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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
13/314

#13 枯淡の境地




 



 永禄十一年(1568)十月二十日(旧暦)





 表がずいぶん騒がしい。


 用人が戻ってきたのかと思うも、徐々にそれはないと思い直す。

 雪之丞は通いだ。ならば……、佐吉か。

 あの合理性を突き詰めないと気が済まない佐吉が、ポイントを稼ぐような真似はけっしてしない。確信があった。ならば、それしかないだろう。


 天彦は眠い目をこすりながら中庭へと向かった。




 日本語は己が何者かを明示して話す言語である。イングリッシュと比べると一人称が多岐にわたるのがその動かぬ証拠だが、天彦の気に入って使っている一人称の“身共”は実は身分不相応。公家の連枝にしては相当かなり遜った人称であった。

 だがだからこそ天彦は好んで使っている。この意味、わかってくれるか。そうか、なら早う寝えや。そうやって円満に理解し合えたはずなのに。


「匿うのは一晩やとゆうたはずやが」

「お早うございます。傷んでいたそこの食器棚、直しておきましたよ」

「あ、どうも。……とはならんやろ」

「鶏小屋、からでしたわ。新鮮な卵が食べられると期待したのに、残念」

「一旦手を止めろ」


 昨夜、眠い目をこすり彼女たちのリクルート活動を固辞した。

 まったく意味をなさなかった貴重な時間を返して欲しい。

 特に成長期の子供にとって睡眠は貴重な成長活動の一環なのだぞ。


 天彦はそんな感情を表情にのせて、手を止めあざとく叱られる体制を作る三人の美女を見咎める。


 天彦は代表者ラウラに面と向かう。だがすぐに後悔する。聳えるような高さに目が眩んでしまったからだ。

 なにくそ。どうにか気合で踏ん張り、そして強い口調で切り出した。


「身共はたった一人でこの世にあるわけではない」

「こんな子供だけの所帯でそれを言っても説得力があると思う」

「あるなしを論じる気はない。我らの社会、一家を任されればそれはもう歴とした成人なんや」

「仕組みに文句を言うつもりはないの。秘書が無理なら用心棒ならどうかしら。腕は立つわよ、私たち」


 そうとう、かなり。後ろの二人が自信ありげにつづいた。


「能力の適否や云々で断るわけではないと申したはずだ。身共にはその地位や家名を後に引き継ぐ義務がある。勝手をして断絶するわけにはいかん」

「無位無官だと聞いたけど。すると地位はないわよね。家名も連綿と受け継がれた姓ではなく、お庭にたまたま菊が生えていたからだと聞いたわ」

「上げ足をとるな。暫定的な沙汰や」

「沙汰が下って早十年。もはや暫定とは言えないのでは」

「やかましい。お上の決定である。下々が容喙すべき問題ではない」


 拒絶の言葉が口を突くが、やはりさすがと認めざるを得ない。その調査能力の高さには手放しで感服してしまう。

 たとえ欲しくとも、だが天彦は首を縦に振ることができなかった。付け入る隙を与えたら最後、甲斐の化け猫が待っていましたとばかり大口を開けて襲い掛かってくるからだ。


「何がダメなの」

「ずっと言ってるやろ。実は一周回って阿保なんか」

「南蛮人だから?」

「人種なんぞどうでもええわ。目立つのがあかんゆうてる」

「同じことじゃない」

「いまここで思想を丁寧に説明する気はない」

「そう。わかった。でもこれだけは知っていて。運命は勇者にだけ微笑むのよ、天彦さん」

「使い古された言葉や……、な、って、何しとるんや。気でも狂ったか」

「ふふ、いいえ。まったく正気よ。覚悟を示しただけで。ね?」

「シィ」

「イエス・オフコース」


 ラウラの言葉にコンスエラとイルダも同意する。


「あースッキリ。どうかしら、勇者に見える?」

「おかっぱ頭の南蛮人にしか見えへん。阿保やろ」

「そっか。見えないか。じゃあこれでは不足なのね」

「あ、ちょ、待っ――」


 天彦の嫌な予感は的中した。

 ラウラは制止を振り切り、見事に坊主刈り(スキンヘッド)にしていった。

 二人もつづく。三人は見事に長く艶やかな黒髪をばっさりと切り捨ててしまった。


「どうかしら、私たちの決意」

「かっこ仮で」


 髪は女の命とも訊く。これには頑なだった天彦もさすがに躊躇してしまう。


「手取り足取り、いろいろ教えてあげるわよ」

「やめえ」


 おうふ。

 左右の耳から実に心地いい音色めいた誘惑の言葉が吐きかけられる。


「用人としてやぞ」

「やった! そうこなくっちゃ」

「ケ・ビエン!」

「ナイス、グッジョブ、ラブU」


 咄嗟に出る母国語が宜しくない。


「コンスエラとイルダ、あの二人は日本語が不自由なんか」

「いいえ、流ちょうに喋れます」

「ならなんでや」

「キャラ付けらしいです」

「余裕あるな」

「余裕がないから遊ぶんです。女には遊ばないとやってられないときもあるの」

「性別関係ないやろ。でもなるほど理解はした」

「じゃあお家の中だけは」

「やめさせろ。即刻や」

「あ、はい」

「交渉の余地はない」

「はい」


 ぬか喜びをさせると互いに気まずい思いをする。予め出鼻を挫いておくのは鉄則である。


「給金は出されへん。食事もなければ基本自給自足や。そのことは承知置け」

「生活基盤を頂けただけで十分です。自分たちでいくらでも稼げるからご心配なく」

「夜鷹はあかんぞ」

「あら、独占欲?」

「阿保ぬかせ。家の面子の問題や」

「残念」

「誘惑するつもりやったら五年早い」

「普通は男女逆なんやけど」

「いくつや」

「レディに年齢をきくなんて無粋よ」

「なんぼや」


 両者はじっと睨み合う。天彦は右目を眇める。するとラウラが肩を窄めた。


「三十路には届いていません。これ以上はご容赦を」

「しゃーない。年齢ばっかりは抗えんしな」

「でも誘惑自体はしてもいいんだ」

「はは、おもろい。五年後か。やってみい。受けて立ったろ。ゆうとくけどお前ら、今でも身共の母親よりうんと年上やぞ」

「おっぱい恋しかったら言って」

「なんか急にガラ悪いな」

「性格への文句はやめて。生きるために培った今となっては持ち味だわ」

「無礼討ちは合法やぞ」

「御見それ致しました。今は負けを認めます」

「うむ」


 そこの二人、手ぐすね引くんじゃない。親方は素直に白旗振ってるぞ。

 気を引き締めるためにも現実に引き落とそう。


「それともう一つ。身共は訳あって命を狙われている」

「相手はわかっているのですか」

「ああ」

「差し支えなければ」

「義母や。邪魔でしゃーないらしい」

「そん、なっ」

「大袈裟に。義理のゆうとるやろ。つまりは他人や」

「それでも」

「その話はせん。今だけちゃうぞ。一生せん。心中に留めおけ」

「はい」

「うむ。巻き添え事故も十分考えられるやろ。気を付けや」

「はい」

「そんな事情や。ぽっくり逝ってもうたら堪忍やで」

「畏まってございます」


 不本意ながら落ちるところに決着はついたようではあった。




 ◇




 そうこうしていると佐吉が起きてきた。

 眠い目をこすり井戸に顔を洗いにいくのだろう。


「佐吉」

「こ、これは殿様。無様を曝してしまいました」

「いや、出仕まではまだ早い」

「ほっ、よかったです。しかしずいぶん早いご起床。何かございましたか」

「あった」


 佐吉に事情を明かす。

 昨日の感じでは佐吉は人種に対するヘイトを感じさせなかった。反感があるとすれば天彦に対する言動や態度だけで、本質的に公平な性質なのだろうと思われた。


「なるほど。家中が賑やかになることは喜ばしいと存じます。屋敷の維持もたいへんでござれば」

「日常の作法等頼んでもええか」

「むろん。ですが某も修行中の身の上。共に精進する同輩としてならば承ってござる。尤もこちらの者ども、すでに完成しているように思われますが」

「念のためだ」

「はっ。ならば是非も無し。確と承ってございます」

「頼んだ」


 佐吉に丸投げ。雪之丞はあたりがきつかったので一安心だ。


 と、そこに。


「おはようございます」

「お早うお雪ちゃん。ラウラ、コンスエラ、イルダの三人。当家に迎え入れることにした。但し仮採用や。本採用になるかはお雪ちゃんの判断に任せるで」

「某の裁量に」

「そや。荷が重いか」

「はい! いいえ。不肖植田雪之丞、全身全霊で判断仕ります」

「任せた」


 やる気を引き出してやると雪之丞は奮起する。核心に触れると面倒なので勢いに任せてなし崩し的に。


 天彦はまんまと策が嵌ったことにほくそ笑み、朝ごはんにしよか。ご機嫌さんな声音を響かせる。

 むろん身分差著しいこの時代に、名のある公家が主従同伴で食卓を囲むなど身分的にも作法的にもあり得ない。だが天彦はそんな不文律など物ともせず六人で食卓を囲む許可を出した。










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