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バーバリアンズ・ウォー  作者: 川崎 春
17/27

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「親を捨てたかったあんたに言われたくないわ」

「煩い!」

 俺の記憶野に存在する兎は、俺の記憶を読む。

「セリーヌの記憶に土足で踏み込んだあんたに、そんな事言う権利なんてないんだけど」

 兎が大げさに飽きれたと言わんばかりに両手を挙げて肩を竦める。

「いいわ。教えてあげる。ママはあんたと同じで偶然生まれた子だった。お裁縫が大好きで、機能障害の影響もあって、感情が欠落している所があった。あんたと違って、人に対して敵意も悪意も持てなかった。聞き訳の良い大人しい子だったから目をつけられた。超感覚を利用されたのよ」

 三浦の知っている事実とは全く違う。

「ママは頑張ったんだけれど、大好きなお裁縫が出来ない事が原因で情緒が不安定になってしまったの。VRツールの開発に酷使されて衰弱したと言ってもいいわね。……ウォールを作り終わった時点で、ママは静養する事になったの」

「厄介払いじゃないか」

「あんたは、静養を『厄介払い』、静養させなかったら『死ぬまで使い潰された』って言うんでしょ?ママが何故VR超感覚を持っているのか、周囲は全く理解していなかったの。あの頃はナニーなんて居なかったんだもの。脳内の構造や遺伝子解析で相違を見つけて何が起因しているのか発見するには時間がかかった。だから弱るまで気づかなかっただけよ。全ての関係者が、そんなになるまでママを追い詰めたかった訳じゃないわ」

「母親が利用されたと言ったじゃないか」

「そうよ。使い潰しても構わないと思っていた人も確かに居たの。でも、それを見過ごさない人達も存在していてママは救われた。世の中、もっと雑多だって分からないのね。……パパはママを大事にしていた。だから私が居るの。私は望まれて産まれた子供なの」

 兎は嬉しそうにくるりと回る。

「どうだか」

 こんな化け物。門倉警視監は恐れた筈だ。

「あんたがどう思っても構わないわ。事実は変わらないもの」

「俺は信じない」

 兎はゆるゆると首を左右に振った。煽っているとしか思えない。

「ねえ、必要とされるのと利用されるのは紙一重だって知ってる?」

「何の事だ」

「必要とされているのか利用されているのか分からなくなる事があるって話。ママの休息も趣味も大勢の利益と言う大義がある以上、我慢すべきだと考える人が居たのよ」

「それが、利用しようとした奴と言う事か」

 兎は頷く。

「精神安定の意味でリアルで単調作業をしたいと言うママの主張を信じなかったのよ。……サボる口実だって思われたの。ママもそういう人に強く抗議の出来る人じゃなかった。それだけ。追い詰められて、指の爪が半分なくなるくらい齧っていたそうよ。そんなママをちゃんと見て救ってくれる人が居たの。パパよ。カドクラウォールと言う名前も、全て自分が盾となってママを守るために名付けたもの。化け物扱いしているなら、そんな事しないわ」

 俺をどこまでも否定してくる。不愉快だ。

「パパだけじゃないのよ。……時間はあるもの。ちゃんと教えてあげる。そして後悔すればいいわ。私はあんたに事実を突きつけて私刑にする為に存在しているの」

「貴様!」

 壊してやろうと手を伸ばすが、兎はするりと手をすり抜けた。そして嬉しそうに言う。

「あんたのやろうとしていた事は分かっていたから、同じ事をやったの。上手く行って嬉しいわ」

 その言葉で何が起こったのか理解する。

 俺がセリーヌの記憶野に放り込もうとしていたのは俺の疑似人格だった。永遠に彼女の中で俺を思い出し、忘れない様にする為の仕掛けだ。ずっと彼女に語りかけ俺の事だけを想う様に仕向ける。もし逮捕されても、彼女は俺から離れられない。忘れられない。そういう物だった。

「私を追い出すのは不可能よ。だってあんたの一部になったんだもの。記憶野の神経細胞を焼き切ってしまえばいなくなるだろうけれど……本当に今のままかしらね?」

 兎は嬉しそうに残酷な事実を告げた。

「今のあんたがあんたである限り、一緒に居てあげる」

 何て事だ。……俺は罠にかかってしまったのだ。

 河津の言っていた事を今更思い出した。……『競っても得るものなど無い』と言う言葉。否定したい気持ちは強いのに、否定の言葉を考えると、汗が頭と首筋から一気に噴き出し顔を伝っていく。

 三浦の言っていた『化け物』と言う言葉も同時に思い出す。本当に化け物だった。

 何故……俺が。認めない。認めたくない。

「ふふふふ……」

 ふわふわと飛び回る黒い兎の笑い声。VR空間の内部に居れば、ずっとあの兎との対話になる。俺は慌ててVRベッドから覚醒した。

 目の前には、三浦と河津が起きた俺を待ち構えていた。汗で全身が気持ち悪い。表情一つとりつくろえない状態だから、俺が失敗した事は悟っているだろう。

 気分の悪いまま、俺は三浦に告げた。

「俺の脳内に、門倉の娘の疑似人格が入り込んだ」

 三浦は顔を強張らせて黙ったまま俺を見ている。どうしたらよいのか分からないのだ。

 経緯を説明する。俺としても、黙ったままでは気が狂いそうだったのだ。

「河津、記憶野をいじれるか?」

 あの兎を追い払いたくて縋る思いで聞いたが、河津の表情は厳しい。

「いじれれるのと、AIを排除できるかどうかは別だ」

「外部に俺の記憶を保存できないのか?」

「もう遅い。AIごと保存される」

 どうあがいても無理らしい。沈黙が続く中、三浦が言った。

「門倉の娘に……取り除いてもらう事は出来ないのか?」

「どうやって?」

 三浦が沈黙すると、河津が言った。

「お前の思考は読まれる。俺と三浦で考える。……どうせ俺も三浦も、今更お前を手土産に出頭した所で、独房に入れられて一生を送るのは変わらない。だったらやれる事をやって、逃げ道があるならそれを選ぶ」

 死刑の廃止された今、犯罪者は隔離生活を余技なくされる。所謂、終身刑だ。終身刑の施行は最近多くなっていて、施設が増やされている。死んでいる訳ではない事は、親族と面会できる事からもわかっているが……「現世のあの世」とまで言われているのは事実だ。

「何をする気だ?」

「お前には教えない」

 河津は続ける。

「首輪が付いた。勝手に動く事だけはするな。言う事を聞かないなら殺すからな」

 今まで役に立つのは自分だけだと思って居たのに。河津は加害者で、三浦は身勝手な殺人犯だと思っていた。そんな奴らに役立たず扱いをされ、脳の中には忌々しい女の分身が住み着いたまま。

 酷く気分が落ち込んだ。VRベッドで眠ればあの兎が出て来る。地獄だと思い、ソファで横になると三浦が言った。

「VRベッドで眠って、いつも通りゲームにログインしろ」

「は?」

「明らかにおかしな動きを取るな。疑似人格が入っている事を知っているのは門倉の娘だけの可能性もある。いや、高いだろう」

「何を根拠に……」

「門倉の娘はVR超感覚を持っている事を周囲に隠している。厳重なウォールで個人情報も守っているなら、公になったら困る筈だ。お前がゲーム内部でその事実を漏らす可能性があるとなれば、証拠を固めて捕まえるまで現状を維持するだろう」

 河津が同意する様に言った。

「それに、お前の記憶野の情報は特殊だった。同じVR超感覚を持つ門倉の娘なら読み解けても、そのまま持ち出したところで一般人には読み解けない。俺は脳移植の際にやろうとしてできなかったから分かる。……門倉の娘が一般人に見えるように手を加えれば、記憶の加工と見なされ、証拠にはなりえない」

 つまり……エリスは独断でこの行動に及んでいて、警察と連携していない可能性が高いと二人は考えているのだ。本当にそうだろうか?そもそも警察官の娘だ。独自のツテを持っている可能性は否めない。しかし、そうであったとしても、その可能性に賭けるしかないのも事実だ。

「お前も分かっているだろうが、いくらVR警察の後ろ盾があっても、記憶野に疑似人格を入れるなんざ、重罪だ。知られればタダじゃすまんだろうな。……お前が捕まって調べられれば罪は隠蔽されても、簡単にそんな事が出来る人間だとバレる。もう一般人として生きるのは無理だろうな」

 河津の言葉に、エリスの並々ならぬ怒りを感じる。ある意味、殺意とも言える。

「門倉の娘は、お前がちょっかい出した女が余程大事なんだな。お前が気に入って手を出した以外に何か理由がある筈だ。まぁ、知ったところでもうどうにもならないがな」

 それだ。俺の全く理解できないのは、その部分なのだ。何故、俺が個人ウォールの内部に手を出す事を予測できたのか。そもそも、エリスの疑似人格が記憶野で展開しない様な形にしてあるだろうが、今もセリーヌの内部には存在しているのは間違いない。

 記憶野から他者が記憶を消すのは意図的に出来ない。本人が意志からはじき出そうとしている物は残っていても意識しない事で思い出さない事は可能だし、必要ないと判断した物は忘れていく。これが忘却だ。

 他者が脳に手を加え、記憶を操作する事を洗脳と同じように出来ると唱える人間も存在していたそうだが、それは現在否定されている。加える事は出来ても、消す事は出来ないからだ。だから、記憶野に何かを加える技術は違法であり重罪なのだ。閲覧は許されているが、それも犯罪がらみで必要な部分のみとされている。

 俺はそれを承知でセリーヌの記憶野に侵入した。まさか、それに対抗してくるなど、考えてもいなかったのだ。

 あの記憶野の色鮮やかなチェストも明らかにエリスの手で偽装されているものだったのだと今なら分かる。大切な記憶情報を俺に渡さない為だったのだ。勝手にやっているにしろ許しているにしろ、エリスとセリーヌの関係は異常だ。一体、何なのか。

 手を出してはいけない物に手をだしたのかもしれない。

 バーサクシードを破壊された時に気づけばよかったのか?河津や三浦の助言に逆らわなければよかったのか?違う。あいつらが悪い。皆、俺に不快にした。笑って暮らせる奴らが居るのに、俺は笑って暮らせない。どう考えてもおかしいじゃないか。

「世の中は、俺に優しくないのに……何故俺が、何とも思っていない奴らに優しくしなければならないんだ。出来る訳ないだろう」

 俺の言い分は間違えていない。俺は親に優しくされたかったから好きでもないのに勉強をしたし、ナニーとの関係で苦しんだ過去を黙っていろと言われたからそれも黙っていた。宇佐美は俺を拾って面倒をみてくれたが、結局捨てた。そして会長は俺をこんな体にした。これだけの事があって、何故優しさなど……。

 そう思うのに、セリーヌと会うと彼女には優しい気持ちを持ってしまう。何故か分からないが、彼女がいると普段は超感覚で歪みの見えるVR空間が、普通に現実と変わらない景色になる。それ程に彼女は俺の特別なのだ。これが恋であるというなら、俺は彼女以外いらない。

 バーバリアンズ・ウォーへログインする為に渋々VRベッドで横になる。恐れていた黒兎は現れなかった。

 ゲーム内部でもエリスはいつも通りだった。警戒してセリーヌに近づかなければ、俺とも普通に会話をした。ログアウトしてから調べた所、記憶野の兎は本体と連絡を取っていなかった。……つまり、エリスは俺がセリーヌの記憶野で疑似人格を取り込んでしまった事を知らないのだ。

 安堵と共に、その隙を突けないか考える。

「本体と連絡を取らないのか?」

「取らない。本体が望んでないから」

 率直な質問に率直な答えが返ってくる。

「望まない?俺が憎いんじゃないのか?」

 兎は少し考えるような様子を見せてから、答える。

「それは対等な人間に抱く感情でしょ?本体はそう思っていない」

「は?」

「汚いから触りたくない者が、私達に触れようとしてくるから怒っているだけ。本体が疑似人格である私に処理を任せたのはそういう事よ」

 汚い?俺が?

「どこまでバカにするんだ!」

「バカにしなんてしていないわ。事実よ。人でなしの人殺し。セリーヌちゃんと私に触らないで」

 一瞬言葉に詰まる。

「俺は実際に殺していない!」

「人殺しを作るイカレ野郎って言えばいいの?私とセリーヌちゃんはそういうの大嫌いなの」

「何故セリーヌも同じだと言い切れる」

「あの子が戦う力のある公務員だって分かっていてまだ言うの?」

「俺の過去を話せば……」

「過去がどうであれ、今生きている人間の命に対する脅威をあの子は決して許さない」

 全て言わせないという様に兎は言葉を重ねた。

「それに報われない過去って話なら、私だって持っているわよ。パパを殺された」

「不幸自慢か。それでセリーヌの気持ちを引き付けたのか?俺が同じ事をやって何が悪い。お前の不幸に共感したセリーヌが俺を受け入れると思うが」

 兎は苛立ちを隠さないまま言った。

「受け入れない。あんたの不幸はセリーヌちゃんを傷つけるだけ」

 俺の記憶野の情報を持っている兎の言葉に、俺は疑問を持つ。

 汚らわしいとでも言わんばかりの扱い、そして俺を何処までも遠ざけたいと思っているエリスの意志。

「俺達は、会った事があるのか?」

「ない」

 兎はキッパリと答える。誇張でも嘘でもない様子だ。

「でも知ってる。だから絶対に関わりたくない」

 こちらには情報が全くない。しかしあちらには情報があるのだ。

「本体は、あんたの脳がどういう人間だったかを知っているだけ。死亡している筈なのになぜかいる。それを恐れたのよ。狙うならセリーヌちゃんだろうから、あんたのやりそうな陰湿な方法を仕掛けた。そして実際に引っ掛かった。……人の心に土足で踏み込む野蛮人」

「お前だって、セリーヌの記憶野に侵入しているじゃないか」

「何で私とあんたが同じ立場なのよ?……セリーヌちゃんの中では疑似人格はただ圧縮されて格納されているだけよ。そういう仕組み。あの子は私にとってとても大事で、他に変わりなんて居ないの。守る為に出来る事をするのは当たり前で、セリーヌちゃんもそれを分かってくれている。あんたみたいに勝手に入ったりしないわよ」

 嘘だ。人の脳に侵入するのは違法な行為だ。記憶野のチェストにおかしな色を付けたのも間違いなくこの女だ。やりたい放題じゃないか。バラしてやればセリーヌはエリスと決裂するのではないのか?そうに違いない。

「本当にバカね。先生の言う通りだわ。本当に人の話を聞かない」

 一瞬、宇佐美の笑顔を思い出す。

「あいつは、俺のデータを晒したのか!」

「私の能力はあんたとほぼ同じ。おかしな事じゃないわ」

「俺は了承していない」

「あんたが話を聞かないからよ。あんたのデータは親の許可が下りて私にのみ公開された」

 兎はため息を吐く。

「そもそも、あんたは親を誤解している。それに宇佐美先生はVR超感覚を持つ人間を研究している第一人者で、あの方以上に私達みたいな人間に寄り添って理解しようとしてくれる人は居ない」

「じゃあ、何故俺をウォールCに落として居なくなったんだ!」

「あんたがバカだからよ」

 兎はそう言うとふっと消えた。今は教える気はないという事の様だ。

 バカ、バカ……さっきから繰り返し煩い。その言葉にだけは強い憎しみを感じる。それだけエリスの怒りが俺に向いているのだ。会ったこともないエリスに俺は何もしていないのに何故なのか。

 以後、兎は思い出したように俺の意識の中に現れて、過去を明らかにしていく様になる。俺がエリスの怒りの理由を知るのは、もっと先の事だ。

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