06
翌日、辻にVRの会議室に呼び出された。
「それで、初めての戦場はどうだった?」
「どうも何も……最初に弓射って、後は見ているだけです。いらない事すると、集団戦闘で迷惑がかかるそうなので」
「レベルはどうなった?」
「レベル3になりました。転職はまだ先です」
戦場で一回も死亡しないで生存し続けるとボーナスとして経験値が入る。転職してしまうと微量になってしまうそうだが、アシガルの間は良い経験値になるのだとか。それで転職までは戦場の雰囲気に慣れろと言われた。
「周囲の様子は?」
「特に怪しまれていないと思います。殆ど何もやっていませんから」
「……敵が近づいてきても本気は出すなよ。いいな?」
辻が渋い顔で念を押してくる。
現実世界でそれなりに訓練を受けている。起動フレームを付けて勤務をこなしている以上、一般人よりも動きが鋭い事は言うまでもない。現場へは殆ど出ないが、事情聴取やら何やらで、いきなり暴れ出す犯罪者の相手はしてきている。とっさに誤魔化せるか分からない。
「一応、柔道の経験者だとは言ってあります」
「それで納得してくれれば良いのだが、警察官には独特の雰囲気があるからな。……一般人は分からなくても、犯罪者だと気付く可能性がある」
「汐里と一緒に居る事で多少は誤魔化しが効くかと思います」
「リアルについて聞いて来る奴が居た場合には注意しておけ」
「はい」
辻には報告していないが、一人それをしてきたプレイヤーが居た。ガムランだ。
周囲は女性慣れしていない上に、状況が状況なだけにあんな風な質問をしてきたと言っていたが、今思い返せば、ザラついたものを感じた。感覚的なもので、何が原因なのか自分でもよく分からない。ただ何となく嫌な感じがしたのだ。
ガムランは、何故かあれ以来ログインして来ていない。気になって聞いたのだが、
「あいつに関しては、以前から神経質と言うか……。戦場での立ち回りで失敗すると一人反省会とか余裕で三日間やったりする奴だから気にしないで。その内出て来るよ」
とゼンに言われた。
他のプレイヤーにも聞いてみたのだが、同じ様な答えしか返ってこなかった。
……今度会えたら何気ないふりをして縁を繋ぐしかない。情報が足りないので、何も出来ないのだ。憶測はねじ曲がった偏見に繋がる。だから保留。
VRでの定期連絡を終えて戻って来ると、自分のデスクで座っている状態。目の前には現実の事件関連の書類が山となっている。
現実でもVRでも、仕事が重い。
予想していた通り、さやかは退職する事になった。中度の鬱病との診断が下りて入院治療になってしまったのだ。その分の仕事の大部分が私に割り振られた。
私よりも年上の先輩方は多くの事件を抱えており、後輩はあまり負荷をかけると育つ前に辞めてしまう。それで頑丈そうな私に倍の仕事が降りかかってきているのだ。大森さんの「期待している」は、標準的な日本語に訳すと「死なない程度にやれ」なので、全然優しい言葉に聞こえない。
特別手当が出るので、今月の給料はかなり期待できるが……その額を見て喜ぶ程度で終わる気がする。使って遊ぶ元気がないからだ。
辻さんには付き合ってる設定は止めて欲しいと頼んでいるが、今のところ聞き入れてもらっていない。シビアな仕事上での付き合いがある上司とお付き合いとか、何の地獄かと思う。
それに、私は色々と秘匿せねばいけない情報を抱えている。……汐里の事だ。これを聞き出される様な事だけはあってはならない。だから関わりたくないと言うのもある。汐里は、もう二十年近く前の大事件と関連があるのだ。大森さんにも言っていない。
辻さんは汐里の個人情報を調べようとして、VR警察関係者の権限でも越えられないウォールがあった事に驚いたようで改めて聞かれたが、『絶対に汐里は私の身分を明かさないので信じて下さい。ウォールがある以上、私からも言える事はありません』と言ってそれ以上の追及をしない様に頼んだ。その後、辻は上司に直談判して同じ事を言われたらしく、それ以上は追及して来なかった。……つくづく私を信用しない人である。
汐里は私が警察官だと知っているけれど、それを誰かに言う事だけは絶対にない。何故なら、汐里の父親が警察官だったのだが、それを知られて家を襲撃された経験があるのだ。
『門倉警視監襲撃殺害事件』
汐里は、今母方の小沢を名乗っているが、かつては門倉汐里だった。警察がVR警察と警察に分かれた頃で、汐里のお父さんはVR警察側の初代警視監の一人だった。VR内部で『バーチャルヤクザ』と呼ばれる反社会組織が暗躍しており、率先して大物を逮捕した事が主な原因だと言われている。深夜、車で家まで乗り付けた何者かは、物音で外に出て来た汐里の父親に致命傷を負わせ、そのまま行方知れずになった。未だに犯人は捕まっていない。だから、真相は未だに分かっていない。汐里はまだ狙われる可能性のある存在だから、個人情報が何重にも保護されて、特定されない様になっているのだ。
当時、汐里は八歳だった。
汐里のお母さんはショックで精神状態が不安定になった事もあり、汐里は私の家で預かる事になった。親戚ではまた襲われる可能性があるとして、元同僚で警察に在籍していた父がうちに連れて来たのだ。それで一年くらい一緒に暮らしていた。お母さんが回復して家に戻ってからも、うちにはしょっちゅう来る状態が続いている。
一緒に寝ていたから、何度も悪夢にうなされて泣いていたのを知っている。血まみれになって倒れているお父さんを見ているのだ。それでも、昼間は何でもない様に笑う。……恐ろしい事について考え続ける事が怖いので、その恐ろしい事が過去になっていくのを静かに待っていたのだ。
汐里は、誰かに憤りや恨みを持ったとしても、立ち向かう術を持とうとしない。そもそも悪い感情に身を委ねる気が無い。つまり父親にされた事に対して、復讐を望んでいないのだ。決し犯人を許した訳ではない。決着は警察と法に全て委ね、自分の人生の在り方と切り離しているのだ。汐里が汐里だけの幸せを見つける事こそ、亡くなった父親の望みである事を知っているからだ。
それを薄情だ、脆弱だと言って危害を加える奴らは……私が捻り上げる。そういう理屈で今、警察官をしている。私は汐里の様に潔くもないし、優しくもなれないから、守る側に回ったのだ。
とは言え……色々重なり過ぎてさすがに疲れた。
犯罪者は唐突に湧く。こちらの事情なんて考えてくれない。犯罪者同士で潰し合えよ。こっちはお前らのせいで良い迷惑だ。などと、真っ黒な事を考えてしまう。そう言ったらあいつらは、平和になれば警察なんていらないから、俺達に食わせてもらっている癖にとか言うのだ。だいぶ前に結婚詐欺を連続でやらかした男に言われた言葉だ。バイオフレームの力をフル活用して殴っても良いかと思ったのは後悔していない。
「田辺、その書類はこっちに回して」
唐突に先輩である広野さんに言われてきょとんする。二か月前に結婚した新婚なので、残業を最近しないのだが。
「いいんですか?」
広野さんは小声で言った。
「田辺、本当に大丈夫?」
さやかが抜けた後なので、私も壊れる心配をされているらしい。
「今、酷い顔してたよ」
「え?どんな顔ですか?」
「凄く悪い事考えている顔。書類に火でも点けるかと思った」
……すぐ顔に出ると言うのは、ロクな事にならない。とりあえず取り繕う。
「しませんよ」
広野さんは笑いながら、私の肩を叩いた。
「無理しないで」
「はい」
トカゲ犯の事件はいつも酷い。殺す事が目的の人間の方がまだマシだといつも思う。……部位欠損と言うダメージを与え、人が苦しむ様を見て喜ぶのだ。どうせ再生医療ですぐに治るのだからと軽く考えて。助かる人達は、部位欠損の度合いが低い。それでも見るに耐えず、話を聞けば恐怖や苦痛を思い、胸を締め付けられる。
今までの事件を顧みるに、肩の付け根から腕を丸々失い、ひざ下が無い様な状態の人はまず助からない。しかし今回は生きていた。これ程の欠損で生きていた人は殆ど居ない。さやかが病んだ理由は分かっている。私も思った。……本人の言う通り、死んでいた方が良かったのではないのかと。
こんな考え方は間違っている。してはいけないと思うが、そう思う程に酷かった。時間が経って、笑える日が来ると信じたい。信じるしかない。しかし、さやかはこれを信じられなかったのだ。
その後、広野さんの好意に甘え、速攻で着替えて出てくると……辻にまた待ち伏せをされていたのでげんなりした。この人は暇なの?
「何か用ですか?」
「汐里ちゃんに付き合ってると言った以上、飯くらいは一緒に食いに行った方がいいかと思って」
「いりませんよ。そんなの」
プライベートのアドレス知っているのだから、連絡すればいいのに連絡して来ない。私が断ると思っているからだろうが……それでも、一言あって然るべきだ。
「聞かれて嘘を吐ける様には見えないが」
「別にいいですよ。仕事だって一言言えば、それ以上は聞いて来ません」
素っ気なくそう言えば、辻は苛立った様子で言った。
「生憎、美月と汐里ちゃんの関係性が俺には理解できない」
また名前を呼び捨て。誰がいいと言ったのか。私としても上司との関係を悪くしたくはないが、言う。これだけは譲れない。
「幼馴染の親友です。それ以上、汐里の事は、何をどうしようとも喋りませんよ」
辻がぽかんとしている。
「汐里は可愛いけど警察官は選びませんよ。私と付き合ってるなんて言ったのもダメです」
そう言って睨みつけると辻は微妙な顔をした後、口元に手を当てた。
「汐里ちゃんに彼氏が出来ないのは、君のせいじゃないのか?」
何を言っているんだ。この人は。
「分からないなら飯でも食いながら解説してやる。来いよ」
……分からない。
気付いたら、北欧レストランの個室に辻と向い合せに座っていた。目の前にはコースメニューの前菜で、サーモンのサラダ的な物の載った皿がある。
サーモンを睨みつけていると、辻が言った。
「魚、苦手なのか?」
「いえ」
「そうか。飲み物はそこから選んで好きなの飲めよ」
北欧料理なんて食べた事が無い。酒はそんなに強くないからあまり種類を知らない。辻の前で醜態を晒す可能性も想定し、ミネラルウォーターを注文する。
「じゃあ、お疲れ。乾杯」
そう言われてグラスを差し出されたので、渋々応じる。
「お疲れ様です」
そこで前菜に手を付ける。辻も食べ始めたので、同じペースで食べる。
次の料理が運ばれてきた所で、籠に入ったパンを取りながら辻は言った。
「お前、鈍いよ」
いきなりの批判に黙って睨むと、辻は続ける。
「何で、俺が汐里ちゃんを好きって事になってるんだよ」
「見た目の問題からです」
汐里は文句なしに可愛い。私はあの子に出会った事で、自分の事を美化する願望を捨てた。
「ふぅん、じゃあ親の事は?」
「父は確かに警視監ではありましたが、退職した後は警察との関係はありません。父は、そういうコネを期待する人を私の相手にするのは望んでいないので、私にはまず近づけないと思います」
「田辺警視監って、そういう人なんだ」
「もう警視監じゃありません。……いけませんか?」
「あ、いや、良い悪いの話じゃなくて……なるほど、父親に似ているのか」
一人で何かに納得しているのは、非常に気に食わない。鈍いが何も分かっていない訳じゃない。
「私も父も、頑固で融通の利かない性格である事は理解しています」
「別に責めてる訳じゃないよ。いいんじゃない?そう言うの。俺は好きだけど」
「微妙に馬鹿にされている気がするのは、気のせいでしょうか?」
辻はただ笑った。絶対に馬鹿にしている。
むっとしつつ、食事を口に運ぶ。食べ物に罪はない。暫く食べてお腹が落ち着いた所で、少し気分も落ち着いたので話を振る。
「改めて聞きますが、どうして汐里に彼が出来ないのが私のせいなんですか?」
辻は苦笑してから言った。
「美月が大事にし過ぎるからだよ」
「大事にしたらいけないのでしょうか」
「やり過ぎだ。汐里ちゃんは、彼氏に美月が与えたのと同等の待遇を要求するだろうね。当たり前になっているから自分が悪いとも気付かない。……子供の頃から尽くしてきた美月と、付き合いたての男が同じ事出来ると思う?」
フォークを持ったまま、硬直してしまう。
「この前一緒に飯食った時に思ったんだよ。汐里ちゃんの注文のオーダーを自分の分も無いのにわざわざやってあげたり、帰りもタクシーに乗せるだけでいいのに家まで送ったり。あれは汐里ちゃんの為にならない」
辻は汐里が過去恐ろしい目に遭った事を知らない。だから言えるのだ。そう反論しようとして口をつぐむ。心の何処かでその言葉は正しいとも思う。ホストAIにはまった時、何か変だと思ったのだ。
「バーバリアンズ・ウォーを始めたのは、汐里ちゃんなりに自分を変える為だったんじゃないかな」
何でこの人にそんな事が分かるんだと思いながらも、否定しきれない自分が居る。私は俯いて目の前に運ばれてきたデザートのアイスクリームを見ながら考え考え言う。
「昔……色々あったんです。今もそれは終わっていないんです」
言わないと言ったのに、話をしている事に嫌気が差す。事情聴取上手そうだ。この人と長くいるのは良くないと思う。
「世話を焼くついでに、怪しい奴を逐一チェックしているって事?」
「そうです」
辻は暫く考えてから言う。
「一生、美月は汐里ちゃんをそうやって守るつもり?」
一生……。そんな風に考えた事は無かった。
汐里は家族に飢えている。結婚して子供を産んでお母さんになってお婆ちゃんになりたいのだ。家族と笑って暮らす日常がどうしても欲しいのだ。……うちの家族と一緒に、切なさを隠して笑っている汐里の顔は、何度も見た。汐里の一番欲しい物はそれだから、絶対に諦めない筈だ。
答えは何となく分かっているが……目の前の人に聞いてみた。
「辻さんは、答えを持っているんですか?」
「俺ならこうするって話。ただ、君が納得するかどうかは別」
「教えてください」
「一緒に彼氏を探すね」
てっきり私が距離を置く方だと思っていたが、そうではない事に驚く。
「汐里ちゃんは甘え上手で可愛い。それを今、美月にだけ向けている。汐里ちゃんは分かっていると思う。それではいけないって、美月も気づいた筈だ」
「……はい」
「だから汐里ちゃんが好きになりそうな男が、本当に汐里ちゃんを守れるか見定めるんだ。今まで守って来た責任を譲り渡す相手なのだから、それくらい当然だろう」
私のポジションはあくまでも幼馴染であり親友。新しく汐里の作る家族の中に入っていない。今のままでは汐里の望むものは手に入らない。
「突き放せって言わないんですね」
「無理した所で良い結果なんて出ない。君達は今から付き合う相手が結婚相手になる可能性が高い。そんな大事な事で、放り出す様な真似をしろなんて、言わないよ。それで変な男に引っかかったら、美月は一生後悔するだろう?」
辻の答えは、自分の中の状況にぴっちりとはまってしまった。