第146話 サリエリ伯爵
「 バルモアさん! エドを追いかけて! このままこの部屋にいたらバルモアさんまで巻き添えにしてしまう! 」
「 ぎょ、御意! 」
バルモアさんは表情こそ見えないものの、焦った様子で即座に部屋の奥へと駆け込み、扉の向こうへと消えていった。
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「 氷女神の裁き! 」
私は氷属性最強の魔法を唱えた。絶対零度の波動が広がり、限定された空間を瞬時に凍りつかせる。
唱えた瞬間に空気が凍りつき、周囲は凍えるような冷気に包まれた。
その中心に現れたのは、まるで氷の女神そのものだった。
彼女は白いドレスに身を包み、風もないのに銀色の髪をなびかせている。その美しい顔には冷たく高慢な笑みが浮かんでいた。
静かに手を振ると、周囲の空間が青白い光を帯び輝き始める。
絶対零度の魔法により、この部屋は瞬間冷凍されようとしていたのだ。
彼女は微笑を浮かべたままだった。それは氷のように美しく、氷のように残酷だった――
一見、召喚魔法と勘違いされる魔法だと思うが、単なる属性魔法に過ぎない。
たぶんこの氷の女神は、あの人の趣味で、単なる演出なんだと思う。
そして意外にも、私が今まで最も多用している属性魔法の一つと言っても過言ではないだろう。
尤も――使用頻度が高いと言っても、敵対する存在に使ったのは初めてなのだが。
いつもは、懇意にしているお肉屋さんの依頼で行使しているのだ。
お肉屋さんの倉庫内で唱え、吊るされているお肉の塊を瞬間冷凍するために使う。
自慢ではないが、私のお陰で大量のお肉の保存期限が劇的に延び、その経済効果は計り知れないのだ。
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ぐったりと泥のように床に崩れ落ち、変わり果てた姿のアルゴス。吊るされたお肉と同じく――瞬く間にグロテスクな氷の彫像へと変貌を遂げていった。
バルモアさんの言う通り、どうやら抵抗とやらはされなかったようだ。
いくら魔力総量が絶大でも、気絶状態ならば抵抗自体が無理だし、当然の結果なのかもしれないが。
しかし、このまま放置しても問題ないのか? 念のためこの氷像を粉々に砕いたほうがいいのか?
どちらが正解なのか、素人の私では判断できない。
このまま氷漬けで放置すれば、解凍されて復活する可能性がある。このモンスターは攻撃を受けても分裂し、ある意味で不死身とも言える生命力を持っているため、決して油断はできない。さらにこの氷像はあまりにもグロテスクで、見てるだけで気分が悪くなるほどだ。
確かにこの地下室には日光が届かないため、自然解凍するまでには相当な時間がかかるだろう。
本来であれば――、長時間氷漬けになれば生命活動は完全に停止するはずだ。
不死身とされるクマムシのような例外を除けばそれが常識。しかしそれは――あくまで元の世界の常識だ。
この世界では元の知識や常識が必ずしも通用しない。この氷結が、果たしてこのモンスターに対して有効なのか――
どうしても解凍された瞬間、何事もなかったかのように動き出す姿しか想像できなかった。
「 やっぱトドメは刺すべきだよな―― 」
「 粉砕する! 」
完膚なきまでに叩きのめすという意味では、これ以上のトドメの刺し方はないだろう。
「 聖なる稲妻槌! 」
瞬時に顕現した巨大なハンマーを振りかざし垂直に振り下ろす。
床から生えた異形の氷像を叩き潰す。
雷神の加護を受けているかのごとく――、鋼のように光る金属の頭には無数の稲妻が絡み合いうねっている。
衝撃波が広がり床に深い亀裂が走った。その瞬間ハンマーから放電が起こり、周囲へと電流が拡散されていく。
結果、氷像は粉々に砕け散り、無数の小さな氷塊が放射状に飛び散った。その小さな氷塊にはそれぞれモンスターの肉片が含まれている。
しばらく散乱した無数の氷塊を凝視していた。
この時点でさすがに完殺したと判断していいと思うのだが――私は終始、嫌な予感が拭えなかった。
だがこれ以上立ち止まるのも時間の無駄に思え、一抹の不安を感じながらもバルモアさんの後を追った。
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光源魔法を先行させながら足早に先へと急いだ。
通路の闇を光が浸食し、ゴツゴツとした無骨な岩壁が露になっていく。
視線の先に――何やら見上げているバルモアさんが確認でき、息を切らして駆け寄る。
「 バルモアさん! エドは? 」
「 どうやらダミーの井戸のようです。この縦穴から逃走したのでしょう。もちろん梯子は外されております。方角的には庭園の端の真下かと 」
地面には、クタクタになった縄梯子が折り重なっていた。
頭の上にある大きな穴からは、時々月の光が差し込んでいた。月明かりは、井戸の口の周りにある木々や草花の影を描いている。
「 くそっ! まんまと逃げられたか・・・ 」
「 そのようですな。浮遊して追いかけたとしても、時すでに遅しかと存じます 」
「 くそっ! あのモンスターさえ瞬殺できていれば 」
「 面目次第もございません。二階で再起不能にできなかった俺の落ち度です。先ほども即座に追っておれば捕縛できていたでしょうが 」
「 いや、バルモアさんの責任ではないよ。私の力不足・・・とりあえず分かりやすい出口があって良かったと考えよう 」
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風属性魔法の浮遊する空気膜に包まれ、ダミー井戸の縦穴から外界に出てきた。
「 ハルさん! 」
私たち二人の下へ、ミラさんが駆け寄ってきた。
「 エドを見た? この井戸から出てきたはず 」
「 はい! 不審な人影を見たアンディス殿が追いかけております 」
「 あっ! お前たちっ! 」
ミラさんが持ち場を離れたことにより、詰問中だった四人の使用人たちは、散り散りに闇夜の中へと遁走していった。
「 すみません! あたしが目を離したせいで・・・ 」
「 いや――多分だけど、どうせ大した情報は持ってなかったでしょ? 」
「 ああ、はい。彼らは伯爵家に雇われた純粋な使用人かと・・・何かを隠しているにしても、これ以上は拷問して吐かせるしかないと考えておりましたが・・・ 」
ミラさんが話し終わる直前に、館から駆けてくる者がいた。
シルエットから――どうやらリディアさんのようだった。
「 ハルノ様! ご無事ですか? 」
「 ええ、ただエドを逃がしてしまってね。今アンディスさんが追いかけてくれてるみたい。二階は火事になってなかった? 」
「 はい。魔獣にはトドメを刺しておきました。そして室内で一名、女が殺害されておりました。ルグリード殿が捜していた者かと・・・ 」
「 ハルノ様には蘇生をお願いしたく――、ハルノ様が蘇生してくださるから安心せよと申しても、もはや聞く耳を持っておらず、半狂乱になっておりまして・・・ 」
「 ああ、分かったわ。では私は離れるから皆はここで待機してて。アンディスさんを捜しに行ったりしないように! こういう時は待った方が賢いと思うから 」
「 畏まりました―― 」
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二階に上がり――左右どちらの方か分からずキョロキョロしていると
左手の方から、女性らしき身体を抱きかかえたルグリードさんがゆっくりと歩いてきていた。
「 ルグリードさん! 」
「 ハルノ殿。俺たちにも最後まで手伝わさせてくれ・・・いや違う! 最初にハッキリと伝えておく、俺の復讐を果たすため、あんたたちを利用させてもらいたい! 」
ルグリードさんの顔は悲しみと怒りで歪んでいるようだった。目は赤く腫れ血走っていた。髪は汗と涙でベトベトになっているようで、唇をかみ切ったのだろうか? 血が滲んでいた。
一瞬、まるで別人のように見えたほどだ。
「 それは構わないけど。あの二人は勿論だけど、少なくともナントカ伯爵にも死んでもらう 」
「 多分、それなりの規模の軍隊を相手にすることになるのかもと予想してるけど、あなたは、いえあなたたちは――この国の上級貴族に喧嘩を売る覚悟はできているんですか? 」
「 愚問だ! 」
「 そう。まぁとにかく、復讐の意味が薄らぐかもしんないけど――とりあえずその人を蘇生するわ 」
「 なにっ? 」
「 蘇生! 」
ルグリードさんが抱きかかえている遺体を眩い白光が包み、やがて胸の周囲で収束しそのまま浸透していった。
「 な、なんだ? エリザに何をしたんだ? 」
「 まぁまぁ、そのままその娘を見ててよ 」
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「 ――うっ、ううん、あうぅ 」
「 なっ? え? エリザ! 大丈夫か? おい! 死んでなかったのか! て、手当を! ハルノ殿! 何か、何か持ってないか? 」
抱きかかえられたままの女性が息を吹き返した。意識はまだ混濁している様子だ。
その瞬間をすぐ間近で目撃したルグリードさんは、驚愕しつつも女性の血塗れになっている胸部の手当てを始めようとしていた。
「 いや処置は必要ないですよ。蘇生と同時に致命傷も何もかも――、傷という傷は全て綺麗に治っているはずですから。血液も補完されているはずですし。私の蘇生魔法はそういう魔法なんです。上手く言えませんが 」
「 そ、蘇生? 生き返ったってのか?! あんたの魔法で? 蘇生魔法だと?! しかも無詠唱・・・ 」
「 ええ。実は私、一応デュール神の使徒なんですよ。正直自分ではその自覚があんまりないんですけどねぇ 」
「 何だと? あんた何を言ってる――、待ってくれ! その前に、おい! エリザ! 大丈夫か? 痛くはないか? 」
微睡むエリザさんをルグリードさんは床に下ろし、両肩を掴んだまま軽く揺らしていた。
「 ちょっと! もうちょっと優しくしてあげないと! 目覚めたばかりで状況がわかってないでしょうし 」
▽
三人で庭園に戻った。
ルグリードさんは、ずっと狐につままれたような状態だった。
血塗れのエリザさんも同様、一体何が起こっているのか理解が及ばないといった様子だ。
リディアさんたちの下には、槍を携えた髭面のアンディスさんが戻っていた。
「 アンディスさん。エドは? 見失った? 」
開口一番私が質問すると、アンディスさんはバツが悪そうに答えた。
「 すまない――、必死に追いかけたんだが・・・振り切られてしまった 」
「 そう。もうこうなりゃ先にナントカ伯爵をぶっ潰しに行くべきかもね 」
「 すまない。しかしエリザは無事だったのだな? その血はなんだ? 返り血か? 怪我はしてないのか? 」
エリザさんを見据え、心底心配そうにアンディスさんが尋ねる。
「 あ、うん。確かにナイフで刺されたはずだけど――、気が付いたら傷が塞がってて。もう何が何やら分からなくて・・・ 」
「 さ、刺された? 大丈夫なのか? 」
その後、ルグリードさん、アンディスさん、そして蘇ったエリザさんにも――私の正体を含め、私たちの素性をすべて明かし話して聞かせたのだった。
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~バーニシア領~
~領主サリエリ伯爵の館~
夜の闇に紛れ伯爵の館へと舞い戻った兵士は、密かに伯爵の書斎へ向かった。
扉を開けると――伯爵は机に向かい何かを書き記していたが、兵士の気配を察知し、ゆっくりと振り返った。
「 よくぞ戻った。どうであった王都の様子は? アルバレス王に対し、反乱を企てておるような輩が湧いておったか? 」
「 伯爵様。そのような危険分子は皆無でございました 」
「 そうか。王都で動きはないか・・・怒りに駆られ数名は湧くと思っておったが 」
「 飢えに苦しむ民衆が散見されますが、反乱の気運が高まる様子はございません。そもそも現王の軍勢は強大。誰もが恐れて逆らえぬかと・・・ 」
「 ふむ 」
「 伯爵様。我らの軍も、現王の軍勢に劣らぬほどの勇猛さと忠誠心を持っております 」
「 ふむ 」
「 それから不確定な要素が大きいとお叱りを受けるのを覚悟で一つ――、お耳に入れたい報告がございます 」
「 申せ 」
「 はい。わたしは王都の酒場で一人の女性に目を奪われました。その女性は亡国のプリンセスにそっくりでした。その女性は三人のパーティーを組み、顔を隠し目立たぬようにしておりましたが、その美しさと気品は漏れ出ており隠しきれてはおりませんでした。わたしはその女性が、ミラ・リリー・ガーラントであると確信しております 」
「 なんだと? あの一族は全て死んでおろう? しかし確信とは大言壮語だな。その女は本当にプリンセスなのか? ただの空似であろう? 」
「 わたしはその女性に話しかけようとしましたが、その時、冒険者のシュナイダーが現れました。暫く動向を観察しておりましたが、どうやら意気投合した風でございました。奴に聞けば仔細が判明するやもしれません 」
「 一族の生き残りが扇動しておると仮定するならば――、反乱を企てる者たちを支援している村々が、実在しているとしても納得がいくというものだな 」
「 はい。その女性を見つけ出すことができれば、伯爵様にとって大きな力になると愚考いたします。もし彼女がプリンセスであれば、現王に対し――、絶大な効果を持つ賄賂としても利用できるかもしれません 」
「 確かにそうだな。なかなかに興味深い話だ。だがその女を見つけるのは容易ではないだろう? お前はワシの言いつけを守り、深追いはしなかったのか? 」
「 はい 」
「 ふむ。王都は広大で人も多い。その女はもう姿を消してしまっておるかもしれん。もしくは価値を知らぬ、あの冒険者風情に弄ばれ亡き者にされておるやもしれんな 」
「 仰る通りでございます伯爵様。わたしはその女性を探し出すため、お許しいただけるのであれば、再び王都に向かおうと思います。もしお手数でなければ、伯爵様に書状をしたためていただきたく! ともすれば――、かの冒険者と通じるのも容易いかと 」
「 良かろう。暫し待て。すぐに書いてやる。その女を見つけてワシの下まで連れてこい。たとえ他人の空似でも、何かに利用できるかもしれんしな 」
「 はい伯爵様。ありがとうございます 」
兵士は矍鑠としたサリエリ伯爵に一礼し、書斎を後にした。
サリエリ伯爵は、兵士の背中を見送りながら心の中で呟いた。
――亡国のプリンセスか。それは興味深い。もし本当に存在するとしたら、どのような女に成長しておるのだろう? そしてこれからどんな運命を辿るのだろうか? 本当に生存しておるならば会ってみたいものだ。手中に収めれば、計り知れないほどの価値を引き出すことができるだろうな。
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