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聖痕乙女 番外編 集  作者: うさぎ屋
ファラーナとリガロ
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ファラーナとリガロ 2

 エオネイアは、美しい少女だった。

 ファラーナにとっては、大叔父の娘にあたる。年齢は、ファラーナの父と五つほどしか違わない。神殿騎士として辺境で戦って果てた、と聞いている。ファラーナが、六歳の頃だ。

 同じ年頃の娘がいるからという理由で、エオネイアはファラーナの家で育てられることになった。今日から一緒に住むことになった、と父が連れて来たのが初対面。なんて綺麗な子なんだろう、とファラーナは思った。言葉は少なかったが、才知にあふれているのもすぐにわかった。しかも、魔法の才能もある。

 エオネイアを見習いなさい、と両親は微笑んでいう。ファラーナは、はい、と答える。エオネイアは黙して語らない。灰色の、曇り空みたいな眼で一家を見ていた。静かに、ただ見ていた。


 ファラーナの両親は、陰ではいつも、こういった。


 ――あの娘に負けては駄目だ。


 あの娘とは、もちろんエオネイアのことだ。


 ――ほんとうに、駄目な子。


 駄目な子とは、もちろんファラーナのことだ。

 駄目な子に、勝利をもぎ取れと囁く。負けるなと煽りながら、絶対に勝てるはずがないと呪いを吐く。

 どうすればいいのか、わからなかった。ファラーナは、いつも怯えていた。あのエオネイアに勝てるはずなんて、ない。だって、そんなの無理だ。できるなんて、誰も思ってない。なのに、そうしろといわれる。

 対するエオネイアは、自分がなにを期待されているか、を理解していた。ファラーナに(まさ)ってはならないが、〈聖女〉はこの家系から出さねばならないから、あまり劣等でも困る。優秀な保険が必要だ。

 でも、とエオネイアはある日、ファラーナに告げた。


 ――わたしは、皆の思惑通りに生きる気なんてないから。


 ファラーナはびっくりした。そのときはじめて、思った。

 皆の思惑通りに生きないなんてことが、できるのか。でも、だとしたら、自分はなにがしたい?

 なにもなかった。あまりの衝撃に、息が詰まった。

 大丈夫、とエオネイアは淡々と言葉をつづけた。


 ――とりあえず、〈聖女〉候補にはなるから。だって、わたしより強い子がいるとは思えないし、無能に戦をまかせる気はないもの。


 エオネイアは、そういう性格だった。自分の方が強いから、自分がやる。そこには微塵の迷いもない。苛烈で誇り高く、そして――やさしかった。

 誰かのために生きる気などないといいながら、彼女はその強さを、誰かを救うことに費やそうとしていた。


 ――あなたも一緒においでなさいよ。家を出るなら、〈試練の乙女〉になるのが簡単だから。大神殿に行ってしまえば、あとはどうとでもなるでしょう。


 そうやって、エオネイアはファラーナに目標を与えてくれたのだ。

 同じ地域に住んでいるから、本来ならふたりともが〈試練の乙女〉に選ばれるなんて、あり得ない。だが、一族は〈聖女〉を出さねばならないという観念にとり憑かれているから、そのへんはいくらでも操作してくれる。直前に居住地を変更するくらい、平気でするだろう。

 利用されるんだから、こちらも利用し返さないと――と、エオネイアは眼をほそめる――ただ、一族から出せる上限の人数があるのも否めないから、ほかの子に割り込まれないように、鍛錬は怠らないようにしないとね。

 眼をみはることしかできないファラーナに、エオネイアは告げた。


 ――大丈夫、わたしが鍛えてあげるから。あなたは、わたしの次に強くなる。


 うすい微笑みを、今でも覚えている。

 言葉通り、エオネイアはファラーナの能力を底上げしてくれた。次第に、両親がかける呪詛の声など気にならなくなった。エオネイアがいてくれれば、大丈夫だ。

 強くなる。ファラーナは、〈聖女〉の一族にふさわしい存在になるのだ――エオネイアの次に。

 集められた〈試練の乙女〉たちの中でも、エオネイアはどう見ても最上のひとりだった。どうせ彼女が〈聖女〉になるんだろうと思われていた。

 たぶん、エオネイアが狙われたのは、その飛び抜けた優秀さが原因だったのだと思う。大神殿に赴く前から、評判が高かったから。予想通り、招聘直前に彼女はファラーナの家を出て行き、よその家の養女として再会した。

 そのとき、少し様子がおかしいとは思った。わずかのあいだに、なにかがあったのかと心配もした。

 まさか――魔族に魅了されているとは思いもよらなかった。


「今度は、わたしが助ける番」


 ファラーナはエオネイアの手を握って、ささやく。

 エオネイアがなんの反応も見せないのが、悔しい。ほんとうに、腹立たしい。

 それは、彼女を支配する魔族が、今、なにも注意を払っていないことをあらわすからだ。ふたたび穢されたのなら、魔族はなんらかの形で彼女を利用したのだろう。おそらく、クリャモナ神殿の聖域を砕くために違いない。

 そしてまた、うち捨てたのだ。利用済みだと。


「まず、ひとつ条件があります」


 不意に、神殿騎士に声をかけられて、ファラーナははっとした。彼の存在を、すぐ忘れてしまう。


「なに?」

「信頼できる神官に、神域が破られていることを伝えます。もちろん、今すぐではなく。手紙の形で、時間差で伝わるようにします」

「……そんなこと、できるの」

「聖域を整備し直す必要があることは、絶対に、誰かに伝えておかねばなりませんからね。それも断ると仰せであれば、俺は〈聖女〉様にご協力はいたしかねます」


 ファラーナは、騎士を睨んだ。


「あなたは、わたしに仕える騎士ではないの?」

「〈聖女〉様以外の安全は、どうでもいいとおっしゃるのですか?」

「そんなはず……ないじゃない」


 ――そんなことしたら、エオネイアは絶対、許してくれない。


「隠形は使えますか?」

「……わたしは無理」


 エオネイアはできた。でも、今のエオネイアには、できない。

 守ってあげなくてはと思うが、ファラーナにも隠形の魔法は使えない。役立たず、とファラーナは自分にがっかりする――やはりおまえは、駄目な子だ。

 騎士の声が、ファラーナの想いを断ち切る。


「では、ただの巫女のふりで通しましょう。脱出のための道筋は、ご案内します。そちらのかたは、自分で歩けそうですか?」


 ファラーナがうながすと、エオネイアは立ち上がり、歩きはじめた。

 それだけのことで、なんだか泣きたくなる。エオネイアは変わらず美しい――あの艶やかな金髪はずいぶん短くなってしまったけれど、それでも、足元にひれ伏したくなる。今、自分が持っているものはすべて、本来ならエオネイアのものなのだ。


「正門から出るわけにはいかないので、少し面倒なところも通ります。声をあげないようにしてください」


 ファラーナはうなずいた。

 エオネイアにはふたたび頭巾を目深にかぶらせ、三人は部屋を出た。先を行く騎士は、迷いのない足取りで進んでいく。結果的に、彼がいてよかった。ファラーナひとりでは、もう完全に迷子だ。大神殿ほどではないが、クリャモナ神殿も、かなり広い。

 騎士は中庭を横切り、狭い廊下を突っ切って、神殿の建物の外側に出た。低い石塀に、小さな木戸がある。錠がおりていたが、彼はそれを難なくはずした。どうやら、見た目ばかりで機能していないようだ。

 ファラーナの視線に気づいたのか、騎士はかすかに笑って、ささやいた。


「この先は、神殿騎士の訓練場です。おつとめのために突っ切る者が多くて、こうなってるんですよ」

「訓練場?」

「クリャモナの神殿騎士団の、有名な、訓練場ですよ。俺も、ここで修行したことがあります。魔族との戦いで損耗がありますし、人の入れ替わりが激しいので、知人は残っていませんが」


 神殿騎士たちのことなんて考えたことがなかったから、なんといえばいいか、わからなかった。

 損耗とは、取り返しがつかない負傷や、死をさすのだろう――旅の途上で護衛の騎士がほぼ全滅したのは、記憶に新しい。あのときは、魔族への怒りでほとんど我を忘れていた……。


「あなたを信じていいの?」


 不意に浮かんだ疑問を口にすると、騎士は笑った。今度は、声をあげて。


「それを決めるのは、俺じゃないですよ。〈聖女〉様です」

「……これから、どこへ行くの」

「騎士団には知人が残っていなくても、街には知人がいるので。そこで匿ってもらって、できる範囲で浄化をおこないましょう。〈聖女〉様に、お願いできると考えても大丈夫ですね?」

「できます」


 浄化は治癒の応用形だし、〈聖女〉には必要になるだろうと思ったから、訓練した。教えてくれたのは、エオネイアだ。


「では、場所さえ確保すればいいですね。急ぎましょう」


 訓練場はやたら広くて、そこを抜けるだけでも一仕事だった。息を切らしているファラーナを気遣ってか、騎士は歩調をゆるめようとしたが、彼女は逆に彼を急かした。


「誰かにみつかる前に、早くして」


 空はもう、白みはじめている。〈聖女〉が行方をくらましたと知られれば、追手がかかるかもしれない。

 ほどなくして、騎士は目当ての家に着いたらしい。低い塀を難なく乗り越えて庭に入ると、内側から裏木戸の鍵をあけ、乙女たちを招き入れた。そのまま、庭の片隅にファラーナとエオネイアを待たせて、その家の持ち主に交渉に行った。

 誰の家なのか、騎士はちゃんと戻って来るのか、そもそも彼を信じていいのか。わからない。

 ただ、エオネイアが今ここにいる。手を繋いでいるということだけは、確実なはずだ。二度といなくならないように、ファラーナはしっかりとエオネイアの手を握る。

 美しいエオネイア。強くてやさしい、エオネイア。


「家に入れてくれるそうです。朝飯ももらえますよ」


 ほら、立ってくださいと騎士にうながされるまで、ファラーナは自分が座り込んでいることに気づいていなかった。途方に暮れて見上げると、騎士は彼女の手を引いて立ち上がらせた。

 エオネイアはもう立っている。それとも、一回も座っていなかったのかもしれない。わからない。


「しっかりしてください。浄めが終わるまで、休ませるわけにはいきませんよ」

「……すぐにやります」

「先に、食事です。体力がないと、術の精度も落ちますからね」


 いわれるがままに、ファラーナは家に入った。中には湯気のたつ粥が人数分と、温野菜を盛った大きな器があった。粥には、細切りにした塩漬けの肉と、髪の毛のようにほそく切った香味野菜が載っている。

 不意に空腹を感じ、ファラーナはおとなしく席に着いた。エオネイアは自分で食べられるだろうかと様子を見ると、ただぼんやりしているだけで、食事に反応しない。


「お連れ様のお食事は、浄めの術が終わってからにした方がいいでしょう。〈聖女〉様は、食べてください」

「あなたは、魔族に魅了された者が怖くないの?」


 さっそく粥を食べていた騎士は、中のものを飲み込んでから答えた。


「魔族が来たら困りますが、このかたは今のところ、脅威でもなんでもないですし。それに、〈聖女〉様が絶対に浄めてくださるんですよね?」

「ええ」

「では、安心ですね。早く食べましょう」


 騎士は、実にあっけらかんとしている。ついでに、温野菜を指し示した。


「あたたかいうちに、食べてください。家主の心尽くしですからね。あたたかい食べ物は、心もあたたかくする――そうですよ。俺も、そう思いますね」


 そして、自分もぱくりと食べる。

 しかたなく、ファラーナも粥をすくって、口に含んだ。火傷するほどの熱さではないが、舌がびっくりする程度の熱があった。あまり経験のない味が、口中に広がる。少しぴりっとする香料と、かすかな甘み。とろけそうな穀物の粒と、舌ざわり。


 ――そういえば、食事を味わうなんて久しぶりだ。


 ファラーナの表情を見て、騎士は笑顔になった。


「美味しいでしょう?」

「ええ」

「心もあたたまりましたか?」

「少しは」

「なら、もっとあたためましょうか。勇気と、やる気を最高にしましょう」

次回! 匿ってくれた家の人が登場します!

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