第139話 潜伏
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~広島市中区・白凰組~
組員の天野は扉をノックした後――丁寧に開け入室した。
「 ただいま戻りました! 」
「 おう! ご苦労! 」
長椅子に大股開きで腰を下ろしている白凰組若頭の姫野が、即座にねぎらいの言葉を返す。
「 福岡は志村に任せとけ! お前には監禁しとる闇バイトのボケどもの監視と世話を任せる。くれぐれも油断するなよ? 逆らうようなら足首を砕いてかまわん 」
「 カタギとはいえ――うちのシマでやらかしたんは見過ごせんけんなぁ~ 」
「 はい。あと姐さんがコレを若頭にと―― 」
天野は懐から厚みのある茶封筒を取り出した。
「 ん? 何や? 」
そう言いながら、姫野は茶封筒を受け取り即座に中を覗き込む。
「 俺は見てないです。たぶん現金かと・・・ 」
茶封筒の中には――札束が三つと、メモ用紙が入っていた。
「 ふむ。予想通り現ナマじゃな 」
姫野はメモ用紙を広げ視線を落とす。
「 春乃さんからのボーナスじゃな。もちろんお前にだけじゃない。マツと志村の分もある。100万ずつらしいわ 」
「 え? いや、俺は報酬もらうようなことは何もしてないですよ! 姐さんが酒を仕入れるのを手伝ったくらいで・・・ 」
「 ええけぇ納めとけぇ! 日頃のお礼らしいわ 」
「 個別に渡さずワシを通すところなんぞ、なかなか筋が通っとるやないか。さすが春乃さんじゃな 」
姫野は鷲掴みにした一束を、天野に向け突き出し、「 ほれ! 」と顎をしゃくった。
「 は、はい。若頭がそう言われるんでしたら、遠慮なく有難く頂戴いたします 」
「 おう 」
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~アストレンティア王国領に転移して三日後~
~夕暮れ~
王都ルベナスの街外れにある――二階建て石造りの館。
石造りの壁は厳かな雰囲気を醸し出し、二階には大小さまざまな窓が並んでいた。館の正面には高くそびえる塔があり、その頂上には紋章が飾られていた。
暗黒魔道士バルモアは、現在この館に身を潜めていた。
デュール神の使徒から手渡された手配書。
まるで紙の中にその対象となる人物がそのまま入り込んでいるような――そんな精緻な絵に、激しく驚いたのもまだ記憶に新しい。
――いったいどうなっているのだ? 紙の中に閉じ込められているような・・・まるで時を止められた状態の者が、封じ込められているかのようだ。
バルモアは、懐から取り出した手配書の一枚に視線を落とし――もう一度確認した。
その一枚には、リディア・ブラックモアが記した「 アルト 」という文字が浮かんでいた。
王都ルベナスで捜索を始めて二日目、バルモアは手配書の一枚の絵と合致する人物を、裏路地で捕捉した。
そして尾行を開始し――この館に入っていく標的を確認した後、自身も建物上部から侵入したのだ。
デュール神の使徒ほど完璧には隠蔽できないが、魔力の波動を意図的に、極限まで抑える術をバルモアは習得していた。かなりの修練を積んだ者でなければ、まず看破されることはないだろう。
天井の梁に潜み室内を観察する。
ほのかに明かりが灯る室内に、人の気配はない。
梁からストンと――滑り落ちるように降り立ち、ぐるりと室内を観察する。
寝室だろうか? 必要最低限の寝具が設置されているだけで、特に注視するような物はない。
部屋入口の扉に、少し仮面をずらし耳を強く押し当てた。
息を殺し、外部の音を探るが無音だった。
階下から魔力の波動を複数感じる。小動物のモノではない。種族までは限定できないが、明らかに人だろう。
バルモアは少しだけ扉を開け、隙間からニュルっと――絞り出すようにして廊下へ出た。
階段の上部から一階の梁に飛び移り、息を潜めて眼下の者たちの会話を盗み聞きすることに腐心した。
一階のその大部屋には大きなテーブルが三つもあり、椅子も複数用意されていた。
現在各テーブルに二人ずつ座っており、眼下の大部屋には計六人の男が食事や飲酒をしている。
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「 スッキリしたぜ~。俺はもうこのまま寝る 」
視界の外から突如現れた男が、誰にともなくそう大声で周囲に伝えると、二階に繋がる階段に足をかけた。
それぞれのテーブルに腰を掛けている六人は、その男をチラリと一瞥しただけで、特に返事をすることもなかった。
一番玄関側のテーブルに、手配書の男アルトが座り食事をしているのが確認できる。
「 餌やりついでに次は俺が行ってくる 」
そう言いながらアルトに対面する男が、料理が盛られた大皿を片手に席を立った。
「 ほどほどにな 」
アルトが肉を切り分けながら、そう告げる。
そして片手に大皿を持った男が、視界外に消えていった。
――餌? 別の手配書のエドという標的は魔獣使いということらしいが。その魔獣とやらの餌か?
このままアルトを監視するべきか?
大皿を片手に視界から消えた男の動向が、バルモアは妙に気になってしまっていた。
――使徒様は総勢十五人ほどにも及ぶ、襲撃者たちの全容が知りたいと申されていた。
この建物が襲撃者たちのアジトである可能性は極めて高い。その点はもはや疑いようもない。ならばアルトだけにこだわらず、できる限りこの建物内部を調べておくべきだろう。
バルモアは、視界外へ移動した男を追いかける選択をしたのだった。
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奴隷商人から自分を購入した男に、この館の地下に監禁されてから――どれほどの時が流れただろうか?
相手をするのは毎夜違った男だった。
事が終わった後、優しく語りかけてくれる者もいれば、終始平手打ちをし――痛めつけることに快感を感じているのであろう者もいた。
先ほどの男はそのどちらでもない。終始言葉少なで、まるで作業のように自分の欲求だけを満たすタイプだった。
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またしても誰かが階段を下りてくる足音が響いた。
食事を運んできてくれたのだろうか?
ベッドに横になったままの状態で、感覚だけが研ぎ澄まされている。
この地下室から出ることは許されない。
すでに絶望は通り越している。
死んだら確実に天国へ行けるだろう。何故なら――、今この場所こそが地獄だからだ。
自分は性奴隷と化した人形だ。いつ壊されてもおかしくない。むしろ早く壊してほしいとさえ願う。
だが、自分で命を絶つ勇気はなかった。
絶望と同時に、自身の肉体をも呪う。このおぞましい肉体。
事の最中は、常に男の性欲がおぞましいと感じる。
だがその一方で、激しい快楽も感じてしまうのだ。その証拠に、両の乳首はいまだに天井に向け屹立していた。おぞましいのは――自分の肉体も同じなのだ。
――誰でもいい! はやくわたしを殺して・・・
事の最中に嚙みついて激しく抵抗してみようか? そうすれば、激怒した相手が殺してくれるかもしれない。もしくは殺してくださいと懇願しようか?
そんなことを考えている自分の部屋に、片手に皿、片手に灯りを持った男が入室してきた。
「 餌を持ってきてやったぞ。だが食うのは後にしろ! 」
男はそう言うと、テーブルに皿を置き衣服を脱ぎ始めた。
どうやら今夜二人目の相手らしい。
わたしはベッドに横たわったまま、脱いでいる男をぼ~っと眺めていたのだった。
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バルモアは家具と壁の隙間に身体を捻じ込んで、薄暗い部屋のベッドの上で重なり合う男女を注視していた。
男女が性交渉をしているのを観察することに、バルモアは特に違和感を感じなかった。これまでの任務中にも――それなりの確率で遭遇する光景だったからだ。
とどのつまりは魔獣などではなく――この集団に飼われているただの人族の女だったのだ。
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バルモアは動かない。
男が夢中になっている間に上階に戻ろうかとも一瞬考えたが、下になっている女が、男の頭越しに明らかにこちらを凝視していることに気づき、事が終わるまで待つことにしたのだ。
魔力を極限にまで抑え、気配を殺し隙間に潜んでいるにもかかわらず、それでもこちらの存在に気付いているのだとしたら、警戒すべきは上になっている男よりも下の女だ。
女が男の耳元で囁き――自分の存在が露呈した場合、この二人を始末するべきか?
だが――女が男に知らせるような素振りは一切なかった。
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事が終わり、男はいそいそと衣服を纏い、灯りを片手に上階へと上がっていった。
女はベッドに横たわり、天井の一点をじっと見つめているようだ。
明らかに気付いているはずなのに、もうこちらへ視線を投げることすらしてこない。
ジッと潜んでいても埒が明かないので、思い切って姿を現す選択をとった。
ズズズ・・・と、隙間から緩やかに這い出たが、女の反応は薄い。
「 何故――俺の存在を告げなかった? 」
ベッド上の女は、虚ろな目でバルモアを凝視した。
「 ・・あなた・・・は、・・死、神? 」
バルモアは――ずるりとベッドへ這い寄ると、上から覆いかぶさるように覗き込んだ。
「 女、質問しているのは俺だ。むっ? 喉を潰されておるのか? その足・・・腱も切断されておるのか? 哀れよな。ヒヒヒッ 」
「 ・・・死、神さん。わたし、を殺し、て 」
「 ヒヒヒッ! まず俺は死神ではない! そしてお前を殺すメリットが俺にはない。そもそも任務に差し支えるのでな 」
「 ・・・・・・ 」
女は虚ろな目のまま無反応だった。
「 ヒヒッ! 柄にもなく一度だけ言うぞ? よく聞け 」
「 ・・・・・・ 」
「 希望を捨てるなよ女。いずれこの館は血の海と化す運命。お前はそれまで、この部屋で耐えるのだ。そうすればおのずと道が開けよう。いや――、とある高貴な御方が必ず開いてくださるだろう。ヒヒッ 」
「 ・・き、希望・・・ 」
虚ろな目のままの女は、これまで口にしたことがないであろう言葉の一つを、反芻するように呟いたのだった。
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