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聖痕乙女 番外編 集  作者: うさぎ屋
ファラーナとリガロ
8/20

ファラーナとリガロ 8

 ファラーナは歩いている。

 握っているのは、エオネイアの手。ほかには、なにもない。

 クリャモナは、坂の多い街だ。家々のあいだをすり抜ける道の多くは石段。あちこちに壁があるのは防衛のためだが、ファラーナはそんなことは知らない。そもそも、こんなに坂が多いということだって、知らなかった。

 交易のために、馬車が上がれる道は用意されているが、それも神殿前の広場までだ。あとはもう、狭い石段ばかり。見通しが悪く、自分がどこにいるのかわからなくなるのも、そういう風に設計されているからだ。

 よろめいたファラーナの手を、エオネイアがぐっと握る。倒れないよう、引き上げる。


「ごめんなさい」


 エオネイアは答えない。黙って前を向き、歩きつづけるだけ。

 ふたりは石段を上がりつづける。一段ずつ、地面をはなれていく。


 ――わたしはもう、利用されたくない。


 エオネイアは、涙ぐむファラーナの手を握っていった。

 あの、なにもかもを観察し尽くしたような眼差しを向けて、彼女の名を呼んだ。ファラーナ、と。


 ――あなたも同じでしょう?


 自分は利用されていたのか、とファラーナは思う。もちろん、そうだ。

 エオネイアが――もっとも優秀な乙女が使えなくなったからこそ、ファラーナは〈聖女〉にされた。ちょうどよく癒しの力も持っていたから。〈聖女〉として、人々の希望になれと諭された。

 でも、ファラーナでなくてもよかったのだ。

 まだ逃げ出して半日も経たないのに、もう次の〈聖女〉が立てられている。ファラーナは利用されていた。追い求め、取り戻すほどの価値がないから、見捨てられた。

 それだけだ。

 わたしは、とファラーナは思う。そして、いいえ、と否定する。わたしたちは、と思い直す。わたしたちは、利用されるばかりなのだ、と。

 誰に? なんのために? そんなことはもう、どうでもいい。自分のためではないことだけは、あきらかだったから。それだけわかっていれば、よかった。


 ――誰の手も届かないところへ行きましょう。


 それがどこなのか、ファラーナは訊かなかったし、エオネイアも語らなかった。

 そんな場所は、この世のどこにもないのだろう。

 だったら――。

 扉の前に、食卓を横倒しにしてきた。寝台をずらしてそれを支え、簡単には動かせないように。

 ファラーナの力で動かせる程度だから、どうとでもなってしまうだろう。それはただ、追って来てほしくないという合図のようなものだ。

 ふたりは半地下の窓から裏庭に出て、街へと逃れた。そして、ずっと歩いている。

 街路には、人影がない。誰に見咎められることもなく、ふたりは歩きつづけている。

 遠くで、物売りの声がした。どうやら水を売っているらしい。


「喉が渇いた……」


 思わず漏れた、つぶやき。エオネイアは答えない。そんなの関係ない、といわれているような気がする。

 これから行くのは、飢えも渇きもないところだ。たぶん。


「昔、流民の列を見たことがあるの、覚えている?」


 不意に口をついて出た言葉に、自分でびっくりした。こんな話をして、どうしようというのだろう。


「それが、なに?」


 思い浮かんだ情景は、まだエオネイアと出会って間もない頃のこと。たしか、一族の誰かが所持する別邸で、魔法の訓練をしていた。街では、誰の目があるかわからないから、と。

 エオネイアはともかく、ファラーナは当時、まだまともに魔法が使えなかった。それが知られてしまうと、〈試練の乙女〉に選ばれないかもしれない。だから、人目につかないところで実力をつけて来るように、と命じられた。どうせ無理だろうが、ともいわれたのを、はっきり覚えている。

 おまえには無理。それでも、やってみせろ――そういうことを、いわれた。

 ファラーナは、治癒の素質があるといわれていた。といって、使えるわけではない。まだ、敢えていえば「向いている」ことがわかっていただけだった。期待を持てるのは、治癒の術だけ。

 だから、神殿での施しに参加しましょう、といわれたのは、ファラーナに経験を積ませるためだったのだと思う。どこかで魔族の大規模な襲撃があり、家や家族を失って流民となった者たちが来るから、と。当然、怪我をしている者や、病を得て体調を崩す者も多いから、これは使えると思ったのだろう。

 あのとき、教師役をつとめていたのは誰だったのかも、もう、はっきりとは覚えていない。親が雇った誰か。結果を出せず、短期間でころころと変わる、誰か。


「怖かったの、わたし」

「なにが?」

「流民が」


 全員が虚ろな目をしており、希望もなにも失ったという顔をしていた。家がなく、家族がないだけで、こうなるのだと思った。


「襲われても、負けはしないと思うけれど?」


 当時のエオネイアも、同じことをいった。足がすくんで動けないファラーナを見て、彼女はそう告げた――なにを怖がっているの? 襲われたとしても、負ける可能性などないのに。

 なにを怖がっているのか、わからなかったから、そのときのファラーナは答えられなかった。次に訊かれたら答えられるように、長いあいだ考えて、ようやく気がついたのだ。


「自分がそうなるのが、怖かった」

「どうなるの?」

「家を――失うこと」


 その答えに辿り着いたとて、エオネイアに告げることはできなかった。なぜなら、エオネイアもまた家も家族も失ったひとりだったから。

 ファラーナは、なにも失ってはいなかったけれど、だからこそ怖かった。駄目な子だといわれても、親に捨てられたわけではなかった。もし捨てられたら、自分はなにもなくなってしまうと思った。

 エオネイアは、それでも強い。彼女は自分を持っているから。

 ファラーナが駄目なのは、魔法がうまく使えないからではなかった。自分がいないからだ。家の名前と、親の意見で捏ね上げられた、たよりない存在。それがファラーナだ。

 だから、それらを失ったらもう、ファラーナは消えてしまう。輪郭を失って、とけてしまう。なにも、なくなってしまう。

 無意識にそれを感じて、怖かった。神殿に身を寄せる流民たちを見て、明日は我が身だと痛感したのだ。想像したくはないけれど、親たちがファラーナを見限ったら――エオネイアを養女に迎え、自分たちの子はどこかに捨て去ると決めたら。


 エオネイアは足を止め、ファラーナを見た。ファラーナもまた、エオネイアを見返した。

 ずっと、ずっと、ファラーナは認められたかった。

 でも、両親が彼女を褒めてくれることなどないまま〈試練の乙女〉として神殿に上がり、まず、エオネイアを失った。親よりも頼りにしていたのに。

 そして今は、〈聖女〉という立場も失ってしまった。

 取り戻せたエオネイアは、いつまた魔族に奪い返されるかわからない。ファラーナの拠り所となるものは、なにもないのだ。


「わたしは、エオネイアになれなかった」

「そうね」

「ずっと、エオネイアを追い越せっていわれてた」

「ええ」

「追い越したら、どうなっていたの」

「今と変わらないのではない? あなたは〈聖女〉になる。そして、その地位を無自覚に(なげう)ってわたしを救い、地位を失う」


 淡々と指摘して、エオネイアは眼をほそめた。

 ファラーナの表情を読んでいるようだ――自分は今、どんな顔をしているのだろう。どういう感情で、エオネイアの言葉を受け止めるべきなのだろう?


「行きましょう。行って、かれらを後悔させましょう」

「後悔……」

「失ってはじめて痛みがわかることもある。愚者にわからせるには、それしかないでしょう」


 神殿も。親たちも。いや、この世界のすべてをエオネイアは糾弾しているのだ。愚か者ども、と。

 エオネイアはそれでいいと思う。だが、ファラーナに、そんなことをいう資格はあるだろうか。ないかもしれない。だって、ファラーナもまた、愚か者どものひとりに過ぎないのだから。


「聖域に保護されるのは、どうしても嫌?」


 ファラーナの問いに、エオネイアはわずかに表情を動かした。


「そうね。それはもう、何年もやって来たから」


 自分が〈聖女〉になってから、何年経っただろう。エオネイアを失ってから。

 ずっと惰性で〈聖女〉をつとめていたような気になっているが、当初は、魔族を許さないという強い気もちを持っていたはずだ。魔族が、ファラーナからエオネイアを奪ったのだから。


「緩慢に、なすすべもなく、すべり落ちていくような日々。それが、ずっとつづくの」

「わたしも同じ」


 けれど、〈聖女〉になっても、魔族の討伐に赴けるわけではなかった。むしろ、危険にさらされないよう、どんどん囲い込まれていった。言動のひとつずつが注視され、監視され、報告され、意見された。

 駄目な子とか、どうせ無理だと直接いわれることはなくなったが、周囲の扱いのどこかに、諦念のようなものを感じた。もっとなにか奇跡のような力を見せてほしいという素朴な願いから、せめて人々を落胆させないでくれという打算的な想いまで。

 すべて、諦められてしまった。

 ファラーナ自身が、なにもかもを諦めているからだろうか?

 だったら、エオネイアも諦めてしまったのだろうか。当然だ、エオネイアは魔族の誘惑に堕ち、二度と元には戻れないのだ。その絶望は、ファラーナより深い。


「生きていても、この先、なにも望めないと思うようになってしまった」

「ええ」

「わたしたち、きっと似ている」


 ふたりのどちらが語っているのか、もうわからない。握った手から、すべてが溶け合っていくような気がする。


 ――もう、ひとりで絶望しなくていいんだ。


 エオネイアを探さなくていい。自分がなにをやっているのか、疑問に思わなくていい。


「一緒に生きることはできないかもしれないけれど、わたしたち、きっと一緒に死ぬことはできるから」

「ええ、そうね」


 行きましょう、と。あらためて手を引いたのは、やはりエオネイアだったと思う。ファラーナではない。

 けれど、ふたりが足を踏み出す前に、声がかかった。


「待って!」


 ふり返ると、階段の下に、あの騎士の姿があった。

 ファラーナは、はじめて彼の顔をまともに見た。なんて開け広げなんだろう、というのが最初の印象だ――ここまで世話になっておいて、今さらだとは自分でも思う。けれど、今までは印象もなにもなかったのだと気がついた。彼にきちんと対面していなかった。

 真正面から見た今、思わず見惚れてしまうような率直さをそこに見出して、ファラーナはおどろいた。

 少し怒っているようでもあり、それより心配している、あるいは悲しんでいるようでもあって、久しぶりに人間を見た、と思った。


「一緒に死ぬ、って聞こえたけど。俺の、聞き間違い?」

「あなたに答える必要を感じない」


 応じたのは、エオネイアだった。

 それを聞いたとき、ファラーナは、なぜかこう思った――でも、もう答えてしまったじゃない、と。ほんとうに答える必要を感じないなら、エオネイアは彼を無視する。そういうひとだから。

 でも答えたのだから、これは彼女にとって、必要な問いであり、答えだったのだ。

 そう気づいたとき、ファラーナは握った手の力を強め、歩きだそうとしていたエオネイアをその場に引き留めた。


「ファラーナ?」

「彼には恩義があるから。ちゃんと話したい……。駄目?」


 エオネイアは、いつものあの眼差しをファラーナに向けて、そっと息を吐いた。


「あなたが、そうしたいなら」

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