いづらいから逃げているだけでは」

「逃走という文字は身共の辞書にはない」

「どうやら天彦さんとは逃走の字義が食い違っているようですね」

「字義が一つと誰が決めた」

「混乱の下ですので一つです」

「阿保やな。知ってのとおり世界は広い。こちらではこうでもピレネー山脈のあちら側ではああなんや、そういうこともあるやろ」

「……よもやご存じとは。恐れ入ります。ですがなれば無理ですね」

「そこを頼むで」

「要所は締めます。御心配召されるな」


 かなり怪しい安請け合いで往なされてさて、天彦は町に繰り出すことにした。


 随伴は佐吉とラウラ。居残りは雪之丞とやんちゃ娘の二人組。

 不満も出ない妥当な配置だ。侍ながら現状家令ポジの雪之丞が居残り客対応をするのは当然であり、やや反抗的で制御不能の可能性を残しているコンスエラとイルダが御留守番なのも至極尤も。


 消去法でなくとも佐吉を政務担当(と書いて痒いところに手が届くスーパー秘書官と読む)に仕立てたい天彦としては連れまわす気満々であり、よって天彦が洛外または下京へ移動するとなると、当面この面子での組み合わせとなることが多くなるだろう。


 むろん雪之丞を見限ったという話ではない。性能と機能の違いである。

 雪之丞は生粋の武士思想である。物事への対応が武人対応(直情的)に傾倒しがちなのだ。

 悪くいえば感情的であり合理的な天彦とは根本的にそりが合わない。好き嫌いの話ではなく、好き嫌いならむしろ天彦はお雪ちゃんが大好きである。唯一無二とさえ思っている。

 まだ児童年齢。教育すればその限りではないのだろう。が、天彦はそれさえ自助努力と考える不干渉主義者なのでそれはそれで相当難しいのである。


「こうして改めて見ると、ほんとうに貴公子ですね」

「そうでも、あるかな」


 天彦は満更でもある顔で気安く応じる。本日の用向きには少し威儀が必要。人は権威に弱いのと同じく姿形の美醜にも敏感に反応するとしたもの。ということで狩衣(普段着)と直衣(正装)との間を取った小直衣を装着している。

 本来半家の菊亭天彦が着られる格ではないが、この戦乱の時代に正統性や正常性を訴え無礼を注意してくる奇特な者はいない。ただ着たかったん。


 天彦は立烏帽子を伊達にかぶり、手に中啓(檜扇)はなかったので普段使いの扇子を粋に持った。


「ご立派! さすがは若とのさんや」

「素晴らしい。それでこそ名門菊亭の御曹司です」

「ケ・エルモサ」

「ブラボー、ワンダホー、エクセレント」


 それほどか。ふむ、数年後は“嗚呼、我が人生、ほとほと恋多き哉”路線か。

 姿見があれば完璧だが贅沢は言えまい。家人の誉めそやす声で鏡とした。

 表情を凛々しく雪之丞に目礼して、


「お雪ちゃん、こっちは任せたで」

「はい万事お任せあれ。お気をつけて」


 いってらっしゃいませ。


 久方ぶりに家人に見送られる外出に気をよくして、天彦は菊亭を後にした。




 ◇




 菊亭家屋敷のある今出川殿は禁裏(京都御所)の西側に位置し、左隣を摂家一条殿、通りを挟んで右隣を烏丸殿、日野殿が建ち並ぶ敷地八千坪にも及ぶ大邸宅である。

 天彦の菊亭はその内の千百坪ほどを土地割譲されていて、とても本家から見放されているとは思えない。名目だけの分家に追いやり飼殺すつもりなら十坪もあれば十分であろう。しかしそうではないし何より周囲がそうは見ていなかった。


 よって表に出るだけでも一仕事なのである。通用門から遠い離れに押し込まれているから猶の事。因みに隣は御春屋の建家である。


夕星ゆうづつ、元気にやっているようやな」


 広大な枯山水庭園越しに母屋側から聴こえてくる力強くも張りのある琵琶の音色を聴いて、結婚相手は決まったのか。不意にそんなことが心配になる。弟の分際で大きなお世話やと本ギレされたばかりなのに。


 天彦はしばらく足を止め、撫子が弦を弾く音色に身を委ねる。しかしつくづく才能の塊だった。自分ではけっしてこうはならない。やはり名家今出川の血は妹夕星に色濃く流れた。天彦は改めてじゃない方であることを認識して、勝手門から屋敷を出た。


 内裏の壁を背に日野、烏丸屋敷を左手に中立売御門を通って新町、正親町を抜けて中立売通りを西へ。目指すは洛外の下京堀川(通り)である。

 途中、数台の牛車とすれ違うがどの車の従者も天彦一行に頭が高いと注意してこない。そこそこ権威や格式に五月蠅い家ででも同様に停止、拝礼の下知をしてこない。

 天彦は界隈の有名人だった。極めて無自覚のまま天彦の顔は売れに売れていたのである。関わるとたいそう厄介な今出川家の鬼札として。


 堀川通りを二条通り目指して北上する。

 京の町は二条通りを境に上京と下京とに別れる。職人と商人の町下京は公家にとっての洛外である。


「あんな店あったかな」

「下町で流行の茶屋です。何やら南蛮譲りの珍しい菓子を出すそうです」

「へー、どこぞの大名のお抱えやろか。ラウラ、知ってるか」

「いえ、とてもではないですけど敷居が高くて」

「あ、お高いんや」


 言外に西国毛利ではないと知った天彦だが、どうでもいいことに気づき早々に思考を放棄。すかさずカステラ、金平糖、フルーツを使った寒天ゼリー。そのへんのスイーツを脳裏に浮かべて脳を慰撫した。天彦はあまり好みではないが、糖質は脳の唯一の栄養源らしいので。


「佐吉、食べてみたいか」

「いいえ。某はけっこうです」

「そうか」


 天彦はやや名残惜しそうに軒先に視線を預けるも歩みは止めない。


 すると、


「家来には平等に接するのが殿さまの務めではないでしょうか」

「おい新入り! 用人の分際で――」

「まあまあ佐吉。訊いたろか」

「はっ」


 ラウラに意見を促す。


「レシピを売れます。イルダの両親はベーカリーショップを経営していて、イルダも子供のころから手伝いに駆り出されていたそうです。これはよい機会です」

「金策か」

「はい」

「そうやな。ではラウラの具申を採用とする。急く用事でもないし寄っていこか」

「はい」

「やった」


 流行の茶店に入った。




 ◇




 入店五秒後には猛烈に後悔していた。

 流行りとは繁盛するということであり、即ち人の心を惹きつけ、客を引き付けることである。

 茶屋・明星屋は絶賛京町中の関心をさらい、目下京町中の人々を呼び寄せていた。身分の貴賤など無関係に。出身国などもっと不問で。


 つまりトラブルの宝庫だった。なんで。


「下郎、そこへ直れ!」


 天彦一行は絶賛絡まれ中であった。具体的には佐吉が、である。

 織田軍治安部隊の足軽以上侍大将未満の武士の一団に思い切り喧嘩を吹っ掛けられていた。いや違う。吹っ掛けているのは佐吉である。


 迂闊とまではいわないが十分予期できたトラブルである。


「商人は商品を売って生計を立てています。きちんと対価をお支払いなさい」

「なんやと」

「言葉のままですが。ひょっとして言葉が不自由なのですか」

「殺す」

「貴殿は仮にも侍でありましょう。吐いた唾は飲めませんぞ」

「おいこらガキ、こっちの台詞じゃ!」


 佐吉を取り巻く場はすでに賑やかし半分の大騒動となっていた。

 無意識煽りスキルA級ライセンス保持者である佐吉の発言がすべての状況を集約している。


 だが正論をぶち上げて何とする心算か。バカなのアホなの死ぬの。

 天彦は現代社会など問題にならないほど猛烈に問われる使用者責任の漢字五文字を脳裏に浮かべ、眩暈を覚えながらも心底辟易うんざりと青色吐息で席を立った。


「待ちや」

「なんやお前は。ちっ、またガキかい。次から次へと。なんじゃい!」

「家来の不始末は使用者である身共の責任や。この場は身共が預かる」

「帯刀さん、絡んできよったガキの助っ人にもっと小っこいのが絡んで来よったで」


 その服装から天彦が公家の連枝であることは多くの者が一目である。だが織田の兵は権威などものともせず大っぴらに冷やかした。

 使っている言葉は関西圏のもの。おそらくは現地採用の浪人か関西圏の武士なのだろう。


 公家とは朝廷に仕える貴族、高級官僚の総称である。つまり天皇の直臣を粗末に扱うとは夢にも思っていなかったのである。少なくとも大っぴらには。ところが。

 権威が効力を発揮してくれたら最上、金で片が付けば上々、慰謝料と己の詫びで済めば並み。だと想定していたがいずれでもない。

 それどころか最悪の結果となった。この破落戸織田兵どもはあろうことか意図的に権威を虚仮にして面白がっていた。あるいはひょっとすると殺しにかかっているまである。


「下京とはいえ内裏のお膝元や。さすがに無作法ちゃうか」

「おいぼんさん、女給かばってええかっこして我ら奉行所に恥をかかせて、それですいませんもなしに逃げ切れると思とんか。織田を舐めるなよ」

「果たして舐めているのはどちらやろ」

「似非公家の番上官風情が粋り散らかしおって! 大概にせえよ」


 かっちーん。天彦の理性が音を立てて千切れ飛んだ。


「はんっ、性根が腐ってたら目まで腐るんやな。訊くと見るとでは大違い。織田兵とはやはり躾の悪い雑兵揃いやったな」

「なんやとぉ……!」

「なんやもへちまもあるかいな」

「おのれっ、お前ら都の住人が堂々とお天道様の下歩けるんは誰のおかげや、ゆうてみいっ」

「お上のお陰様や。当り前やろ」

「そうや。そのお上を奉じて上洛したんが織田軍や。どや」

「阿保くさ。ほなら用事すんだら尾張のど田舎にとっととお帰り」

「ぺっ、上等や。舐め腐りおって。わしゃ上方出身じゃい! もう許さん、家来はみんなおいていけ。我らでたっぷりと可愛がってやる」


 喧嘩口上を合図に大小の大が抜き放たれた。この大観衆の面前で堂々と。

 だが野次馬はまだどちらの肩も持っていない。むしろ血を見たがっている風でもあった。


 もう引けない。それはお互いに。


 天彦は朝廷の権威を持ち出した。無位無官の出仕前身分だとしても。一方の彼らも織田の権威を盾にした。織田軍は足利将軍家の兵である。これまた別の観点での権威の象徴。


「店に迷惑や、表出よか」

「クソガキが小癪に主君面か。こっちの台詞や出たるわい」


 よくある衝突、よくある小競り合いなのだろう。そしてたいていの場面で公家側が引く。それがこの情勢下での通り相場なのだろう。

 それを承知でだが天彦は突っ張った。あるいは初めから引く気はなかった。

 一つに自分の主人公力を試したかったからなのと、一つに自分の直観の答え合わせをしたかったことがあった。そして何より佐吉に正しい行いが常に正しい結果に結びつくものではないと身を持って知ってもらうために。


 人助けでもお人好しでもない。単に自己保身、自己利得のため。

 即ちこれは未来への投資だ。かなりレバレッジの効いた危険な投資だが確実に回収できるとふんでいた。佐吉が天彦の知るあの人物であるならば。


「さあ出たったで」

「まあ急くな」

「手は抜かんぞ。こっちは端から多勢やからな」

「わかってる」


 さて、相手方は七人。天彦はラウラに目配せした。

 あれだけ大風呂敷を広げて自薦したのだ。絶対にやってもらうという固い意志を載せて目配せをした。

 ラウラは天彦を一瞥すると好戦的とさえ思わす目の色で頷き、主人を庇う格好で壁となるべく前に立った。頼もしい。

 むろん庇われるのは本意ではない。だがこの際それが気休めの安請け合いでもかまわない。自分の背中を押してさえくれれば。


 天彦は震える膝に喝を入れて向き合った。

 あいかわらず覚悟はまったく決まらない。

 むろん天彦は無手である。何の信念も理念も無い公家としての形式に則っただけの非武装だ。痛恨である。今更のように後悔する。


 多くのギャラリーを背中に引き連れ表通りに立つ。

 これぞまさしく主人公ムーブではないか。血が滾り心が高揚する。偽らざる心境だった。

 七本の段平を視界に見据え、深呼吸一度、扇子を固く握って覚悟を決めた。


「ラウラ」

「はっ」

「観衆にかっこええとこ見せたろか」

「応――!」


 天彦も観衆も息を飲んで見守った。


 ラウラの得物が抜き放たれ、剣戟が一閃する。










【文中補足・人物】

 1、官位

 位階四位以下には地位一つに対し(従)と(正)があり尚且つ(上)と(下)の四段階がある。

 猶、従八位下、以下に大初位、少初位の各上下があり、これにて都合三十位階となる。


 2、蔭位の制(子や孫に授けられる位階権限)

 父祖の地位または位階によって子や孫に授けられる位階は決まっていた。

 例えば従五位・正五位の場合、嫡子なら従八位上、庶子なら従八位下などと。


 3、御春屋

 春=臼で米を搗くの意味があるとおり、玄米を精米する施設のこと。












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