01
ブレインマップ計画と言う脳の内部構造を明らかにする計画があった。今から八十年も前の事だ。
その計画は世界中の脳科学者が参加するかつてない規模の共同研究で、その研究結果を基に生まれたのが、VRベッドと呼ばれる機器だ。
睡眠時間を削ってやりたい事をする事がかえって体や脳に大きな負荷になると判明し、睡眠時間を利用してVR空間で好きな事を出来る様にしようと言う事になったのだ。
基本八時間睡眠の内、最長二時間程度までをVR空間への接続時間とし、覚醒している状態でも勿論使用できる様にされている。夢のベッドとして革命的発明と言われた。
横になって好きな事がし放題という事もあって、VRベッドに対応したVRソフトが続々と登場し、VR産業は一気に急成長した。
結果、VR中毒症と呼ばれる現実よりVRに重きを置く様な症状が出る人が続出しており、問題になっている。酷い場合には、衰弱死する人も出ている為、社会問題化しつつある。
私はそんなにVRのソフトにのめり込んだ事が無い。……仕事に差し支える様なゲームをして仕事を辞めるなんて、理由を上司に報告する所を想像するだけで死にそうなので、やる気にならない。
そんな日常は唐突に変化した。
「美月ちゃん、これ一緒にやろうよ」
幼馴染である小沢汐里が持ってきたのは、戦争系ゲームで、バーバリアンズ・ウォーと言う名前だった。パッケージしか見ていないが、鎧を着たマッチョが斧を振り回している。見るからに暑苦しい。
「何で?」
そう問わずにはいられない。……汐里が興味を持つとは思えなかったからだ。
汐里の職業はアバターコーディネーター。
VRの内部で自分の分身として使用するアバター用の服を売る仕事をしているのだ。
人気メーカーである『パウム』のコーディネーターとしての勤続年数は五年。指名を受けてコーディネイトする人がいるまでになっている。仕事は忙しく、私と同じくあまり他の事に時間を割いていない。そこまで考えて、閃く物があった。
「まさか男を探す気なの?……殺し合いしているゲームの中で、出来ると思う?」
「できるよ!」
根拠があるとは思えないのに、力強い返答が心をざわつかせる。
「私はやりたくない」
「ホストゲームはお金かかるだけで何も得られないって分かったのよ。美月ちゃんの言う通りだった。反省してる」
「やっとわかってくれたんだ。……AIに貢いでも、彼氏には出来ないって何度も言ったよ?」
「そうは言うけど、あんたも楽しそうだったじゃない」
「最初だけね。その後の支払い見てやめたし」
「ううう……でも、でも、優しいかったんだもん。凄く楽しかったんだよ」
「そうだね。でも、歯の浮く様な事しか言わない人なんて、あり得ないから」
「美月ちゃんのリアリスト馬鹿!とにかく付き合いなさい!」
酷い暴言、そして横暴だ。そもそも、何故そのチョイスなのか分からない。
「……スポーツ系じゃダメなの?」
「運動、嫌いだから」
知ってる。でも……
「戦争のゲームって運動よりハードな気がするんだけど」
「魔法使いって職業があるのよ!呪文唱えて火の玉をボウって飛ばすみたいな。それなら出来そうじゃない」
……多分、汐里が考えている様な甘い物ではない様な気がする。
「汐里、後で泣くと思うよ」
「泣かないもん」
「じゃあ、泣かなくても、即辞めなんじゃない?」
「そんなにすぐ辞めないよ!」
「ふぅん……。言質は取ったからね」
私が少し怒っているのを感じたのか、汐里は視線を彷徨わせてから、上目遣いになる。
こんなに可愛い見た目をしているのに、どうして彼氏が出来ないと思っているのか。全く……。
昨今、義務で持っている汎用アバターと現実の自分を比べてコンプレックスを抱く人が結構多い。汎用アバターと言うのは、VR上の自分で、容姿をできうる限り自分に似せる事が義務付けられている。VR上で仕事も裁判も行われる昨今、持っていないのは生まれたての新生児くらいだ。
自分を定期的にスキャンして古いアバターは更新する義務があり、半年更新が一般的だ。ただ、化粧が出来る事から、この仕様を上手く使う事によって、セルフ整形に近い事が出来るのは事実だ。現実の化粧品はかなりの金額がかかるのだが、アバターでは無料。いくら盛っても不自然ではないから、やり過ぎてしまうのだ。眉の形や髭も失敗を恐れずに自由にできるから、男性もかなりやっている。
汐里の場合、アバターは本人と殆ど変わらないのだが、肌の滑らかさなんかが気になる様だ。仕事柄、アバターで他の人に接しているから、余計に気になるのかも知れない。そのせいで、現実の男性と付き合う事が上手く出来ていない。人に指摘された所で本人が自分の容姿を受け入れない限り、これは消えない。
「もし辞めるなら、それまでの私の払った分も支払いお願いするからね」
「……美月ちゃんが辞めたいって言った時は?」
ムカっとして言葉を区切りつつ顔を近づけて言う。
「どうして、私が、あんたの、分を、払わないと、いけないの!」
分かっていても、こういう部分はかなりムっと来る。不機嫌にしていると汐里が言う。
「だって美月ちゃん、偉そうなんだもん。こっちからお願いしたって言うのは分かっているけど、態度悪い」
「お互い様ね。じゃあ無かった事にして、どっか遊びに行く?ソフト代の分あれば、好きな服買っておいしいご飯食べた後で、デザートにケーキも付けられるよ」
そう。このゲームはびっくりする程値段が高いのだ。絶対に買いたくない。汐里も目を付けたはいいものの、一人で買って失敗したくないから、私を誘っているのだ。
「ううう……」
悩んでる。……よし、そのまま辞めると言いなさい。
見守っていると、汐里が私を睨みつけた。
「やる。美月ちゃんの見下しマウントフェイス見てたら、凄く頑張る気になってきた」
失敗。顔に出ていたか……。
「ねえ、何でこんな突飛な事思いついたの?」
「うう……うっ……うあああああああ!」
はい。泣く子には勝てません。
暫く泣いた汐里の白状した所によると、職場で敵視している同僚に彼氏が出来たらしい。ノロケ話を毎日毎日されたのがきっかけ。あちらは彼氏と順調な上に、汐里に嫌がらせが出来てご満悦状態の様だ。
そのストレスをため込んでいる所で、いつも目を通しているアバター関連の雑誌に、このバーバリアンズ・ウォーのデザイン特集があったらしい。ゲーム内部の限定アバターである為、人類ではありえない様なカラーリングも出来るらしい。服や装備も元々凝っているのだが、更にデザインを付け加えたり出来る様だ。それがあまりに綺麗で感動したのだとか。そこで、このゲームで素敵なアバターを作って彼氏も出来れば、このストレスからも解放されると思ったのだとか……。
……汐里は昔からこんな感じだ。嫌な事を忘れる為に、新しい事を始める事は賛成するのだが、吟味と言う過程が一切無いのだ。見つけたら、即飛びつく。そして一切躊躇しない。そして頑固。
こんなのきっとすぐにゴミになる。それでも、汐里が精神的に追い詰められているのは分かるから、このまま放置できなかったのも事実。結局泣き続ける汐里をなだめる為、私はバーバリアンズ・ウォーと言う戦争ゲームで遊ぶ事を了承する事にした。
多分、汐里は数分プレイして泣きながら『お金払うから、もうやめよう』と言うに違いない。私は、そう思っていた。
バーバリアンズ・ウォーは、アバターで戦争をするゲームだ。
とは言え、相手を殺傷する訳だから、当然恨みが発生する可能性も高い。
だから普段使いのアバターとは別途、このゲーム用のアバターを用意しなくてはならない。万一の場合の身バレ防止だ。……この時点で、リアルの彼氏に繋がる気がしない。でも汐里はやると言い張って聞かない。ソフトへの課金手続き終了の瞬間、「汐里が払う、汐里が払う……」と念仏の様に唱えたのは、汐里にも内緒だ。
その後、ゲーム登録画面で、それぞれの汎用アバターで合流した。
早速ゲーム用アバターを作り、手続きを行う事になった。
「わぁ、本当に綺麗。色のバリエーションが多い!どんな顔にしようかなぁ」
汐里はウキウキしてアバター製作に取り掛かっている。私からすれば、こんなに細かく設定するのはゲームをプレイする前に心が折れそうだ。
数パターンの顔から選ぶ方法もあるらしいので、それから作ろうかと見繕っていると、汐里に止められた。
「美月ちゃんのアバターも作ってあげる」
「じゃあ、お願い」
職業柄、美的センスに長けている汐里に任せておけば、おかしなアバターにはならない。そんな訳で丸投げした。
出来て来たのは、自分の本来のアバターとは似ても似つかないファンタジーな美女だった。
「ベースの人種は?」
「アングロサクソン。髪と目の色は美月ちゃんの好きなレイクブルーだよ」
長いストレートの髪の毛、長身。自分の中の憧れがそのまま出てきたような凛とした姿だった。
「さすがプロ。ありがとう」
「ふふふ。どういたしまして。ねえ、私のも見て!」
淡いピンクのフワフワとした髪の毛に金色の目をした美少女の姿が目の前に浮き上がる。
「年齢詐称」
「いいの!本来のアバターとは違うんだから!」
彼氏候補を探しに行くのに、本当にそれでいいのかと不安になる。とは言え、自分だと誰にも分からないのだと思うだけで、妙に気分が浮きたつ。
新しいアバターでログインすると、女性の声が聞こえた。
『ようこそ、バーバリアンズ・ウォーの世界へ』
音声と共に周囲の景色が一変し、歓声が聞こえてくる。
『この世界では、三つの国が覇権を争い、戦っています。あなたの君主に勝利を捧げましょう。仕えたいと思う君主を選ぶため、各国の君主を紹介します』
私達は周囲の景色が変わり、説明が始まるのを待つ。
『現在、最も繁栄しているのはアルベスタ王国です』
赤い煉瓦の街並みの中に、大理石の城がそびえている。その城の手前に、白いローブに赤いマントを羽織った若い女性の姿が浮かび上がる。
『君主はエリザベート・アルベスタです。慈愛深き女王の盾となるなら、アルベスタ王国騎士団へ』
最も繁栄していると言う事は、君主にエリザベートを選んでいる人が多いと言う事だ。
「女王様綺麗だから、人気なのね」
汐里が呟き、私が頷くと次の国の紹介になった。
『次に反映しているのが、ウルファ帝国です』
景色が代わり、石造りの雪国らしき町並に、同じく石造りの要塞の様な城が見える。城の前に、青いマントを羽織った、屈強そうな壮年男性の姿が現れる。
『君主はクジマ・ウルファです。誇り高き皇帝に忠誠を捧げるなら、ウルファ帝国騎士団へ』
「ちょっとお父さんに似てるかも」
私がそう言うと、汐里が笑う。
『そして、現在存亡の危機にあるのが、ガウラ皇国です』
和風の街並みと日本の城が見える。その中に、武者鎧を着て、黒いマントを羽織った若い男性が立っている。
「あ、格好良い」
汐里が言う。確かに、塩顔のイケメンだ。
『君主は、ヒデマロ・ガウラです。滅びを恐れない猛者を皇王は望んでいます。猛者たらんとする方は、是非ともガウラ皇国騎士団へ』
猛者……。
その言葉にちょっと引いたものの、この国が滅亡するなら、そこでプレイを続行するか否か、判断する事が出来る。そういう目処があるのは良い事だ。君主の見た目から、汐里がガウラ皇国を推すだろうし。
三色の扉が目の前に出現する。赤はアルベスタ、青がウルファ、黒がガウラ。
『望む君主の住まう国への扉です。戦場での活躍を期待しています』
「ガウラでいい?」
私が聞くと、汐里が即頷く。
「イケメン助けたい」
AIだってば。懲りないなぁ。
「じゃあ、行きますか」
私達は黒い扉の向こうへと進んだ。
進んだ途端、目の前に和風の街並みが出現し、足が地面に付くのを感じる。
「滅亡の危機って言うけど、人多くない?」
汐里がきょろきょろと周囲を見回す。
「そうだね」
と、二人で歩き出すと、周囲の人達が私達目掛けて集まって来た。
「新規だ!新規だぞ!」
「女の子だ!二人!」
歓迎されているのかよく分からない声、何故そんなに注目されるのか……。まだ街の中すらちゃんと見ていないのに。何?
怯えているエリス……汐里のアバターを庇いながら周囲を睨むと、集まって来た人達は、前のめりだった姿勢を正して、少し距離を置いてくれた。すると寄って来た人達の中から一人が進み出て話を始めた。
「ごめん。驚かせてしまったね。君達、新規だよね」
「はい」
私にくっついて黙ってしまったエリスの代わりに私が応じる。
「落ち着いて俺達の話を聞いて欲しい。……予備知識なしで戦場に出ると潰されてしまうから」
「潰される?」
汐里と顔を見合わせてから相手を見ると、彼……ガムランと名乗った人は、ガウラを選んだ新規プレイヤーが、故意に潰されている状況について話し始めた。
「ガウラは、三か月前までアルベスタと拮抗した勢力だったんだ。……情けない話だが、馬鹿なプレイヤーが一人居てね、アルベスタ勢力を怒らせたんだ」
「怒らせるって、何をしたんですか?」
「負けた腹いせに、エリザベートの……その卑猥な映像を合成して、男性向けのサイトにアップしてしまったんだよ」
言い辛そうに説明するガムランの話す事は十分理解出来た。
それは良くない。AIとは言え、不愉快極まりない行いだ。
「そいつのせいでガウラの評判はがた落ちで、新規プレイヤーがなかなか入って来ない。更に言うと報復がまだ続いている」
「そうだったんですね」
私が応じると、ガムランは恐る恐る聞いて来る。
「君達、こんな時期にわざわざガウラに入って来るって事は、バーバリアンズ・ウォーは、初見?」
「はい。戦争のゲームそのものをやった事がなくて……何も分かっていないんです」
「こんな事聞くのは失礼なんだけど、何でバーバリアンズ・ウォーだったの?結構値段張るよね?」
ガムランと言う人は、何が知りたいのだろう……。まさか、友人の彼氏探しに付き合って来ましたなんて、言えない。
「そういう事に答えないと遊べないんですか?」
内心冷や汗を流しながら、表向きは冷静を装い応じる。
「あ、いや、そうだね。詮索はダメだね。ハハ……」
その途端、ぐいっと引っ張られてガムランが後ろに下がり、代わりに別の男性が目の前に立った。
ひょろりと背の高い、鎧を装備していない恰好はまるで普段着だ。
「ごめんね、怖がらないでやって。あいつ、女の子と話し慣れてないんだよ。俺はケール。お二人さんの名前、まだ聞いてなかったんだけど、聞いていいかな?」
そう問われて初めて、自分達がこのアバターに付けた名前を口にしていなかった事を思い出した。
「セリーヌです」
私のアバターの名前だ。続けて恐る恐る汐里もエリスと言う名を告げる。
「セリーヌとエリスね。よろしく。……ガムランは戦場では頼りになるし、ゲームの事は丁寧に教えてくれる。悪い奴じゃないから、ね?」
そう言われてしまっては、頷くしかない。黙って頷くと、ケールはにっと笑って言った。
「ようこそガウラへ。立ち話も何だから、城へ招待するよ」