第28話 模索
カインズさんの到着を待つ間、静けさが部屋を満たしていた。
やがて、その静寂は突然破られる。扉が勢いよく開き、慌てた様子のカインズさんと、彼に寄り添う一人の女性が飛び込んできた。
「 ハルノ様! 大変お待たせいたしました。わざわざお越しいただき、誠にありがとうございます! 」
カインズさんは息を切らしながら深々と頭を下げた。その横で、淑やかな女性がはにかむように微笑む。
「 こちらは妻のクレアでございます 」
クレアさんは美しいドレスに身を包み、優雅な仕草で一歩前に出た。
「 わたくしクレア・カインズと申します。この度は、その奇跡の御力でライルを救ってくださり、心より感謝申し上げます。どれだけ感謝しても、感謝しきれません・・・ 」
彼女は深々と頭を下げ、その表情には深い安堵と感謝の念が滲んでいた。
「 いえいえ、当然のことをしたまでです。お気遣いなく! 」
私は穏やかに微笑み、クレアさんに気遣いの言葉をかけた。そして、横に立つリディアさんを紹介する。
「 こちらは私の護衛を務めてくれている、リディアさんです 」
リディアさんは背筋を伸ばし、一礼した。
「 ハルノ様の護衛を務めております――リディア・ブラックモアと申します。以後、何卒お見知りおきを 」
その凛とした佇まいに、カインズさんは目を細めた。
「 おお、これはまた凛々しく美しい方ですな! ささ、どうぞおかけください 」
カインズ夫妻は私とリディアさんをソファに促し、テーブルを挟んで向かい合った。
▽
ズチャ・・・
カインズさんが革袋をテーブルに置いた。ずしりと重い音を立てて、はち切れそうなほど膨らんだ革袋が静かに置かれる。
「 これはほんのお礼の気持ちです。どうぞ、お納めください 」
私は驚きに目を見開いた。
「 え? これ、お金ですよね? 見るからに大金っぽいですけど・・・さっき国王陛下にも頂いたんですが 」
カインズさんは上機嫌に笑った。
「 おお、陛下みずから資金援助を? それは大変名誉なことですな! これはめでたい! ささ、どうぞ御遠慮なさらず―― 」
「 すみません・・・失礼にあたるかもしれませんが、中身を拝見しても宜しいですか? 」
「 もちろんですとも! もうそれはハルノ様の物ですから 」
カインズさんに促され、私は革袋の口を両手で広げ中を覗き込む。目に入ったのは、光り輝く金貨だった。
――やっぱり! 全部金貨かよ・・・何枚入ってるんだコレ
異世界の通貨感覚はまだ曖昧だが、私は自分なりの換算方法で大まかな価値を推測した。大銀貨1枚が日本の1万円だとすると、大銀貨10枚が金貨1枚だから、金貨1枚は10万円。そしてこの袋の中には、100枚以上は入っているように見える・・・
先日、国王陛下から賜ったのは、金貨10枚、大銀貨20枚、そして通常の銀貨が40枚だった。金貨以外も持たせてくれたのは、金貨だけでは高額すぎるため、街中で使いづらいだろうという陛下の心遣いだと、私は勝手に解釈していた。
「 いや、これさすがにビビるわ! 大金過ぎますよコレ・・・手が震える 」
私は本心からそう漏らした。カインズさんは満面の笑みで首を横に振る。
「 何を仰いますか! ハルノ様の奇跡の業の対価としては少ないくらいです。もしなくなりましたら、いつでもまたここにおいでください。ハルノ様への資金援助は、いくらでも惜しみませんので 」
私はその言葉に気圧されながらも、冷静に考えた。
「 うーん、とりあえずこのお金は今しばらく、カインズさんに預かっていただくことはできませんか? さすがに持ち歩けないので 」
カインズさんはハッと気づいたように手を叩いた。
「 ああ、陛下からの分と合わせると、荷物になって逆に迷惑でしたか! 申し訳ない、そこまで気が回りませんでした。後ほど、背負えるようなバッグを進呈いたしましょう 」
「 いえ、マジか! なんだかすみません、何から何まで・・・そういえば、ライル君は今日はいないのですか? 」
「 本日はヒルダのところへ手伝いに行っておりましてな、不在なのですよ 」
「 ああ、治療院のヒルダさんですか―― 」
その後、私はカインズさんに子供食堂の構想について説明した。その仕組みにカインズさんは深く頷き、いくつかの問題点を指摘しつつも、システム自体には太鼓判を押してくれた。
「 ご説明を聞いて、パッと思いつく問題点は三つございます。それにハンターたちの反応は予測できませんが、ただシステム的には特に問題なさそうですな 」
さらにカインズさんは、費用がかかるチケットの製作をカインズ商会に任せてほしいと申し出てくれた。材質は木製か紙製か、試作品を作ってから決めるという。
「 とりあえず、スタート時には五百枚もあれば十分すぎる枚数でしょう 」
カインズさんの意見を受け、チケットの製作は全て任せることになった。
白く濁った、チャイのような甘い飲み物を二杯飲み干したところで、私たちは席を立った。
カインズさんは夕食を是非ご馳走したいと誘ってくれたが、まだ時間は早い。私は丁重に断り、商会の建物を後にした。
▽
次の目的地はヒルダさんの治療院だ。
停留所で北門行きの乗り合い馬車を待つ間、リディアさんが歩み寄った。
「 ハルノ様――荷物はわたくしがお持ちいたしますので 」
リディアさんは私が背負っている、カインズさんから贈られた革製のバッグに手を伸ばす。
「 いや大丈夫だよ。ってか、リディアさんのその手荷物も、このバッグに一緒に入れようか? 」
リディアさんは目を丸くし、強い口調で言った。
「 何を仰いますか! 護衛の荷を主人が持つなど、聞いたことがございません! 」
――うう~ん、堅苦しいな・・・
「 そんなぁー・・・私たちは主従関係ではないんだよー。それより、同じパーティーメンバーだと思って接してくれたら嬉しいかなぁー 」
リディアさんは「 パ、パーティーメンバーですか・・・ 」と、その言葉を反芻した。
▽
乗り合い馬車は相変わらず狭く、座席に座った私はお尻の痛さを感じていた。ぎゅうぎゅうに詰めれば七、八人が限界だろうか。今は、私たちを含めて四人しか乗っていなかった。
「 それにしてもハルノ様、よくあのような仕組みを思いつきますね。わたくし、終始感心して聞いておりました 」
「 う~ん・・・厳密には私が考えた仕組みではないんだけどね。まぁ、ちょっとアレンジしたって程度かなぁ 」
私が考案した子供食堂は、現代日本の純粋な寄付や行政運営とは根本的に異なる。
まず、簡単に二つに割れるチケットを用意する。片方は保管できるような特別なものが必要だ。
そのチケットを街の主要な飲食店に置いてもらい、食事に訪れる客に売る。主なターゲットはハンターたちだ。
銀貨1枚は銅貨10枚。私の感覚では、銀貨1枚が約1000円、銅貨1枚が約100円といったところだ。
たとえば、あるハンターが銀貨1枚でチケットを買ったとする。飲食店は、通常なら銅貨5枚で提供する食事を出す。食事と引き換えにチケットを割り、半券は購入したハンターが、もう片方の半券は店の掲示板に貼り付ける。
ハンターが保管する半券を10枚集めると、特別なサービスが受けられる仕組みを構築する。例えば、治療院で私から高位の治癒魔法をかけてもらったり、私が作った霊薬と交換したり、あるいは街の商店で特定の商品と交換できるなど。このサービスの種類は、まだ検討の余地がある。
国王陛下やカインズ商会の後ろ盾があれば、たいていのことは実現可能だろうと、私は楽観的に考えていた。
満足に食事がとれない子どもたちは、各店の掲示板に貼られた半券を無償で利用できる。一人一日一枚までというルールにする予定だ。飲食店は、子どもから渡された半券と引き換えに、通常銅貨三、四枚で提供する軽食を出す。
協力してくれる飲食店には、チケットの純利益も入るようにする。食事提供とチケット販売の二重の利益は、薄利ではあるものの、数を売れば十分な収入になるはずだ。
寄付に頼るのではなく、この仕組み自体が定着すれば、長期的に安定すると考えていた。
このアイデアを思いついたきっかけは、以前カノン・ヘルベルさんから聞いた話だ。ハンターたちは怪我をしても、治療費が高額なため我慢したり、放置したりする者が多いという。
治療院を責めるつもりは毛頭ない。だが、半券10枚、つまり大銀貨1枚程度の負担で、高位の治癒魔法が受けられるとなれば、多くのハンターが飛びつくだろう。食事を目的とするのではなく、半券を集めることが主目的となり、食事がおまけだと考える者も出てくるはずだ。
半券をストックしておけば、危険な依頼を受ける際の保険になる。まずは私の治癒魔法の威力や霊薬の効能を、ハンターたちに実際に体験してもらう必要がある。「 これなら交換する価値がある! 」と思わせるために。
寄付額よりも、見返りがはるかに大きいと感じてもらうこと。それが私の狙いだ。
まだ完璧な仕組みとは言えないが、とりあえず一度やってみよう。ダメならその都度修正し、より良いものに改善していけばいい。
何しろ、私の後ろには国王陛下、騎士団、そして王都屈指の大商会がついているのだ。不可能なことなどないだろう――たぶん。
ああ、忘れていた。あと一応、神様じゃないと言い張る神様もついているんだっけ・・・




