第148話 ニセ医者 その壱
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~広島県広島市中区・白凰組~
~15時過ぎ~
季節外れの大雨だった。
雨は、広島の街を洗い流すように降り注いでいる。
まだ15時だというのに、まるで夜の帳が下り始めているように薄暗かった。
若頭の姫野真也は、白凰組の三階の窓から表通りを眺めていた。
街の灯りやヘッドライトは、雨粒に砕かれて散らばっている。雨のカーテンの向こうには、虹色の水玉模様が浮かんでいた。それはまるで――、月虹のように幻想的に見えた。
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「 季節外れ過ぎじゃろ~。梅雨はまだ先じゃろうに。しかし梅雨以上の降りっぷりじゃなぁ 」
タバコの煙を遠慮なく吐き出しながら、大通りを見下ろしながら姫野が呟く。
「 最近は世界的にも異常気象だそうですから、地球温暖化の影響でしょうかね? 」
天野は取ってつけたような相槌を打っていた。
「 温暖化で、大気中の水蒸気が増加してもうて、雨雲が発達しやすくなるってやつか 」
「 た、多分そうですね。俺はそんなに詳しいわけではないんですが・・・ 」
意外にも、的確で非常に分かりやすい姫野の発言に、天野は窮してしまっていた。
さらに大量の煙を吐き出しながら――姫野が続けた。
「 しかしとんだ一日じゃったのぉ。まさか八時間も取り調べを受けるとはなぁ~。さすがに想定しとらんかったわ 」
「 そうですね。一般人なら表彰モンなんでしょうけど 」
「 佐々木も最後まで何か裏があるんじゃあないかと――ずっと疑っとったのぉ 」
「 俺を担当した刑事もそうです。最初からずっと疑ってましたね 」
約二十四時間前、姫野たちは闇バイトの三人を、市内の警察署まで車で送り届け自首をさせたのだ。
尤も送り届けたと言っても、手首足首を縛った状態でなのだが。
その際――警察側は、現役のヤクザである姫野たちが自分たちに何の利益もないのに、タダでそんなことをするわけがない、と頭ごなしに決めつけ、実に八時間にもわたり取り調べを行ったのだった。
容疑は、三人に対する拉致監禁の容疑だった。
だが、闇バイト三人の供述も合わせた結果、監禁されたのは事実だが、本当にただ説得されて自首を促されただけだということが確定し、晴れて姫野と天野は解放されることとなった。
血眼になり必死に探していた警察でも見つけることができなかった犯人を、現役のヤクザが先に見つけ出しお縄をかけ――しかも自首をさせるという前代未聞の展開に、警察側も頭を悩ませていたようだった。
これが表に出ると、さすがに警察のメンツが丸潰れなので、姫野たちの名前が表に出ることはないだろう。もちろん、拉致監禁の容疑も不問となったのは言うまでもない。
「 しかしあいつらも運がなかったのぉ! ワシらの枝が経営するネカフェに逃げ込むとはなぁ 」
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突然ドアをノックする音がし、組員の一人が入室してきた。
「 若頭、白衣を用意できました。これです。研修医カードも一つ、パスケース付きで用意しました。それと入院先の病院は市民病院です。号室も判明しましたのでこのメモに 」
「 おう、ようやった 」
「 若頭、白衣なんて何に使うんですか? 」
天野が訝しむように問いかける。
「 春乃さんが追加で渡してくれた二十本。困っとる奴がおったら、遠慮なく使ってくれってことじゃったじゃろ? じゃけぇ遠慮なく一本使わせてもらおうかと思うての。ワシらのシマで起きた事件じゃ。なんの罪もないカタギを助けるのも――義務かのぉ思うてな 」
「 なるほど。そういうことですか 」
天野はすぐさま姫野の意図を理解したようで、納得の表情だった。
「 重要な役どころはお前に任せる 」
「 えっ! ええ? ・・・いえ、はい。わかりました 」
天野は自分が何を求められているのか――瞬時に察知した。
そして少し戸惑いながらも、素直に承諾したのだった。
そもそも拒否権なんてない。若頭や組長の指示に、異論を唱えたり拒否するなんて選択肢が、そもそも存在しないのだ。
「 まだ足りんモンがある。聴診器と偽造の名札じゃ。検索したら、市民病院の内部の画像が何枚か出てきた。この画像の医者みたいに、首から聴診器をぶら下げ名札を付けとかんと怪しまれる可能性がある 」
姫野はドアの前で直立する組員に向け、そう言い放った。
「 わかりました。すぐに用意します! 名前は適当に自分が決めても宜しいですか? 」
「 おう、任せる。ただあんまり特殊な名前にはするなよ 」
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~翌日・夕方~
~広島市中区・広島市民病院~
740を超える病床を数える――広島市内で最大規模の病院である。
ここに被害にあった宝石店の店主と、その息子が入院している。
息子は鈍器で頭を殴られ気絶させられたにもかかわらず、幸いにも頭蓋骨に異常はなく、精密検査でも異常は発見されなかった。
だが拷問を受けた店主の父親は、両足首の複雑骨折、左手骨を骨折している。
闇バイトの三人が、金庫を開けさせるために右手だけを残し鈍器で潰したのである。
金庫に入っていた400万円以上の現金の一部、さらに大量の宝石の大半は、すでに元締めのもとへ送られたようで、金銭的被害は甚大だった。
だが不幸中の幸いというやつで、二人の命に別状がなかったのが、家族からすれば唯一の救いであろう。
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姫野と天野は、病院入口で一旦停止する。
姫野は彼なりに変装していた。黒いジャケットにパンツ、白いシャツ、シルバーのネクタイ。できるだけ普通のサラリーマンに見えるように努めていた。
耳にかかる前髪は整えている。顔に刺青はないし、指には指輪もはめていない。
しかし姫野の目は笑っていない。鋭い眼光はいつものアウトローなヤクザの印象のままで、隠せていなかった。歩き方も、肩を張って胸を張るように威圧感を漂わせている。
たぶん相手に敬語を使っても、命令口調に聞こえてしまうかもしれない。
やはり極道のオーラはそう簡単には消せないのかもしれない。その証拠に、周りの人は――みな彼から目を逸らしているような感じだった。
「 ええか? 念のため警備員と目を合わすなよ。エレベーターは使わず階段を使う。白衣と聴診器は病室の前まで出すな 」
「 わかりました 」
「 もし白衣を着た状態の時、怪しまれて声をかけられたら、『 今日初めての当直バイトで迷った。医局はどこですかね? 』――と逆に聞き返せ。そんでこっちのペースに巻き込め、わかったな? 」
「 はい、わかりました 」
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「 503号室。あの病室か。天野、あの通路の死角で白衣を着てこい。ワシはあの自販機がある待合所みたいなところで待っとる 」
「 手筈通り、薬剤師が作った漢方ってことで貫け。上手くいったら合図だけ送れ。そんで階段を使って建物の外に出ろ。ええな? 白衣は階段で脱げよ 」
「 はい 」
天野は姫野に指示され、通路の死角で素早く白衣と聴診器を取り出し羽織った。
天野が白衣を着たのを確認した姫野は、天野とは逆方向に歩き出す。
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天野はスライドの扉を開けた。
白いシーツに包まれたベッドが目に入る。その上には両足首にギプスを巻かれた初老の男性が横たわっていた。ベッドの横には奥さんらしき人が座っており、会釈をしてくれた。
「 どうも! 藤井さん。調子はどうですか? 当直の研修医で加藤と申します。本日と明日だけですが、僕も担当の一人となります。どうぞ宜しくお願い致します 」
と――偽の医者として振る舞い、元気よく入室した。
「 ・・・ああ、こりゃどうも。痛み止めが切れかかってるのか、さっきからちょっと痛みが酷くなってましてね 」
その言葉通り、顔は苦痛に歪んでいた。
「 ああ、それはちょうど良かった。今日は犯人も逮捕されたことだし、藤井さんに持って行ってあげるように言われて、うちの母親から手渡された物があるんですよ。僕の母親は元薬剤師でしてね。今は漢方の勉強をしていて、これは漢方薬を調合した飲み薬なんです。鎮痛効果があるんですよ 」
そう言って――小瓶をベッドに横たわる男性に手渡した。
「 おう、そうなん? それはそれはわざわざ 」
「 味は保証しませんが、結構即効性があるので一気に飲み干してください 」
「 あー、はい。じゃあ遠慮なく 」
白衣の絶大な説得力のおかげなのか・・・患者の藤井は、天野のことを偽医者だとは微塵も勘づいてはいない様子だった。
天野は内心――少しだけ戦慄を覚えていた。人は簡単に騙せるということを、改めて証明してしまったのだ。
自分が手渡した小瓶の中身が、たとえば「 毒では? 」とか考えたりはしないのだろうか? と・・
天野は藤井が飲み干したのを確認すると、空になった小瓶を受け取りすぐに部屋を出ようとした。
その挙動は多少不自然かもしれないが、飲み干したのなら――もうこの部屋に留まる理由はない。
「 じゃあまた見回りに来ますので、何かあったらナースコールで呼んでください 」
「 ちょっ! ちょっと待ってください先生! 即効性があるっておっしゃってましたけど、こんなにもすぐ? 何だかいきなり痛みが消えたんじゃけど! 」
「 ええ、そうなんですよ。すごいですよねこの薬 」――と、空の小瓶片手に言いながら、天野はそそくさと部屋を出た。
さらにまだ藤井が叫んでいたが――、天野がそれを意に介することはなかった。
この短時間で天野はかなり疲れていた。若頭からの命令とはいえ、無理やりキャラを作って全力で演技をしたのだ。
もともと天野は寡黙な男で、人前で演技をするなんて不得手中の不得手だ。
多分組員の中で、白衣を着て誰が最も医者に見え怪しまれないかを考えた結果――、自分が適任ということになり白羽の矢が立ったのだろう。
福岡から呼び戻された理由が、ようやく判明したのだ。
しかし天野は、我ながらよくやった方だ――と、心の中で自画自賛していたのだった。
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遠くの待合所に座る姫野に対し、軽く頷いて任務完了の意を伝えると、踵を返して階段フロアに向かった。
階段フロアへ通じる重厚な鉄の扉に手をかけた時、不意に白衣の袖を引っ張られた。
振り返ると――、そこに立っていたのは、焦燥感を顔に滲ませた中年女性だった。
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