第86話 カオスな部屋
小高い丘陵に建つ平屋の一軒家だった。
少し離れた場所に、左右等間隔で隣家が建っていた。
「 めっちゃ広いやん! これ2LDKってヤツですよね? 庭も広いし・・・ 」
「 そうですね! 1人で住むにはちょっと広いかもっスね 」
マツさんが土地と建物の全部事項証明書と、筆界確認書の写し(と言うらしい)――の書類数枚を手に、この家屋の詳細説明をすらすらと始めた。
あなたは不動産屋ですか? とツッコミたくなるほどに流暢な説明で、尚且つ解りやすかった。
説明によると、土地面積496平方メートルの物件で、建物部分とほぼ同等の面積の庭が隣接している。
庭に関しては、かなりの手入れが必要だと思われるほどに酷く荒れた状態だが、借家にしか住んだことがない私にとっては、こんな広大な庭が付いているだけで十分すぎるほどに贅沢だった。
しかも庭に面する縁側からは、この島を包む瀬戸内海を一望できる。
「 え? これマジで私のために姫野さんが買ったんです? ホントにこの広さで六百万なんですか? 土地も含めて? 田舎の島とはいえ、あまりにも安すぎませんか・・・ 」
書類を小さなバッグにしまいながらマツさんが笑顔で答える。
「 いやぁ~、車の中でも言いましたけど、築四十年以上経ってますからね・・・むしろ高いくらいじゃないっスかね? 」
「 いやいや! 築年数はそうかもしれませんけど、五年前に全面リフォームしてるんでしょ? この広さで、やっぱいくら何でも安すぎるわよ 」
リディアさんは終始隣でキョトンとした表情を隠さず、私たちの会話を聞いていた。
リディアさんにとってみれば、この豪華な平屋でも心は動かないだろう。
毎日あんなにも広大で、豪奢な城塞に住んでいたのだから――
あの城は外観こそ白亜で壮麗だが、内部は無骨な造りで派手さはない。
しかし内部に関しては、その地味さを補って余りある広大さと質実剛健さに溢れている。
いや違うな、私たちの会話そのものに、どう反応していいのか戸惑っているだけかも?
リディアさんにとってみれば、私が発する言葉だけにしか理解が及ばないので、違和感がハンパないのだろう。
リディアさんの視点に立つと、目の前で母国語のウィン大陸語を話す私と、未知の言語(日本語)を話すマツさんとの会話が、当たり前のように成立しているのだから・・・戸惑うのも無理はない。
勿論、すでにこの言語に関する謎システムは何度も説明してあるし、頭では理解しているとは思うが、やはり違和感は拭えないのかもしれないな。
マツさんの説明によると、この付近は基本的に別荘地帯であり、本土のお金持ちが所有者という家屋ばかりらしい。隣近所も、年に数回宿泊しに来る家族がいるていどらしい。
この家も別荘として建築されたらしいが、近年になってからは所有者が高齢となり、その家族もほぼ使用することがなくなったため、リフォームして数年前から売りに出されていたそうだ。
多分元の所有者は売って利益を得ようとかでは絶対になく、儲けは度外視で、一刻も早く手放したかったのかもしれない。だからこそこんなにも――異常なほどの安い価格で買えたのかもしれない。
「 田舎の島恐るべしだわ。リモートワークが可能な企業が、こぞって田舎に移住してるのも頷けるわね。この規模の家が土地も含めて一千万もしないとは・・・大都市だと六百万なんて、下手したら一坪すら買えないかもよ 」
「 ん~、でも車がないと生活は不便っスけどね・・・姐さんが王都とやらから飛ぶと――この島に出てくるんですよね? ここなら姐さんが拠点にしやすく且つ目立ちにくいし、なかなかに打って付けの物件じゃないか――と、若頭は考えたみたいですよ。俺は一応最初止めたんですけどね。毎回この島に飛ぶって確証を、姐さん自身もまだ得てないんじゃないですか? ってね。でも若頭はナゼだか分かりませんが――確信してたみたいですよ 」
「 な、なるほど・・・ 」
「 とりあえず食事にしましょう! すぐ素麺作るんで、テレビでも見ながらお待ちください! 」
そう言ってマツさんは台所へ向かった。
▽
リディアさんはまだ上手く箸が使えないので、フォークで素麺を掬い、ツユにひたして食べていた。
「 素朴な味で美味しいですね! 」
「 うん。日本の夏場のお昼は基本コレなんだよね 」
対面でツルツルと勢いよく素麺を口へ運ぶマツさんが、完全に飲み込むのを待たずに、「 そー言えば 」と切り出した。
「 姐さん――、九州の後遺症で苦しんでる人らを治しに行かれるつもりで、今回もこっちへ来られたんですか? 」
私はリディアさんを一瞥し顔色を窺ったが、「 ん? 何か? 」と言わんばかりの表情で微笑みを返してくれた。
「 ん~・・・特に深くは考えてなかったんだけど、今回はリディアさんと慰安旅行がメインですかね。後は缶詰とかお酒とかの仕入れもしたいけど、前回渡した金貨ってもう換金してもらえてるのかなぁ? 」
今度は完全に飲み込むのを待ち行儀よく箸を置いて――マツさんが答える。
「 先ほどメッセージがあって、明日若頭もここに来られますんで、換金した現金も持って来ると思います。あと俺から言っていいのかどうか判らんですが、前回姐さんが治療した高岡って女と若頭が、電話とかメッセージでよくやり取りされてまして、俺はまだ詳しくは知らされてないんですが、何やら動きがあったみたいですよ 」
「 へぇ~、どんな動きだろ? 気になるね 」
前回、福岡の宗像市で――潰れた指を復元してあげた二十代の女性だ。
例の列車に乗り合わせていた1人で、激しい衝撃を受け将棋倒しになった上に、運悪く外れた金属の棚の角が落ちてきて――指を二本潰されたらしい。
何かあれば姫野さんに連絡するようにとは伝えていたものの、一体どんなやり取りをしているのだろうか?
「 いや、今気にしても仕方ないか・・・姫野さんが来てからだね。よし! とりあえずお昼食べたら、猫が集まるお寺とやらに行きたい! さっきスマフォで――この島の観光ポイントを調べたんですよね 」
▽
▽
▽
~翌日、お昼過ぎ~
先日は島の中に在る――通称「 猫寺 」と呼ばれる「 安福寺 」というお寺の参道へお邪魔し、そこに集まる何匹もの猫をモフモフしまくって、心身共に癒されたのだ。
リディアさんも足元にすり寄る猫を抱いて、少女のように「 かわいい、かわいい 」と目を細めていた。ウィン大陸にも猫はいるらしいのだが、希少でこっちの猫よりももうちょい大型らしい。
私はまだ一度も見たことがないが・・・そういえば、人虎族のキューさんとリンさんは元気にやっているだろうか?
結局、攫われた人虎族のお仲間の安否は未だ不明だ。
勿論、結果報告は正直に済ませてある。
妙な期待を抱かせるような残酷なことはしていない。
キューさんもリンさんも、現在は騎士団の寄宿舎で清掃員として働いているらしい。
私が騎士団長サイファーさんに強く働きかけた結果ではあるが、騎士団関係の施設で獣人を働かせること自体が前代未聞らしい。だが最近になって、「 実は聖女様が推薦なされた獣人らしい 」と噂が流れ、周囲の接し方が激変していると聞いた。
奇異な目で見られ差別されるのはあるていど仕方ない――と、キューさんもリンさんも割り切っていた様子だった。
だが、たとえきっかけがデュールさんによる神族パワーだったとしても、これを機に少しでも差別が無くなって――周囲と仲良くなれることを祈るばかりだ。
「 しかし、このテレビという板は本当に不思議ですね。説明をあれほど聞いてもやはり信じられません・・・ 」
リディアさんは、リビングに設置してある42型液晶テレビを、食い入るように凝視しながら呟いていた。
「 リディアさん。そんなに接近して見てたら視力が悪くなるよ! 」
「 し、失礼しました! 」
「 いや、謝ることではないんだけどね 」
そんなやり取りをしていると、奥の部屋からマツさんが――「 姐さん! 」と叫びながら現れた。
手にはスマフォを握っている。
どうやら姫野さんから連絡がきた様子だ。
「 若頭からメッセージきました! 今、島に入ってすぐのコンビニだそうです 」
「 じゃあ――後30分ぐらいですかね? 」
「 はい! 」
▽
~約20分後~
表の砂利道を、低速の車が進入してくる音が聞こえた。
全員で玄関に向かい、急いで靴を履き表に出た。
黒塗りのいかにもな車から出てきたのは――意外にも3人だった。
運転席のドアからは姫野さんが威風堂々と降りてきたが、遅れて他のドアから出てきたのは、若い男女だった。
「 どうも春乃さん! お久しぶりです! 」
「 あっ、高岡さんじゃん! 」
降りてきた男女の内――女性の方は、以前左手を治療した高岡未佳さんだった。
「 おう、春乃さん! 待たせたのぉ! 」
ニカっと笑いながら手を上げた姫野さんは、こちらへは進まず、車の後ろへ向かいトランクを開けた。
「 おい、マツ! 何ボ~っとしとんなら! 手伝えや! 」
顔だけひょいと覗かせた姫野さんが怒号を飛ばす――
「 す、すみません! 」
マツさんが慌てながら――小走りで車の後ろへ向かい、姫野さんと一緒にトランクから何かを取り出した。
どうやら一台の車椅子だ。
左後ろの唯一開いていないドアの前まで運び、ドアを開ける――
座席から窮屈そうに車椅子へと身を運んだのは、六十代くらいのおばさんだった。
「 姫野さん。高岡さんは兎も角――この人たちは? 」
至極当然の疑問に、姫野さんがまたもや二カっと笑いながら答えた。
「 ああ、ちぃと話が長うなりそうじゃけぇ、中で話そうや 」
▽
「 で? この方たちは? 失礼ながら身体が不自由だと御見受けしましたが・・・まさか私が出向く手間を省くために、姫野さんが呼んできてくれた? とか? 」
「 いや、ワシが段取りしたわけじゃあないんじゃが、高岡さんが独自に進めてくれとってな。高岡さんから話してもらった方がええかのぉ? 」
姫野さんが高岡さんに視線を投げ、話せと顎だけを動かした。
「 それでは、まず改めて春乃さん! 本当に、ほんっっっとうにありがとうございました! お陰で以前と変わらん生活が送れとります! 今でも悪夢はちょいちょい見てしまうとですが、両手が使えるってことに、これだけ深か感謝ばする日々が来るなんて――、本当に全ては春乃さんのお陰ばい! 」
「 いえいえ、喜んで頂けて私も嬉しいですよ 」
「 で、こちら御二人はですね、同じ被害者ん会に属する方でして、ご覧の通り後遺症に苦しんでおられるとです。わたしは言いつけ通り常に手袋ばしとったんですけどね、ちょっと不注意で――こちらの伊藤さんにバレてしまいまして・・・ 」
高岡さんが上品な仕草で――隣に座る男性に手を差し向けた。
「 あっどうも、伊藤です。自分は右足を膝から下――粉砕骨折しまして、手術は問題なかったらしいですが、以前のようにはもう動かないかもと・・・ 」
車から降りてこの家に入るまで、松葉杖を支えにギプスの足で――砂利の地面に真っすぐの線を描きながら歩いていた男性だ。
「 えっと、どこまで話してるんですか? 」
「 全部です! 」
私の質問に高岡さんが即答する。
「 な、なるほど・・・ 」
伊藤さんと車椅子のおばさんの――終始落ち着かない様子が私はずっと気になっていた。
たぶん私の能力を信じ切れてはいないのだろう。
しかもよりによって、支援しているのが極道の組員だ。
普通に考えて、相当ヤバいと感じているはずだ。
落ち着かないのも無理はない。
「 まぁ、とりあえず治してから今後のことは色々と決めましょうかね。どっち道、私が出向いて治す人たちだったと思うし 」
「 全治療! 」×2
▽
恐る恐る車椅子から立ち上がったおばさんは、一歩一歩踏みしめるように、テレビに向かって歩いていた。
伊藤さんもその場でランニングをするかの如く、速いペースで脚を上げ下げしていた。
「 ほ、本当に――、本当に治ったぞ・・・ 」
伊藤さんはそう呟くと、動かしていた脚を止め、「 信じられん・・・ 」とこぼしながらその場に両手を突き、まるで逆に絶望しているんじゃないかと思えるほどに項垂れていた。
一方おばさんはというと、数歩進んだ所で立ち止まり、いきなり号泣を始めたのだった。
「 佐伯さん。大丈夫と? 」
そう呼びかけながら、高岡さんが高級そうなバッグからハンカチを取り出し、嗚咽するおばさんに手渡していた。
その光景を微笑ましい雰囲気で、極道の組員2人と外国人女性が見守る・・・
私が原因とはいえ――
何なの? このカオスな光景は? ・・・情報量多過ぎるでしょ。
今この部屋――情報量多過ぎでめっちゃカオスやんか。




