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「上を見ろ。あんなもの、今までなかっただろうに。アレを通ると、外部には全てが正常値に見える仕組みだとしたら、通報も通らないだろう。VRベッドはバイタルを取っているが……ベッドの型が十年以上変わっていない。だからバイタルデータは、接続しているVR環境から取る事を優先する様に設定されている。そっちの方がデータが正確なのが普通だからだ」
上を向くと、うっすらと青みがかった膜の様なものが見える。こちらからは見えても、外からは分からないのかも知れない。
ゼンの言葉にハクリが首をかしげる。
「もっと簡単に言ってくれ」
「この手のゲームは実際に殺される瞬間を、痛みはないが経験する。その際の脳への負荷はかなり大きい。カドクラウォールからの警告でいちいち切断されていたらゲームにならない。だからゲーム側がVRベッドに警告を発しない限り、カドクラウォールの警告は無視する処理があるんだよ」
「知らなかった」
誰のつぶやきか分からないが、私も同感だ。
「最近はそれが一般的なんだ。まさか、逆手に取られるとは……」
ゼンは暗い顔で言う。多分、そういうジャンルが彼の仕事なのだろう。
「じゃあウルファの奴らが異常だとしても、VRベッドが無視しているって事なのか?」
「そうだ。法的にも違法扱いはされていない。……この戦場での異常は、あの防壁でフェイクが外には流されているんだろう」
「嘘だろ?!誰か気づけよ!」
ハクリのいらだつ声は皆の気持ちを代弁していたが、今から年に一度の三国戦だから、異様な雰囲気を感じ取っても、観客が止める気配など全くない。そもそもシステムがおかしいと疑わないし、過剰な演出は、チップを稼ぐ為に戦場で頻繁に行われている事だ。観客に察しろと言う方に無理がある。……多分、今回も何か起こると期待だけしているに違いない。
檻に入れられた獣の様になって、開戦まで遮断されている透明な壁に張り付くウルファのプレイヤー。彼らは今も死に瀕している。
そう思っていると、ガムランが言う。
「もしあれが俺の作ったものの改造だとすると……戦って近づけば感染する」
ケールが焦って詰め寄る。
「感染って、あの状態はうつるのか?!」
「俺がそういう風に作った。それを知っているのは仲間だけだ。……俺を切り捨てて逃げる為にやったとすれば、戦場に居るプレイヤーを俺ごと全滅させる気だ」
言葉を失う。ガムランがトカゲ犯の原因だったのだと同時に、彼の仲間が裏切っているせいで、戦場に閉じ込められたプレイヤー全員が殺されようとしているのだ。
私はエリスの方を向いた。この手の事で頼れるのはエリスだけだ。私の視線を受けて、エリスは強張った笑みを浮かべて頷いた。
「やってみる。ウルファの人を助けるのは……難しいけれど、ガウラとアルベスタの人に感染させない様にする」
「開戦まで5分だぞ?出来る訳が……」
その声にガムランが叫ぶのに重なるように
「煩い!」
怒鳴るケールが、ガムランを蹴り飛ばす。
「死なせない。守るから……信じて」
エリスはケールに目を向けてそう言ってから目を閉じる。私は迷わずその手を握る。
カドクラウォールの産みの親の娘で、現カドクラウォールの管理者。世界中の人々の情報を守る最後の砦。
彼女の母親である穂香さんは自ら許容したという事で、一体だけクローンの作成も行われたそうだ。しかしクローン技術で誕生した穂香さんと同じ遺伝子の女性は、自然に誕生した穂香さんと同じ能力を発現できなかったという。
何が違うのか未だに母は私財で研究を進めている。その女性に関しては、母が今も世話をしている状態なのだ。彼女は私が側にいるときでない限り一言も話さない。私が居ても、話す言葉は少なく、目線は一切合わない。AIが解析をしているが、その侵入にも過敏で強いストレスを感じる為、慎重に行われている。
連動して動くウォールは沢山開発されているが、カドクラウォール本体に手を加えられる一般人は居ない。だからここでどのプレイヤーよりも生存を最優先するべきは汐里なのだ。
震える手から、脳内の想像を絶する負荷を感じる。
ベッドで寝ている汐里の状態が分からない。どうなっているのか不安になるが、押し殺して手を握る。……気づくと、反対側から近づいたケールがエリスを抱きしめていた。
ケールは己の無力を噛みしめている様に見える苦い表情のまま、私を見て少しだけ笑う。……私も似た表情をしていたのだろう。
「俺達の背後に居て」
「おかしくなったら……どうしようか。とにかく奥に」
そう言ってプレイヤーを陣地の奥に押し込めているコウとダイグの横にゼンが並ぶ。
「……ゼンは奥に居てください。」
「もしもの時は止めてください」
「止めたら俺も仲間入りじゃねぇか。お前達だけに格好良い真似はさせない。……おしゃべりは終わり。後三分」
突然の出来事にガウラのプレイヤー達は奥で縮こまっている。アルベスタはどうなっているのか分からないが……あの人が居るなら、すぐに同じ結論にたどり着いているだろう。今、お互いにやり取りをする事はできないのだが、間違いない。
誰かを盾にして生き残ったりはしない。真っ先に盾になるであろうあの人を思えば、汐里を死なせたくないと思う気持ちとはまた別の、深い絶望が頭の中に拡がっていく。だってあの人が奥に隠れて逃げ回るなど、想像できないからだ。きっと真っ先に周囲を守ろうとするだろう。
そうなったら……。
唇を嚙みしめて俯く。
開戦のカウントが無情にも進んでいく。
「出来た」
そう言ったエリスを中心に、白い光の波が戦場中に生き渡った。同時に、ガウラで歓声が上がる。アルベスタも何か感じているのか、こちらに向けて手を振ったり飛び上がっているプレイヤーも居る。でも、ウルファだけには変化が見られなかった。やはり、ダメだったのだ。
「間に合った……」
エリスはそのままケールの腕に倒れこむ。多分リアルの汐里は意識を失っている。寝ているのではなくて。それでも断線しないのは……あの青い膜のせいだろう。電気供給がある限り、断線もできない状態でこの戦場は包囲されているのだ。多分、これを仕掛けた相手はここから誰一人として生き残らせないつもりで仕掛けてきている。犯人もそれを追跡している者達も……全てを闇に屠る気なのだ。でもその危機から、ガウラとアルベスタは救われた。汐里が居たから。試合時間が終われば、戦場は消える。あの膜も意味を成さない。
「エリスを頼む」
ケールがそう言って、エリスを渡してくる。それを受け止めながらアルベスタの方を向く。
「大丈夫だよ。あっちもこちらと共闘する気でいるだろう」
「はい」
開戦まで時間がない。エリスを一人にはできないから、私は一緒に居る事にした。……リアルでの汐里の状態に誰か気づいてくれたら良いのだが。神経が焼き切れているのではないかと不安になる。ずっと一緒に居るから分かる。それ程の事をやっていた筈なのだ。
私達が感染してリアルで危険に晒される事はなくなったけれど、開戦すると同時にウルファの軍勢が恐ろしい姿と形相で迫ってくるだろう。その時が近づく。
「ウルファのプレイヤーはどうしたら助けられる?」
ケールの言葉に、ヨウゲンは苦い顔になった。
「できるだけ、動かなくて済むように……倒し続ける。気休めだろうが、それくらいしか出来る事がない」
「そうか……」
聞いていたガウラ勢の顔が一気に曇る。プレイヤーの何人かがガクガクと震えている。
「俺達は、同じにならないんだよな?」
「怖い……」
気持ちは分かるが、彼らがパニックになっても良い事など何もない。
「大丈夫です」
エリスを抱きしめたまま、私は強い口調で周囲を見回してから言った。
「エリスが間に合ったと言ったなら、間に合ったんです。私達のリアルに害になる事は起こりません。……どうか、信じてください」
そう言うと、コウとダイグが私達の側まで来て言った。
「俺達の姫様の言う事を信じようよ」
「そうそう。ガウラの滅亡はこの二人のお陰で回避されたんだ。ここまで付き合ったんだから、今回も信じろ」
二人の言葉では割り切れないのか、皆まだ不安そうだ。
「俺から提案」
唐突にケールが言った。
「俺、エリスと結婚するんだ。そこで、結婚式にはここにいるガウラのプレイヤー全員を呼ぶよ」
……いつの間にそんな話に。って海藤さんは嘘を平気で吐く人だった。
でも、この言葉でプレイヤー達の空気が急に変わった。
「祝いも呪いも冷やかしも大歓迎だ。野郎ども、リアルで超美人な花嫁エリスを見たいなら、怖気づいていないで戦え!そして、元気にリアルに戻れた事を彼女に感謝しろ!」
先に目標があるからか、雰囲気は一転して明るくなった。
はっぱかけるにしてもやり過ぎだと思うが、止められない。
「セリーヌも出るの?」
近くに居たプレイヤーに聞かれて一瞬真っ白になったが……ここで雰囲気を壊すような事は勿論しない。笑みを張り付けて嘯く。
「勿論。親友ですから」
コウとダイグの視線が突き刺さる。『もう一押し』
「……私だって分かってもらえるように、青いドレスを着ていきますね」
一瞬シンと静まる。何か、マズった?そう思った瞬間、歓声が沸き起こった。
「セリーヌのリアル超楽しみ」
「必ず行く!」
生憎、それくらい目印ないと地味な顔なんですけれど。
「エリスがケールに取られたから、実質ガウラの姫は君だけなんだよ。夢見させておいてあげて」
そっと近づいてきたハクリに小声でそう言われて、苦笑して頷く。……リアルで見たらがっかりするだろうなぁとは思うが、現状でウルファに委縮しているよりはマシな筈だ。
見ると、アルベスタの方も急に何か盛り上がっている。……何かあったらしい。
「あっちも気合十分だ。この試合が終わるまで気を抜くな!相手はウルファだ。少しでも多く、ウルファの奴らを倒せ。それがプレイヤーを助ける事になる!」
今までに無いような轟音の様な叫び声が上り、開戦が告げられた。
ウルファのプレイヤーの動きは統率も何も無かった。バラバラに動き回り、見境なく襲い掛かってくる。本当にゾンビだ。
その様子に怯えながら、互いを励まして、ガウラ勢は主に倒れているエリスを守るように戦場に展開されている。サムライ・ニンジャ・オンミョウジ・カンナギ。この四職種が最低一人づついる六人編成の小隊がガウラの新しい戦術のコアになっている。サムライに関しては、弓武者として、刀武者として能力値を変化させていた人の半数はその割り振りを課金で見直し、バランス型に修正済みになっている。見直さなかった半数は、カンナギの補助魔法で補って戦える状態だ。小隊ごとに特色が違う事もあって、対応し辛いとされている。
ウルファはバラバラで倒しやすいけれど、小隊の隙間からこっちに向かってくる。見た限り、アルベスタの陣営に向かっている様子が無い。……多分、ガムランを探しているのだ。彼は棒立ち状態だったし、時間がなかったのでそのまま陣営に放置されていた。逃げ場のない戦場、縛っておく事もできないのだから仕方ない。
アルベスタ勢も気づいているのか、ガウラの本陣近くまで近づいてきている。ガウラ勢の隙間を埋めるように配置されていくのを見て安堵する。
このまま時間が経過して助けを呼べるようになるまで、もてばいいんだけど。
不安を押し殺してそう考えていると、唐突にグイっと背後から片腕を引かれた。バランスを崩し、エリスが地面に落ちそうになり、慌てて片手で支えながら振り向くと……ガムランが居た。
「行こう」
彼はそう言って、私を更に引っ張る。現実だったら、こんな方向に腕を引っ張られたら痛かっただろう。
「どこに?」
私の問いに彼は答えない。
表情の抜け落ちたような顔をしていたガムランは、泣きそうな顔になった。それでも腕を強く引く事だけは止めない。
「俺と来て」
「だから、どこに?!」
何故こんな押し問答をしなくてはならないのか。語気が荒くなる。
すると、ガムランは泣きそうな顔のまま言った。
「君と一緒なら、世界が綺麗に見えるんだ。AIも怖くない。君しかいらない。だから、俺とずっと一緒に居て」
「こんな事になったのは、あなたのせいでしょう!」
思わず怒鳴っていた。
分かっている。さっきエリスが言っていたから。この人は機能障害で、人の感情を正確に理解できない。そして自分の感情を上手く伝える方法も持っていないのだろうと。そうだとしても、これだけの人数を巻き込んで死に追いやる力を発揮する事だけは出来るのだ。それを悪だと判じて怒る事の何が悪い?
「俺は悪くない」
彼は言った。
「俺の言葉を誰も聞かなかった。俺の気持ちを誰も理解しなかった。仲間だと思っていた奴らは皆裏切った。今も裏切られている。俺のせいじゃない」
手が引きちぎれても構わないと思って腕を振りほどいて、エリスを抱いたまま距離を取る。実際に、HPゲージが少し減った。それ程乱暴に私は彼を振りほどいた。
「裏切られたと悲しむ権利なんて、あなたにはない」
震える声で私は怒鳴った。
「あなたが原因で死んでしまった人達は、苦しみを訴える権利さえ奪われた。生きている人達も、元の人生には戻れない程に心の傷が深い。無関係な人間には害を加えられないという、人が社会を維持する上で重要なルールを破壊する理由になどならない!」
ガムランは言っている事が分からないという顔をして、首をかしげてから、手を差し出す。
「君は俺に優しかったじゃないか」
「仲間だと思っていたから」
「今も仲間だよ」
「違う!」
「ガウラの同士だよ」
気持ち悪い。言葉をどれだけ重ねても理解できない。理解されない。それだけしか分からない。
「俺は、エリスの防壁を解除するウィルスを今さっき作った」
一瞬、思考が停止する。
「まだ罪を重ねる気なの?」
「君が一緒にこのウィルスにかかって俺と死んでくれるなら、戦場の皆は残してやる。でも、そうでないなら、今すぐ戦場にばらまくよ」
「何故、そんなことをするの?」
黙って戦場にばらまけば済むのに、ガムランはそれをしなかった。その真意を問う。
「エリスを絶望させたいから」
ガムランは私に抱かれたまま倒れているエリスに目をやると、忌々しそうに言った。
「俺はその女に負けを認めさせたい。君が俺と死ぬなんて最高じゃないか。後で防壁を作っただけで気絶した事を、生きている限り後悔するんだ」
違う。はっきりしない違和感……引っ掛かりを覚える。
汐里は戦場のプレイヤー全員に防壁を一気に撒いた。以前にも、この男のした事を防止した様な事を言っていた。汐里は、そういう事が出来る。しかしその時ガムランは対抗していない。多分出来なかったのだ。
彼は、汐里程のスペックを持っていない。そうとしか思えない。いきなり触れられた腕。振りほどいた後、再度差し伸べられた手……。汐里は生き残って私の死を知るという言い分。
「私が従うなら、皆を助けてくれるの?」
距離を取ったまま聞くと、ガムランは笑顔で頷く。
「そうだよ」
きっと……直接触れなくては防壁の解除が出来ないのだ。彼を戦線に行かせてはいけない。ガムランの動きを封じなくては。しかしガムランは強い。迷っていても選択肢などない事は分かっているから、腹に力を込めて、気弱な考えを封じた。




