第98話 皇女ユリアーネ その壱
避難を促すために行動を開始し、二日目の夜を迎えた――
元リューステール領都内で三か所、中央街イシュト内でも三か所に於いて、何だかんだ真夜中過ぎまで猿芝居を敢行したのだった。
いや演技がバレバレってわけではなさそうだし、比喩とは言え猿などと言い放つと、流石の龍さんも激怒しそうなので、ここはあえての茶番と言うべきか・・・
そこからほぼ丸一日経過。
茶番とは言えなかなかに効果はあった様子で、今まさに民族大移動が進行中だった。
龍さんの暴れっぷりもなかなかに秀逸だったのだろうが、衛兵に持たせた拡声器の性能も一役買っていそうだ。
結局、昨日は暗くなっても暴れていたわけだが、光源を常時出し続けていたこともあり、当たり前のことだが怪我人などは一切出ていないと思われる。
しかし、龍さんは本当に素晴らしい働きだった。豪然たるモンスター。
もしゲームの世界ならば、ラスボスという大役をも任せることができるほどに威風堂々とした佇まい。
その威厳に満ち溢れた巨躯のお陰で、一目見た人々に畏怖の念を瞬時に植え付けることが容易だったと思われる。何も事情を知らない一般民衆が受けるインパクトは、これ以上ないほどに大きかったはず。
そして手前味噌ながら――、桁違いの魔法を連発しソレを退ける神の使徒。
デュール神の眷属が助太刀に現れている――と、拡声器を用い喧伝した効果も相まって、いよいよこの国の一大事なんだなと強く印象付けることが出来たと思う。そしてこの国は、神の加護で守られていると広く周知されたことだろう。
暗雲が漂う隣国との情勢は、皆あるていど常日頃から理解していただろうし、個人差はあるだろうがそれぞれがそれなりの備えをしていたはずだ。
だがそれでも、いきなり着の身着のままで突然逃げろと言われても、なかなかに現実は難しいだろう。
それぞれに生活があるわけだし、いきなり全てを投げ捨てるのは・・・しかもそれが、新参者の執政官が放つ号令ともなれば、ただでさえ重い腰なのに即座に上がろうはずもない。
その重い腰を上げさせた自負はある。確かな感触があり、やり遂げた満足感で充足していた。
だが、同時に精神的消耗も感じている――なんだかんだで疲れた・・・
「 ハルノ様、首尾は上々ですな! 」
ミルディア城内で最も背の高い防御塔の最上部から――2人で街を見下ろしていた。
と言っても、眼下はほぼほぼ闇が支配しているので、特にハッキリと見えるわけではない。
密集する家屋の屋根が並ぶ景色が、薄っすらぼんやりと見えるだけだ。
逆に上空を見上げれば、月明りはないが満天の星だった。いや、月の明かりがないからこそ、これほどまでに鮮やかに星々が輝いて見えるのかもしれない。
ただ――家屋間の小道と思われるスペースに、ポツポツと灯りが確認でき、その灯りが常に動いていた。住民が手に手に松明やランタンを持ち移動しているのだろう。真夜中なので少数ではあるが、街を出るために移動しているのだ。
真夜中でもお構いなしに脱出している人たちは、比較的裕福な人たちなのかもしれない。まぁ、裕福かどうかは置いておいても、馬車を所有している者なのだろう。
基本的に、陽が昇るのを待つ人たちが大半だと思われる。
ここからサエスタ大橋までは、恐竜が牽く移動車に乗れば、道中休憩しながらでも半日あれば到着する。馬車で飛ばせばもうちょい速い。
「 そうですね。私のやるべき事はとりあえず終わったかな~ 」
「 え? サラム近辺に集結予定の大部隊に合流し、奇襲に参戦されるのではないのですか? 」
闇夜の中でも――キョトンとしたパルムさんの表情はよく判った。
「 いやいや、戦争そのものってか――戦闘行為をみずから進んでやろうとは思いませんよ。攻め込んでくる帝国とやらに、個人的な恨みがあるならまだしも。手が届く範囲の人々は全力で守ろうとは思いますけどね。それ以上の事を率先してやるつもりはありませんよ 」
「 さ、左様ですか・・・ 」
「 だってさ、こっちの一兵卒って、普段は農業とかに従事してる人たちも多いって聞いたよ? それって相手の大半の兵士もさ――普段は兵士じゃなくて、もしかしたら事情も解らず命令されて仕方なく従軍してる一般人かもしれないでしょ? 侵略行為をしてるとはいえ、そんな人々を一方的に殺したりなんてできないよ・・・ 」
「 なんとお優しい。流石は使徒ハルノ様・・・慈愛に満ちたお言葉に感動を禁じ得ません 」
パルムさんは取って付けたようなオベッカを使っていた・・・だが、表情は硬く真顔だった。本心から出た言葉の可能性も否定できない。
「 私は後方支援に徹するかな~。後方に軍医扱いの治癒系魔道士、衛生兵が所属する部隊も従軍するらしいから、そこに私も混ざるかなぁ~。怪我人とか戦死者を、運ばれてきたそばから手当たり次第に回復していくわ。その部隊の仕事を奪う形にはなっちゃうかもだけど・・・ 」
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~五日後~
~ナミエル湖南西、タナール湿原~
小休憩のため、帝国軍の大部隊が行軍を停止していた。
後方に停車している大型の馬車に、鎧下姿の男性が乗り込む――
「 姫様。ライベルク王国支配域に入りましてございます・・・もちろん湖は渡らず、このまま湖畔沿いを進軍致します 」
「 全てお前に任せる! 逐一報告せずともよい! 」
「 ははっ! 」
バレス帝国の皇族であり、女性ではあるが――れっきとした皇位継承権を有するユリアーネ姫。
幼少の頃より剣術や乗馬に興味を持ち、周囲の制止も聞かず、指や掌に剣ダコを作りながら、連日模擬剣を振るっていたという。
男勝りな性格も手伝ってか、成人する頃合いには――彼女に差しの勝負で勝てる者はいなくなったと言われている。
さらに――宮殿に詰める魔道士長ほどの魔力はないらしいが、魔道士としての才能も有り、複数属性の攻撃魔法も扱えるそうだ。
魔法剣士ユリアーネ、戦姫ユリアーネ、冷酷皇女ユリアーネ・・・などなど、様々な異名を誇る。
「 剣の修行ばかりしていては、婚期が遅れまするぞ 」と、軽口を叩き馬鹿にした態度をとった近臣の有力貴族を――、その剣で一刀両断にしたのはあまりにも有名な話だ。
その事件のせいかどうかは分からないが、一部の貴族たちからは特に畏れられている存在だった。
だが、軍の兵士の間ではその限りではない。腕が立つ者には惜しみない褒賞を与え、傍に取り立てた。
素直に褒め称えるユリアーネ姫に対し、好意を抱く者も多く――兵士の間では特に人気が高い。
戦い勝ち抜き奪い取り支配しろ! という皇帝のシンプルな思想を受け継いだ、正に覇権主義の申し子だった。
「 ときに――件の治癒魔道士の続報はないのか? 」
大型の馬車の中、後方の座席には長い脚を組んだユリアーネが座っている。ヘルムは外しているが、それ以外は完全武装で、全身に白銀の鎧を纏っている。
対面する前方側の座席に座った男性が、ユリアーネの問いに答えた。
「 今の所全くございません・・・申し訳ありませぬ 」
「 ふむ。しかし会うのが愉しみだ。あのような絶大な効果を持つ霊薬を製作できる技量があるとは・・・実際に目の当たりにしたにも関わらず、未だに信じられぬ 」
「 仰る通りでございます 」
「 ライベルク王家の者どもがデュール様の御使いと偽り、宮廷や民衆を扇動する気持ちも解らんでもないな。このわたしでも事前に詳細を耳にしておらねば、もし――神が創り給うた霊薬だと謀られていても、信じていたかもしれん・・・ 」
「 御意 」
「 だが、道のりは長い・・・まずはライベルク王城を陥落せねばな。どうせ王城の最奥にでも幽閉されておるのだろう 」
「 情報に拠れば、王国に潜伏しておった下賤の輩が奪取しようと動いたようですが――、実行役どもは皆殺しになったとのこと・・・ 」
「 ああ、そうらしいな。神の如き治癒の能力を持っているのだ、護衛の数も質も相当なモノだろう。生半可な者では――返り討ちに遭うは必定だろうな 」
あのような絶大な効果を秘めた霊薬が広く周知され大陸に広まれば――、現在の国家間のパワーバランスは確実に崩れる。
霊薬欲しさに、ライベルク王国に尻尾を振る国も出てくるだろう。
帝国にとって一番の懸念は、対帝国を掲げた――ライベルク王国を中心とした国家連合を組まれる事だ。
そうなる前に叩く。
帝国にとって――、もはやそれ以外に道はない。
王国を打倒し、件の治癒魔道士を帝国に取り込む。
どの分野だろうと傑出した能力を持つ者は、我が帝国にこそ相応しい。
ユリアーネはまだ見ぬ希代の治癒魔道士に対し、ナゼ――よりにもよって敵対する王国に属しているのか・・・と、得も言われぬもどかしい気持ちが募り、胸がいっぱいになるのだった。
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