第200話 ノアの方舟
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「 広瀬、落ち着いたらわたしの部屋に来てくれ 」
持明院が会議室を出る直前、呆然自失状態の広瀬の肩を軽く叩き耳元で囁いた。
「 は、はい・・・ 」
その何とも言えない色っぽい声に脊髄反射し、広瀬は少しだけ慌てて返事をした。
▽
ノックすると、「 どうぞ 」と声が聞こえたので部屋に入った。
広々とした持明院の自室には静かな緊張感が漂っていた。
持明院は、優雅な所作でソファーに座るように促した。
彼女の白魚のような手が軽やかに空を切り、広瀬に座る場所を示した。
「 座ってくれ 」
その声は柔らかくも確固たるもので、広瀬は一瞬のためらいもなく彼女の指示に従った。
対面する形でソファーに腰を下ろすと、持明院が真っ直ぐに広瀬を見つめた。
持明院の瞳には冷静さと温かさが同居しており、広瀬はその視線に引き込まれるような感覚を覚えた。
「 広瀬、わたしが何を言いたいか――君ならすでに予想がついているだろう 」
持明院の言葉に、広瀬は深呼吸をし心を落ち着けた。
これから始まる会話に対する期待と緊張が入り混じる中、広瀬は彼女の言葉に耳を傾ける準備を整えた。
「 僕だけが呼ばれたということは・・・全く関係がないと申されていましたが、本心は違うということでしょうか? 」
持明院が微かな笑みを浮かべる。
「 ああ、あれは方便だ。君はどう考える? すでに情報を得ている各国の対応は先ほど説明した通りだ。個人的には到底上手くいくとは思えない。わたしは物理学が苦手だ。だが、それくらいの分析はできるつもりだ 」
持明院が、お手上げと言わんばかりのポーズを取った。
「 超一流のメジャーリーガーが渾身の力を込めて投げた時速160キロのボールに、小さな爆竹を何個ぶつけたところで、その勢いを殺して止め――あわよくば破壊するなんてまず不可能でしょうね 」
「 どう考えても現実的じゃあない。でも――それが解っていても実行に移そうとしているってことは・・・もはやどの国も実質的には匙を投げているのでしょうね 」
「 はははっ! 言い得て妙だな。実に面白い比喩だ 」
「 まさかこんな形で停戦し、反目的な国同士が刹那的とはいえ手を組むとはな。皮肉なものだ 」
持明院が屈託なく笑った。
「 支部長!! 」
バンッ! と――平手で暴力的にテーブルを叩き、広瀬はすぐさま我に返った。
「 す、すみません――、つい 」
「 いやいいんだ。わたしだって本当は泣き叫びたいくらいなんだから・・・ 」
「 話を戻そう。広瀬、君ならもっと別の角度からの対応策を、その可能性を考えているんじゃないのか? 」
「 ・・・ノアの――、方舟かもしれませんね 」
広瀬が俯きながらポツリと呟く――
「 どこまでいっても想像の域を出ないが、君の報告書を読んだ限りの印象ではわたしもそう思うよ 」
持明院の表情から微笑みが消えた。
――ノアの方舟とは、旧約聖書の「創世記」に登場する物語。
神が人類の悪行に怒り、大洪水を起こして地上のすべての生き物を滅ぼすことを決めた。しかしノアという正しい人とその家族だけは救われることになり、神の指示に従って巨大な方舟を建造する。
ノアは方舟に自分の家族と各種の動物の「つがい」を乗せ、大洪水から避難した。洪水が収まった後、方舟はアララト山に着地し、ノアとその家族、そして動物たちは新しい生活を始めるという――信仰、救済、新しい始まりを象徴する物語。
つまり広瀬と持明院は、福岡の異星人が【 ノア 】そのものであり、なんらかの基準で選定された人々を避難させるための準備をしている段階なのではないか――と、漠然とではあるがそう考えていた。
「 ナゼ日本で用意したのであろう大量の食料品や日用品と一緒に――異空間に飛び込んでいるのか? どこかに運んでいるのか? その異空間の先にナニがあるのか? その謎をいくら考えても自分の中にはしっくりくるモノがありませんでしたが、もし【 ノアの方舟 】のような役割であるのならば、全てにおいて納得できると言えますね 」
「 同感だ。負傷した人々を何らかの特殊な能力をもってして治しているのだとしたら――、少なくとも人類に対し友好的な存在だと考えても問題ないだろう 」
持明院は、納得の表情で小刻みに頷いていた。
「 小惑星衝突の真実を知っているのは、まだほんのごく一部の各先進国の政府上層部と科学者だけなんですよね? 」
広瀬は頭を抱えながら、俯いたまま質問した。
「 そうだ。まだどの国も民間には知られていないようだ。時間の問題だとは思うが―― 」
「 情報統制が上手くいかず情報が洩れた場合、集団的ヒステリーが始まり社会秩序が崩壊する。犯罪や暴動が爆発的に増えるのは必至。パニックによって交通機関や医療施設などのインフラもすぐにパンクするだろうな 」
「 国際的な協力が必須にもかかわらず、必ず自分勝手な事をしでかす国も出てくるだろう。最悪――自暴自棄となった北朝鮮あたりが核を無差別に使用するかもしれない 」
持明院の分析は至って冷静だった。
「 そんな事態にならないよう今日まで我々が陰で活動を続けてきたというのに! まさか崩壊の原因が惑星衝突とは・・・誰が予見できますか! 」
またしても広瀬がテーブルを激しく叩きつけた。
「 落ち着け。嘆くのはまだ早い。そもそも我々に嘆くという行為は許されていない。広瀬、わたしと共に福岡に入るぞ。もう賭けるしかない。君が掴んだ一縷の望みに―― 」
「 イギリス本部には早速――君がまとめたデータを送っておいた。PHANTOMにおいてはソレを鼻で笑う人間は存在しない。今後、女王陛下がどういう判断を下されるか予測できないが、すでに非常事態に突入しているんだ。僅かでも望みがあるのならば政府も本部もSIS( Secret Intelligence Service )も協力は惜しまないだろう 」
持明院はそう伝えながら――、広瀬の瞳をまっすぐに見つめていた。
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~久遠の塔~
~49階層~
――もう一人女がいるはずだが・・・
隠れる場所はない。であるならば、一人だけ最上階に上がっている可能性が高い。
これだけ遅れをとっているのだ。焦っても仕方がないのだが。
時間差だけでいえば絶望的だ。だがそのお陰で逆に、一気に数で圧し潰す戦術ではなく――戦闘そのものを愉しめる展開を得ることができた。
――マリスの人道主義に付き合うのも、たまには悪くない。
ゼファーは戦場において歓喜を見出す者だ。
剣を振るい、敵を打ち倒す瞬間に生きる実感を得る。
戦いの中でしか得られない高揚感と充実感が確かに存在し、自分はただの騎士ではなく、戦場を舞台にした芸術家であり、その一撃一撃が作品だと本気で考えていた。
騎士道を重んじるよりも修羅道を歩むことを選んだ者は、死闘の中でこそ己の真価を見出すことができると信じていた。
ゼファーが詠唱を開始し魔法を唱える。
「 雷鳴の剣! 」
雷属性エネルギーが片手剣を駆け巡り、青白い稲妻が剣身を覆う。
空気がピリピリと音を立てる。
雷を纏った剣は、まるで雷そのものが具現化したかのようだった。
対戦相手と定めた黒装束の戦士はグネグネとした異様な動きで――まるで嘲笑っているかのように見えた。
「 余裕のつもりか? それとも虚勢か? どちらにせよ俺は手を抜く気はないがな 」
「 ヒヒッ! 強者と戦うのは久方ぶりだ。この瞬間を待ち望んでいたのは俺も同じ――、全力でかかってこい! 俺がお前の真価を試してやろう! 」
甲高い声で黒装束が挑発する。
「 俺を強者と見定めてくれたか! 光栄なことだな。では御言葉に甘え胸を借りるとしよう! 」
そう言い終わるのが先か動くのが先か――、ゼファーが雷属性を帯びた剣を振りかざし突進した!
まさに稲妻のような素早い剣線!
放たれる青白い稲妻が空を裂き、黒装束の戦士に向かって一直線に飛んでいった。
黒装束の戦士は、その異様な動きで稲妻を躱し、ミドルレンジからの初撃を避けた。
しかしゼファーはすでに黒装束の着地点を読んでいたのか、再び鋭い踏み込みを見せ攻撃を仕掛けた。
ゼファーの剣がさらに輝きを増し、雷の力が一層強力になった。
「 雷鳴閃光! バラージ! 」
ゼファーは一気に距離を詰め、黒装束の戦士に剣撃を振り下ろした!
剣の一撃一撃が雷の力を帯びており、受けるだけでも感電し身体が麻痺する。
麻痺させれば勝敗は決する。それがゼファーの強みだった。
謂わば、ただの通常攻撃でも受けることすら無謀な防御不能技となるのだ。
黒装束はどこから出したのか、片手剣を振り素早く受けた!
剣と剣がぶつかり合い鋭い音が響き渡る!
「 これが俺の全力だ! 受けてみろ! 」
ゼファーがここだと言わんばかりに魔力を込め、剣を介し雷撃を流し込んだのだった――
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