42 懲りない朝時
実朝は、和田合戦以来塞ぎがちで、父である前内大臣坊門信清が病がちで出家したとの報を聞いて一層沈みがちになった御台所倫子への配慮も忘れなかった。
「女の子もいいものだなあ。久米、お前は本当に可愛いなあ」
実朝が愛しそうに抱き上げて頬ずりしているのは、実朝が倫子のために新たに飼うことにした雌の子犬の久米である。
久米は始め、下総局という実朝が生まれた時から仕えている千葉一族出身の古女房のところにいた。可愛がっていた幼い孫娘が亡くなり、ひどく落ち込んでいた下総局を慰めようと、縁戚にあたる東重胤が雌の子犬を贈り、下総局はその子犬に亡き孫娘と同じ名をつけた。その愛らしさが評判となり、将軍夫妻の愛犬となったのである。
しかし、飛梅は背中としっぽを実朝の方に向け、すっかり不貞腐れた様子を見せている。
「御所様が、新しい女子をお召しになって可愛がっていらっしゃるせいで、飛梅は御寵愛を奪われたと思ってすっかりご機嫌斜めですよ」
そう言ってからかう時房に対して、実朝は苦笑した。
「ずいぶんと酷い言い草だなあ、五郎叔父。私も御台も、久米は飛梅にお似合いだと思っているのだがなあ」
その御台所倫子の側に仕える者の順番を実朝は決めたのだが。
これに選ばれなかった北条朝時が文句を言ってきた。
朝時は、三年ほど前に、倫子に仕える佐渡という女房に不埒なことをしでかして、実朝と父の義時を激怒させ、一時鎌倉を追われていたが、和田合戦での奮闘ぶりが認められて、再び御所への出仕が許されていた。
「何で、五郎叔父ばっかり!儂だって、御台様のお側にお仕えしたいのに!」
洗練された美男で人当たりの良い時房は、御台所付きの女房達に大変人気があったが。
朝時は、過去の醜聞事件が災いして、女性陣に大層嫌われており、御所への出仕が許されるようになっても、御台所の近くに寄ることを厳禁されていた。
「過去の悪行を忘れて何を抜かすか!この大馬鹿者が!」
朝時に対して、父義時の雷が落ちた。
(相変わらず、懲りない奴だ)
兄の泰時と叔父の時房は、その様子を呆れながら傍観していた。
地震だの鷺の出現だの気味の悪いことが続くので、実朝は、方違えも兼ねて、しばらくの間、御台所倫子らを伴って、叔父の義時の屋敷に移ることになった。
「面倒をかけてすまないな、叔父御」
「何をおっしゃいますか。我が家と思って、存分にお寛ぎください」
実朝の言葉に、義時は笑って言った。
御台所らが父の屋敷に移って来たことを知った朝時は、浮かれまくっていた。
三年前の一件で、御台所付きの女房佐渡に不埒なことをしでかした朝時は、山賊を撃退した武勇伝を持つこの女房に手痛い反撃をされていた。
(まさか、あんなおっかなくて恐ろしい女だとは思わなかったな。都の人間だからといって人は見かけによらんな)
朝時は、そんなことを思いながら、勝手知ったる実家の父の屋敷に、隙を見つけては入り込み、御台所の様子をこそこそと覗き見していた。
(だが、やはり御台様だけは別格だな。淑やかで、可憐で、まさにこれぞ高貴な姫君って感じで、たまわんわい!御所様が羨ましすぎる!)
とうとう我慢できなくなった朝時は、周りに人がいない時に、御台所の側に姿を表してしまった。
朝時は、ぼうっとなったり、うっとりしたりしながら、倫子の可憐な姿をしばらく見つめていたが、やがて何かの気配に気づいた倫子が声を発した。
「そこに、どなたかいらっしゃるのですか?」
(くう!声も可愛くてたまらんわ!)
朝時は、ニヤニヤヘラヘラした気持ちの悪い助平面を倫子に向けながら、言った。
「どうも、お久しぶりです、次郎です。御台様。へへへへへ」
朝時の姿と声を認識した倫子は、朝時が佐渡にしでかそうとしたことを思い出し、自分のことのように恐怖を感じた。
「いやあ!御所様、御所様!」
実朝、泰時は実朝の番犬飛梅を連れて外を散策中だったのだが。
倫子の声に反応して、飛梅は大声で吠えたてながら倫子のいる殿舎の方に走って行った。実朝と泰時も、何かを感じて飛梅を追いかけて行った。
そこには、ヘラヘラニヤニヤした朝時が、恐怖のあまり震えている倫子と向かい合っていた。飛梅は、女主人を守るべく、大きく吠えたてて朝時に噛みついた。
「いってえ!何しやがる!犬の分際で!」
飛梅に噛みつかれた朝時は悲鳴を上げた。
「大事ないか?御台」
実朝は、朝時の目にこれ以上倫子の姿をさらさせないようにして、恐怖で震える倫子を強く抱きしめた。
「何をやっている!この不埒者が!」
泰時は、そのまま弟を引っ張って御前を退出した。
実朝と二人きりになってからも、倫子の震えは止まらない。
「御台、御台。私の方を見ておくれ。」
そう言って、実朝は、倫子の頬を優しく挟んで倫子を見つめた。
「私のことも怖い?」
夫の問いかけに倫子は首をゆっくりと横に振る。
泣き出しそうな妻の顔を見つめながら、実朝は困ったように言った。
「私も人のことは言えないな。いつも、御台に対しては不埒なことを考えて、実行しているのだから」
「私に不埒なことをしてよいのも、私が不埒なことをされたいと思うのも、御所様だけですわ」
恥ずかし気に、けれども潤んだような瞳で倫子は実朝を見つめてはっきりと言った。
「そんな可愛いことを言われると、止められなくなるよ?」
そう言って、実朝は、妻の唇にかすめ取るような軽い口付けをした。
「嫌だったり、怖かったら言っておくれ。できるだけ善処する」
夫に優しく抱かれながら、倫子の恐怖はやがて甘い疼きに変わっていった。
(叔父御の屋敷には随分と長居してしまったが。さすがにもういいだろう。警備の問題もあるし、やはりそろそろ御所に戻って御台を安心させたい)
かれこれ二月半ものあいだ叔父の義時邸で過ごした将軍夫妻は、ようやく御所に戻った。




