第128話 草原の冒険者
空は青く澄んでいたが、それは私にとって冷たい鉄のように感じられた。
目を細めた。眼下に広がるのは、緑の絨毯のような草原だ。
精霊は無機質そのものだ。首筋に触れるのは硬く冷たい触手だった。
自分が召喚した精霊に羽交い絞めにされ、草原の上空を飛んでいるわけだが・・・地上から目撃されないように、できるだけ高度を上げて飛ぶように精霊に頼んでいた。
風が、顔や手足を切り裂くように冷やしていく。私は自分の体温が奪われていくのを感じた。このまま凍死するかもしれない――と、真面目に頭をよぎるほどに寒いのだ。
空から見下ろすと、草原は緑の波のように揺れていた。風に吹かれて光と影が移り変わる様子が美しい。
「 野営も念頭に置いてちょっと休憩しましょう! どうやら――陽が落ちる前に到着するのは難しそうだし。降りますよ! 」
「 はい! 」
「 わかりました! 」
草原の中にぽっかりと空いた円形のスペースを目指し、切り裂くような風音を聞きながら急降下する。
そこには小さな池もあり、水面には白い花が浮かんでいた。池の周りには色とりどりの花も咲き乱れ、自然が創った庭園のようだった。なかなかに理想の休憩地だ。
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聖なる水球を唱え、中空に水球を出現させ、小型の鍋を手首ごと突っ込んで鍋に水を満たした。それをコンパクトカセットコンロにセットする。
作るのはカレーだ。レトルトパックカレーとパックご飯を湯煎で温めるだけのお手軽さは、こちらの世界の人々には驚異的らしい。
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間もなく夕暮れに突入する草原で、三人の女子は食事を楽しんでいた。
空には赤や紫のグラデーションが広がりつつあり、風は心地よく吹いている。
「 色合いがちょっとアレですけど、凄い美味しいですね! 」
ミラさんはカレーライスを頬張りながら、目を見開いていた。
三人とも会話もそこそこに、ガツガツとカレーを食べていたのだが――
突然、ザクザクという音が聞こえた。
草原の草茎が、何かに折られているような音だった。
「 あれ? 何かいる? 」
私たちは即食事をやめ、音の方向を見やった。
しかし草はあるていど高く茂っており、何も見えない。
「 もしかして獣か何か? それとも人間か? 」
私の呟きに――リディアさんが素早く反応し立ち上がった。
いつでも日本刀を抜刀できる臨戦態勢だ。
私たちは咄嗟に背中を合わせ、円陣を作り周囲を警戒した。
ザクザクという音は段々と近づいてきており、草原が揺れて動いているのが見えた。
私たちは息を潜め、緊張した表情で待ち構える――
やがて、草原から何かが飛び出してきた。
飛び出してきたのは――武装を整えた男性二人だった。二人とも武器を構えている。
「 お? おおお! 魔物? と陸人? この匂いは・・・食事中なのか? ブッたまげたな 」
先頭の男性は髪の短い青年だった。彼は鎖帷子に皮の上着を着ており、腰には短剣も差していた。
彼の背後には、大きな盾と長槍を構えたもう一人の男性がいた。こちらは髭を生やした壮年の男性で、鎧に身を包んでいる。腰には何匹もの――兎のような小動物がぶら下っていた。
「 そうだ! 我らは休憩中で見ての通り食事中だ。ちなみにこれらは魔物ではない。こちらの魔道士殿が召喚された精霊なのだ。妙な動きはするな! これは警告だ。即座に後悔する事態になる 」ミラさんが警告を発する。同時に腰に巻いた革のベルトにぶら下げている――剣の柄をギュッと握った。
銀色の刃と黒色の柄を持つ――シンプルながらも美しいものだ。剣の柄には小さな宝石が埋め込まれており、日中見た時には光を反射し虹色に輝いていた。ミラさんが幼い頃、父親から受け継いだ宝剣らしい。
「 ちょ、ちょっと待ってくれ! 敵対するつもりは無い! 好奇心を抑制できなかっただけだ! 誤解しないでくれ 」
「 俺は視力が良いんだ。かなり距離があったが、確かに何者かが――遥か上空から舞い降りたのが視界に入ったので、確認のために近づいたってだけだ! 魔物の類なら戦闘もあり得ると用心しただけで、人ならばもちろん敵対するつもりは無い! 」
若い方の男性が、焦りながら早口で弁明している。
「 いや――ちょ、ちょっと待て・・・こちらの魔道士殿って、まさか一人で3体もの精霊を召喚しておられるのか? 」
後方の長槍男性も、動揺している様子で口を開いた。
「 ええ、基本3体セットの精霊召喚なんで。この精霊に空を飛んでもらって、私たちを運んでもらってたってわけ。それより、あなたたちはこの辺りに住んでらっしゃるの? 」
私は長槍の人に向かって質問を投げかけた。
「 さ、3体セット? 運んでもらってた? 」
「 俺たちはただの冒険者で、この近くの村に住んでいる。夕食のために狩りをしていたんだが、空から異形が複数降下しているように見えたんだ―― 」
「 なるほど。冒険者ですか。もしかして王都所属ですか? 私たちは王都を目指しているんですが 」
「 そうだな。所属的には、一応王都のギルド所属ってことにはなるが 」
「 おお! 貴重な情報源が向こうから寄って来てくれるとは! 何か食べます? 御馳走しますよ? 代わりに情報を仕入れたいんです! 」
「 おお! 食事を分けてもらえるのか? 本当か! 」
「 ええ、お口に合うか分かりませんが 」
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「 俺はルグリード。こっちはアンディスだ 」
短髪青年が、簡潔に自己紹介を済ませた。
「 どうも。私が魔道士の春乃です。で、こちらがパーティーの仲間である――リディアさんとミラさんです 」私も会釈と共に自己紹介を返し、リュックから荷物を取り出した。
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かなりデカい牛タンがゴロっとしっかり入ったビーフシチュー(お徳用)四袋を鍋にかけた。
さらに傍らに取り出したのはロゼワインだ。
「 なんだコレは? 何を煮込んでるんだ? そもそも、この装置は何だ? 」
ルグリードさんが怪訝な表情のまま、火にかかる鍋の内部を覗いていた。
「 煮込んでるのはシチューですよ。まぁまぁ、もう少しだけお待ちください 」
「 え? これがシチュー? 」
「 ええ、もうちょっとだけ待ってください。先にワインでも飲んでてください 」
そう伝え、ロゼワインの瓶と取っ手付きプラコップを手渡した。
「 これは・・? どうやって開けるんだ? 」
ルグリードさんが訝しみ、キャップ部分をこねくり回していた。
「 ああ、リディアさん開けてあげて 」
「 御意 」
リディアさんが慣れた手つきで、ワインのスクリューキャップを捻って開け、そのままお酌をしてあげていた。
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「 爽やかな味だ! 美味いな! これはかなりの上物ではないのか? 」
「 確かに美味い! 辛口なのにほんのりとした甘みがある。そのうえスッキリとした後味だ・・・ 」
二人の男性がロゼワインを一気に飲み干し、感想を述べていた。
特に長槍のアンディスさんは、まるで美食家のような評論を繰り出していた。
「 美味しいでしょう! でも私はお酒を飲まないので、イマイチ気持ちが解りませんがね 」
リディアさんからボトルを奪い、再び私みずからお酌をする――
「 おお感謝、感謝! で――ハルノ殿はどんな情報を欲しているのだ? 」
気をよくしたのだろうか――長槍のアンディスさんが柔和な笑みを湛えていた。
「 ああ、その前にシチューを食べてください。もうそろそろ頃合いなんで 」
グツグツと沸騰を始めた鍋から――四袋のレトルトパックを取り出し、PEN(ポリエチレンナフタレート)食器に二袋ずつ流し込んだ。
「 なんと! その袋に食材が入っていたのか? 初めて見るモノだな・・・ 」
「 はい、どうぞ。この銀スプーンも洗浄済なのでご安心ください 」
スプーンをシチューにブッ刺し、それぞれ二人に手渡した。
「 おお、至れり尽くせり! 痛み入る! 」
「 遠慮なく頂こう! 」
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二人は一心不乱にスプーンを口に運んでいた。
「 美味しいでしょ? でっかい牛タンがたまんないのよねぇ~ 」
はふはふと掻き込む姿に、自然と笑みが漏れた。
「 実に美味い! 大袈裟ではなく、こんなに美味い料理は生まれて初めて食べたぞ! 」
「 うむ。なんたる美味! ハルノ殿が作られたのか? あの袋に入れて保存しておるのか? 」
「 いえ、私が作ったわけではないです。袋に入った料理をただ仕入れただけです 」
「 食べ終わったらでいいんで、王都と冒険者ギルドに関する情報提供に加え、一つ見てもらいたい絵があるんです。もし私たちが望む有益な情報ならば、同じワインを一本進呈しますよ 」
「 おお! 何でも聞いてくれ! 」
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「 この刀身彫刻が入った剣を所持する冒険者か? う~ん、初めて見るマークだし特に聞いたことも無いな・・・ 」
アンディスさんが、ノートから切り離した紙を覗き込みながら静かに呟いた。
「 お前はどうだ? 」
話を振られて紙を回されたルグリードさんが受け取る。
「 う~ん・・・いや、俺もわからんな 」
同じく首を傾げていた。
「 そうですか・・・残念ですね。ではワインの進呈はナシですね! 」
「 むうぅ、残念なのはこっちの台詞だ 」
アンディスさんは言葉通り、心底残念そうだった。
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「 では俺たちは村に戻ろう。肉を待っている子供もいるのでな。しかし世話になった! 王都に向かわれるならば、また会う事もあるやもしれん。その時は宜しく頼む! 」
「 こちらこそ! 」
立ち上がり別れの挨拶をする二人に対し、私たちも腰を上げ――「 またどこかで会ったら宜しく 」と伝えた。
見上げると、夕暮れの空は血のように赤く染まっていた。
まるで巨大な蛇が無数に這い回り、獲物を探しているかのような雲が奔っていたのだった。




