第149話 ニセ医者 その弐
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「 先生! お願いします! 高熱なんです! 」とだけ告げた中年女性に、袖を引っ張られたまま――天野は病室に連れて行かれた。
病室は501号室。
白い壁と床で、窓からは夕日が差し込んでいる。
ベッドの上には離被架で支えられた布団がかかっている。( 離被架とは、火傷などの患部に、布団などの重さがかからないようにするためのアーチ状の架台だ )
布団の下には患者が寝ている。
患者は長い黒髪と、大きな瞳を持つ美しい少女だった。そして顔は、一部包帯で覆われている。
「 先生! 病室に入ったら娘がうなされてて、おでこ触ったら凄い熱くて! 」
どうやらこの中年女性は、寝ている少女の母親のようだ。
「 いや、俺・・・いえ僕はまだ研修医なんで! すぐにナースコールをしてください 」
「 研修医? でもお医者さんなんでしょ? ナースコールはしました! 早く診てください! 」
母親が天野に詰め寄った。
――面倒だ。グズグズしていると看護師たちが来てしまう。
思い切って方向転換をし、全速力で走って逃げようかと考えていた矢先・・・
「 前澤さん、どうされましたか? 」と問いかけながら、女性看護師二人が入室してきた。
少女の母親は、「 部屋に入ったら娘がうなされてて、それですぐにナースコール押したんです 」と、切羽詰まった様子で切り出した。
「 ちょうど廊下を歩いてたこの先生を見つけてすぐに来てもらったんです 」と、母親は付け加えていた。
母親のその言葉に反応し、中年の方の看護師が、ベッドの横に突っ立っている天野の顔を怪訝そうに覗き込む。
「 あれ? 見ない先生ね。ん? 研修医なの? 」と、天野の首にかかるパスケースを凝視しながら彼女が尋ねた。
天野はその瞬間、ボロを出さないようにと一層気を引き締める。
「 そうです。研修医の加藤です。僕、今日ここ初めてなんです。ちょっと迷ってしまって、そうしたらこちらの奥さんに呼び止められて、ここにいるってわけなんです 」
苦し紛れの言い分だった。天野は、中年看護師の猜疑心が肥大したように思えた。
だが、その看護師は怪訝そうな表情のままではあったが、「 あれ? 研修医? 私は聞いてないんじゃけど、伝達ミスかな? 」と呟きながら、ベッドの少女に視線を移した。
もう片方の若い看護師は、横たわる少女に優しく問いかけながら、脈を測ったり額を触ったりしていた。
「 かなりの高熱ですね。もしかしたら感染症を引き起こしているかもしれませんね 」
若い看護師は、中年の看護師にそう伝えていた。
「 そうじゃね。処置室に運ばんといけんね。新井先生が担当医じゃったよね? ストレッチャー持ってくるけん準備しとって 」
「 ちょっと研修医の人! ぼ~っと突っ立ってないで、離被架外すの手伝ってあげてや! 」
中年看護師が、天野に指示を飛ばす。
「 は、はい・・・ 」
中年看護師はかなりのベテランなのだろうか――、どっしりと構え、頼もしいことこの上ない感じがした。
そして天野は、――リヒカって何だ? と、かなりテンパっていた。
▽
結局――天野は、身体のあちこちに火傷を負った少女をストレッチャーへ移すのを手伝い、そのまま処置室まで押して運び、一緒に入室することになった。
若い看護師が、手に持つ書類を天野に渡す。
「 え~っと、研修医の先生。これがこの子のカルテです 」
「 はい・・・ 」
内心ドキドキとしながら、天野はできるだけ不審に思われないようにとカルテを受け取る。
パラパラと捲るが、ほとんど理解できない・・・
「 火傷の治療を受けているんですが、お昼ごろから発熱が続いているようですね。感染症の可能性があります 」
若い看護師が、包帯を準備しながら誰にともなくそう伝える。
「 感染症? 」
「 火傷の原因は何ですか? 」
一応――天野は素人でもできる範囲の質問を、もっともらしく投げかけてみた。
「 家庭内の事故だそうです。熱湯をこぼしてしまったらしいんです。火傷の範囲は顔の一部と右腕、それから胸部で、全身の15%くらいですね 」
「 なるほど・・・」
「 火傷の部位に細菌が侵入したのかもしれませんね。火傷は皮膚のバリア機能を失わせるので、感染しやすくなりますよね? 免疫力も関係するんでしょうけど 」
「 そうですねぇ・・・ 」天野は少女の顔を見た。顔色は青白く、汗を薄っすらとかいていた。
彼女の顔と右腕は包帯で覆われていたが、赤く腫れているのが分かった。
「 担当医はどこにいるんですか? 」天野は、若い看護師に聞いた。
「 今、新井先生は手術中です。もうすぐ終わると思いますが・・・ 」
「 ほら! 新井先生が来るまで、私たちが今できることをするんよ! 」
そう声を弾ませ、ベテラン看護師が天野の方を向いた。
「 い、いや、でも僕はまだ研修医なので・・・下手なことはできませんよ 」
この部屋もそうだが、この部屋に到達するまでに、かなりの監視カメラに捉えられている。
伊達メガネとマスクで、人相はある程度ごまかしてはいるが・・・これ以上目立つとかなり厄介なことになるのは自明の理だ。
「 何を言うとるんね! 研修医とはいえ立派な医師でしょうに! もっと自信を持って処置しないと! 」
「 まずはこの子の体温を下げるよ! 解熱剤を投与するけん。それから火傷の部位の消毒とドレッシングの交換を! 」
「 はい。でも佐藤さん、感染の原因となる細菌を特定するために、血液や傷液の培養は必要じゃないですかね? 」
若い看護師が、すかさず返事をした。
「 ああ、そうじゃね。でもそれは新井先生が来てからかなぁ~。とりあえず解熱剤を準備しとくわ 」
佐藤と呼ばれたベテラン看護師も、テンポよく答える。
「 ありがとうございます。私は消毒とドレッシングの交換をします。痛み止めも必要ですね 」
天野はとにかく困惑していた。
まさに右も左も分からない状態なのだ。
だが一応、自分は医者という設定なのだ。このままあまりにも狼狽していると、さすがに怪しまれる。
いや、すでに怪しまれ始めていると思う・・・
――というか、ドレッシングって何なんだ? サラダにかけるヤツしか知らんぞ。もしくは、広島のご当地タレントの、「 ドレッシングちゃん 」しか思い浮かばんのだが・・・
天野は心の中でそう呟き、「 ドレスとシングでドレッシングです! 」という、そのタレントお約束の自己紹介フレーズが、勝手に頭の中で反芻していた。
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手持無沙汰の天野は、手に握るカルテに今一度目を落とした。
もちろん見ているフリだ。
だが、さすがに人体図の損傷箇所は理解できる。
先ほど若い看護師が言っていたように、実に全身の15%ほどが火傷により損傷しているのだ。
カルテを見るに、まだ14歳のようだ。
診察台で唸る少女を見下ろし、天野は心底不憫に思っていた。
火傷の痕は一生残るだろう。
たとえ皮膚移植などを施しても、完全に元通りの身体にはならないと思われる。
特に女性ならば、火傷を負った心情は、ネガティブな感情がどうしても強くなるだろう。
火傷の程度や原因、部位によっても心情は変わるだろうが、特にこの少女のように――顔や腕など目立つ部分に火傷を負った場合、容姿や機能に対するコンプレックスや、劣等感が生じる可能性が大きい。
女性の方が、容姿に対するプレッシャーや期待が高いという偏見が、社会的にどうしてもある。
やはり、火傷による外見の変化に対するストレスが大きくなる可能性がある。それはどうしたって、一般的な男性よりも高まるだろう。
無粋な天野をもってしても、彼女の心の傷は察するに余りあるのだ。
この子を治してあげたい。天野は漠然とそう思った。
予備の霊薬がもう一つある。だが、これを飲ませるには二人きりになる必要がある。
そもそもこの霊薬の価値は、最低でも5億だ。一介の構成員に過ぎない自分が、勝手な判断で使っていい代物ではない。それは分かっている。
だが、この子をこのまま放っておくわけにはいかない。
カルテを片手に持ちながら、心ここにあらずといった様子で思考を巡らしていると、不意に声をかけられた。
「 じゃあ先生。ちょっとの間、頼みましたよ 」
ベテラン看護師が、そう告げ若い看護師と一緒に部屋を出て行った。
何か必要なものを準備するために一旦出て行ったのだろう。
不意に訪れるチャンス。逃げるとしたらここだろう。
だが天野は、すでにこの子を治すと決心していた。
後押ししたのは、尋常ならざる超能力を持つ者の言葉だ。彼女は口癖のようにいつも『 苦しんでいる人に出会ったら、せめて手の届く範囲だけでも全力で救いたい 』と言っていた。
荒い吐息で苦しそうに横たわる少女に、天野は小瓶片手に優しく語りかけた。
「 これを飲めば楽になると思うから、しんどいとは思うけど、ゆっくりでいいから飲んでくれるか? 」
そう伝えると、少女は言葉で返事はしなかったが、コクリと頷いた。
そしてゆっくりと四口に分け飲み干した。
その瞬間――
処置室の扉がスライドされ、ベテラン看護師の佐藤が、荷物片手に戻ってきた。
「 ちょっとぉ! 何を飲ましよるん? あんたほんまに研修医なん? 」
佐藤の表情が、みるみる変化していく。天野はこの時点で、確実に不審者のカテゴリーに入ってしまったと自覚した。
「 いや、これは・・・僕の家に代々伝わる薬の一つで、本当に効くんですよ! 」
天野はつい思いつきで――、かなり適当なことを口走ってしまったことを即座に後悔した。
「 はぁ? 代々伝わる薬? 」
佐藤は素っ頓狂な声を上げている。
その時――、さらに遅れて若い看護師が戻ってきた。
すかさず佐藤が、「 田口さん! この人やっぱりおかしいわ! ちょっと警備員呼んできて! あと警察に通報! 」と、声を荒げた。
田口と呼ばれた看護師は面食らっていたが、状況を瞬時に察したようで、すぐに荷物を置き駆け出した。
「 いや! 僕は本当に不審者とかじゃあないんです! 」
そう言いながら、天野はどうやってこの部屋から逃げ出そうか――と思考を巡らす。
「 先生! なんだか体中の痛みが消えました! 」
唐突にそう大きな声で伝えてきたのは――少女だった。
すでにベッドの上から自らの力でスクッと立ち上がっていた。
佐藤の荒々しい発言が耳に入ったのだろうか? 廊下で待機していたはずの少女のお母さんが、何事かといった様子で入室してきた。
母親を視界に捉えた少女は、「 お母さん! 先生に薬もらったら、痛みが完全に消えた! 」と、声を弾ませた。
天野を逃さないように――と、角に追い込み仁王立ちで通せんぼしていた佐藤が、少女の顔を覗き込む。
「 えっっ! なんでぇ? 赤みが消えてる? ・・・えっー! 火傷も消えてるのぉ?! 」
そう叫んだ佐藤は、母親と一緒に少女の身体を確認し始めた。
これを好機とみた天野は、この瞬間を逃さなかったのだった。
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しばらく後――
この広島市民病院における「 超自然的、完全寛解事件 」は、福岡県を中心として噂される、とある都市伝説に拍車をかける事態となっていく。
そして、各社マスコミを刺激する事態となってしまうのだが――それはまた先の、別のお話。




