09
「君はVR警察が分けられた経緯を詳しく知らないだろうから、一応話しておこう」
本当は知っているが、言えないので黙って聞く事にした。
「三十年程前、AIナニーの世話を受け、新生児期から世話を受けると、五感の欠落したVR上でもあらゆる情報を得る事が学術的に証明された。その時期から、VR麻薬を開発する者が出現した。AIナニーを介してVR感度の高い若い世代にのみ効果のある興奮剤の様な電気刺激信号だ。感受性の低い前世代には効果が無い。それで若い世代をVR麻薬漬けにして勢力を拡大させていたのが、バーチャルヤクザだ」
汐里のお父さんが、バーチャルヤクザとVR麻薬を、未来の為に滅ぼすべき悪だと公言したのは有名な話だ。
「実は、VR警察を分離させる前から門倉警視総監が、開発者を独自に集め、麻薬を遮断するウォールの開発を進めていた。それをVRベッドで展開する事を国に上申して承認されたから、世界からVR麻薬が消えたんだ。結果、門倉警視総監はバーチャルヤクザに狙われ、命を落とされる事になった。……今では世界中で使われていて、カドクラウォールと呼ばれている。これでVR麻薬は根絶された。本当ならノーベル平和賞ものの価値があるんだが、未だに秘匿されている。このウォールの仕組みを知られる訳にはいかないからだ」
汐里のお父さんが何故殺されてしまったのか。警察官になると決めた時に父に聞いた通りの内容だ。
「……実はカドクラウォールから発展した新たなウォールが開発され、何重にも展開されている。万一カドクラウォールの仕組みを理解されて破られたとしても、VR麻薬が蔓延する事は無いんだ」
それも知っているが……本当は私が知っていてはいけない事なので、知らないフリをする。
「そうなんですか?」
「ああ。ただ何もしないままにカドクラウォールだけを頼って来た訳じゃないからね。ただ……内部に裏切り者が居る」
VR警察の内部に犯罪者が居るのだ。
「目的は、分かっているんですか?」
「いや、特定はできているのだが……目的が分からない。真面目に仕事をしているし、警察官である事に抵抗を感じている様子もない」
つまり、検診で何も引っかかっていないのだ。
「その警察官をハッキングして内部の情報を探っている別人の可能性は無いのですか?」
「その可能性は示唆されたし当然調べた。……VR警察の根幹を揺るがしかねない事案だからね」
辻はそれ以上の事を何か言おうとして口をつぐんだ。詳しく調べられていて情報は揃っているのだろう。ただ、部外者である私に与えるべき情報ではないと考えたのだ。
証拠不十分で捕まえられないのではない……別の理由があるのだ。
「何をしたらいいのでしょうか」
犯人の目星がついていて、何かを引きずり出せればそれでいいのだ。
事情を聴いてこない事に辻はほっとした様子でつづけた。
「話が早くて助かる。やってほしい事はただ一つ。ガウラの存続だ」
辻は説明を始めた。
「バーバリアンズ・ウォー内部の犯人本来のアカウントはガウラに存在する。ガウラを滅亡させてゲームを離れる様に計画をしていたようだ。忌々しいが、頭の切れる奴だよ」
「じゃあ、ガウラのプレイヤーの行ったアルベスタ侮辱は……」
「サルベージアカウントによる計画的なもので、実際の行いを隠す隠れ蓑だ」
そのプレイヤーを辿った所、アカウントを作って放置している人物に辿り着いたそうだ。作ってみたものの、一度戦場に出ただけで自分には向かないと止めたゲームのアカウントが稼働していた事に、警察から事情を知らされるまで知らなかったらしい。
……ガウラを追い詰めた張本人がガウラ内部に存在する。
警察内部で裏切りを行い、ゲーム内部でも自分の所属勢力を陥れて滅ぼす。何を考えているのか全く分からない。ただただ腹が立つ。
「誰なんですか?アバターの名前は?知っている人ですか?」
「それは……美月には教えない事になった」
「え?」
「何も知らない君が好き勝手に動き、焦った犯人も動く。それを待っている。……あいつが何をしているのか、俺達は正確に把握したいんだ」
辻は続ける。
「犯人は、サルベージアカウントで参加しているアルベスタ内部で、VR麻薬に近い何かを使って周囲のプレイヤーを狂暴化させている。その方法を実際に見たいから、奴をモニタリングしている。あいつを捕まえても、正直に吐くとは思えない。そうなったら何が起こっているのかわからないままになってしまう可能性が高い。きっと……捕まった場合の処置は講じている筈だからな。奴が尻尾を出さずにガウラが滅びて逃げ切るか、焦って何かするか……それが今回の肝なんだ」
ガウラに居る本アカウントが何もしていなくても、サルベージアカウントは何かしている筈だ。
「アルベスタに在籍しているサルベージアカウントの特定はどうなっているんですか?」
「プレイヤーが多過ぎて難航している。一人ひとりのアカウントを疑って洗うと言うのは、個人情報の保護から見ても時間がかかる。犯人に悟られてはいけないから、余計に難航している」
個人情報を開示させるとなると、ゲーム内経歴……つまり設けた金額も開示する事になる。確証の無い事件の犯人を特定する為に個人情報を閲覧する事はまず不可能だ。閲覧に対する協力を求める事は出来るが、それに応じるかどうかは各自に任せられる。VR警察が、バーバリアンズ・ウォーのプレイヤーに情報開示を求めていると知られたら、警察内部にいる犯人は絶対にアクションを起こさなくなる。強引な事も出来ないのだ。
逆に言えば、お金の儲かるゲームだから犯人はこっそり消えたくても消えられなくなっているとも言える。つまり犯人のシナリオ通り、ガウラが滅びてこの状況が収束しない限り、上手く逃げ出す事が出来ないのだ。
「あの、サルベージアカウントに入ったお金はどうなっているんですか?」
「ゲーム内部での受け取りをしなければ、入金はされない。美月がアシガルでまだチップを受け取れないから無報酬状態なのと同じだ」
「そうなんですか」
「長く金を受け取っていないプレイヤーだけを調べる事も考えているが、運営が拒否している。交渉は続けているが、あれはダメだろうな」
プレイヤーからの信用を失う可能性があるのだから当然渋るだろう。VR警察としても、トカゲ犯との関連なんて話をうっかり出来ないのだ。
報道にリークされる危険性がある。そうなってしまえば、世に大混乱をもたらすリスクがある。
犯罪の捜査に制約が多いのは確かだが、これ程身動きの取れない捜査は私も聞いた事がない。
「それで話を戻すけれど、君に犯人を教えないのは、ただガウラの存続だけを目標にして欲しいからなんだ」
「存続だけを……ですか?」
「犯人に勘付かれてはいけないんだ。美月が警察官だとバレたら、何もしない可能性もある。それでは潜入捜査の意味がなくなってしまうんだ」
「私は……警察官として行動してはいけないという事ですか?」
「まぁ、そうだな。何も知らない君が大胆に動き、ガウラを復興させる事で犯人をゲーム内部に留まらせて欲しいんだ。VRの警察官もゲームにプレイヤーとして在籍しているが、それも伏せる。だから俺達の事は気にしないで動いてくれ」
犯人も、逃げる事が出来ない状況に留まり続ける事は本意ではないだろう。動くのは間違いない。
「奴は用心深い。警察に見つからない様に何年もテロまがいの実験を続けてきてる。結果、実験に巻き込まれた人間は判断力の低下を伴い、トカゲ犯の様な残忍な行為に走る。それは分かって来たが、仕掛けも目的も分からないままだ。美月にとっても許せない相手ではあるだろうからこそ、奴の事を話さない事になったんだ」
バーチャルヤクザは人から搾取する事を生業としている。人を狂暴化させ扇動する事が、彼らの望む搾取に繋がるのか……そこは分からない。
ただ、トカゲ犯によって人生を狂わされた多くの被害者、そして加害者達が、全て意図的に作られたのだとしたら、絶対に野放しにはできない。
「何をしているのか実際に確認したい。そう簡単に口を割るとは思えないからな。その為には、ガウラの存続は長ければ長い程良い状況だ。君もある意味被害者と言える。悪い話じゃないと思うんだが」
私も被害者……。確かに大勢の被害者に接しった末に男性恐怖症じみた状態になってしまったのだ。この事件が収まれば、自然にトカゲ犯は減る事になる。だったら答えは決まっている。
「期待に沿える程の事が出来るかどうか……でも、やらせて頂きます」
「頼む。今から新しく誰かをガウラに投入する訳にはいかないから、君に任せたい」
「しかし、ガウラのメインプレイヤーにその事をどう伝えればいいのか……新しい戦術の方が勝率が上がる可能性を解けば、敵をつくりかねません」
辻はニヤリと笑った。
「君が実践すればいい。汐里ちゃんと一緒に」
「汐里を巻き込むんですか?」
「そもそも汐里ちゃんと一緒にゲームを始めたのに、汐里ちゃん抜きで色々やり始めたら、美月が目立ち過ぎる。汐里ちゃんも今すぐ辞める様な状況じゃない以上、一緒に行動するしかあるまい」
「汐里は一般人です。関わらせたくありません」
「だから、犯人は教えないと言っている。君も一般人としてゲームに関われ。ガウラを存続させたいと言う純粋にゲームを楽しむ女性プレイヤーとしてガウラを救おうと奔走するんだ。その間に俺達も出来得る限りの捜査を進める。……必ず実態を暴いて見せる。汐里ちゃんの身の安全も確保する」
辻は話を続ける。
「とにかく話をしろ。一人で勝手な事をするのは、バーバリアンズ・ウォーではタブーだ。……あれは軍団戦闘アクションと言うジャンルになる。ソロでは絶対に出来ない事を集団で可能にするタイプのゲームで、身勝手な奴には絶対にできない仕様になっている。だからこそ、金でプレイヤーを釣るような方法を採用している」
「……前から思っていたのですが、何故あんな窮屈な仕様なのでしょう」
「スポーツもチームプレイだ。あれの戦争版だよ。スポーツだと人数が少ないから、戦争で数を増やしているんだ。より連携も統率も難しいが……あの手のゲームを続けられる人間は、組織での評価が上がる」
会社で社員としてうまく立ち回れるという事なのだろうか。何となくモヤモヤする。
「軍隊と会社は同じですか?」
「違うけれど……人の本性と言うのは案外単純で、協調性と言うのは生まれ持った性格だけでなく経験でも作れるという話だよ。協調性の無い奴に会社で実害を出させるくらいなら、この手のゲームで上手く立ち回る術を覚えさせた方が社員教育になると言う話」
「まさか、会社が戦争のゲームを推奨しているんですか?」
辻は否定しないで肩をすくめた。
「ゲームだから人間関係も失敗し放題だからね。この手の事ででも経験積まないと、現実で人とまともに話も出来ない奴が多いって理由らしいよ。別に戦争でなくても、就職が内定した学生に、集団で遊ぶゲームを半年以上遊んで、その内容をまとめて報告するのを新入社員の課題にしている会社が増えている」
「私が就職した頃にはそんな事ありませんでした」
「ここ三、四年の傾向だそうだ。俺達みたいな公務員の採用には今のところ関係ないけどね」
知らなかった。とんでもない話になっている。
「話が逸れたけれど、とにかくゲームでの人間関係は円滑に。バーバリアンズ・ウォーは勝つ為に一人一人のマンパワーが重視されている。どんなに弱いプレイヤーでも、役割を果たさなければ、そこを突かれて瓦解する。誰一人として不必要な人間など居ない。それを分かっていない奴が入っていると負けるんだ」
「私は、そんなに器用な質ではありません」
急に自信がなくなってしまう。
「だから汐里ちゃんを巻き込むんだ。あの子は君と違って誰かを敵に回さないように立ち回るのがとても上手い」
「まるで、私が誰にでも喧嘩を売っているみたいに言わないでください」
「だったら、俺にももう少し優しくしてよ」
汐里なら、ぼんやり見つめてしまいそうな笑顔でそんな事を言う男を私はただ半眼で見据える。
「ワカリマシタ」
「棒読みかよ」
情けない表情でそう言う人を見て、何となく笑ってしまった。……上司としてなら認められる。迫るのだけは、私の為でもあるのだが止めてくれたらいいのにと思う。
久々のすき焼きはとてもおいしかった。話もなんだかんだで途切れず、多めに寄越せと辻に言われた分を完食していた事に気づいたのは帰宅後だった。びっくりする様な高級肉であった事もこの時調べて知った。……そこへメッセージが来る。
『またすき焼き付き合って。今度はちゃんと俺に多めに寄越してくれよ』
さすがに拒否はできなくて、未定な約束として了承する事になってしまった。
男性恐怖症にほぼ近い状態なのに、二人きりで男性とガツガツ食事ができた自分はまだ大丈夫。そう思う事にした。そうだ。こうやって慣れていけばそれでいいのだ。
ゲームの時間。
ベッドで目を閉じると、一瞬でセリーヌになっていた。
私はセリーヌ。そう、ここでの私は美月じゃない。だから出来る。そう自らに暗示をかけて気合を入れる。綺麗なセリーヌがガウラの滅亡を惜しみ、必死になっている。それだけだと思い込む。……演技は出来ないけれど、思い込みだけを信じて行動する事は出来る。幸い、素晴らしい化けの皮がある。汐里に言ったら絶交されるから口にはしないが、これも暗示に一役買っている。
パンと頬を叩いて呟く。
「お仕事です」
私はガウラの城下に降り立つ。
私もエリスも、ログインしたら城に向かうのが慣例になっている。右も左も分からず、ただ指示通りにやっている。最初からこの状態だったから、もう誰もこれを疑う者が居ない。
私はエリスがログインしていない事を確認し、ポップアップする付近で暫く待つ事にした。
程なくしてエリスが出現し、私は駆け寄った。
「あ、セリーヌちゃん!待っててくれたの?」
嬉しそうにエリスはニコニコしていたが、すぐに私の様子がおかしい事に気付いた。
「どうしたの?」
「城に行く前に、一緒に来て欲しい場所があるの」
「……いいよ」
少し不安そうにしていたがエリスが了承したので、私はあうん道場へ連れて行った。
辻は汐里を巻き込めと言った。……正直に言えば、辻の指摘は間違えていない。私よりも遥かに人当たりの良い汐里。逆に言えば、人から自分を守る術がないのだ。だからこそ、攻撃されない立ち位置を絶えず維持する事に専念している。
過去の事件の事もある。汐里が誰の娘なのか知られたら、バーチャルヤクザと関連のある人物であった場合……とても危険だ。辻に話せなくて黙っていたが、これを相談していたら状況は違っていたのだろうかとも思ったりする。
迷いで足が止まっていた。ふと見ると、不安そうなエリスが私を覗き込んでいた。頭に疑問符を沢山浮かべたエリスの手を引いて道場に足を踏み入れた。