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私が侍にジョブチェンジをしたと同時に、新しい小隊形式で動くガウラの新戦法がお披露目される事になった。その時の試合はゲーム史に残ると言われる程の支持を叩き出し、私とエリスだけでなく、国宝を持っていなかったガウラの武将やそれに準ずるプレイヤーが国宝を得る事になった。
対戦していたアルベスタでも、善戦したジェネラルが国宝を得たが、ガウラ程の人数ではなかった。
そして、同じ武器でも違う種類の国宝が出るのだという事が周知の事となった。……辻さんが何故それを前から知っていたのか分からないが、多分捜査上必要で調べるか何かしたのだろう。
その後、大量のチップを換金し、課金で汐里のデザインした鎧へと見た目を変化させた。更にゼンの言葉に従い、鎧に魔法の効果を付与した。
これで終われば良かったのだが、戦闘を重ねてレベルが上がると、その都度付与が追加されていく様になった。付与の為のスロットが増える上に付与の種類が増えるからだ。
ゼンはこの手の組み合わせを考えるのが誰よりも好きだと豪語しており、ガウラの武将達は彼のアドバイスを求めている。彼は装備オタクなのだ。
大金だと思っていたチップは一瞬で蒸発して赤字になった。毎日試合に出ていても、元が取れるようになるにはまだまだ時間がかかるだろう。これは汐里にも言える事で、二人して『とんでもないゲームに手を出した』と思っている所だ。
本来、装備に初心者があそこまでお金を出す事はない。と言う通説をぶっ飛ばしたのは、注目されているから。とにかくガウラにはAIの君主だけでなく、生身のプレイヤーで『姫』が存在していると周知させねばならなかったのだ。
アルベスタのAI女王がガウラのプレイヤーに辱められて報復したという話をかき消し、ガウラの士気を高める為だとケールに言われたけれど、その目論見は成功した。
ゲーム開始時にガウラを選ぶプレイヤーが再び現れるようになったのだ。武将達が交互に残ったプレイヤーと必死で回し続けていた試合にも余裕が出るようになってきたのだ。中には引退を撤回した復帰者も多く居るそうで、レベルが元々あるからすぐに戦力になるのだとか。
お陰でセリーヌもエリスも一度も死亡した事がない。死亡しないまま積み重ねた戦闘回数はそのままボーナスとなってレベルアップも加速的に上がる。
また、サポートと呼ばれる『仲間を死から救う行動』の多さもボーナスとなる。敵を殺したキル数をカウントするのではなく、仲間を守る行動が報酬となるのだ。エリスはこのボーナスがとても多い。キルを全くしないという訳にはいかないし、実際キル数を稼ぐのは大事だ。ただ、それはシステムではなく観客が判定する事になっていて、ボーナスの対象外とされている。
キル数によるボーナスは、戦争系のゲームでは基本禁止されている。キル数をカウントし始めると、何故か同じ軍勢でも仲間割れが起こるようになるのだとか。仲間がライバルになると上手くいかないそうだ。
なんて事を思い返しながら、目の前の汐里に声をかける。
「大丈夫?」
改めて声をかけると、汐里の肩がビクっと跳ねた。想像以上の緊張だ。私も少し緊張しているから、その感覚も行っているのだろう。
「ごめん。私も緊張してるから」
「ううん。もう、美月ちゃんの感覚に引きずられたりしないから、これは私の感覚。心配しないで」
汐里と一緒に居るのは、駅前のカフェだ。もうすぐここに男性が来る。ケールだ。
汐里は、国宝を取った後ケールに好意を伝え、あっさりと了承されていた。問題はそこから実際に会うまでに、告白した汐里の方が渋った時間が長かった事だ。
相手がどんな人か分からないのに、どうしても好きだって言いたかったらしい。……そこから先を考えていなかったのだ。あっさり了承されて会う事になってから慌て始めたのだ。恋愛による思考力の低下は有名な話だから、それだけ好きなら会っても大丈夫だと励ます事数週間。ようやく会う算段となったのだ。
汐里は美人だ。色が白くて小柄で、目はアーモンド形で、大きさも丁度いい。口は小さく、鼻筋が通っている。……汐里は整形は一切やっていない。生まれたときからこの顔だ。
ただ、肌のきめを気にしている。買い込んだチョコレートを食べてニキビを増やす事があるからだ。汐里には、生まれ持った特性故に、私には理解できないストレスの原因と言うのがある。それを改善できないと、チョコレートの暴食に走る。
何が気になったのか以前聞いた事がある。毎日通る道の端に片方だけ靴が落ちていて、ずっとそのままになっているという理由だった。自分が処理するという発想が汐里にはない。だから思考が止まって『どうしようもない事』になってしまう。母に聞いたところ……何時も見ている絵画に落書きをされたような感覚に近い受け取り方をしているらしい。
母と相談し、例の靴を拾った。そのまま交番に届けた。品番から販売店と購買者が分かって、届けられる筈だ。片方だけのとても小さな靴。幼児のものだろう。ベビーカーで連れている内に落としてしまったらしい。後日落とし主の元に届いたという連絡が来た。そして、景色から靴がなくなり、汐里の暴食は収まった。
以後、汐里に暴食が発生するとその原因を聞いて、取り除ける限りは取り除く様になった。それでニキビは収まっているが、取り除けない原因もあった。暴食が続いて肌のキメが荒い部分があるのは事実だ。それを汐里はずっと気にしている。今日の化粧はいつもより濃い。
「こんにちは」
横を通り抜けると思っていた男性がぴたりと私達のテーブルの前で立ち止まった。感覚ですぐ分かる。RV空間と変わらない雰囲気からこの男性がケールだ。
顔は悪くない。いや、多分汐里の好みだ。……しかし、私も相手もお互いを見て一瞬動揺する。
改めて私と汐里が並んで座り、その向かい側にケールである男性が座った。
「改めて、俺は海藤正己と言います。ケールのプレイヤーです」
「私は田辺美月です。セリーヌのプレイヤーです」
真っ赤になってしどろもどろになっていた汐里は慌てて続けた。
「小沢汐里です。エ、リスです……」
ケール……海藤さんは、ニコニコして言った。
「今日会えると思ったら、昨日から落ち着かなくてさ。会えて嬉しいよ」
「はい」
首をすくめて小声で応じる姿が、女の自分からしてもかわいくて、思わず顔が緩む。
「セリーヌ……じゃなくて田辺さんは付き添い?」
「はい。こんな調子なので」
そう言われて、汐里は真っ赤になる。
「あの、その、ご、ごめんなさい」
接客だと割り切れば、どんな人の相手でも冷静に出来るのに、恋愛とはこれ程までに人を変えるのかとあたらめて驚く。
「気にしないで。その、今日だけで会わないなんて、言わないでくれるなら、時間はあるんだし」
私……邪魔者だ。
「じゃあ、そろそろ私は」
「「行かないで!」」
二人同時に引き留められて、結局一時間付き合う事になった。恐ろしい事に、次のデートとおぼしき物にまで付き合わされる予定が組まれてしまった。
二人の言い分は、二人きりで会うにはまだ時間がかかるからと言うものだった。……デートの付き添い。何でそんな面白くもない不毛な事を何の報酬なしでやらなければならないのか。
そう思っていると、汐里が唐突に言った。
「辻さん!辻さんも呼ぼうよ。ダブルでデート出来る」
ぎょっとして汐里を見てから海藤さんを見ると、彼も明らかに動揺していた。
「辻?」
「美月ちゃんの彼氏なんです。ダブルデートって言うんですよね?」
嫌だ。絶対に嫌だ。
「ごめん。当分休みが合わないって話聞いているから」
これは事実だ。仕事帰りにしか会えないから、突然誘われてご飯と言う流れになっている。
「そうなんだ。残念」
そもそも私は辻を彼氏と言う風には見ていない。ちなみに私の恋愛感情の機微は一切外に伝わらない様に調整されている。
『美月の好きになった男性を汐里ちゃんまで好きになっちゃうじゃない』
母のドヤ顔の断言に、言い返す事は何もなかった。
「とにかく次だけは一緒に行くけれど、そこからは二人でお願い」
「はぁい」
汐里がそう言って、海藤さんはそれをじっと見ている。……凝視と言うやつだ。汐里、化粧を濃くしておいて正解だったね。
そして解散した後、私と海藤さんは全く違う場所の全く違うカフェで落ち合った。
「海藤警部補……お久しぶりです」
一緒に仕事をした事はないけれど、同じ警視庁に居る有名人だ。……女性警察官が結婚したい人として。父の先輩で警視総監をしていた海藤氏の息子で、顔良し、頭良しだから。
新人だった頃にバイオフレーム研修で指導をしてもらったので顔見知りだ。
「知っている人間なんじゃないかって何度も思った。でも、どうしても思い出せなくてね。……君だったのか」
以前に、あうん道場で打ち合いをした時、馬鹿にされている様な気分になったのだが、新人の頃に指導されていた相手だ。正直、今でも勝てる気がしない。それくらいこの人は強いのだ。
ゲームの補正があるとは言え、あれだけ動けるのだから当たり前だ。企業の社長とか重役クラスの人で、実は結構年の行っている人なのかとも思ったりもした。……雰囲気を読み取れても、その人だと分かる訳ではないのだと痛感した。
「海藤さんは、このゲーム最初からやってらっしゃったんですか?」
「ああ。……話せば長くなるんだけどさ」
聞いたところによると、VR警察との親睦会が定期的に行われていて、数年前にそこで辻と海藤さんは知り合いになったらしい。そこでこれを始める事になったそうだ。
「知り合いになったと言うか……正確には、険悪になりかけたんだ」
海藤さんは言い辛そうに事情を続ける。
「酒が入っていた事もあって、ちょっとね。……俺と辻でなんとかその場はおさめたんだけれど、もう一度飲みなおそうってなって二人で飲んだ時に戦ってみたいという話になってね」
「それで、バーバリアンズ・ウォー……」
海藤さんは頷く。
「ゼンは大学時代からの友達。コウとダイグはうちの部署の後輩」
警察官ばっかりじゃないか。何故、辻さんは彼らに協力を頼まないのか。
「辻は自分の得意分野であるVR関係だから、ハンデに仲間を入れていいって言うから、遠慮なくそうしたんだ。やるからには勝ちたいからね」
「辻さんは、別勢力に一人で居るんですか?」
「ああ。仲間は多分ゲームで会った人間だけで、警察官は居ないと思う。……それでもうちは滅亡しかけた訳だから、正直凹んだよ。あいつは凄い」
嘘を吐いているとは思えない。私がやっているおとり捜査の話も知らないのだ。
「辻と付き合っているって……本当?」
同じゲームをしているのに、どこに居るのかも知らないだなど、確かに『彼女』とは言い難い。まずい……ちゃんと言い訳をしなければ。
「実は付き合い始めたのが、ゲームを始めた後だったんです。お互い忙しくて、なかなか会うのも難しいものですから……プライベートな話をする余裕もなくて」
「あいつがトカゲの尻尾を掴もうとしているって話は聞いている」
トカゲの尻尾。人を切り刻むトカゲ犯の原因がVR内部にあるという話はこっちの警察にも広まりつつある。期待感はあるのだが、内容がはっきり分からないから必要以上に期待してはいけないという雰囲気がある。
「君の部署は被害者が殆どトカゲ犯だ。関係があってもおかしくないよな」
「まぁ……詳しい事はお答えできないのですが、お付き合いはしようって事になりまして、食事にはたまに行くのですが、話している事はプライベートに程遠い感じです」
都合の悪い事は黙秘に限る。
「そうか。あいつ仕事バカだから、女の子に優しくないだろうな。でも、君ならそれに付き合える。いいんじゃない?」
絶対に他人事だと思ってる。言い方が超軽い!
予想通り、話はそこで海藤さんにとっての本題に入った。
「ところで汐里ちゃんって、どういう事が好きなのかな?」
「一つ、残念なお話があります」
汐里の事を細かく教える前に、海藤さんには言うべき事がある。
「汐里は、警察官とは結婚しません」
海藤さんは目を丸くした。
「……どうして?」
「事情は汐里の個人情報に引っ掛かるので言えませんが、とにかく警察官はダメなんです。まさかこんな低確率を引き当てるとは夢にも思っていなくて、私も困っています」
海藤さんは少し考えてから、恐る恐る言う。
「俺そのものに問題がある訳じゃなくて、仕事に問題があるの?」
「そうです。警察官がダメなんです」
海藤さんは頭をガシガシとかくと、ガックリと項垂れた。
「マジかよ。実際に会って、絶対に結婚したいって思ったのに」
「私も、海藤さんならお似合いだと思いました。でも、仕事がダメです」
「俺が転職したら結婚出来る?」
「お願いです。辞めないでください!」
焦って思ったまま口に出る。怪訝そうに、海藤さんは私を見た。
「俺、本気で汐里ちゃん落としたいだけなんだけど」
事情を話さなければ理解されない。……ままよと言う気持ちのまま、私は言葉を濁しながら告げる。
「汐里は、唯一無二の花なんです。世界中から必要とされ、とても大事にされている花です。悪意ある人間に摘まれてはいけないので、大勢の目から何重にも隠されて生きています。とにかく、今まで通りの暮らしを維持できる人でないとダメなんです」
「……人間は全員唯一無二だよ」
「そうじゃなくて、ですね」
「親父にさ、汐里ちゃんが門倉警視監の娘だって話は聞いた。それ以上は教えられないから本人に聞けって言われた。教えてくれるなら、見込みはあるけれど、教えてもらえないならそこまでだって」
この人の父親は私の父の先輩だった。……事情を知らない訳がないのだ。
海藤元警視総監の助け舟にすかさず乗って話をする事にした。
「警察官が嫌いな理由は、警察官だったから父親が死んでしまったと認識しているからです」
本当に過去さえなければよかったと思う程にお似合いだった。何故こんな出会い方をしてしまったのか。本当に辛い。
「ここで問題なのは、海藤さんがとても有能であるという事です。……海藤さんの素性を知ったら、汐里は絶対に頷きません」
「君は良くて、俺はダメなのか?」
「私は、友達です。家族ではありませんので」
「よく分からないな」
「汐里にとって、家族と言うのは毎日一緒に寝起きを共にするパートナーや子供です。私は関係が深くても、それに該当しませんから」
赤ちゃんが生まれたら、乳母みたいになるかも知れない訳だが、それはまた別の話だ。
「有能な夫ならいいんじゃないのか?何故それもダメなの?」
「門倉警視監は有能な警察官でした。でもお亡くなりになっています」
「じゃあ、汐里ちゃんはマッチングで結婚するつもりなの?」
「いいえ、それはないです」
汐里の遺伝子は、受け継がれると高確率で脳に機能障害を持っている可能性がある。政府としては、その機能障害を誘発する相手を紹介する事も、逆に抑え込む事の出来る相手も……紹介できないという現実がある。つまり、マッチングできないのだ。
海藤さんは困惑した表情で私を見ている。私は胃の辺りの重い感覚を感じつつ続きを話した。