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第99話 皇女ユリアーネ その弐

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「 姫様、先行しておりました斥候(せっこう)部隊の兵が戻りましてございます 」


「 通せ! 」


 ユリアーネは苛立ちを隠さず、吐き捨てるように言い放った。

 中央街イシュト南方の、なだらかな丘陵に全軍を停止させ、斥候部隊からの報告を今か今かと待っていたのだ。


 側近の近衛兵の1人が天幕の入口からそそくさと出て行き、何やら大声で叫ぶ――


 暫くして――商人然とした場違いな服装の男性が、身を屈めたまま天幕に滑り込んできた。


「 大変お待たせ致しました! 御報告申し上げます! 」


 ユリアーネからの返答はない。この沈黙が「 早く申せ! 」という合図なのだ。


「 イシュト及び領都内部より続々と民衆が避難しております。大勢の兵士も荷物を抱え街を出ている模様でございます。領軍の部隊展開は何一つ確認できてはおりません。もはや戦う意思は皆無(かいむ)かと・・・脱兎の如く我先にと王都方面へ逃げ出しておる様子でございます。このままですと、本隊が到達する頃合いには――少なくともイシュトに関しては無人の街と化しているかと・・・ 」


「 解せんな・・・ 」

 ユリアーネは立ち上がり、(ひざまず)く斥候兵を見下ろしながら呟いた――


「 ハイルギット。お前はどう考える? 」

 傍に控える側近男性にユリアーネが問う。


「 予想外でございますな。数ある選択肢の中から、まさかいきなり【放棄】を選ぶとは。確かに納得がいきませんな。新任の統括がよほどの腰抜けか、あるとすれば王族からの勅命という可能性もありましょうが――現段階では何とも言えませんな・・・ 」


 ユリアーネは厚い下唇を指で擦りながら、眉根を(ひそ)めている。

 激しく思考している証拠だった。


「 いや、わたしが解せんのは――逃走に一貫性を感じる点だ。こ奴の報告を鵜呑みにするならば、逃走に迷いが感じられん。我らの挙兵が知れたのがいつ頃かは判らんが――戦うにしろ逃げるにしろ、このような短期間で民衆を軒並み説得して回り即刻行動に移させているとしたら・・・その新任とやらは、腰抜けどころか卓越した統率者ということになろう 」


「 た、確かに――仰る通りでございますな・・・ 」


 ユリアーネはさらに激しく下唇を擦っている。


「 ・・・計略かもしれぬ。たとえばイシュト及びミルディア領都内に、致命傷を与えるような無数の落とし穴など複合的な罠を設置している。或いは井戸という井戸に大量の汚物を投げ込んでおり、水不足で我らの部隊が干上がり、後退を余儀なくされたタイミングを見計らって奪還に転じる――、などが真っ先に考えられるが・・・いや考え過ぎか? そんなことをすれば奪還したとて――自分たちの首を真綿で絞めるようなモノよな 」


「 イシュトに入りました折、まずは下級兵数名に井戸水を飲ませ反応を見ましょう 」


「 そのような使い方は好まん! 試すとしても家畜でよかろう! 」


「 御意 」

 

 ――姫様は誤解を受けやすい。

 そして弁明なども一切行わない。

 故に、冷酷冷徹などと揶揄されることも多い。

 だが心根はとてもお優しい方だ。

 兵を物として扱うことを極度に嫌う傾向にある。

 帝国兵士としての名誉ある死を命じることはあっても――、無駄死にを命じることは決してしない。


 皇子として御生誕なされておればどれほど楽であったろうか・・・と、参謀役のハイルギットは自身が仕える女傑に思いを馳せていた。


          ▽


          ▽


 帝国軍ユリアーネ姫が率いる大部隊が中央街イシュトに入ったのは、小雨が降りだした午後だった。


 斥候兵からの事前情報通り――イシュトの街はゴーストタウンと化していた・・・

 文字通り人っ子一人見かけない。

 石造りの防壁門も開け放たれたままであり、むしろ侵攻を歓迎しているのではないか? と、錯覚を覚えるほどだった。


 領都に比べればこぢんまりとした街で、小さくまとまっていてとても使い勝手の良い街――といった印象だ。

 人口も約5000人ほどの中規模街だった。


 だが、その5000人がごっそりと消えている。

 全員が最低限の日用品と貴重品だけを持ち――街を出、王国直轄領地を目指し避難した後だ。

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 もぬけの殻となったハンター組合建屋内部の飲食スペースに、姫専用の椅子とテーブルを設置していた。

 そこに腰かけているのは、勿論――鎧姿のままのユリアーネ姫だ。


 思案に暮れるユリアーネの下に、参謀のハイルギットが駆け寄る。


「 姫様。食用の家畜数頭に井戸水を飲ませましたが、今の所、特に異常は起きておりません。罠の類いも全くございません。それと気になる点が一つございます。偵察班からの報告ですが、街中の数か所で家屋が数棟破壊されておる模様でございます 」


「 何? 家屋が破壊されておるだと? 妙な違和感を覚えるな―― 」

「 お前はどう考える? 」


 ハイルギットは一瞬――、返答に(きゅう)した。

 だが、「 わかりません 」などと言うわけにはいかない。

 たとえどんな愚問であろうと、愚答で返すわけにはいかない。

 それが皇族であらせられる姫様の――参謀という立場に課せられた絶対的な役割だからだ。


「 徹底抗戦の意志を持つ者たちを従わせるために、口頭による説得ではなく力業を使ってその者たちの家屋を破壊した・・・などが考えられますが、報告によれば特に重要な施設などではなく、どれも単なる民家だった模様でございますので 」


「 ただの民家か。占拠した我々に利用されることを危惧して――というわけではないか。ますます解せんな・・・ 」

 ユリアーネは終始眉根を寄せブツブツと独り言を呟きながら、激しく思考していた。

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 夜も更け、雨脚も強くなっていた。

 ユリアーネたち首脳陣は、街で一番と謳われる宿屋で夜を明かすこととなった。

 その他の一般兵たちは、各々部隊ごとに割り当てられたエリアの放棄された空き家に侵入し休んでいる。


 どうやら一般兵たちも拍子抜けをした様子だった。

 大多数が逃げ出しているとは耳にしていたが――、まさか抵抗する残存勢力が完全なゼロだとは思っていなかったのだろう。

 多少なりともそこかしこで小競り合いが勃発する――と、誰もが覚悟していたのだが・・・


「 姫様。歓楽街サラム方面よりの斥候が帰還致しましてございます 」


「 通せ! 」


 宿屋のエントランスで食後のお茶を(たしな)んでいたユリアーネ姫と、部隊長5名の御前に――これまた場違いな、どこからどう見ても商人然とした服装の、ズブ濡れの男性が身を屈めたまま近づき(ひざまず)いた。


「 御報告申し上げます! サラムの住人は大半が街に残っております。誰もかれも戦々恐々としてはおりますが、避難を開始しておる者は多くありません。さらに範囲を拡げ偵察致しましたが――王国正規軍の流入は一切ございません。王国正規軍およびミルディア領軍の部隊展開は皆無でございます。故にハイルギット殿が懸念されておられた――伏兵も皆無かと存じます 」


「 ・・・ふむ。雨の中、御苦労だったな。下がってしっかりと休め 」


「 はっ・・・ははっ! 」

 予想外の(ねぎら)いの言葉だったのか・・・一瞬呆けた斥候兵士はすぐに我に返り快活に返事をすると、身を屈めたまま宿屋から出て行った。

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 ユリアーネ姫が、おもむろに立ち上がり発言する――

「 東に大きく外れたサラムの街民は説得しなかったということだな。天候が回復次第、ミルディア城を攻めるぞ。我らの役目は兄上の軍が入るまでにミルディア城を攻め落とすことだ。下級兵どもは既に領都を捨て遁走しておるとはいえ、難攻不落のミルディア城内には少数精鋭の残存勢力が籠城しておることが予想される。お前たちも――今宵はゆっくりと休み備えよ! 」


「 ははっ! 」


 部隊長たちは同時に頭を垂れ、それぞれが上階の部屋へと戻って行った。


          ▽


 エントランスには、参謀ハイルギットとユリアーネ姫だけが残っている。

 侍従役の兵士も全て下がらせていた。


「 ハイルギットよ・・・全てが順調過ぎると思わんか? まるで我らの侵攻を、手放しで歓迎しておるようではないか? 」


「 御意にございます。油断させておいて、どこぞに潜んでおる伏兵が奇襲を仕掛けてくる――という可能性を一番に危惧しておりましたが、どうやらそれすらも杞憂(きゆう)だったのかと。おおよそライベルク王家の意向なのでしょうが、ライザー王は――王子を失い自暴自棄になっておるのやもしれませんぞ 」


「 ・・・だといいのだがな 」


 風に乗った陰鬱な雨がガラス窓をつたっている様子を見つめながら――、ユリアーネ姫は小さく呟いていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

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― 新着の感想 ―
[一言] 次回は遂に100話ですね。 以前100話くらいで終わろうかと仰っておられて、すごく寂しく思った事を思い出します。 陳腐な言葉で申し訳ないのですが、作者様に執筆して頂けて幸せです。ありがとうご…
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