4 家族旅行と仏様のお使い(2)
翌建久六年、西暦一一九五年、頼朝は、家族を連れて上洛した。
絵巻物で見た京の都に、家族みんなでお出かけに行くのだと聞いた千幡は、わくわく感がとまらない。
鎌倉殿である父頼朝はもちろんのこと、その御台所である母政子、嫡子である兄頼家、将軍家の総領姫である大姫には、それぞれ公務が割り当てられている。
しかし、下二人の三幡と千幡は、いわばおまけのようなもので、その出番はまだなかった。
大姫は、母政子と共に、亡き後白河院の寵姫で、未だ権勢劣らぬ丹後局に面会している。その時の様子を、頼朝は、これでもかというほどの親馬鹿ぶり全開で、家族の前で自慢していた。
「京の都でも、これほど優れた姫君はおらぬであろうと言われてのう。大姫は、帝のお妃にふさわしいとまで言われたのだぞ!そうであろうとも、そうであろうとも。儂の自慢の総領姫だからのう」
これには、妹の三幡がむくれた。
「ずるい!姉上ばかり!帝のお妃には、三幡がなるんだっていつも言っているでしょう!」
政子は、はあとため息をつきながら言った。
「姉を差しおいて、お作法も何もあったものじゃない妹を人様の前に出すなんて、できるわけないでしょう。三幡の場合、帝のお妃になるどころか、これではお嫁の貰い手すらありませんよ」
頼家は、慣れぬ儀式に疲れた顔をして、適当に妹をあしらっている。
「滞在は長い。着物でも寺参りでも、好きなことをすればよいではないか」
千幡は、兄の寺参りという言葉を聞いて、顔を輝かせた。
「仏さまに会いに行くの?」
千幡の問いに大姫は優しく答える。
「ええそうよ。今度、母上たちと一緒に、千幡も行きましょうね」
「わあ、楽しみだなあ」
数日後、千幡は、母や姉達女性陣と一緒に、ある古刹に出かけた。みながお参りをしている間、千幡は、手に持つには長すぎる大姫がくれた紫水晶の数珠を首にかけたまま、わくわくしながら、境内を探検していた。
木の影から、何かがきらきらと光っている。
それに目を奪われて、千幡が近づいてみると、千幡と同じくらいの小さい女の子が座っていた。
格好からして、お忍びで女房達とお参りに来た身分ある都の貴族の姫君であろうが。
都人をほとんど見たことがない幼い千幡にはそんなことは分からない。
童女と目が合った。
童女は、きらきらとした目をしながら、千幡に近づいていき、千幡が首からかけている紫水晶の数珠にそっと触れた。
「きれいねえ」
童女は、きらきらと光る細工がされた高価な翡翠の数珠を、千幡と同じように首からかけていた。千幡もまた、眩しそうに童女を見返して言った。
「そっちもきれいだねえ」
千幡と童女はお互いにこにこと笑い合う。
初めて出会った同志に、千幡は嬉しくなり、首にかけている紫水晶の数珠を外して童女の首にかけた。
「じゃあ、あげるよ」
童女の方も、自分の翡翠を指さして、言った。
「あげる」
千幡と童女は、互いの数珠を交換して別れた。
「こんなところにいたの、探したのよ、千幡」
千幡に近づいた大姫は、千幡が首にかけている数珠がいつの間にか変わっているのに気がついた。
「千幡、それはどうしたの?紫の数珠は?」
「とりかえっこしたの」
千幡は、にこにこしながら答える。
「誰と?」
「千幡と同じくらいの女の子」
大姫は、千幡が首にかけている数珠を手に取ってみる。
翡翠に細かい細工がなされた明らかに高価なものだと分かる品である。
このような品物を身につけられる幼子など限られる。
千幡が出会ったという童女は、女房達とお忍びでお参りに来た財力のある都の貴族の姫君に違いなかった。
将軍家の力をもってすれば、その童女の正体を調べることは可能だろう。
だが、嬉しそうに喜んでいる幼い弟に、あえて夢の正体をばらすのも野暮な気がした。
「その子はきっと、仏さまのお使いだったのよ。これは、きっと千幡を守ってくれるわ。大事にしなさい」
そう言って、大姫は、千幡が首からかけている翡翠の数珠を手に取って、千幡を優しく抱きしめた。
今度は、次姉の三幡が羨ましそうに言った。
「わー、きれい。それどうしたの?」
千幡は自慢げに答える。
「仏さまのお使いにもらったの」
「いいなあ。それ、私にちょうだいよ」
普段次姉にいいようにされている幼い千幡は、本能的に警戒態勢をとった。
その様子を見た母政子が言った。
「三幡、あなたはいつも人のものを欲しがろうとする。悪い癖ですよ」
母に叱られた三幡は、不貞腐れたように言い返した。
「何よ、いいもん。父上にお願いして、もっといいものをもらうんだから!」
宿所に戻ってから、千幡は、すぐに人のものを欲しがり、欲しいものは力ずくで手に入れようとする、三幡よりももっと質の悪い天敵に遭遇してしまった。
「ほう、よいものを持っているではないか。ちょっと貸せ」
兄頼家は、無遠慮に千幡が首からかけている翡翠の数珠に触れてきた。仏さまのお使いとの大事な想い出の品を汚されたような気がした千幡は、兄の手を小さな手でパシンと叩いて後ずさりした。
「や!これは千幡の!触らないで!」
思ってもいなかった幼い弟の反抗的な態度に、頼家はますますむきになった。
「弟の分際で、兄に逆らうとは、生意気だぞ!」
頼家は、翡翠の数珠を千幡から無理やり奪おうとする。
「よこせ!」
「いやだ!」
千幡は必死に抵抗したが、十歳も年上の兄にかなうわけがない。兄ともみ合っているうちに、ブチっと糸が切れて翡翠がパラパラと音を立てて床に転がっていった。
それを見た瞬間、宿所中に千幡の大声が響き渡った。
「うわーん!!」
何が起きたのか、詳細な説明をするまでもなく、どちらに非があるのかは誰が見ても明らかだった。
「おお、よしよし。珠は全てねえさまたちが拾って集めてくれたからな。後で、かかさまに直してもらおうな。だから、そんなに泣かないでおくれ」
頼朝は、なかなか泣き止まない末っ子を抱いて一生懸命にあやしている。
「幼い弟になんてことをするの!」
「手をついて詫びなさい!」
「私だって我慢したのに。兄上、最低!」
一方の頼家は、母と姉と妹、気の強い女三人に責められ、行き場をなくしていた。
助けを求めるかのように、頼家は、千幡を抱いている父の方に目を向けた。
頼朝は、やれやれと言った様子で、千幡を抱いたまま頼家に近づいていった。
「にいさまも、悪かったとよく反省しておるからな。許してやろう。な?ほれ、仲直りじゃ」
「儂が悪かった」
頼朝は、抱っこしている末っ子の手と、謝罪の言葉を口にした頼家の手を握らせた。慈愛に満ちた瞳で、父は、兄弟の仲直りの様子を見つめていた。