第174話 白凰と金光の交錯
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~広島県広島市、東区~
卸問屋会社が建ち並ぶ静かな一角に、古びた貸し倉庫が佇んでいる。
ド深夜の闇に包まれ、街灯の光が微かにその輪郭を浮かび上がらせていた。
倉庫の外壁は年月を感じさせる錆びた鉄板で覆われている。周囲には雑草が生い茂り、人気のない雰囲気が漂っていた。風が吹くたびに倉庫の古びた扉が軋む音が響き渡る。
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倉庫の中は薄暗く、今時珍しい――天井から吊るされた裸電球が微かな光を放っていた。
広い空間には古い木箱や錆びた金属製の棚が無造作に置かれ、埃が積もっている。空気はひんやりとしており微かに湿気を帯びていた。
その中央に、2人の男たちが立っていた。
2人とも帽子を深く被りマスクを着用しているため、顔の表情はほとんど見えない。
突然、倉庫の扉が軋む音を立てて開き――1人の男が入ってくる。
彼はスーツを着ており、手には黒い鞄を持っている。男はゆっくりと2人の男たちの前に歩み寄り、鞄を床に置いた。
「 さて、仕事の話を始めようか 」と、男は低い声で言い放つ。
その声が倉庫の中に響き渡り、場の緊張感が一層高まった。
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「 5億? 今時そんな多額の現ナマを現場に持ち込み取引するアホがいるのか? 映画じゃあるまいし―― 」
2人組の片方が、鼻で笑いながら言い捨てる。
スーツに身を包んだ男は冷静な目で相手を見据えた。
「 ああ、その持ち込む側のアホは関西の金光組だ。だがその条件を提示したのは受け取る側――つまり白凰組だがな。報酬は奪った5億の60% つまり3億。こちらには掃除の手数料+情報料として2億を渡してもらおう 」
スーツ男の声は低く明瞭で、まるで鋭利な刃物のように言葉を切り出していた。
「 ほう六割か。モグラを雇う場合――全て俺たちに任せてもらえるのか? 」
2人組のもう一人が口を開く。念のため聞いておくといった様子だった。
「 無論だ。準備資金はここに用意してある。1千万だ。もし足りなければ遠慮なく言ってくれ。程度にもよるが善処しよう 」
スーツ男の言葉には一切の感情がなく、ただ淡々と述べるだけだった。
「 待て待て! まだ受けるとは言ってねぇ! 正直なところ――、報酬が高すぎて逆に不安だな 」
と、2人組の片方が冷静に答えた。
「 尤もだ。準備に別枠で1千万だと? 何か裏があるんじゃねぇかって疑っちまうぜ 」
さらにもう片方が付け加える。
依頼主は一瞬黙り込んだが、すぐに理解したように頷いた。
「 時間を取ってもらって構わん。未だ場所も日時も流動的だからな。詳細については何でも質問してくれ。書類に残すことはできないのでね 」
「 ああ、では遠慮なく慎重に検討させてもらおう。悪いが五分だけ外してもらえるか? 」
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~広島市中区、白凰組~
「 若頭――編集した動画データ準備できました。送信しても宜しいでしょうか? 」
構成員の若中が、部屋に入ってくるなり意気揚々と告げる。
「 おう、任せる 」
白凰組若頭の姫野は、煙草を吹かしながら面倒臭そうに返事をした。
「 金光組からの指定場所は、広島と岡山の県境にある笠岡湾干拓地に決まったみたいですが、かなり特殊な地域で、農業用地が大部分を占める場所みたいです。ネットで調べた限りでは、真夜中なら人気も無さそうじゃし、確かに打ってつけの取引場所かもしれません 」
後ろに控える構成員の天野が、姫野の思考を先読みして発言する。
「 ほうか、車じゃったら三時間もありゃ着くかのぉ 」
姫野はゆっくりと息を吐き出し、白い煙が口元からふわりと広がった。
「 そうですね。夜中じゃったら下道も空いとるじゃろうし。でも何で岡山県の端を指定してきたんですかね? 金光組ならもっと関西寄りを指定してきそうなモンなのに 」
「 単純にこっちに気ぃ使っとる可能性はあるな。龍哲さんは正直掴みどころの無い人じゃけぇ、ワシには分からんな。組織図的には同格でも実質ムコウの方が上じゃ。にも関わらず、よりコッチに近い場所を指定してきたっちゅーことは、何か考えがあるんかもなぁ。兵庫あたりにソコ以上の打ってつけの場所が無いとは考えられんしのぉ 」
「 念のため、拳銃は若頭の分だけ隠しとけばええですかね? 」
「 流石に必要ないじゃろぉ~。備えること自体は悪くはないんじゃが・・・まぁ準備するにしても、とりあえず38のべっぴんさん(38口径の拳銃)だけでええじゃろ。相手はあの龍哲さんじゃ、万が一にもカタにハメられるなんて事はあり得ん! 」
「 はい。ですが、念のため用心するに越したことはないかと―― 」
「 とにかく春乃さん待ちじゃけぇ、いつになるやら見当もつかん。いつでも出張れるように準備だけは整えとけぇ! 高岡さんにももう一回連絡しとけ! 」
「 はい! 」
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~大阪府、堺市~
~金光組、本部~
「 組長、全部金庫に入るがどうしましょう? 」
「 ああ構わん。まとめて入れとかんかい 」
「 はい 」
龍哲は、部屋に入り報告をしてきた幹部の方向に首を曲げることすらせず、吐き捨てるように指示を出した。
幹部が部屋を出、扉が閉まったところを確認した顧問の八乙女は、一呼吸置いてから口を開いた。
「 組長、白凰からの返事はまだなんですか? 」
「 ああ、まだやな。動画を送ってきただけや 」
「 例の――、治癒力の証拠動画ですか? 」
「 ああ 」
龍哲は静かに頷く。
「 見していただいても? 」
「 おう 」
龍哲は懐からスマフォを取り出して操作し、対面する八乙女に手渡した。
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鉄の椅子に座らされ、胴部分を縛られ拘束されている――下着一枚だけの初老男性が映る。
「 糖尿病が原因で片足を切断してから随分と経つ―― 」と、画面外から白凰組の若頭・姫野と思われる声が響いた。無理に標準語を意識し話している様子で、イントネーションが微妙におかしい。
姫野の説明が続く――、この初老男性は過去に白凰組の高利貸しから借金の経験があり、その一部は未だに未返済ということらしい。
本来ならこんな死にぞこないに使用したくはないのだが、龍哲の実兄(完治前)に肉体的な状況が酷似しており、この男以上の適役はいないので仕方なく――という説明も加えていた。
勿論、特定の固有名詞は一切出していない。
話者が姫野と推察できるから、白凰組や実兄のことを言っているのだろう――と推察できるだけだ。
何も知らない者がいきなりこの動画を見ても、白凰組や金光組が関係している事を見抜くのは至難の業だろう。
どうやらこの男は事情を聞かされてはいないようで、鼻水と涙を流しながら渾身の命乞いをしていた。
無理もない。
状況だけで言えば、どう考えてもこれから拷問される身。そしてその先に殺害されるかもしれないと考えるのが自然だろう。
白凰組の若中数名が、男の顎を掴み強制的に大口を開けさせ、例の小瓶を逆さまにして液体を無理やり注ぎ込んでいた。
一瞬、男の身体が仄かに白く光った。
男の全体像から、切断され欠損した右足にカメラの焦点が移る。
切断面は完全に癒えており、もはや痛々しさは微塵も感じない。
突然「 ぐうあああぁぁぁ!! 」と男が絶叫し、悲鳴が響き渡った。
完全に癒えている切断面が突如ビリビリと音を立てて大きく裂け、裂け目からクリーム色の足骨が生え一気に伸びきった。
そして間髪入れずシュルシュルと音を立てて筋組織が無数に纏わりつき、数秒後には完全に五体満足の初老男性が――涎を垂らしながら驚愕の表情のまま放心していた。
裂けた時に出血した血液が滴ってはいるものの、先ほどまで片足が欠損していたとは到底思えない人物が椅子に座っていたのだった。
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「 信じられん。現実とは思えんですな・・・こうやって動画で見せられても、頭の片隅ではどうせ作りモノやろと思うてしまいますな 」
八乙女は片手を口元にあてがい、小刻みに震えていた。
「 ああ、俺もまだ信じられんよ。兄貴の一件がなかったら――、俺も作りモノの映像や思うやろな。この程度の映像やったら吐いてほかすほど世の中には出回っとるやろしな 」
龍哲は引き攣ったように笑っていた。
「 確かに今の映像編集技術やったら個人でも余裕で作れるやろしなぁ。しかしこの映像が現実で、あの液体の効き目もホンマもんなら――・・・こら世界がひっくり返りますよ 」
「 そうやろな。下手に株やら不動産に投資するよりも確実やぞ。俺には、あの小瓶が大金にしか見えんわ。それにあの女どももおもろいしな 」
龍哲は、さらにフフッと含み笑いを漏らす。
「 確かにあの隣に座っとった外国女の殺気も――、とんでもなかったですなぁ 」
八乙女はやれやれと言わんばかりの仕草をしながら、背もたれに身を預けるのだった。
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