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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
11/314

#11 義理、欠ける朔月

 



 永禄十一年(1568)十月十七日(旧暦)






 翌日、明けて十七。惟任日向守の動きは迅速だった。

 わずか中一日で茶々丸確保を決定し実行に移した。目下禅林寺のある永観堂町にはネズミ一匹這い出る隙のない大軍勢が展開している。


 禅林寺境内。


 天彦は逃げずに立ち会った。正しくは選択肢がなかった、である。いの一番に報告に向かった実益が善悪適否を問い質すより早く、ほな行こか、と学舎に向かうことを決定したからだ。


 まさにこの瞬間、茶々丸が天彦の目の前を通過していく。

 罪人ではないので手足は拘束されていない。すでに覚悟を決めているのだろう。茶々丸はどこかすっきりとした表情で実に往生際よく連行されていた。


 その茶々丸が天彦たちの姿に気づく。すると初めて動揺を見せ、ちょっとええですかと侍に一言断りを入れて立ち止った。

 茶々丸は実益には会釈だけで手軽に挨拶を済ませた。だが天彦に向き合うと一転、これまで見せたことのない会心の笑顔を作って声をかけた。


「菊亭。見てみぃやこの姿。どや念願かなって勝てた気分は」

「勝ったとは思ってない」

「無様やろ」

「潔いと思うで。むしろ格好ええかもな」

「同情か」

「それもあるかな」

「さよけ。どうやら拙僧は後ろから刺されたようや。誰が刺したと思う。参考までにその叡智とやらで教えてくれ」

「身共や」


 端からあたりを付けていたのか、すでに知っていたのか。

 イケメンショタ茶々丸は天彦の告げた言葉の真偽を問い質すこともせず、有りっ丈の憎悪を乗せて、


「おのれ菊亭――ッ!」


 烈火の形相で憤怒した。


「おどれ、やってくれたのう」

「うん、やったな」

「居直るんかい」

「嘘はつかれへん。真偽に悖るやろ」

「お前、そんな面白いやつやったんか」

「知らんかったか。はは、一本取れたな」

「喜ぶな。何のためにや。何のために胸襟を開いた大親友を裏切った」

「自分の利益のためにや」

「利益。一族でも家門でも、付き従う一党のためでもなく己の。……くふ、はは、ははは、あははは」


 会心の笑顔を浮かべて乾いた笑い声をだす小坊主の図。控えめに言ってホラーだった。


「菊亭にはやられたわ。虫も殺せん顔して後ろから刺しよる」

「舐めすぎやろ。身共も貴族の連枝やで。そやけど虫は殺せんかも。普通にキショイし」

「お前だけは拙僧の境遇がわかると思ってた。一生の不覚や」

「わかるで。境遇もわかるし苦悩もわかるし、裏切られた辛さもわかる。あと身内に命を狙われる煩わしさも」

「黙れ。己に何がわかるんじゃい!」


 ご希望なので黙る。


「どこで気付いたんや。ここの盆暗和尚でさえ気づいてなかったのに」

「お師匠さんに盆暗はないやろ」

「密教なんぞ教導しとる坊主なんぞ、盆暗以外の何者でもない」

「ほんならそれで」

「教えんかい」

「身共は子龍天彦やで。龍の双眼は万里を見通す、らしいで」

「ほざけ畜生が。おおよそどこから漏れたかは察しがついてる。最近うろちょろしとった修験者やな。ほんならあれらも怪しんかい。ちっ、くそ、この借りはきっちり返すで。必ずや」

「どやろ。茶々丸ごときにできるとは思えへんけど。まあ気張り」

「ど腐れ畜生の分際で舐め腐りおって。一向門徒三千万が己の地獄行きを呪ってるで」

「盛りすぎやろ。精々十万がええとこや」

「お前を始末するには上等やろ」

「うん、お釣りがくるわ」


 二人は互いに俯いた。


「なぁ茶々丸、身共も行けるかな、極楽浄土」

「ぺっ、首を洗って待っとくこっちゃな。この茶々丸が必ず地獄に送ったる」

「長生きしいや」

「門主の座取れるまで死ねるか。這い蹲ってでも生き足掻いたる」

「それでええ」


 侍に促され茶々丸は連行されていった。

 お世辞にも貴種とは思えない言動だった。だが一皮むけば戦国の住民など誰でも獣同然なのである。


 茶々丸の進行方向に視線を向けると、奥で数奇騎馬がこちらに馬首を向けてくる。ぼうっと見ていると鞍上の侍が天彦に向かって会釈してきた。

 明智日向守か。大将自ら出陣とは念の入ったことで。

 天彦は特に意識せず反射的に頷きを返す。その際かなり慇懃に映ってしまったのも習性だ。意味はない。他意もない。だが傍目には随分と近しくあるいは親しい間柄に見えただろう。境内には様々な感情が交錯した。


 騒動が一段落した。

 二人の会話は当然実益も聞いている。そして寺の住職も。この場にいた者すべてが一言一句逃さずに聞いていた。


「終わったな」

「はい。お騒がせしてすいません」

「水臭いこっちゃ。しかし茶々丸が石山御坊の実子やったんも驚きやが、麿にとっては子龍が知ってて隠してたことの方が驚きや。なんで黙ってた」

「一生言うつもりがなかったからです」

「なるほど理屈やな。ほなどこで気が変わった」

「目を覚ましてくれたお人の、期待に応える為です」

「吾か」

「さあ誰やろ」


 覚悟はしていたが、軽くない拳の重みを腹に感じた。


 ――普通、肩やろ! 


 あかん、痛すぎてげぼ吐きそうや。

 内心で散々悪態をついた後、怨めし気に実益を見上げる。


「どこで知った。茶々丸が勘繰った修験者と違うやろ」

「身共にもいろいろと手札はあるんです」

「吐け」

「吐いていいんですか。すぐに吐けますけど、無作法やないんやろか」

「吐くな汚い。そうか、わかった。母御前の伝手やな」

「なんやのん、それ」



 ――母、誰。だれ、はは……。



 天彦は実益が自分の知らない母親の存在や出自を知っていることの方に驚きを禁じ得ない。

 かなり戦国にアジャストしてきたつもりでも、未だに受け入れられない感覚は少なくない。この母親問題もその一つで、家の勝手都合で放り出されるとかどんなDQNなのかと声を張って叫びたい衝動に駆られる。


「まあええ。詳しいことは帰ってからや。ほら、和尚が鬼の形相で待ってるで」


 促されて和尚の元へと向かった。


「騒がせてすいません」

「菊亭天彦」

「はい」

「二度と敷居を跨いだらあかん。破門を申し付ける」

「はい」

「但し当館の破門や。その気があるなら本山には顔を出しなさい」

「はい。温情に感謝申し上げます」

「人の道を踏み外したらあかんで」


 出禁は織り込み済みだ。むしろ永観堂だけを破門とは温情沙汰だろう。天彦はてっきり真言密教そのものから破門されるものと思い込んでいた。

 最後くらいは真摯に応じよう。故にその道とやらが不明なので天彦は返事をしなかった。

 どう受け取ったのか、苦り切った顔の和尚に別れを告げようとして思いとどまる。どうせ最後だ。


「和尚様は知ってましたよね。それは道に外れないんですか」

「素直なんが通じるのは守られている内だけやぞ」

「道に外れないんですか」

「宗派が多くあるように、御仏の道も複数ある」

「人の道に外れないんですか」

「もう行きなさい。二度と参るな」

「人の――」

「喝ッ! おい、盛大塩を撒いとけ」


 お世話になりました。


 今にも激キレしそうな和尚に挨拶を済ませ実益の元へと舞い戻る。


「破門となりました。これで一緒に通えませんね」

「清清した顔で言うことやない」

「でした」

「人の痛いとこに踏み込むのもようない」

「聞いてましたんか」

「あんな大声量で怒らせたら厭でも聞こえる」

「留意します」

「さよか。茶々丸は悪いようにはならんのやな」

「石山次第でしょうね。織田さんは人質には手厚いと訊きますから」

「田舎もんの手厚いなんぞ知れたもんやろ」

「実益さんは織田嫌いですか」

「好かんな。その口ぶりやと子龍は織田贔屓と聞こえるぞ」

「強いもんはみーんな好きです」

「ほざけ。なんでも逆張りの天邪鬼が」


 ほざいた。


 驚きはない。この織田に対する悪感情や反感が広く一般的な公家感情だから。

 織田は朝廷を虚仮にしている。延いては公家を、延いては権威を。史実を知らなくても誰もがそう感じている。


「いずれにせよ賭けは子龍の勝ちや。麿はすぐにでも参内するで」

「それなんですけど、しばらく保留にできませんか」

「なんでや」

「なんでやろ」

「おい」

「わかりません」


 確かな答えは持っていても言葉にはできない。


 朝家の忠臣としてまだ朝廷に心から出仕する覚悟ができていないから。

 生まれながらの教育をすべて放棄されて育った天彦にとって、生まれながらに貴種として教育を受けて育った実益たちとは感性が違った。

 公家は職業ではなく生き様である。頻りにじっじが言う言葉に深く賛同している天彦にとって、公家として生きるには公家としての覚悟と決意がいった。


「変わったやっちゃで。まあええ、ほな戻ろうか」

「はい」


 咄嗟でも意をくんでくれる実益が大好きだ。




 ◇




 実益と一旦別れて菊亭へと戻った。


 悪名は無名に勝るとは誰の金言だったか。脳裏にそんなフレーズが浮かんでくる時点で天彦も少なくない罪悪感があるのだろう。

 いずれにせよ歴史の表舞台には立った。望む望まざるにかかわらず出てしまった以上、勝負、勝負と前に出るしかないのである。


 実益が危惧したのでなんだか自分も気になってきた。茶々丸は手厚く保護されると信じている。請け負ってくれた惟任日向守の言葉を信じたい。普段、人の安請け合いなどこれっぽっちも信じないくせに。

 いけない。感情論で右往左往しているようでは。論理的客観的事実と向き合い現実を直視した上で判断しなければ。


「と、偽善者がゆーてますけど」


 殺してしまっては門徒を操れない、織田の殿様は人質に価値があれば手厚いと専らの評判だ。何度も裏切った身内を何度も許したり、家来に裏切られて殺されるような人柄でもあったりするし。

 そいえば寺子屋は出禁となったんだった。そのことに対する特別な感情はないが、明日から暇は持て余すだろう。


 思考が同じ場面をぐるぐると何週も巡る。

 目下高確率で後世の義理ワン候補筆頭となってしまったことにだだ凹みしながら、すっかり見慣れた超が付くオンボロあばら家屋敷の門をくぐる。


「お帰りなさい」

「お帰りなさい」

「ん、ただいま……、え」


 雪之丞の出迎えはわかる。だが……、


「佐吉、どないしたん」

「その感じ、訊いていないようですね」

「うん、訊いてない」

「亜将さんもええ加減です」

「実益さんが」

「はい。某がお侍方を整理しつつ境内の清掃をしていたところ――」

「待って。掻い摘んで端的に」

「はい。こちらに出仕したいと申したら、ぜんぶ麿に任せておけと仰いました」

「あー、あり得そうや」


 サプラーイズ! 的な。日本語訳なんやろ。


「わかった。でも本家志望やったらうちとは違うで」

「今出川家ではありません。天彦様の家来にしてもらいにきました」

「まじかぁ。お兄ちゃん吃驚だよ」

「天彦様とは永禄三年の同年生まれと存じておりましたが」

「それはそう」


 益々イミフ。


 すると横から口を挟みたそうな雪之丞が熱い眼差しを向けてくる。どうせ若ごっさんはいつも意味がわからないとか何とか言いたいのだろう。

 だがいけません。天彦は視線で制止して、まだ猜八割方疑心で埋められている感情で問う。


「うちは菊亭やで。公家でも極貧の。本家の後ろ盾期待してるんやったら回れ右してお帰りはあっちや。本家への紹介状は書いたるけど、本家かて主流からは外れてしもてるで。つまり期待薄や」

「はい。すべて承知の上で、天彦様の家来になりにきました」


 あ、そ。

 子供の決意など秒で揺らぐ。話だけでも聞いてやろうと腰を落として本腰を入れた。


「お寺さんは」

「辞めました」

「親御さんは」

「某は近江国坂田の国人の倅にございます。上に二人おりましたのでお寺さんに修行に出されましてございます。ですが兄が亡くなり連れ戻しに参りました」

「あかんやん。あともっと纏める癖つけよ」

「はっ。こちらに世話になると伝え、帰しましてございます」

「よう訊いてくれはったな」

「勘当の二文字を添えて」

「上手いことゆうた。佐吉にしては思い切ったね」

「はい。天彦様の思いきりを訊いて天啓が下されたと確信いたしまし、即決した次第にて」

「早まったね。うち安いよ」

「二食いただけたら文句はありません」

「本気みたいやね」

「はっ。天地神明に御誓い申し上げ候」


 なるほど。


「お雪ちゃん、上手くやれそうかな」

「はっ、菊亭家第一の家来植田、必ずや上手く率いてみせまする」

「あ、そんな感じ……、ほんなら佐吉、来たらええわ」

「はい。殿、不肖佐吉、お世話になります」

「よろしゅう。そや佐吉、一個注文がある」

「何なりと」

「丸いもんはもっとまーるく、四角いもんもまーるくいこな」

「某には不明なれど、何卒ご教授願います」

「そやね」


 捨てる神あれば拾う佐助あり。天彦の冷徹ともとれる合理的な判断に感化された小姓が一人、用人として菊亭家に入ってきた。

 未来の石田治部少輔三成。天彦的に将来のスーパー役人なので否やはない。だが歴史を狂わせてしまう怖さはあった。










【文中補足・人物】

 1、佐吉(10)

 石田治部少輔三成。ご存じ第一大万大吉の旗指物でお馴染みスーパー官僚の中の人。










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