7 大好きなととさま(3)
相模川の橋を渡る途中で意識を失って倒れて以来、頼朝の容態は悪化の一途をたどっていく。
建久十年、西暦一一九九年正月。
頼朝は、死の床に臥していた。頼朝の周りには、家族が集まっている。
「御台。後のことは頼んだぞ」
「はい、必ず」
政子は、涙を堪えながら、強くうなずいている。
「三幡や。そなたがお妃になる姿を見たかったなあ」
気丈な性格の三幡もまた涙を我慢している。
「お任せください。三幡の入内は必ず儂が実現させて見せます」
「そうか、さすが儂の嫡男じゃ。頼もしいのう」
跡取りとしての力強い頼家の態度に、頼朝は安心したように微笑んだ。
まだ幼い千幡だけが、翡翠の数珠を握りしめながら、大姫の時と同じように、泣きじゃくっていた。
「ととさま!」
「父上の御前で涙を見せて泣くとは、何事か!それでも、将軍家の子か、千幡!」
泣いて父に縋りつく千幡を、兄の頼家は大声で叱り飛ばした。
床から、千幡の方に手を差し出しながら、頼朝は穏やかに言った。
「よいのだ、頼家。泣いてもよいのだよ、千幡。千幡は千幡のままでよいのじゃ」
政子の力を借りて頼朝は何とか起き上がろうとする。
「千幡や、千幡や。もそっと、ととの近くに来ておくれ」
側に寄った千幡の頬や髪を頼朝は愛おし気に撫でる。
「千幡のためにも、もっと長生きしたいのだがなあ。ととは、小さい千幡を残していくのが心残りでならないよ。なあ、千幡や。ととに会いとうなったら、ととが一番大好きな梅の木を見てごらん。ととも千幡が大好きじゃから、道真公の飛梅のように、ととはきっと梅の精となって、千幡といつでも一緒におるはずじゃ」
千幡は、大好きな父に抱きついて、何度も何度も頷いた。
やがて、頼朝は家族に看取られ、その偉大な生涯を閉じた。
雪が降る中、千幡は、父に言われたとおり、御所の梅を眺めていた。そこへ、叔父の義時がやってきた。
「ここにおられましたか、千幡君。春とはいえ、雪が降っており、外は冷えますぞ」
義時は、そっと千幡の両手を握り、懐から布でくるんだ温石を手渡した。
「梅が艶やかに咲いておりますなあ」
穏やかな叔父の言葉に、千幡は頷いて言った。
「おおねえさまと、ととさまは梅が一番お好きだったから。ととさまは、お船で仏さまのお国に行って、それから梅の精となって千幡のもとに戻って来て下さるの」
義時は、亡き父頼朝がそうしたように、千幡を高く抱き上げ、千幡の髪を優しく撫でた。
「お父君は、船を一生懸命漕ぎながら、仏さまの国と千幡君のもとを行ったり来たりしておられるのでしょうなあ」
千幡は、叔父の腕の中で、父の温かさを思い出しながら、叔父と共に梅の花を見つめていた。