第175話 夜這い
「 うおっ! 海か? 」
まず目に飛び込んできたのは、荒々しい海の波が打ち寄せる壮大な崖の風景だった。
海風が頬を撫で、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
遠くには白波が立ち上がり、岩にぶつかっては砕け散る様子が見えた。
私は機転を利かしたつもりで、脱出するためにリディアさんの聖衣を即解除し、転移魔法を唱えたのだ。
「 リディアさん、怪我はない? 」
「 はいっ問題ございません! 咄嗟の的確なご判断! 流石でございますハルノ様! 」
「 いやいや、あの騎士が変身したあたりから、逃げることばかり考えていただけだよ 」
しかしリディアさんの白ビキニ姿が眩しい! 褐色の肌とのコントラストで白ビキニが際立ち、日光に照らされた肌の艶と陰影が妙にエロい。
ってか怪しい!! 怪しすぎる!
革のブーツに白ビキニ姿の外国人女性が、海に面する崖の上に立っている・・・しかも片手には大きな西洋剣を握っているのだ。
誰かに見られたら、僻地でコスプレしてSNS用に撮影をしていると思われるのが自然だろう。
もし他人にツッコまれたら、そう言って誤魔化すつもりだ。
私が撮影係だと伝えれば納得してくれるだろうし、妙な勘繰りをされることもないだろう。そもそもこんな崖の上の僻地では、他人に接触する確率はかなり低いだろうが。
最悪、ブーツを脱ぎ捨て神剣を投げ捨て白ビキニだけの装備になれば、ちょっと季節外れとはいえ、この風景に順応できるだろう。
だがブーツは兎も角、神剣を捨てるという選択は却下だ。
恐る恐る崖の上から見下ろすと、青く澄んだ海が広がり、その中に点在する小さな岩礁がまるで自然の彫刻のように美しく顔を覗かせていた。
目を凝らすと遠くに釣り人の姿が見える。彼らの釣り糸が風に揺れていた。釣り人たちは魚を狙い、静かに時を過ごしているようだった。
私はスマートフォンの電源を入れ暫く待ち――、マップアプリを立ち上げた。
時刻は17時過ぎ、場所は山口県長門市仙崎紫津浦――
――青海島? 島の中なのか?
どうやらこの場所は、通称「 平家台 」という場所らしい。平家と源氏でお馴染みの平家が関係しているのだろうか?
この平家台とやらに続く道は、緑豊かな斜面を登るハイキングコースのようだった。
道中には色とりどりの野花が咲き乱れている。
眼前に広がる絶景。
青い海と空が一体となり、水平線がどこまでも続いていた。
「 やっぱ日本海は水平線が圧巻だわね 」
最近こちらの世界では特に瀬戸内海を臨むことが多かったので、日本海は新鮮だった。瀬戸内海は穏やかで温暖な内海、だが日本海は広大で力強い外海だ。
この場所は自然の美しさと静寂が調和した、まさに隠れた宝石のような存在だった。
訪れる者は日常の喧騒を忘れ、心の平穏を取り戻すことができるのだろう。
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未読のメッセージを確認する。数件のメッセージを確認すると、姫野さんと高岡さんからだった。
「 お~、どうやら霊薬を高値で買ってくれる展開になるかもしれないってさ。金光さんって、この前の二人組の片方だと思うけど 」
「 ああ、あの二人組ですね。おめでとうございます! 」
「 ありがとう。こっちに転移し手が空いてたら連絡してくれって事だけど、とりあえず保留にしてすぐに戻ろう。モンド寺院が丸ごと崩れたかもだから皆心配してるはずだしねぇ。安心させて、とにかくリディアさんを休ませたい 」
「 お気遣いいただきありがとうございます! ですがわたくしは消耗しておりませんので、全く問題ございません! 」
「 いや――、たとえ本当に疲れてなくてもちゃんと休息はとってもらうよ! 」
もしかしたら龍さんだけは私の対処に勘づいているかもしれないが、地上に戻った騎士たちやカノンさんたちハンターの面々は、私とリディアさんが生き埋めになってしまったと絶望しているかもしれない。
すぐに戻って無事を伝えるべきだろう。
「 神威の門! 」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
~モンド寺院~
~15分ほど前~
廃墟の寺院は、かつての栄華を偲ばせる巨大な構造物だった。
今やその姿は朽ち果て、風雨にさらされていた。
突然、地面が微かに揺れ始めた。
最初は小さな振動だったが、次第にその揺れは激しさを増していった。
建物の一部が大きな音を立てて崩れ始めた。
古びた石材が互いにぶつかり合い、耳をつんざくような轟音が響き渡る。外周を支える巨大な柱が一本、二本と倒れ、地面に激突するたびに大地が震えた。
「 ゴゴゴゴ・・・ 」という低い唸りが建物全体から発せられ、まるでその廃墟が最後の息を吐き出しているかのようだった。
瓦礫が次々と崩れ落ち、埃と砂が舞い上がり兵士たちの視界を遮った。
建物の中央部が崩れ始めると、巨大なドーム状の天井がゆっくりと沈み込んでいった。
その動きはまるでスローモーションのように見えたが、実際には一瞬の出来事だった。
天井が完全に崩れ落ちると、巨大な雲のような埃が立ち上がり周囲を覆い尽くした。
「 ドーン 」という一際大きな音が響き渡り、最後の壁が崩れ落ちた。
瓦礫の山が積み重なり、かつての建物の形跡は完全に消え去った。
そして静寂が訪れ、ただ風が瓦礫の間を吹き抜ける音だけが残った。
「 ・・・・・ 」
騎士や兵士、ハンターたちは、目の前の光景に言葉を失った。
巨大な廃墟が崩れ去る様は、まるで時間が止まったかのような錯覚を引き起こしたのだ。
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廃墟の寺院が地下から崩れ落ちた瞬間から、地上にいた者たちは凍りついていた。
神の使徒とその護衛の貴族が地下にいることを、この地上の者たちは全員知っているのだから無理もない。この空間自体が恐怖と絶望に包まれていた。
「 聖女様が・・・ 」一人の兵士が呟いた。その声は震えている。
「 地下で生き埋めに・・・ 」別の兵士が続けた。彼の顔も青ざめ目には涙が浮かんでいた。
「 これはさすがに―― 」一人の騎士が膝をつき、地面に拳を叩きつけた。
「 聖女様はもう・・・ 」
その言葉に他の者たちも次々と膝をつき頭を垂れた。顔には疲労と絶望が色濃く刻まれている。誰もが心の中で神の使徒の無事を祈りつつも、その可能性が限りなく低いことを理解していた。
「 いや待て! 聖女様とブラックモア卿ならば、転移なされて無事なのでは? 」一人の騎士が思い出したように呟いた。
その声は風に乗り、周囲の者たちに届いた。
「 た、確かにそうだな! 」
『 別の世界に転移している 』とまでは明確に知らされていないものの――、大方の騎士や兵士は、ここ一年近くの間、謎のとある場所から大量に商品を仕入れ、王都に戻ってくる使徒ハルノを常日頃から目撃しており、転移魔法を扱えることは知っている。
ちなみに『 パラレルワールド 』という概念を持つ者は、こちらの世界では本当に極少数だろう。
デュール神が住まう神域に転移し行き来していると、勝手に思い込んでいる者が大半を占めるのではないだろうか。
後方に控えていた巨大な真龍が発言する。
「 魔道士、殿は、無事だ―― 」
「 本当か? 真龍殿 」ハンターのカノン・ヘルベルが不躾に返した。
「 ああ、本当だ。転移で、逃れたのだろうな。聖属性の波動が、一瞬で、掻き消えた――この、唐突な消え方は、死亡では、あり得ない。転移だろうな。それしか、考えられない 」
「 なるほど! 」
真龍のたどたどしい発言をこの場の全員が耳にし、安堵の溜息がそこかしこで漏れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
転移し一気に視界が開けると、そこには激変した風景が広がっていた。
巨大な廃墟が地下から崩れ落ち、膨大な瓦礫の山と化していた。
かつての栄華を誇った寺院の残骸が、今や無数の石塊となり広場を埋め尽くしている。
廃墟寺院前の森の広場に、騎士や兵士、そしてハンターたちが固唾を呑んで集まっていた。たぶん総員ここに集まっているのだろう。
「 皆さん無事? 怪我とかしてない? 」
「 心配かけたみたいですね。だけどもう大丈夫です。全て解決しましたので 」
私が開口一番そう大声で伝えると、一瞬静まり返ったあとに歓喜の雄叫びが上がった。
リアナさんは目を擦り、信じられないといった様子で私を見つめた。
「 ハルノ様・・・ 」その声は震えていた。
皆の叫び声がこの森の広場に響き渡る。
「 ハルノ様が戻られた! 」
私たちの下へ皆が駆け寄る。
それぞれの顔には驚きと喜びが入り混じっていた。
「 ハルノ様、本当に御無事で何よりです! 」騎士の一人は涙を浮かべて叫んでいる。
私は心の中で静かに感謝した。
これほどまでに喜んでくれる仲間たちがいることに、深い感動を覚えたのだ。
「 皆一つ念を押しておくけど、私は何もしてないのよ。デュールさんから紛れもない聖騎士の称号を授かり、お墨付きをいただいたと言っても過言ではない存在となった――我が騎士リディアさんこそ称えられるべきだわ 」
「 勿体ない御言葉でございます―― 」
リディアさんは、はにかみながら頭を垂れた。
「 リディア様! ハルノ様を守護していただきありがとうございます! 」
リアナさんは涙を流しながら、リディアさんの足元に駆け寄り跪いた。それを合図に、総員が私たちを取り囲み跪く――
リアナさんの瞳には揺るぎない決意と盲目的な忠誠が宿っていた。その言葉は真摯であり、その瞳には一片の疑いもなかった。私はその純粋さに感謝しつつも、同時にその盲目的な忠誠心に困惑していた。
蘇生したとはいえ――、ここまでの少し狂気を孕んだ忠誠心を生むとは思ってもみなかったのだ。厳密には私にではなく、後ろにいるデュールさんへの忠誠なのかもしれないが。
「 とりあえず――リディアさんの活躍で脅威は無くなったと見ていいと思う! 皆のこれまでの協力に感謝します! 今回持ち込んだ食料とお酒、ぜ~んぶ無償で提供するので、今宵は慰労と祝杯を兼ねて宴といきましょう~! 」
「 おおお~!! 」
▽
近隣のラノール村の傍まで戻り天幕を張り直した。龍さんと鋼鉄ゴーレムのお陰で引っ越しも楽々だった。
光源魔法の下、騎士やハンターたちの豪快な笑い声で溢れていた。
木製のテーブルには日本から持ち込んだ様々な食品が並び、香ばしい肉の匂いが漂っていた。
杯を重ねるごとに彼らの頬は赤く染まり、話は尽きることなく続く。身分の違いはあれど、絆がますます深まっていくのが見てとれた。
▽
~深夜~
~天幕内~
私は「 リディアさんをそろそろ休ませたい 」と皆に伝え、二人で魔法水シャワーで簡単に身体を洗ったあと、Tシャツ姿で簡易ベッドに潜り込んでいた。
リディアさんの比ではないが、私もかなり疲れていた。そしてリディアさんの体温を感じ安心感が増していることも手伝ってか、横になると即座に深い眠りへと落ちていきそうになっていた。
もう少しリディアさんの温もりを堪能したいという欲求と、睡眠を欲する生理的欲求の狭間で――揺れ動いていた私。
暫く抵抗を試みたが、睡魔の方へと軍配が上がる直前――
「 ハルノ様! 失礼いたします! 」と、天幕のすぐ外から女性の声が聞こえた。
私とリディアさんは頭だけをくねらせ入口を見やった。
そして許可どころか返事すらしていないにもかかわらず、突然入口の布がバサッとはぐられ、誰かが入ってきた。
即座に「 何者だ? 」とリディアさんが凄み、LEDランタンに被せていたタオルを剥ぎ取った。
一気にLEDの眩い光に照らされた室内。
入室してきたのはリアナさんだった。
私はリアナさんの顔を捉え、視線を下にずらして全身を見た。
ナゼだかリアナさんは、上半身に大きな布を一枚だけ巻きつけたような姿だった。
小学生の頃、音楽室のカーテンを身体に巻きつけて遊んでいた風景が脳裏に浮かぶ。
「 どうしたの? まだ皆は飲んでるんでしょ? 龍さんがいるから夜番は特に必要ないよね? 」
「 貴様! なんのつもりだ? 」
リディアさんが被せるように凄み、ベッドから起き上がった。
リアナさんは頬を紅潮させながら膝を突き、まっすぐ私の目を見据えて話し始めた。
「 就寝時にお邪魔して申し訳ありません。どうしてもお伝えしなければならないことがありまして、無礼をお許しください。実は我々は、遥か東の国フェルディアド公国の中枢から派遣された者です。ハルノ様に接触するために、ハンターのふりをしてこの地まで来たのです 」
「 我が国に届いた風の噂を確かめるため――、ハルノ様が本当に神の使徒であられるのか、噂が本当ならば、どのような御力をお持ちなのかを確かめるために来ました。またもし可能であれば、ハルノ様を我らの国にお招きすることができないかとも考えています 」
「 そ、そうだったんですね。でも、なんで今そんなことを言うの? 他の二人はどこ? 」
睡眠の邪魔をするな! というニュアンスを含んだように聞こえてしまったかもしれない――と、即座に反省していると、突然リアナさんは立ち上がり、身体に纏っていた布をバサリと地に落とした。
「 うおっ!? は、裸? 」
「 二人は、まだ宴の場でカノン殿たちと同席しています。わたくしが一人で赴いた理由はコレでございます 」
「 ええ? 」
リアナさんは一糸纏わぬ姿で立っていた。
いかにも女性らしい裸体で、LEDの光が必要以上の艶を肌に与え、かなり艶めかしい。
リディアさんもかなり面食らっていた。
「 尊き使徒様。当初わたくしは公国の勅命に従い、己の身を差し出す覚悟で参りました。しかし今やその心は変わりました。あなた様の光輝く存在に触れ、わたくしは心の底からあなた様に心酔しております。今ここにいるのは、もはや公国の命令ではなく――わたくし自身の意思です。どうかこの心の声をお聞きください 」
そう言うと、リアナさんは再び膝を突いた。
「 勿論、リディア様の次席で構いません。わたくしを側女として置いていただけませんか? 必要とあらば――リディア様に御奉仕することも厭うことはございません 」
「 なっ!? 」
まるで「 ボッ 」っと擬音が鳴るくらいに、リディアさんの頬が一気に染まった。
「 ええ? ちょ、ちょっと待って! デュールさんの使徒をやってる前提もあるし、加えて私に蘇生してもらったから心酔してしまったって気持ちもわかるけど――、つまり私の愛人みたいな立ち位置になりたいってこと? それで裸ってわけ? 」
「 仰せの通りでございます! 」
――ぬおおぉぉ! 今この部屋なんちゅー空間なんだ!
これはもう間違いなく、私が同性を好きなんだと周囲にバレていると考えるのが妥当なのか・・・
――その遥か東の国まで「 デュールさんの使徒は同性が好き 」って風の噂が流れているのか? それとも、こちらに滞在中にリアナさんが確信しただけなのか?
以前も、リディアさんとミラさんと私の三人で――愛し合う場面を妄想し、一人悶々としたことがあったが・・・
――リディアさんも満更でもない様子だし、いよいよ「 そーゆー事 」を三人でしてしまうのか?
と、MAX興奮状態に陥りかけた。
だがまたしても
こちらに来てからはお馴染みの――ラスボス級睡魔が僅差で勝利するのだった。




