第197話 無限図書館ふたたび
「 な、なんだここは・・・ 」
――ゆ、夢? ここは夢の中か?
いや、夢にしてはハッキリし過ぎてる。
目の前に広がる光景は、空間の概念を超越した場所だった。
無限に続く書棚の迷宮が視界を埋め尽くし、天井は見えず、書棚は上方向へと果てしなく伸びていた。
棚には様々な色を宿した背表紙の書物が――ぎっしりと並んでいた。
「 マジで何なんだ・・・ 」
恐る恐る歩を進めた。
自身の足音が聞こえる。静寂に包まれた書棚迷宮の中で、かすかに響いていた。
静けさは決して不気味なものではなく、むしろ心地よい安らぎを感じさせた。一歩一歩、慎重に歩を進めた。足元の床が柔らかく光を放ち、道を照らしてくれた。
▽
随分と歩いた・・・
この異空間にも慣れてきた――
私の心は興奮と驚きで満たされていた。
深呼吸をし、肺の奥底まで酸素を取り入れた。当たり前だが普通に呼吸はできる。つまり普通に酸素があるのだ。
たしか地球の大気中の酸素濃度は約21%
これは人間にとってちょうど良い濃度だ。
この濃度は呼吸を通じて体内に十分な酸素を供給し、細胞の代謝を維持するのに適していると授業で習った覚えがある。
酸素濃度が低すぎると酸欠状態になり、体の機能が正常に働かなくなる。一方酸素濃度が高すぎると、酸素中毒を引き起こす可能性がある。
つまりこの異空間の酸素濃度は、人間が健康に生きるために最適なバランスを保っていると断言してもいいだろう。
「 っつーかどこまでこのままなんだ・・・終わりがあんのか? 」
たぶん今の私のこの身体は生身のモノではない。生身の肉体は塔の最上階で倒れているだろう。
だが自分自身の頬をつねり、腕を握っても違和感はない。
通常のいつもの自分の肉体と思える。
しかし、絶対に現実世界に存在している肉体ではない。
――やはり、ここは夢の中なのか?
「 来たか・・・ハルノ君 」
「 うおっ!? な、何? 」
突然鳴り響く――男性を思わせる声。
まるで空間そのものが話しているかのようだった。私は驚きと恐怖で立ち尽くしたが、同時にその声には不思議な安心感も感じられた。
声は柔らかく、どこか神秘的な響きを持っていた。
「 ・・・君付けで私を呼ぶってことは、まさか――デュールさんか? 」
「 ふふっ、御名答 」
空間全体から発せられているような声が、私の呟きに即座に反応した。
突然、空間がグニグニと波打ち始めた。
次の瞬間、無数の書棚が高速で放射状に消し飛び、瞬く間に広大な空間が現れた。
私の眼前に、何もない広大な空間が一瞬で広がったのだ。
そこに滲むように黒いシルエットが浮かび上がった。
「 うおっ! モ、モンスター? 」
そのシルエットは、まさに醜悪なモンスターそのものだった。
巨大な目玉が中心に鎮座し、その周囲からは無数の触手が生えていた。触手はまるでそれ自体が生き物のようにうごめき、時折――空間を切り裂くように動いた。その目玉は全てを見通すかのように冷たく輝き、見る者の心を凍りつかせるようだった。
空間は暗闇と光が交錯する不思議な場所であり、触手が動くたびに奇妙な音が響き渡った。まるで次元そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
「 何なんだコイツ! デュールさん! どこ? この目玉モンスターは何なの?! 」
・
・
私の必死の叫びに対する反応は無かった。
「 女神の盾! 」
「 絶対防御壁! 」
二重の防御魔法を唱えた。
どんな攻撃ダメージも、一定量までは吸収してくれる強固な不可視のバリア。
「 くそっ! 聖なる炎柱! 」
炎柱を出現させ炎の壁を創り出し、すぐに攻撃にも転じられる盾にしようと思ったのだが・・・
炎柱が出ない!
「 ぐっ・・・この空間は攻撃魔法が使えないのか?! 」
――いや違う! リディアさんに聖衣を付与している代償で、制限が掛かっているだけか?
「 光神剣! 」
叫びと共に、光の粒子が集まり形を成していった。
光の剣が宙に浮かび上がる。
剣は黄金色の光を放ち、その刃は鋭く輝いていた。私の意思に合わせ剣は優雅に舞い、まるで生きているかのように浮遊していた。
――光神剣は出せる。やはり制限が掛かっている。
巨大な目玉のモンスター。そのバカでかい目玉の四方八方から不気味な触手が無数に伸び、ウネウネと動いている。
――マズイな・・・こっちは剣一本。敵の触手は無数にある。
背筋を中心に怖気立った。
戦うか、逃げるか・・・
逃げる? どこに?
今の私はたぶん精神体だろう。
攻撃を受け精神体がダイレクトにダメージを負った場合、一体どうなるのか・・・見当もつかない。
「 デュールさん! どこにいるの?! 加勢してよ! 」
「 先ほどから――、ずっと君の目の前にいるのだがね 」
またしても空間全体から、全方向から厚みのある声が響いた。
「 えっ・・・? 」
「 まさか、まさかとは思うけど・・・ 」
「 もしかして――、デュールさんなのか? 」
「 ビックリさせてしまったね。すまないね 」
「 だが、これがわたしのオリジナルなのだよ 」
まるで空間そのものが語りかけているかのように、低く深い声が私の周囲を包み込んだ。
「 マジかよ・・・ 」
私は全身が硬直した。
まるで時間が止まったかのように体は動かなくなった。呼吸さえも忘れてしまったかのように。
「 い、いや、いやいや! 何なの一体! マジでデュールさんなの? 」
私の声はかすかに震え、言葉が喉に詰まった。
目の前に鎮座する異形は、常識を遥かに超えていた。
恐怖ではない何かもっと別の――、特別な感覚。氷の中に閉じ込められたかのような感覚に襲われた。
「 君たちがいつも見ている我が容姿は、単純にわたしが創り出したアバターに過ぎない 」
「 オリジナルのわたしは、この空間に囚われている存在なのだ 」
「 と、囚われてる? 」
「 そうだ。この空間はわたし専用の監獄なのだ 」
「 ええー?! え? 何? デュールさんって犯罪者だったの? 脱獄するために私の助けが必要になったとか? 」
「 はっはっはっ! ハルノ君は本当に面白いね 」
異形に生える無数の触手が、笑い声とともにウネウネと動いていた。
「 ありがとう。だが、わたしを開放することは他者には不可能だ 」
「 真に助けが必要な存在は、助けたいと思う姿をしていないものだ。これは、君たち人類にとって真理だろうね 」
「 わたしの真の姿を目撃した人類は、擁護よりも先に討伐を考え、安堵は微塵も感じず恐怖を覚えることだろう。君たち人類の進化の過程を見れば、当然ではあるがね 」
「 いや言ってる意味がわかりませんが・・・マジで一体何なのよ! じゃあ私は何でここに呼ばれたのよ 」
「 ハルノ君がわたしの望む道を選択してくれたからだよ。直接お礼を言いたくなったのだ。ハルノ君が選びし道は、わたしが望む未来への扉を開いた。ハルノ君の選択に感謝する。ハルノ君の決断が、惑星を救済する一歩となったのだ 」
「 え? やっぱりデュールさんの目的って、それが最終的な目的だったの? 惑星を静止させるとかいう意味不明な魔法習得を先んじて私にさせることによって、悪用する恐れのある他の奴らに習得させないって目的ですよね? 」
魔法名は「 停止 」となっていたが、ガロさんは「 静止 」という単語を確かに使っていた――
「 それは違うと言っておこう。わたしの目的はまだ先にある 」
「 え? 」
「 君が惑星間転移を繰り返してくれたお陰で、今や惑星同士は互いを確固たる存在として認識し、その意志を固着させた 」
「 その結果、君の故郷である島国に限って言えば、もう十分な魔力が流れ込んだ。これによりその島国で発動するのならば、君の魔法威力は既に遜色のない状態になっているのだ 」
「 い、いや、何言ってるんですか? もっと解るように説明してくださいよ! 」
「 焦らずともすぐに解るよ。時が来れば全てに納得するだろう。ハルノ君の――真の使命も含めてね 」
「 真の使命? もしかして――、まだ私に何かさせようとしてんのか・・・ 」
「 実は――、わたしはかなり焦っていたのだ。あまりにも期限が迫っていたのでね。だが何とか間に合ったと言ってもいいだろう。君の思考を借りるならば、「 滑り込みギリギリセーフ 」という言葉になるだろうね。尤も、君たちとは【 時 】に対しての概念が違い過ぎるのだがね 」
「 あとは君の決断に委ねる。決して強制ではない。全ては――君の意志に委ねるのだ 」
「 ではまた会おう。次はアバターの姿で会いに行くよ 」
そこまで言い終わると、まるで霧が晴れるように怪物の姿はゆっくりと薄れていった。
最初に消え始めたのは、無数の触手を含む輪郭部分だった。
次第に中心のバカでかい目玉に集束されるように、その透明さが浸食していった。
デュールさんの本体らしきその怪物は、まるでガラス細工のように光を反射しながら消えていったのだった。
消えた後、そこには何もない異空間が広がっていた。
「 何だったんだ・・・そんでまたしても、一方的に言いたいことだけ言って消えていくし! 」




