第95話 撤退指示
完全に陽は落ち、領都に近付くにつれ徐々に曇天となっていった空模様も手伝ってか、ミルディア城の上空に到達した時点ではまだ誰1人――、浮遊する私の存在に気付いている様子の人影は確認できなかった。
意図せずこの漆黒の闇に完全に紛れた形となっていた。
眼下の城内の所々には松明っぽい灯りが確認できる。
だが上空の闇を照らし、尚且つ私の姿を暴くほどのものではない極々小さな灯りだった。
別に隠密行動に徹しているわけではない。
むしろ城の真上に到達するまでに、複数人に目撃されてちょっとした騒ぎになることを少しだけ期待していたが・・・全くの期待外れだった。
遠慮せずにもっと低空を飛べば良かったと後悔している。
――仕方ない、みずから名乗り出よう。
3体のワルキューレはそれぞれの腕を変形させ、肩口から伸びるその何本もの触手で私を吊るし支えている。
まるで肩口から数本のイカっぽい足が生えている様相で、間近で横目に見るとかなり不気味だった。
もし私の事を微塵も知らない人が目撃したら――
これまた飛行型モンスターに攫われて、絶賛誘拐中の状態・・・正に連れ去られている最中だと、誰もが考えるだろう。
背中ではなく前面で抱えるように両腕に通していたリュックの中から、小型拡声器を取り出した。
うっかり手を滑らせ落とさないように、しっかりと握り直し少し高度を下げる――
「 あーあー! テステス! 」
「 私は主神デュールに遣わされた使徒である! 裁く為ではない救う為である! 火急の用件ゆえ執政官に取り次ぎ願いたい! 」
「 繰り返す! 私は主神デュールに遣わされた使徒である! 裁く為ではない救う為である! 火急の用件ゆえ執政官に取り次ぎ願いたい! 」
夜も更けてきた頃合いで、この大音量は大迷惑だと重々承知の上だが、ありったけの大声で叫びながら徐々に高度を下げていった――
最外壁と中庭の間にそびえ建つ防御塔の頂上へと降り立つ――
元の世界で言えば多分23時頃だと思うが、正直私はかなり眠かった・・・
▽
真龍とは領都のかなり手前で別れ、私は即座にワルキューレを喚び出し飛行してここまで来たわけだが、真龍には明日――陽が昇って暫くしてから襲撃を開始してくれ、と伝えてある。
それまでは自由行動だ。
真龍はかなり賢い。会話をしているとよく分かる。
知能だけで比べても、我々人間と何ら遜色は無いだろう。
いやむしろ、人間よりも知識量は上かもしれない――
相当長生きらしいので、様々な知識の蓄積はかなりのものだと思われる。
だが意思の疎通が図れない会話が成立しない一般人からすれば――、単なる獰猛なモンスターにしか映らないだろう。
――早く話をまとめて部屋を用意してもらい眠りに就きたい・・・
このまま夜襲してもらうことも考えたが、あまりにも眠いので即座に自分自身に却下を下した。
そもそもできるだけ衆目に晒さねば、一芝居を打つ意味が薄いだろう・・・
それに陽が照り人々が活動を始めている時間帯からでないと、危険度が増すのは必定。
怪我人が出ても即座に治すが、だが完璧に治すからと言って何をやっても良いわけではない。
延いては民衆の為とはいえ、こんな茶番で怪我人を一時的にでも出すのは、流石にどうかと思う。
真龍は魔力感知が鋭敏らしい。
建物などを破壊する前に、小動物も含め魔力を帯びた個体が内部近隣に居ないかをちゃんと確認しながら破壊するとのことだった。
真龍はそもそもあまり高い位置を飛翔することはできないらしい。
なのでできるだけ、地上戦を繰り広げようと打ち合わせは済ませてある。
空中戦の方が街の人々にとっては見物しやすいかもしれないが、第一目的としては非日常的な切迫した危機感を感じてもらう為なので、できるだけ間近で迫力のある戦闘を心掛けたい。
勿論、召喚魔法を無闇に使用せず温存したいという思惑も大きい。
▽
防御塔の麓には、衛兵と思われる兵士が複数人続々と集まって来ていた。
耳元で吹く風の音がビュービューとかなり五月蠅く、下で何を話し合っているのか判然としないが、人が次々と増えていくに連れ、ガヤガヤとした喧騒も次第に増していった。
ここからは更に毅然とした態度で、神の使徒を演じ切らなければならない。
民衆、特に兵士の皆さんに本物の神の使徒だと信じてもらい、避難誘導を円滑に進めたいのだ。
いやそもそも偽物ではなく、一応本物の使徒である事は間違いないわけだが・・・
しかしいつものような「 のほほん 」とした態度では、信じない人も中には出てくるかもしれないので、万全を期す為にキャラを作ってきたのだ。
正直今にも吹き出してしまいそうなんだが・・・
▽
――そろそろ頃合いか? 召喚を無駄に出しっ放しにしておくのは勿体ないな。
ワルキューレに吊られた状態のまま防御塔の側面沿いを一気に急降下し、地上へと舞い降りた――
着地と同時にワルキューレを送還し掻き消した。その瞬間、私を取り囲む衛兵からどよめきが捲き起こった。
「 私はデュール神の使徒! 執政官はどこにいる! 火急の用件だ! 今すぐここに呼べ! 」
ステレオタイプな神の眷属ってこんな感じかな? ――と手探りではあったが、威厳を示すため横柄な印象ではなく、出来るだけ鷹揚な印象を与える努力はしているつもりだった。
暫く防御塔を背に仁王立ちのまま静止していると――
「 ハルノ様~! 御戻りを心待ちにしておりましたぁー!! 」
見守る衛兵を押し退けるように、寝間着姿の男性が息を切らし叫びながら現れた。
実に数か月ぶりに再会したパルムさんだった。
「 王宮からはすぐにでも救援を寄越すと聞いておりましたが、まさかハルノ様みずからお越し頂けるとは! ハルノ様と共に戦えるのならば――、我が領軍の士気も最高潮となりましょう! これはもう我らの勝利は間違いありませんな! 」
片膝を突き臣下の礼をとったパルムさんは、興奮した様子で饒舌になっていた――
――ん? 王宮側はパルムさんに対し救援を送ることを約束していたのか?
軍議が終了する寸前まで、何処で帝国を迎え撃つかはまだ確定していなかったはずなのに・・・
秘密の吊り橋工事が殊の外順調なお陰で、まず計画の変更はあり得ないだろう。
この地で迎え撃つ気満々なパルムさんには悪いが――、このままこちらの計画を進めさせてもらう。
「 そう逸るな。此度は神託を授けにきたのだ! だが――神託を受けるのはこの地を統制する執政官のお前にだけ許される! その意味が解るな? 」
目の前にパルムさんが居るのに、拡声器を使い話しかけている。
拡声器という道具を知っている元の世界の日本人ならば、私がふざけてやっているようにしか見えないだろう・・・
だがこの世界の人々にとっては――、この拡声器一つとってみても未知の道具だ。
神様の世界の道具だと言い張っても信じるかもしれない。
「 なるほど! 畏まりました! では俺の部屋までご足労願えますか? 」
パルムさんは慌てて立ち上がり「 こちらです! 」と促してくれていた。
▽
「 ごめ~んパルムさん! キャラ設定間違えたかも、偉そうにしてごめんなさい! 」
「 と、とんでもございません! 何か事情が御有りなのかも? とすぐに察知致しましたが―― 」
部屋に入って扉を閉めた途端――、謝罪をする私に対しパルムさんは顔の前で右手をブンブンと振り「 お気になさらず 」と繰り返している。
この部屋は暖炉が設置してあり、小さな炎が燃え盛っていた。
この時期には大変に有難い設備の部屋だ。トップの座に就く者の特権だろう。
「 とりあえず座りましょうか、生温いけどコレ飲んで 」
リュックから取り出したペットボトル入りの紅茶を手渡した。
「 おお! これは! あちらの世界で飲ませて頂いた物と同じですね! 」
ペットボトルの開け方を覚えていたのか、私が説明するまでもなく「 遠慮なく頂きます! 」と言いつつ蓋を捻っていた。
「 飲みながら聞いてくれていいから、んでもう聞いてるとは思うけど、帝国が攻めて来るのはほぼ確定事項らしいんだけど・・・この地は一旦ホントに短い間だけ、明け渡す作戦を取るみたいなのよ 」
「 えっ!! 」
「 まぁ聞いて! まずはこの領都の民とイシュトの民、それからサラムの民をグリム原野までとりあえず避難させたいのよ。受け入れ準備は戦争の準備よりも力を入れて進めているはずなので 」
「 ゴタゴタするだろうけど何とかなるかと・・・いやします! って言ってたからね 」
「 え? 街の民を全員――、王都直轄領まで避難させると? 一応この領都とイシュトの民衆には、不測の事態が起きた場合はすぐに動けるように準備だけはしておけ――と伝えておる最中ではありますが 」
「 そう直轄領まで避難させたい、辺境の村とか・・・国境沿いの獣人の村までは流石に手が回らないだろうから、あまり使いたくない言葉だけど見捨てる感じにはなっちゃうと思うのよね。正直そこまで知らせに行ってる時間が無いし現実的じゃないからね。とはいえ国境の山脈をわざわざ越える侵攻ルートは取らないだろうって話だったので――、楽観的かもだけど個人的にはそこまで心配はしてない 」
「 確かに・・・し、しかし! 我らはどうすれば? 領軍の兵士は如何致しましょう? 」
飲みながら聞いてと伝えたが、内容が内容なだけにパルムさんはまだ一口も含んではいなかった。
「 勿論、兵士さんも全員グリム原野まで撤退してもらいますよ。言うまでもありませんが民衆の避難が優先されますけどね 」
「 ま、まさか・・・この城を無血開城し、帝国にくれてやると? 」
「 そうみたいですね、で作戦としては――、大橋を一部破壊し通行不能にするみたいです 」
「 は? ええ? えっとサエスタ大橋を落とすのですか? 」
「 うん、そうみたいよ 」
「 ええええー!! 」
ライベルク王国領とリューステール領を隔てる大渓谷、この谷を安全に渡る手段は唯一無二のサエスタ大橋を通過することのみらしい。
私もリューステール領に入る時に一度――、リディアさんと共に渡ったことがある。
約十年前――、帝国との小競り合いが勃発するまでは、大橋以外にも簡易的な吊り橋がいくつか架かっていたそうだ。
だが防衛の為、サエスタ大橋以外は全て落としたらしい。
そして今日に至るまで、別に法令を作り禁止しているわけではないらしいが――、新たに吊り橋の類は設置されてはいないらしい。
聞いた話によれば、当時の小競り合いはリューステール領内部で一応の決着がついたそうな。
なので敵軍が大渓谷までは到達しなかったので、吊り橋を全て落とした事に対する批判が関係各所からかなり出たそうだ。
だがそれは――結果論だ。
最悪を想定し、大橋以外の橋を落とした判断は正しかったと思う。
更に王都周辺にも敵軍が迫る事を想定し、当時は色々と準備をしていたそうだ。
今回の作戦は、過去に橋を落とし再設置していない紛れもない事実が必ず活きてくるはずだ。
「 し、しかし――、サエスタ大橋を通行不能になどしたら、確かに一時的に帝国軍の足止めにはなりましょうが、この城を完全に掌握されて取り返しのつかない事態になりかねません・・・ 」
「 この城は堅牢です。我々が籠城し食い止め、更に王都から援軍を送り続けて挟み撃ちにすれば、勝機は我々にあります! この城を明け渡すというのはリスクが高すぎます! ――いざこの城を奪還する際に、逆に帝国は十重二十重で仕掛けてくるでしょう。そうなると奪還そのものが難しくなります! いや奪還云々よりも――、大橋を落とせば言うまでもなくこの城へ到達する事自体が危ういはず 」
――あのおっさんとほぼ全く同じ発言だなぁ~、パルムさんって意外とちゃんと考えてるんだな・・・
「 実はですね、まだトップシークレット事項なんですけど・・・とある場所に現在進行形で結構な規模の吊り橋を架けてるんですよ。帝国が無人の領都と城に気付いたら、領地の兵が臆病風に吹かれ民を連れて逃げ出したと考える筈。そしてそれならばまず城周辺の掌握よりも、サエスタ大橋を押さえる事が最優先と考え兵を割く筈―― 」
「 大橋まで攻めて来たタイミングで橋を落とし、秘密裏に設置した吊り橋を予め渡っておいた軍の大部隊が、手薄になっている城を攻め奪還する――って作戦らしいですよ。城奪還の際には私も協力する予定だけどね 」
「 な、なるほど・・・騙し討ちですか! 確かにそれならば一時的に奪われるだけかもしれませんね。ハルノ様が御尽力してくださるならば城奪還も容易でしょうし、同時に橋に向かった敵軍は退路を失い、補給も不可能となり、大打撃を与えることができますね! 」
「 うん、当初は帝国軍を足止めして膠着状態に持って行き――、その間にこちらも完璧に準備を整えてから新設の吊り橋を渡って、奇襲を仕掛ける作戦だったみたいですけどね。ちょっと修正したらしいです。パルムさんが言うように、この城が堅牢なことと、時間を与えてしまうと吊り橋が発見される可能性が高いとか何とか・・・とにかく早期決着が望ましいとのことで、敵軍が分断したところを一気呵成に叩く方向で固まったみたいです 」
「 なるほどぉ! そのような極秘の情報をハルノ様から伝えて頂けるとは、今――俺の心はむせび泣いております! 暫定とはいえ――やっと、やっと領主として認められた気がしますよ 」
パルムさんはその言葉通り、本当に感動している様子で小刻みに震えていた。
「 以前、私が冗談半分で言ったことが現実になってきてるね 」
「 全てはハルノ様が推薦して下さったからです―― 」
「 で――、ここからは私が企画した事なんだけど、明日陽が昇ったらモンスターの真龍がこの領都を襲撃してくる手筈なのよ 」
「 えっ? 真龍が? え? それは一体・・ 」
「 ああ大丈夫。真龍は私の仲間で意思の疎通は完璧だからね。パルムさんには街の人たちに避難を促してほしいんです。帝国の先駆けとして真龍が攻めて来た! デュール神の使徒が食い止めてる間に避難を! ってね。余裕があればイシュトでもやるつもりだけど 」
パルムさんはそこまで聞き終わると――「 なるほど! 」と膝を打った。
「 未だ危機感の薄い連中も重い腰を上げるでしょうね! 流石です! 」
「 いやかなり短絡的でしょ・・・方法としても安直だし。でも一から説得して回るよりかは幾分かマシじゃない? 」
「 はい仰る通りです! 」
「 じゃあとりあえず話は終わりかな~、申し訳ないけど明日の為にもちょっと仮眠を取りたいんだよね、部屋を用意してくれない? 」
パルムさんは即座に立ち上がり「 ではこちらを御使い下さい! 」――と、多分さっきまで自分が寝ていたのであろうベッドのヨレヨレになったシーツを素早く直した。
「 うっ・・・あ、ありがとう―― 」
別に私は潔癖症ではないが、流石にちょっとだけ嫌悪感が表情に出てしまったかも――と焦っていたのだった。




