第18話 バフ祭りスミスベルス ⑧
群青色の深まりつつある空に、巨大な翼が翻るのが見え、踊りの一行は俄かにざわめく。
「……スカベンジャードラゴンだ!」
「こっちに来るぞ!」
以前に聞いた名前の魔物である。ドラコニク・スロースの死体を餌にすると言われる、上位捕食者。
オレンジに近い体色に、斑とも縞とも見える黒い模様。風変わりな外見ではあるが、スミスベルスのメインストリートを横断する程の翼長は、紛れもなくドラゴンのそれだ。
「しかし、ドラコニク・スロースの死体はもう山頂にない! 今朝方、魔物解体業者が到着して引き取っていったはずだ!」
焦燥に駆られつつもそう発言したのは、ベックフォードである。
だとするとスカベンジャードラゴンは、残り香にでも惹かれて飛来したのだろうか。
好物の匂いに誘われてやって来た場所に、目的の好物がなかった場合、ドラゴンはどんな行動に出るのか?
「来るぞぉ!」
誰かが叫び、通りに集まった人々は、頭を庇って身を伏せる。
凶暴な雄叫びを響かせて、ドラゴンが通りのすぐ真上を飛び、猛烈な風と共に駆け抜けていった。
空中で旋回し、再び街へと迫る。
幸い、今の一撃では、牙や爪に引っ掛けられて攫われた者はいなかったが、紙一重だった。そして、また攻撃が来る。
「我々を、獲物と認識している様子ですね」
身を起こしたハオマが呟き、シェーナが少し考えてから答える。
「今、人が密集してるからね。上空から見ると、動きの鈍い大きな動物に見えるかも」
動きの鈍い大きな動物。まさにそれは、ドラコニク・スロースをはじめとする、スカベンジャードラゴンの好物である。
「くそ、ここまでやってきて、この上犠牲者を出してたまるか!」
ベックフォードが鋭く口走り、矢を番えて放った。
その矢は飛び回るスカベンジャードラゴンの翼の端を、辛うじて掠め――
「ギャアアッ!」
「……は?」
ドラゴンの片翼に、目視出来る程の大穴を開けた。
矢を放った当人にとっても予想外の事だったらしく、ベックフォードは唖然としている。
「今、踊ってるミンナに『強化』がかかってる最中ヨ!」
コチが鼓を打ち鳴らし続けながら、その場の全員に告げた。
「治癒術士でも、物理的に強力な攻撃が出来るって事ヨ!」
「流石先生! では、僕が今度こそ!」
フェリックスが、手近な鍛冶屋の脇に立て掛けてあった槍を握り、
「うおおおおッ!」
裂帛の気合と共に投げつける。
が――外れた。槍は遠くの地面に突き刺さり、
「おい、あれ商品だぞ!」
と、鍛冶屋からクレームがついた。
「翼の巻き起こす風が強いけん、引き付けんと……」
翼を負傷し、バランスを崩しつつも、飛行態勢を維持するドラゴンを見届けて、エイダンは思案する。先程のベックフォードの放った矢も、ドラゴンの眉間を正確に狙っていた。しかし、強風で矢が逸れたのだ。
ドラゴンがまた、通りの人々を狙って旋空する。
手負いとなり、かなり気が立っている風だった。威嚇の唸り声と共に牙を剥き出している。
――次は本気で狙ってくる。しかしそれは、こちらにとっても勝機だ。ぎりぎりまで引き付け、一撃で確実なダメージを与えなければ。
「コチさん! 俺に強化を集中させるちゅう事、出来んかい?」
エイダンは背中に挿した長杖を引き抜き、コチに問いかけた。
「エェ!?」
「強化された治癒術士、二十三人がかりの強化魔術! そいつを使うて一発叩き込みゃあ――」
コチはその提案に、しばしの逡巡を見せた。
しかし、ドラゴンの攻撃がもう今にも来る。彼女は頷き、鼓を低く、強く鳴らして皆の注目を集めた。
「ミンナッ! エイダンくんに強化魔術を集中! 強化魔術の使えない人は、ワタシと踊るヨ!」
「お、踊るの!? 今!?」
戸惑うシェーナに、コチは「ソウ!」ときっぱり応じる。
「踊り手が多ければ多い程、ワタシの魔術は効くヨ! そこの、鍛冶屋さんも細工師さんもパン屋さんも! ミンナで踊ってドラゴン退治ネ!」
コチは鼓を振り上げて、町民達を順々に指し示した。
「おう、な、何だかよく分からんが、やるぞ!」
「俺達の納期のために! スミスベルスのために!」
「アラヨーイヤセー!」
「アソレヤーットセ!」
コチの呼びかけを受け、スミスベルスの町民が、次々と踊りを再開する。
シェーナとフェリックス、解呪専門の治癒術士数名も、踊りに加わった。残りの治癒術士達は、強化魔術の詠唱を開始する。
ハオマが蛇頭琴を奏でた。コチの鳴らす鼓に合わせたような、軽快な旋律である。
「ハオマさん、それ、新曲?」
エイダンが訊く。
「即興でございます。彼女の魔術の一助になるかと」
かつて、シェーナの防御結界の魔術を強化してみせた、あれのアレンジバージョンであるらしい。
「ええ曲じゃね!」
「何を呑気な。どうなっても存じ上げませんよ」
会話の間にも、ドラゴンの咆哮が近づいてくる。
「シャアアアアアッ!」
治癒術士達が魔術を完成させ、エイダンへと浴びせた。鼓動が早まり、周囲の喧騒も音楽も聞えないくらい、襲い来るドラゴンに意識が集中していく。
「アソレヤァーットセェエッ!」
コチが、ひときわ高々と音頭を取り、硬い音で鼓を鳴らした。
エイダンは走り出した。助走をつけて地面を踏み切り、正面から迫るドラゴンの上顎を飛び越えて、鱗に覆われた眉間へと、長杖を叩きつける。
「キャウン!!」
眉間を打たれたドラゴンは、突然、尾を踏まれた犬のような悲鳴を上げた。もんどり打って街の入口付近に倒れ、そこから斜面をいくらか転がり落ちる。
ドラゴンはなおも翼を羽ばたかせ、飛び上がろうとしたが、脳震盪に近い状態にあるらしい。そのまま、飛んでいるのか這っているのか分からない動作で、山を下り、逃げ去って行った。
「退けた……!?」
呆然としつつも、エイダンはそう口にした。徐々に、通りに歓声が沸き上がる。
「やったぞぉ! バフ祭りの勝利だ!」
「バフ祭り万歳! スミスベルス万歳!」
喜びのあまり、再び踊り始める町民一同である。
エイダンは彼らを振り返り、そちらに戻ろうとして――
――そこで、ぷつりと意識が途切れた。
◇
「だから、どうなっても存じ上げませんよと」
呆れ返った口調でハオマは言い、頭の先以外全身毛布に包まれたエイダンを、ベッドから担架に移した。
「ううう……しわい……もうちょいそっと……」
毛布の中で、エイダンはもごもごと呻く。
シェーナとハオマは、担架を担いで宿屋の玄関まで降り、今度は幌馬車の中にエイダンを移す。
「後でまた、痛み止めの治癒術かけたげるから。でも、過剰な魔術は良くないからね、何事も。湿布の方はどう?」
「効いとるよ……多分……」
毛布の中のエイダンの身体は、関節という関節に湿布を貼られていた。
強化された治癒術士、二十三名(およびスミスベルス町民有志一同)による一斉強化魔術。
その効力は凄まじく、エイダンは見事に、杖の打撃一発でスカベンジャードラゴンを退けた訳だが、問題は、その反動である。
いくら生命力を活性化させる治癒術でも、短時間のうちに過剰な魔力を浴び、不自然な形で肉体を操作すれば、負荷がかかる。
強化魔術を受けやすい、前衛で戦う職種の戦士達は、強化による負荷対策の訓練も積んでいるのだ。
エイダンも多少は鍛えているし、頑丈に出来ている方だが、その道の専門家には敵わない。
強烈な全身の疲労により、一時的に意識を失っていたエイダンは、幸い再び目覚めたものの、寝返りも打てないレベルの筋肉痛にさいなまれ、この二日間、湿布まみれで毛布に包まって、延々と唸っていた。
「おお、風呂の治癒術士の兄ちゃんじゃないか! ドラゴン退治の!」
幌馬車に積まれるエイダンを見て、通りすがりの職人が寄ってきた。トーマスである。
他にも何人か、仕事の途中らしい鍛冶屋や運搬業の町民が、馬車を覗き込む。
「身体は大丈夫なのか? もう行っちまうのかよ?」
「ええ。大分長居しちゃったもの」
シェーナが代わって答える。
「ゆっくりしていきゃいいのによ。礼もまだろくに出来てねえ」
そうだそうだ、と職人達が頷き合い、トーマスは思いついた様子で、携えていたランチのバスケットから、ワインのボトルを取り出した。
「これ、餞別に持ってけよ!」
「そんじゃ俺も――」
「このハムは日持ちするぜ」
「田舎から林檎が来てるから、ちょっと食べな。美味いよ」
馬車で寝ているエイダンの周りには、あれこれと見舞い品が積み上げられ、さながらお供えのような風情になってしまった。
「あ、あんがとうございます……」
エイダンは毛布から顔を出して、集まった町民に礼を述べた。酒は飲めないし、身体が痛くて何を貰ったのか確認出来なかったが、気持ちは嬉しい。
「『バフ祭り』のお陰で、仕事が捗る捗る!倍の速さでノミが振るえて、しかも正確だからな。何とか年末までに終えられそうだ」
気力に満ちた顔で、トーマスは笑う。
エイダンとしては、強化は当分の間、遠慮したい。
「……強化のかけ過ぎと、張り切り過ぎは……やっぱ身体に悪いけん、ほどほどに……」
「だっはっは! 秋の終わりまでガツガツ働いて、冬の間は毛布に包まって死んだように眠る! これがスミスベルスの伝統ってもんだ」
「そ、そがぁですか……」
職人街のノリはハードだ、とエイダンは胸のうちで呟く。
「じゃあなー! 早く元気になれよ!」
「兄ちゃん、欲しい武器があったらウチで注文してくれよ! 半額にしとくぜ!」
ちゃっかりした声援に送られ、エイダンとシェーナ、ハオマを乗せた幌馬車は、スミスベルスの坂を下って行った。
◇
街の入口までやって来ると、他の治癒術士パーティーの馬車もそこに何台か停まっていて、出発の準備に勤しんでいた。
ベックフォードがシェーナを見つけ、近づく。
「今回は世話になったな。私も事後処理を済ませて、彼らの仕事納めを見届けたら一件落着だ」
最初に会った時よりも、いくらか柔らかな声色で語り、ベックフォードは笑顔を見せる。
『バフ祭り』の時、彼女はやたらと楽しげに踊っていた。任務のまとめ役としての重圧から解放され、日頃のストレスも解消され、スッキリしたのかもしれない。
ふと、馬車の奥を見たベックフォードは、気の毒そうに顔を曇らせた。見舞い品に囲まれ、毛布の中で唸っているエイダンに気づいたのだ。
「……彼の事は、アンバーセットの冒険者ギルドにも報告しておく。よくやってくれた。踊り子のコチ嬢もだ。功労賞だな」
「ベックフォードさん。コチとフェリックスは、もう出発したの?」
シェーナが真剣な眼差しで訊ねるので、ベックフォードは不思議そうに答えた。
「いや、今からのようだ。あちらの馬車に」
シェーナはその場をハオマに任せて、コチの幌馬車へと急いだ。
幸い、他の幌馬車からは少し離れた位置にある。会話を聞かれる距離ではないだろう。
「……フェリックス!」
馬車に荷物を乗せにかかっているフェリックスの姿を見つけ、シェーナは声をかける。
「シェーナ! 来てくれたのか!」
「ええ。貴方には、謝らなくちゃ」
「謝る?」
「六年前のこと。……あたしはやっぱり今でも、こんな婚約、納得出来ないけど……でも、断るなら通すべき筋ってものがあったわ。貴方を傷つけるようなやり方を、選ぶべきじゃなかった」
納得の行く人生を手に入れるために、自分の母親と正面から話し合う事が、どうしてもシェーナには出来なかった。だから、誰にも何も告げず、全てを捨てて逃げ出した。
だが、シェーナに納得が必要なのと同じように、フェリックスにもそれは必要なのだ。そこをないがしろにするべきではなかったと、今にして思う。
「あたしは、自分がこれだと思うやり方で、人を助けたい。だから貴方とは結婚出来ない。ごめんなさい」
視線を逸らさずに、シェーナは告げた。
フェリックスは、しばし沈黙する。
「……君が気にしているかもしれないから、一応伝えておくが」
長い間ののちに、フェリックスは口を開いた。
「君のお母さんが続けている、水属性魔術を利用した灌漑設備の研究……あれに対する、僕の父からの出資は、取りやめにはなっていないよ」
「え――」
シェーナは目を瞠る。
「間違いなく、地域住民のためになる研究だと父は判断した。良くも悪くも、そういう所に私情を挟む人ではないんだ。多分、君のお母さんも」
フェリックスは、意外にも大人びた表情で苦笑を漏らした。
「彼らは正しく、地主階級だからな」
「フェリックス、貴方って……やっぱり悪い人じゃないのよね」
軽く首を傾げるシェーナである。突っ走り癖さえ発揮しなければ、こうして細やかな気遣いも出来るし、聡明な面も垣間見せるというのに。
「それは、シェーナ!」
突然、フェリックスが目を輝かせ、ざぁっと砂埃を立てて、滑るように片膝をついた。
「僕がもっと成長して、相応しい人物にさえなれば、まだチャンスはあるという意味だろうか……!?」
「いや、違う違う! ないよ!? 脈なし!」
「五十年、いや百年かけてでも僕は必ず、君の期待に応えてみせる! たとえ何人の恋敵が立ち塞がろうとも!」
「百二十一歳まで待てるか! ていうか、恋敵って誰よ!?」
「うおおお! コチ先生! やはり僕は、引き続きお供します! 修行の続行を!!」
「アレ、そうなのネ?」
馬車の屋根の上から声がした。
会話を聞ける距離に、人はいないとばかり思っていたシェーナは、仰天する。
「コチ! ……また屋根の上に!?」
「今度は立ってないヨ、寝てるヨー。これで安全」
「安全じゃない!」
幌の上で仰向けになっていたコチは、ごろりと寝返りを打ち、頬杖をついて地上のシェーナとフェリックスを見下ろす。
「フェリックスはネ、ドラゴンに一発食らわせられないまま、エイダンくんに良い所持って行かれたのがショックで、一旦実家に帰るつもりだったのヨ。でも、修行を続けるならそれも歓迎ヨー、一緒にアンバーセットまで行くネ?」
「アンバーセット……!?」
シェーナは驚いて聞き返す。コチ達は、彼女らが拠点とするあの街とは、まるで別の方角から来ていたはずだ。
「ワタシ、人捜しの旅の最中なのヨ。相手がアンバーセットにいるっぽいから、向かってる途中だったのネ。スミスベルスで困ってる人がいるって聞いて、チョット寄り道したけどネ」
「そうなのだ!」
フェリックスは立ち上がり、明後日の方向を指差した。
「共に進もう、シェーナ! 向かうべき地はアンバーセット!」
「そっちは南。アンバーセットの街は北東よ」
冷淡にそう告げると、シェーナは疲れ切った気分で、自分の馬車へと踵を返した。




