ファラーナとリガロ 3
「悪いね、いろいろ面倒なことを引き受けさせて」
「悪いと思うなら、そういうものを運んで来るんじゃないよ」
でもまぁ、とテッサは太い腕を組んで不敵に笑った。
「この程度、面倒ごとでもなんでもないさ」
いや、〈聖女〉と魔族の誘惑に堕ちた元〈試練の乙女〉を匿う行為は、誰がどう見ても面倒ごとである。というか、面倒では済まないおそれがある。
それでも、リガロが「信を置ける神殿の外の人間」として思いついたのは、かつて訓練のためにクリャモナに滞在していたときに通い詰めた、この食堂の女主人だけだった。
「受け入れてもらえて、ほんとに助かったよ」
「うちの料理を美味しいっていってくれたら、皆、子どもみたいなもんさ。子どもが困ってたら、助けるものだろう?」
「……凄い子だくさんになっちゃわない? それ」
「そうだよ。世界一の料理のおかげで、世界一の子だくさんだ。こんな幸せな人生、そうそうないさ。それで、神殿はまずい状態なのかい?」
豪快な笑顔から、不意に真剣な表情に変わっている。それがテッサだ。
「わからない。ただ、俺の勘では、たぶん……聖域はもう、機能していない」
「やれやれ。こんな時だってのに上が『俺が偉いごっこ』ばっかりしてるから、隙ができるんだよ。わたしが居た頃もぼんくらばっかりだったけど、ひどくなる一方だね」
テッサは女性初の神殿騎士――に、なるはずだった。女性の神殿騎士など前例がないとする、当時のクリャモナ神官長によって任命を拒否され、ほかの神殿にも通達を回された彼女は、それじゃ騎士を育てる側に回るさ、といいはなち、神殿の門前に店を構えた。
以来、数多の神殿騎士たちがテッサに育てられた。旨くて安くて量がある食事と、それを供するテッサの言動は、騎士たちの肉体と精神の両方に大きく影響した。まさしく心身両面を「育てた」のだ。各地から修行に訪れる神殿騎士のほとんどが、テッサの食堂を利用する。彼女の影響力は、そこらの神官長の比ではない。
彼女を神殿から追い出した神官長は、テッサの件とは関係なく、政争に破れて去っている。欲張り過ぎたんだよ、ぼんくらのくせに――というのがテッサの評だ。
「人が、失われるばかりだからね」
「有能なやつから死んでくのは、ほんとに我慢ならないよ。聞いたよ、大変だったね」
「……うん」
「あいつらも皆、わたしの子どもたちだったよ。〈聖女〉様をお守りする盾となったんだ、本望だろっていいたいところだが、せつないねぇ……。それに、惜しい。そして、おかしい」
せつない、惜しい。それはわかる。しかし――。
「おかしい?」
「ああ、おかしい。その魔族は、大神殿で〈聖女〉の護衛を任されるような精鋭を、全員まとめて倒したんだろう? そいつの実力なら、やりたいと思ったことを失敗するはずがない。つまり、そいつの目的は、〈聖女〉様を誘拐することでも、命を奪うことでもなかった……って話になる」
そういえば、ダレンシオもしきりと、奇妙だとつぶやいていた。テッサと同じく、不審に思っていたのだろう。
リガロは、そこまで考えられなかった。仲間の死が衝撃だったのもあるし、想像したこともないほど強い魔族の襲撃を受け、現状の把握が追いつかなかったのだ。
こんなことでは――守れない。なにも。
――自分のことばっかり考えてるようじゃ、なおさら駄目だ。
あからさまな徴を見落とし、異常に気づかないのでは、話にならない。
「……じゃあ、なんのために?」
「わからないね。そもそも、滅多にあらわれないような強い魔族だ。知恵も力も人間より上だと考えた方がいい。なにか隠された意図があるはずなんだ」
「……きっと〈聖女〉様に関係することだろうな」
「そうだね。今、あんたがやるべきなのは、しっかり観察し、考えることだ」
「うん。ありがとう、テッサ」
「神殿への手紙は、気のきいた騎士に渡しておくよ。ダレンシオ師に届くように」
ふと気になって、リガロは尋ねた。
「ダレンシオ様とは――」
「あれはね、わたしが〈試練の乙女〉をやってた頃は、まだ王都の神殿にいたからね」
テッサは〈試練の乙女〉として王都に赴いた過去を持つ。クリャモナの有力な家柄の生まれであり、魔法の素質もあったため、かなり期待されていたのだと聞いた。が、〈聖女〉には選ばれなかったため、早々に帰郷して、なぜか騎士団の見習いになった。
当時、テッサは腫れ物にさわるようにして扱われていた――と、本人は面白そうに話す――だから、見習いになるところまでは、なんでと思っても誰も文句はいわなかったらしい。好きにさせておけ、という感じだったそうだ。騎士団に入るところでようやく、待ったがかかった。
――どうせ止めるなら、最初に止めてくれればいいんだよ。ぐだぐだうじうじしてるから、無駄な時間を過ごすことになるんだ。
ここだけは、あまり面白くなさそうな口ぶりだったから、今でも騎士団に入れなかったことは残念に思っているのかもしれない。それでも、気もちを切り替え、行動を修正し、今度は誰にも文句をつけられないように成果を出すあたりが、テッサのテッサたる所以だ。
「じゃあ、古い知り合いなんだ」
「そうなるね。まぁ、顔見知り程度だけど、あいつとは気が合うと思ってるんだよ。ぼんくらに我慢ならずに、自分のやりたいことをやるために外に出る……やってることが、だいたい同じだ」
「なるほど」
「今度、連れて来ておくれ」
胃袋を掴む気だな、とリガロは思った。
「そんな暇があればいいけどね」
「暇がなくても、来るやつは来るよ。今だって、〈聖女〉様とお友だちがご来店くださってるじゃないか」
豪快に、テッサは笑った。
テッサと話していると、なにもかも、なんとかなる気がしてくる。
――でも、ほんとはそうじゃない。
なんとかなるのではない。なんとかするのだ。テッサにまかせてそれでおしまい、というわけにはいかない。
とにかく、魔族の誘惑を受けた者を神殿内に置いておくことはできないという一点だけで、ここまで来てしまった。先のことはろくに考えていないのが、まず、ぼんくらである。
ダレンシオと連絡がついたら、指示を仰ぐこともできるだろうが、あちらも忙しいはずだ――なにしろ、〈聖女〉が姿を決してしまったのだから。
――やっぱり、相談すべきだったかな。
しかし、引き離すなら〈聖女〉を辞めるとまでいった、〈聖女〉の本気は汲んでやりたかった。いや、かなりひどい発言だとは思うが、幼友達を思いやり、今度こそ守るのだと真剣に決意したらしい姿を見ると、無下にはできなかった、というのが実情だ。
つまり、情に流されてしまったのだ。あまり流され過ぎないよう、戻れる方策と場所をみつけねばならない。
「で、浄めはうまくいったんだね?」
「それはもう。ただ、被術者にかなり負担がかかったようで、意識が戻らない」
「〈聖女〉様はご心配だろうね。自分の術で、友だちが倒れたのかもって思うだろう」
「ああ、お顔が真っ青でしたよ」
「……リガロ、お側にいてあげな。神殿のことは、こっちでなんとかするから」
テッサの発言に、リガロは肩をすくめた。
「〈聖女〉様は、俺に心を許してくださってるわけじゃないですからね。部屋に入ると、邪魔者扱いだし、なんか緊張されるし」
「なにをいってるんだい。これから、心を許していただくんだよ。これだから神殿はぼんくら製造機だっていうんだ」
「いや無理ですって。テッサが行けば――」
「わたしには店があるんだよ、店が! 今だって本来ならいろいろ仕込んでる時間なんだ」
「ごめんなさい」
リガロは急いで謝った。作業をまかせられる従業員がいるとはいえ、テッサが忙しいのは事実だ。
「つまり、あんたも邪魔だから、すっこんでろってことだ。すっこんだら、ちゃんと〈聖女〉様を気遣ってさしあげるんだよ。わかってるね? 〈聖女〉様が落ち着いて、責務を果たすと心を決めてくださるかどうかは、あんたにかかってるといってもいいよ」
「えぇー……」
「えぇー、じゃないよ。さっさと行きな」
テッサの命令に、逆らえるはずがない。渋々と、リガロは〈聖女〉たちを匿ってもらっている部屋に向かった。
テッサの家は、食堂の裏にある。渡り廊下で一階と二階がそれぞれ繋がっているが、日中は分厚い扉が閉まっていて、客がうっかり迷い込むなどということがないようになっていた。
かれらが与えられたのは、裏庭に面した半地下の部屋だ。なにかあれば逃れられるし、半地下だから外からの視線も防げる。ふだんは物置として使っているそうだが、寝台が置かれているあたりから、いろいろと察せられるものはある。
誰かを匿うなんてことも、そう珍しい話ではないのだろう。テッサは子だくさんなのだから。
「失礼します」
一応、声をかけてから部屋に入る。〈聖女〉は寝台に横になっていた。疲れたのだろう。
そして、さっきは倒れていたはずのエオネイアの方は、寝台の傍に置いた椅子に座り、眠る〈聖女〉を見下ろしていた。
「そなたは?」
リガロの方を見もせずにはなった問いは、するどい。〈聖女〉の百倍くらい威厳がある。
「あなたがたを、こちらまでお連れした者です。護衛とお考えください」
――眼の色は?
距離があって判別しがたいが、赤くはないように思える。もっとも、魔族がその気なら、色は隠せるのだ――だから、眼が赤く見えているなら、魔族の誘惑を受けた状態でありながら、同時に、魔族が意識を離している状態である、とわかるのだ。
眼が赤くなければ、浄められているか、あるいは対峙しているのはこの乙女を誘惑した魔族自身なのか、そのどちらかだ。
そして、〈聖女〉が浄めたといっても、聖域内に庇護しない限り、その効果の永続性はない。いつ、ふたたび誘惑に堕ちても不思議はない。それが、魔族に穢されるということだ。
「そう。……この子を神殿に戻してやってくれますか?」
「そうしたいのは山々ですが、ご本人が、あなたと一緒にいると」
エオネイアは、小さく息を吐いた。
「しかたのない子。せっかく〈聖女〉になったのに」
そのつぶやきから、リガロは、やはりと思った。きっと彼女たちは、励ましあって生きてきたのだろう、と。
「お目覚めになったなら、お食事を」
「それより状況を知りたいのだけど――起こしたくないから」
「この部屋からは出ないよう、家主にいわれています」
「では、部屋の隅で」
うながされるまま、リガロは〈聖女〉が寝ているのとは反対端に移動した。
――なんとなく命令されちゃう相手だな。
慣れているのだろう。〈聖女〉よりずっと、そういうことに。
「わたしがふたたび魔族の術中に堕ちたのは、多少曖昧ではあるけれど、十日ほど前のことではないかと思う。その時期に、なにかあった?」
「俺は、この神殿の騎士ではないので……十日前は、〈聖女〉様と旅の途上でした」
「ではわからないわね。この場所で目覚めるまでの記憶が曖昧なのだけれど、あなたが知っていることを教えて」
「〈聖女〉様が、護符の反応であなたがクリャモナ神殿にいらっしゃることを知り、救出に赴かれるのに同行しました。神殿の奥まった部屋で発見したのですが、眼が赤かったので……このまま神殿に置いておくことはできないと考えました。〈聖女〉様が、絶対に誰にも報せるなと仰せだったので、こちらにお連れして、浄めていただきました」
「そう……ファラーナがみつけてくれたのね」
「今度は、ご自分が助ける番なのだと、仰せでした」
エオネイアは、わずかに目元をゆるめた。
「あの子らしい言葉ね。でも、〈聖女〉としてのつとめを放棄するのは、いただけない。起きたら、叱ってやらなければ」
その表情が、思いのほかやわらかくて。
リガロは思わず、眼をしばたたいた。これが同じ人物か、と思ったのだ。
神殿で発見したときの、うつろな表情と。さっき部屋に入ってすぐの、張り詰めた冷たい強さ。そして、今の――。
「あなたにお願いしたいことがあります」
だが、エオネイアはもう表情をあらためている。凛とした姿からは、とても魔族に穢されているとは思えない。
「なんでしょう」
「今は魔族の気配はないけれど、来たらすぐにわかる。次は三回め、わたしも少しなら抵抗できる」
「……はい」
「必ず、あなたに報せます。そうしたら、申しわけないのだけど、わたしを殺してください」