07
「辻さんの話はとても参考になりました。ありがとうございます」
私がそう言ってクレープを切ってフォークで口に入れると、辻は困った様に笑った。
何故そんな顔をするのか分からないので食べながら見ていると、辻は言った。
「やっぱり、キツそうだね」
「何が言いたいんでしょうか」
辻はため息を吐いた。
「今日、一緒に食事をしている事を、君はどう思っているんだ?」
「仕事上付き合いがあるので、その親睦を兼ねているのだと。……辻さん、私の事を信頼してくれていませんから、その部分を埋める為にやっている事だと思っています」
辻は一瞬『こいつ何言ってるの?』と言う顔をした。
「俺が、君を信頼していない?何故そう思う?」
「連絡先を知っているのに待ち伏せたり、打ち合わせていないのに、付き合っているとか言い出したりしたからです。私が拒否したり、言い訳をする隙を与えない為ですよね」
辻は暫く固まってからがっくりと項垂れた。
「そうだよ。でも、それ違うから」
辻の言葉は矛盾している。
「あのさ、本当は分かってるだろ?」
分かなりふりは止めろ。いい加減にちゃんと向き合えと言う事らしい。……無表情のまま、私は辻さんを見る。この人は私を口説いているのだ。そんな事はとっくに分かっている。頭から除外していただけの話だ。
「職務に私情を挟む気はありません。……そういうの好きじゃないので」
私の同僚は、多くが警察官と結婚している。確かに縁がないから同じ警察官同士と言うのは多いのだ。でも仕事がらみで上司と部下になり、関係を強要されて、なし崩し的に結婚したケースなんかも見ている。本人は幸せそうにしていたが……私の目から見れば、とんでもないオレ様の暴挙だったのだ。
「出会いは出会いだ。それを使って何が悪い」
「こちらの意志は無視ですか?私の好みは強引じゃない人です。それに、私は自分が好きになった人に認めてもらいたいと思っています。そういう相手がいいと……思っています」
辻は困った様に頭をかく。
「辻さん、見た目がいいんですから、私でなくても相手は居ると思いますよ」
「そう言って何度断られた事か……俺はモテそうでモテない」
「焦ったらダメなんですよ」
「そうなんだ。ちなみに何故ダメなのか教えてくれないか」
お断りされたらそこで終わり。それで何故だめなのだろう。これ以上話をして辻を傷つける様な事は言いたくないのだが。
「がっついている男に引くんです。よく知らない内に押し切られてしまうのは嫌なんです」
「何で?求められてるのに嫌なの?」
私を求めているのは、主に下半身ですよね。とは下品なので口にしない。
「それで結婚した所で、上手く行くか分かりませんから」
「何で、そう思うの?」
「本当に好きなのか分からないまま結婚して……相手から望まれなくなったら、関係が崩壊すると思います」
「その考え方は悲観的すぎないか?一緒に居れば分かり合える事もあるだろう」
「だったらそういう風に思える人を探して下さい。私はその考えに賛同できません。そんな風に結婚しても、幸せになれると思えないので」
「ふぅん……自分が選ぶ方でないと嫌って事か」
お高く止まっていると思うならそれでも構わない。とにかく嫌なのだ。
「選べるような立場ではないかも知れませんが、私はそうしたいんです」
辻は静かに私を見据えた後、ため息を吐いてからのんびりと言った。
「でも、付き合っている設定はそのままだから。呼び方も変えない」
私の嫌と言う感情は全く届いていない。
「捜査が終わるまでならお付き合いします」
辻は面白そうに私を見て笑う。
「本当なんだなぁ」
「何ですか?さっきから。私の言う事なんて、まともに聞いていませんよね。そういう所も嫌です」
辻は何を思ったのか、少し上の方を見て何かを考えてから言った。
「今の状態の内に、美月が俺の事を好きになってくれたらいいのか」
ポジティブシンキングは一歩間違えると危険だ。
「あの……」
「格好良い男だと認識させて、こっちを向かせればいいんだな」
「聞いていますか?」
「聞いてるよ。俺は、君が気に入った。だから努力する」
何処をどうしたら気に入るのか。少しも分からない。
「さっきも言いましたが、強引な人は苦手です」
「チャンスももらえないのか?」
「そもそも、相性が悪いと言っているんです」
「そうかな?俺はそうは思わない」
根拠のない自信程、質の悪いものはないと思っていたら、とんでもない事を言い出した。
「大森さんから君は犯罪三課に所属してから、誰に誘われても一緒に食事に行かないって聞いてる。俺は食事した。二度も」
大森さんが辻に情報を流したから、こんなやり方されたのか。大森さんへの不信感と、ぶつけどころの分からない怒りが湧く。
「大森さんに怒るのは筋違いだからね。俺が聞き出したんだ」
そうだとしても、大森さんは何故こんな男にそんな情報を……。
「俺は顔が良くて、凄く素行の良い警察官で将来も有望だから、そりゃ悪い縁だとは思わないだろう」
自分で言うか!
「同僚に同じ事が起こったら、大森さんを批判するか?」
言葉に詰まる。……しない。大森さんの判断なんだから一度付き合ってみればいいくらいの事は、言ったかも知れない。悔しい。ムカつく。仕事の事もあるが、ここまで踏み込まれているのに言い返す要素が無い。しかも言い返した所で子供の様にあしらわれるのだ。
「しません。でも私は辻さんの事を好きになれるとは思いません」
こっちはきっぱり拒否して喧嘩を売っているのに、辻は涼しい顔で流して笑っている。やはりかと思っていると、唐突に真顔で言った。
「俺の事、怖いか?」
虚を突かれて、一瞬言葉を失う。それから慌てて言った。
「怖くありません」
声が動揺して高くなった。
「そ。だったらそこまで過敏にならなくてもいいと思うんだけど」
視線を落とす。一気に頭や首、背中に汗が噴き出す。
「すいません。今日はもう帰ってもいいですか?」
辻は私をじっと見てから言った。
「具合悪いのか?」
「少し……大した事ありません。ちょっと最近仕事が多過ぎて……精神的に疲れが出てきているので、休みたいだけです」
「そうか、VRの仕事もやってもらった上にこんな話もさせてしまったからな。悪かったよ」
送ると言う言葉を断り、タクシーでそのまま寮の部屋に戻るとへたり込む。
ふと見ると、少し手が震えている。
犯罪三課で定期的に行われる健康診断には、精神の診断も含まれている。犯罪に関わると、精神を病む事が多いからだ。結果、私に下されている診断は『男性恐怖症の傾向』だ。傾向だから、完全な診断には至っていない。でもこれが診断に至ったら、私は警察に居られなくなる。
女性が被害者である犯罪に関わっている為、様々な物を見た。その大半が暴力的な男性による暴挙であり、無残に人生も人権も踏み荒らされた女性達の末路だった。
大抵が性的暴行を受けている。身体的に痛めつけるだけでなく、相手の侵入を許すのだ。どれだけ辛く恐ろしいか。現代の医学が無ければ、その恐ろしい犯罪者の子を産む可能性もあるのだ。本能的に女はそれを理解しているだけに、事件に巻き込まれる前とは別人の様になってしまう被害者が殆どだ。記憶を消さない限り、一生つきまとう地獄。
そんな事件に繰り返し関わる中、学生時代から付き合っていた彼氏と自然消滅の様に別れ、何となく彼氏ができないまま数年が経過し……今では男そのものを信じなくなってきている。仕事が忙しいからだと思っていたのだが、想像以上に心に負荷がかかっていたらしい。
傾向があると言う診断を受けてから、極力男性は怖くない。恐れてなど居ないとくりかえし考えて来た。しかし治る気配はないまま、傾向から病名が付く寸前にまで来ている。
ただ話す、仕事で関わる程度なら怖くない。でも、プライベートに絶対に入れたくないと思うのだ。プライベートに入れた途端、何をされるか分からない。そういう風に考えてしまうのだ。
さやかが鬱病を発症して病んだのとは違う意味で、私は病んでいる。
そこでようやく理解した。何故こんな捜査に巻き込まれたのか。……大森さんは、私のそんな状態を心配して、『顔が良くて、凄く素行の良い警察官』と縁付かせようとしたのだ。私の恐れる様な事を決してしない、世間では優良物件などと言われる人を。
辻との関係は上司から提供されたショック療法であり、辻もそれを理解した上で受け入れているのだ。……拒んだ所で、行きつく先は辞職だ。不本意ではあるが私は彼と向き合い、恐怖を克服した上で関係性をどうするのか答えを見出さなくてはならない。
薬物でホルモンのバランスを取るホルモン療法で精神面の安定は図れる。しかし、それで全てを解決しようとするのは副作用や中毒性の問題があって現状では無理だ。恐怖症の対策は、本人がその恐怖を乗り越える事にある。休職して心身を整えて復帰しても、同じ様な事件に再度向き合えば元に戻ってしまう。仕事を辞めるか否かの瀬戸際に私は立っている。だから大森さんはこんな方法を取ったのだ。
辻さんは、恐怖症克服のトレーナーだと思う事にした。普通に信頼関係を築く事が出来れば、私はこの状態を脱出できる。……正直に言えば、辻であれ他の誰であれ、彼氏なんて、考えたくもないのだ。
自分に問題がある事から目を背ける為に、人の心配をしていたんだな……。汐里に対して世話を焼き過ぎるのは、自分の問題から目を背ける為でもあったのだと改めて思う。考えを整理すると、ずっと入っていた肩の力が抜けた気がした。きっとすべき事が分かってほっとしたのだと思う。
でも酷く疲れたのは疲れたので、いつも集合する時間になる前に風呂にゆっくり入って眠る。
本当は、VRガーデンに植えた花の世話もしたかったが、明日にする。バーバリアンズ・ウォーにログインしないと言う選択肢はない以上、休息を優先する。頭を切り替えるにはこれが一番だから。
「お!セリーヌ、こっちこっち」
城下町の入り口に立って手招きしていたのはゼンだった。そして、その背後にはガムラン。
駆け寄り、ゼンに挨拶をしてからガムランにも頭を軽く下げる。
「ガムランの一人反省会終わったみたいだし、ちゃんと紹介しておかないといけないと思ってね」
「先日は、その……」
ガムランが何か言い出す前に、ゼンが言葉を被せる。
「もういいって。セリーヌもいいよな?」
「勿論です」
「はい!じゃあ、大事な話するよ」
ガムランはかなり繊細な人であるらしい。ゼンは分かった上で上手く話を進めてくれているらしい。よく分からないなら流れに乗って様子を見る方がいいだろう。
「ガムランは、弓武者なんだ。国宝に一番近いって言われている」
ゼンにそう紹介されて、照れた様子でガムランは笑う。
「セリーヌは弓武者になる予定だから、転職したら基本ガムランがログインしている時には、ガムランに付いて動きを覚えて欲しいんだ。こいつ以上に弓武者に詳しいプレイヤーは居ないと思うからさ」
まさか弓武者だったとは。絡みが多そうだから、最初に感じた違和感にも気付けるかも知れない。
「弓武者は見せ場を作るとしたら、最初だけだから、なかなか国宝に手が届かないんだ。セリーヌさんが居れば、注目浴びてダンジョン開くかも知れない」
「呼び捨てでいいですよ。よろしくお願いします。ガムランさん」
ガムランは明らかに緊張の解けた表情で言った。
「俺も呼び捨てでいいよ。よろしくね」
国宝を得るには、観戦者からの絶大な支持を得る様なスーパープレイをしなくてはならないと聞いていると、カンナギも回復と補助魔法がメインなので、国宝を誰も取れていないらしい。……雰囲気的に、ガウラが滅亡するまでに国宝を取れそうなのはガムランだけなので、皆それを楽しみにしている節がある。……国宝が欲しいと思っている事は、黙って置く事にした。
まだアシガルである私は、今日も周囲を武将達に囲まれて戦場に出る。死なないで立ち続けるだけでアシガルの場合、簡単にレベルが上がっていく。
戦闘が開始すると同時に、毎秒、エグジストボーナスと言う経験値が加算されていて、生きている間入り続ける。転職してしまうとレベルアップまでの経験値が恐ろしく多い為、これだけでレベルを上げるのは難しいらしい。
ガウラの主要メンバーに説明されえたのは、私もエリスも囮だと言う事。レベルが低く、目立つ整った容姿のアバターを持つ女性プレイヤー。それだけで注目を集めるから、敵が寄って来る。勝手に動かず、今はひたすらに戦場を観察し、『ガウラ皇国兵』の立ち回りを自分なりに飲み込む事に専念する様に言われている。エリスは根が素直だからそれに大人しく従って、周囲をただ大人しく見ている。私も同じくだ。……いきなり戦場に出ても、何もしない内に死んでいたと改めて思う。
武将達は皆恐ろしく動きが良い。レベルは転職後は人に言わないのがこのゲームでは一般マナーとなっているらしい。レベルが低くても、身体能力が高いから動けているプレイヤーと、時間をかけて能力値を上げる事で思うように動けるようになったプレイヤーが混在している為だ。
どっちであれ、ちゃんと動けて武将にまでなっているなら十分だと私は思うのだが、どうやらレベルが低い方が能力が高くて格好良いと言うイメージがあるそうだ。その為、レベル非公開が仲間ともめない為の秘訣になっていると聞かされた。ケール曰く、そのせいで揉めた挙句、敵に寝返ってしまったプレイヤーも居るのだとか。
寝返ると言うのがよく分からなかったのだが、戦場で一定の条件を満たすと、兵種はそのままで、別の国に寝返る事が出来るのだとか。しかし、寝返ってもその国で活躍できるかは別問題らしい。
ゲームではあるが、観戦者が居てそれなりの報酬が入るだけあり、どのプレイヤーも勝敗へのこだわりがとても強い。各国で兵種による攻略法が出来ていて、集団戦闘は武将達によって統率が取られている。そこに全く違う職業の兵士が混じって戦うのはかなり難しく、最悪な場合足を引っ張ってしまう事にもなる。結局、寝返ってもそのままその国に居続けるプレイヤーは居ないそうだ。
ここまで戦略が練られ、同じ事を続ける事になるとしたら、飽きて国を滅ぼしたくなる気持ちも分かる気がする。
アシガルからサムライに転職できるまで、まだ三日程かかると言われたので、私は『あうん道場』に行く事にした。
『あうん道場』では、課された訓練をクリアするまで戦場に出られない。その為少し躊躇ったのだが、幸い仕事で非番の日が間に入っているので、その日一日でクリアできそうな目標を設定すれば良いと考えた。それで、ガムランに相談する事にした。
「そうだな。……精密射撃の訓練かな」
「精密射撃ですか」
「弓武者の最大の特徴は、装備破壊だ。相手は動いている。止まっている的じゃない。戦闘開始と同時に射る矢の本数には限界がある。味方に当てず、敵の装備のそれも同じ物を連続で狙う射撃制度が必要なんだ」