第102話 老齢戦士
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ユリアーネ姫の慰めも虚しく、参謀ハイルギットの精神は異常をきたしつつある風に見受けられた。
ガタゴトと伝わる馬車の振動を臀部で感じつつ、ユリアーネ姫はハイルギットを観察していた。
まるで嬲るように追いかけて来る真龍が攻撃を仕掛けてきた場合の対処法について、いくつもの選択肢を脳内に並べ、その一つ一つを細かくシュミレーションしているのだろう。その証拠に忙しなく眼球が揺れていた。
本来ならばユリアーネ姫の補佐、参謀長として、もっと毅然とした態度で思考を巡らせるべきなのだろうが・・・
皇族の御前だというのにもはや取り繕うことも失念し、額からダラダラと流れる脂汗もそのままに、焦点の合わない視線で顔面蒼白のまま何やらブツブツと消え入るような声で呟いている。
もはや狂人一歩手前のような状態に陥っているのは、誰の目からも明らかだった。
無理も無い。このような異常な事態が立て続けに起き、今なお現在進行中なのだから――至極当然の症状だ。
精神の平衡を失った部下を対面する座席に捉え、ユリアーネ姫もまた頭を抱えていた。
――あの真龍が王国の手先でないことを祈るのみだ。もし王国が何らかの方法で使役しているのであれば、我々は完全撤退することを視野に入れねばならぬかもしれん・・・
もし王国が戦力として真龍という強大なモンスターを使役しているのだとしたら・・・我々は完全にライベルク王国という国家を見誤っていたことになる。
――どうやって使役している? 何らかの魔法か? 薬物か? あり得ない・・・まさか完全に支配されているわけではないだろうな?
自発的に王国に加担している? そんなバカな事があるのか? 王国に加担する真龍のメリットが想像できない・・・まさか! 絶大な効能のあるあの霊薬が関係しているのか?
連続した悶々とした激しい思考は、突然――軍用ラッパの警笛により一瞬の内に掻き消された。
「 何事だ!? まさか・・・真龍が攻撃に転じたか! 」
ハイルギットも青ざめた顔を上げ、身体を強張らせていた。
馬車は急制動をかけ停車する――
二人とも進行方向につんのめったがなんとか踏ん張り、即座に観音開きの扉を開け放った。
日差しが眩しい。すっかり日が昇った外界へと飛び出る。
姫専用の馬車を護衛する騎兵の一人が、何やら慌てた様子で馬から降り姫の足元に跪いた。
「 御報告申し上げます! 真龍が先ほど、左手方向へと飛び去りましてございます! 」
「 飛び疲れて諦めたか 」
ユリアーネは心の底から安堵している自分に気付き、苦笑していた。
「 ハイルギットよ、行軍停止だ。兵を休ませる! 」
「 御意にございます! 」
「 おい、伝達に走れ! 」
指示を受けたハイルギットは、すぐさま兵士に命令を下した。
跪いたままだった兵士は即座に立ち上がって馬に跨り、先頭方面へと駆けて行った。
言わずもがな、帝国軍は総員疲労困憊だった。
肉体的には総員漏れなく限界突破しているだろう。現状、精神力のみで活動している状態だ。
やっと休むことができる・・・
待ち望んだ朗報を耳にした兵士たちから安堵の溜息がそこかしこで漏れ――、へたり込む者も少なくなかった。
あからさまに警戒を解く兵士を横目に見――「 まだ気を抜くな! 」と、規律に厳しいユリアーネは一喝したい衝動に駆られたが、流石に場の空気を読み口をつぐむことにしたのだ。
まだまだ甘いな・・・と、自分自身に対しまたしても苦笑していた。
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屈強な黒馬で疾走する王国正規軍元帥――ドノヴァン・ライムンド卿。
そのすぐ後方から部下の騎兵が追いかけ、窘めるというよりは、怒鳴っているかの如く叫んでいた。
「 ドノヴァン様っ! 先頭を駆るのはお控えください!! どのみち歩兵が到着するまで些か時間がありましょうし! 」
どうやら先頭を走るのは危険だからやめてくれ――と言いたいのだろう。
「 うるさいぞ! ただでさえ遅れをとっておるのだ! 聖女様が御作り下さったこの絶好機を逃すわけにはいかんのだ! いち早く合流し、作戦をすり合わせるのだ! 」
「 お気持ちは解りますが! 危険です! せめて騎兵隊の中央まで御下がり下さい! 」
「 危険? この草原のどこに敵兵が潜んでおると言うのだ! 無駄口を叩いておらんで付いてこい! 」
「 そもそも! 軍最高司令官のドノヴァン様が、最前線に出るなんぞ狂気の沙汰ですぞ! 」
「 はっはっはっ! 血がたぎるわ! ワシは生涯現役じゃ! はっはっはっ! 」
▽
▽
ドノヴァンの視界の先に、小川の畔で大勢の兵士が休憩をとっているのであろう光景が飛び込んできた。
「 追いついたか! 」
▽
ドノヴァンを先頭に騎兵隊数十騎が、一人の女性兵士を取り囲むように迫った。
女性兵士はすかさず跪き大声で叫ぶ。
「 これは閣下! お待ちしておりました! 」
「 うむ御苦労! フォリスと申したか? 女だてらに殊勝なことよ! なかなかの首尾! 」
「 勿体なきお言葉にございます 」
女隊長フォリスは、さらに深々と頭を垂れる――
「 聖女様が御作りくださったこの好機を逃してはならん! このまま一気呵成に攻めるぞ! 帝国はすぐそこだ。とはいえ重装歩兵がまだ到着しておらんのでな。逸る気持ちもあるが暫し待機だ。この間に、陣形の最終打ち合わせをするぞ! 」
「 はいっ! 」
フォリス率いる軍勢2000と、後続の元帥ドノヴァンが率いる王国正規軍5000、内――合わせても騎兵は僅か100にも満たない。
これは新設の吊り橋を渡ったことが起因している。
馬自体は全く問題ない――が、通過するのにどうしても数頭ずつとなってしまうので、時間が掛かって仕方がないため騎兵の数は抑え目だった。
それから新設の吊り橋がなかなかに頑強な作りとはいえ、流石に恐竜を通過させることは不可能だ。
言わずもがな、巨大な馬車の荷台も大型弩砲などの移動可能な大型兵器も無理だ。故に重装歩兵が軍勢の大半を占める。
何としても奇襲を成功させ、敵の大型兵器や移動用のために馬車、そして恐竜輸送車などを戦利品として奪取したい。
さらにミルディア領都およびイシュトに蓄えてある兵糧を、帝国兵が食い尽くしていない事を祈るのみだ。
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一見、王国側が有利に事を運んでいる風に思えるが、油断はできない。
敵軍の第一波は、万を超えているという未確認情報もある。
数の不利もさることながら、こちらとしては戦利品となるであろう物資や移動用の馬などを傷つけないようにし、敵兵のみを斃さなければならないのだ。
縛りがある戦闘は、それだけでかなり動きを制限されてしまう。
しかも、追い詰められた帝国兵は死兵と化すことが予想される。
だがその点はこちらも同じ――死を恐れない兵と化すのはこちらも同じだ。
ただ意味合いがかなり違ってくるのだろうが。
こちらは追い詰められて死兵と化すのではなく、死んでも蘇生してもらえるという保障があるからこそ、命を惜しまず戦う者が数多く存在することだろう。
全指揮を直属の部下に丸投げし、自身は最前線で白兵戦を敢行するつもりでいるドノヴァン。
元帥という立場からは到底考えられない、前代未聞の無茶をしようとしているのも、直属の部下に対する絶対的な信頼に加え、蘇生してもらえるという保障があるからこそだった。
――聖女様の存在が、どれほど我が軍に力を与えていることか。
ドノヴァンは虚空を見上げ、デュール神とその御子に対し、これ以上ない深い畏敬の念を抱いたのだった。
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肌寒い風が吹く穏やかな草原。
真龍が彼方へ飛び去り全く戻ってくる気配がないため、ユリアーネ姫は勿論だが、兵士一人一人の表情からも険が取れ、吹き抜ける風同様、心なしか穏やかな表情になっていた。
最低限のモノばかりとはいえ、久方ぶりの食事に有り付く事ができた兵士たち。
ガチガチに固まった小さなパンを齧るだけでも、束の間の幸せを感じることができた。
食後はそこかしこで微睡み、コックリコックリと船を漕ぐ者も点在する始末だった。
そんな一時の平穏も、すぐに終わりを迎える。
「 な、なんだ? おい! 警告しろ! 何者かが近づいてくるぞ! よく見えないがあの速度は――、騎兵か! 」
異変に気付いた兵士たちは大声で叫び合いながら、武装を整え軍用ラッパの音を轟かせた。
「 て、敵襲ぅ!! 敵襲ぅうう!! 」
さらに地鳴りのようなドドドド――という鳴動と共に、夥しい数の重装歩兵が突撃を仕掛けてくるのが視界に入った!
専用馬車内で仮眠を取っていたユリアーネ姫は外界の騒音を敏感に察知し、反射的に飛び起き外へ出ていた。
「 何事だ! 」
真っ先に脳裏に浮かんだのは、取って返した真龍が休憩中の兵士を襲う絵だったが――、現実はもっと信じられない光景だった。
茫然とするユリアーネ姫の下へ、ハイルギットが駆け寄ってくる。
「 ひ、姫様! 王国軍かと思われます! 」
「 ナゼだ! どこから・・・ 」
――あのような数が動けば痕跡があちこちに必ず残る。冒険者による五~六人のパーティーとはわけが違うのだ。
いやたとえ五~六人だとしても、滞在し移動すれば必ずどこかに痕跡が残るものだ。
斥候部隊が――、それをことごとく見落としていたと言うのか?
東からの襲撃
少なくともサラムでは情報収集のため、商人に化けギリギリまで街に溶け込んでいたのだぞ? あり得ない・・・
い、いやまさか・・・遠方へ斥候に出ておった兵を買収し寝返らせていたのか?
いやバカな! それこそあり得ん・・・一人や二人でも現実味がないのに、斥候部隊全員を寝返らせることなど到底あり得ないことだ。
――まさか、唯一サラムの街民が避難していなかったことに何か関係が?
いや、もはやそんなことはどうでもいい。態勢を整え迎撃せねば!
▽
金縁の白銀鎧を全身に纏ったユリアーネ姫は、右手で握りしめた片手剣を振り回し、左の掌からは火球や氷の手槍といった魔法を連続で繰り出し、迫りくる王国兵士を次々に斃していた!
「 姫様に続けぇええ!! 」
ユリアーネ姫の後方で、親衛隊数名が剣や手斧を振るっている。
姫を守護するというよりも、邪魔にならないようにと少し離れたポイントで、姫の両サイドから迫る敵を食い止めていた。
蠢く王国軍の後方から、尋常ではない凄まじい音量の声が響く。
どうやら敵軍の指揮官が、指示を与えるために叫んでいるのだろう。
そこかしこでぶつかり合う剣撃の音を吹き飛ばすほどの――、信じられない声量だった。
個人の強さにはいくつかの種類がある。
剣術や体術、魔法力の高さなどが最も分かり易く、真っ先に連想するであろう個の強さを示す指標だ。
だがこと戦場に関してのみでいえば、どれほどの大声を出せるか――も、立派な強さの一つだった。
乱戦状態に突入した前線の兵士にとってみれば、常に指示が有るのと無いのとでは大違いなのだ。
――あれほどの大声をどうやって出しているのか?
いや、あの大声一つとってみてもハッキリと理解したことがある。それは、我々が王国の強さを見誤っていたということだ。
時期尚早。その一言に尽きる・・・
まだ王国を攻める時期ではなかったのだ。
――だがまだだ! 敗北したわけではない! この場を斬り抜けミルディア城まで到達することができれば、籠城し後続の援軍がくるまで持ち堪えることができる。そうなれば、むしろ勝機は我らにある!
「 お主が軍を率いておる指揮官か! ワシと同じく最前線に出ておるとはなぁ! 奇遇、奇遇! 」
次々と斬り伏せるユリアーネの下に、軽装鎧を纏い背中に小型の弓を背負った老齢の男が、叫びながら迫る!
二刀流のその老齢戦士は、ユリアーネに負けじと迫りくる帝国兵を次々と薙ぎ倒していた。
一種異様で美麗な板金鎧を纏っていることから判断しているのか?
老齢戦士は、ユリアーネを指揮官と信じ疑ってはいない様子だった。
「 ワシはライベルク王国軍元帥ドノヴァン! 城奪還よりも先に、お主たちを叩く作戦に切り替えたのは正解だったようだな! いざぁあ! 」
倒れた帝国兵の背中を踏み台にし、ドノヴァンが跳躍しユリアーネに肉薄する。
魔法を使うために片手を空け盾を所持していないユリアーネにとって、至近距離での接近戦は分が悪い。
大きく振りかぶり自重を乗せたドノヴァンの――右の一撃が迫る!
ユリアーネは受けず、後方に飛び退き体勢を立て直した。
隙が発生する着地を狙うようなマネはしない。
――まだ様子見だ。この老人は危険だ。
「 誘いには乗らんか! その身のこなし・・・その垣間見える顔立ち、もしや女か? 」
ユリアーネは答えない。
多少なりとも相手のペースに巻き込まれたくはなかった。
そもそも魔法詠唱中だ!
ユリアーネの左の掌から突然冷気が発生し、氷の手槍を形成する!
「 なるほど! 先ほどからの魔力の煌めきは、お主の魔法に因るモノだったか! 」
風切り音と共に、弾丸のような氷の手槍がドノヴァンに迫る!
「 ぬおっ! 速い! 」
なんとか身体をよじってギリギリで躱すことができたが、大きく体勢を崩したドノヴァン。
これがドノヴァンの誘いではなく、絶好機と見たユリアーネは、一瞬で間合いを詰め渾身の刺突を繰り出した!
ドノヴァンの右胸に刺突がクリーンヒットする!
だが、突き刺さった感覚ではなかった。
――手応えがおかしい!
切っ先だけ突き刺さったが、すぐに弾き返される感覚。板金鎧ではなく軽装鎧なのにナゼだ・・・
「 ぐうぅ 」
ドノヴァンは一瞬悶絶したが、すぐに体制を立て直した。
「 はっはっ! 聖女様より貸与されたこの【ボウダンベスト】は本当に凄いのぉ! 過酷な強行軍にヒ弱な魔道士共は随行しておらんと踏んでおったが――、まさか指揮官が魔法剣士とはなぁ! いやはや恐れ入ったぞ! 」
――この老人は心底戦闘を愉しんでいる・・・不快だ。
切羽詰まり必死なユリアーネにとって――非常に対照的な眼前のドノヴァンは、眩しくも映り嫉妬にも似た感情を抱いてしまった。
そして次の瞬間、ユリアーネを含む帝国軍総員が絶望を抱くこととなった。
虚空の彼方から、またしても真龍が飛来する姿を――否が応でもその視界に捉えてしまったせいだった・・・
「 なっ! このタイミングで戻ってくるのか! 」
――真龍は非常に知力の高いモンスターだ。
もし本当に王国に懐柔されているならば・・・もはや我らに勝ち目は無い。
――もはやこれまでなのか・・・
勇猛果敢で知られる流石のユリアーネ姫も、絶望を禁じ得なかったのだった。
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