6. ダレンシオ
あの小さかったアリスティアが、嫁ぐ……わけではなく、むしろ人質にとられた……という感じでもないし、まぁ……綿でくるんだ表現をするなら、魔王と親しくなった。
前代未聞である。
魔族に魅了されて堕ちたわけではなく、アリスティアは〈聖女〉のまま、逆に魔王を堕としたようだ。
あり得ない展開だとしか、いえない。
――あの子なら、あり得ないのがありそう、とは思うが。
常識でとらえきれない方向へ突っ走ったとしても、不思議はない。
びっくりするかどうかでいえば、びっくりする。もちろんだ。だが、びっくりさせられて当然なのが、アリスティアである。本人には自覚がないが、昔からそうだ。突拍子もないことをする子どもが、そのまま成長してしまった。
――老いぼれの心臓に、これ以上の負担をかけない範囲にしてほしいがな。
しかしまぁ、アリスティアがアリスティアらしく、自由に生きているのは喜ばしいことだ。〈聖女〉に許される自由がどれだけ狭いものかを、ダレンシオは知っている。魔王のもとへ走るなど、まったく許されることではないはずだが、アリスティアは乗り越えた。そうしたいと思ったからだ。
だから、彼女の意志が尊重されている現状を、ダレンシオは嬉しく思う。びっくりは、する。もちろんだ。びっくりしないでいられる人間がいたら、びっくりする。
「どうかなさいましたか、老師」
かすかに首をかしげたセレスティオに、いやいや、とダレンシオは手をふった。
ひょっとすると、目の前にいるこの男は、びっくり人間かもしれない。つまり、アリスティアのびっくり行動に、びっくりしなかった可能性がある……。
「疲れだ、疲れ。いいか、いずれわかるぞ。年寄りはこう、そこに『居る』だけでも疲れるものなんだ」
「申しわけありません、老師。お疲れのところを、お引き留めしてしまって」
この優秀な弟子は、未だにダレンシオを師と呼んで立ててくれる。とうに自分を追い越しているであろう相手に、下にも置かぬ扱いを受けるのは、なんか違うだろう感がある。が、セレスティオにいっても無駄だろう。
「かまわんよ。なにもしなくても疲れるんだ。ついでに、微力を尽くすのみだ」
「この上なく力強いお言葉に、感謝します」
セレスティオは、ふわりと微笑んだ。
ふたりは、大神殿にいる。大神殿といっても広く、この部屋があるのは端の方だ。緑に囲まれた小堂で、二代〈聖女〉と伝えられる女性の像が据えられている。瞑想のための場所だ。窓からは、水をたたえた池が見える。
しなやかに枝を揺らす木々の葉ずれの音、鳥の声、小川へ流れ込む水――やわらかな空気に包み込まれ、このままうたた寝をしたら心地よかろうと思う。
とはいえ、昼寝のために引き止められたはずもない。
「で、なんの用だ」
「王宮担当を、お引き受けいただけないかと」
「王宮? そんなもの、もっと向いている人材がいるんじゃないのか?」
ダレンシオは首をかしげた。
今の大神殿の事情に明るくないこともあり、具体的な名を挙げることまではできない。だが、神官の数は多いはずだ。そもそも、今も担当の神官がいるはずだから、ダレンシオがその役目を引き継ぐということは、誰かがそこから異動させられるということでもある。
収賄でもあったのかという疑念がちらりと脳裏を過ぎったが、セレスティオが大神官をつとめるこの地で、そんな輩がのさばるとは思えない。
ひとことでいうと、この弟子は、やばい。
――やばい、以外にどう形容すればいいか、わからんな。
優秀過ぎるし、志も高過ぎるし、欠点もなさ過ぎる。どこにも付け入る隙がないし、へたをすると巻き込まれて高みを目指すことになる……まさに今、ダレンシオは巻き込まれようとしているのではないだろうか?
やばい弟子に推されたということは、その役目からは逃れられないか、それを逃れるためにしかたなく別のなにかを引き受けざるを得ないかが規定の未来になった、と考えるべきだろう。
――やばい。対策ができない。
最低でも、受け流して押し付ける先が必要なのに、ここにはセレスティオとダレンシオしかいない。つまり、どうにもなりそうにない。
ダレンシオは、身構えた。
よし来い。いや、来なくてもいいとは思うがたぶん来る。諦めの境地ではありつつ、引き受けることになりそうな「なにか」を万全の状態で受け止めたい。余裕綽々といった態度を見せたい。それくらいの見栄は、張らせてほしい。
「お話ししておかねばならないのですが……実質的には、魔王と〈聖女〉の担当、という意味になります」
やっぱり、やばかった。
神官が〈聖女〉の面倒をみるのは、まぁ担当業務内といってもかまわないだろう。だが、魔王は……ちょっと。どう考えても、担当につくような相手ではない。
「しかし、それで尻込みするような者ばかりでもないだろう?」
「問題は、先方です」
「魔王がなにか?」
「若い男性の受け入れを拒否しているので」
まさかの理由に、ダレンシオは口が開きそうになった。
えっ、そういうこと? そういうことなの? へぇ〜もうやだ〜、魔王様ったらそういう? ……と、頭の中で声がする。
幻聴だ。
乙女たちと長時間過ごしたのがよくなかった。クリャモナから大神殿に戻る道すがら、親しく言葉をかわしたおかげで、すっかり染まってしまったようだ。彼女たちなら、絶対こういう反応をするだろうと想像しながら、なんでここで乙女たちが出てくるんだと思う。
なんでもなにも。
――楽しそうだから、だな。
あとは若い者にまかせておきたい年頃としては、対魔王担当官としての前途に憂鬱さしか感じない。だが、乙女たちなら違うだろう。楽しそうに騒ぐはずだ。
そっちの方が、ダレンシオとしても楽だ。つまり、頭の中に乙女を飼い、つねに他人の恋愛事情にきゃあきゃあ騒げるくらいのゆとりを持つことで、この避けられない任務をやり過ごしたい。
とはいえ、きゃあ、魔王様ったら! などと口にするわけにもいかないので、そのへんは頭の中におさめておくことにして、ダレンシオは渋い声で答えた。
「そういうことか」
「はい」
「なるほどな。魔王は、おまえなど……目にも入れたくないだろうな?」
「どうでしょう」
セレスティオは曖昧に答えたが、賭けてもいい。魔王がアリスティアに近づけたくない男の筆頭がコレだ。間違いない。
「それにしても、年を食ってるだけが条件なら、ほかにもいるだろう。大神殿にも、同期は残っていたと思うが」
「そこは〈聖女〉様のご信頼も篤いダレンシオ様におまかせすべき、という意見でまとまっております」
「ああ、そういうことか……」
そういわれてしまうと、弱い。
ダレンシオは、アリスティアの育ての親のような立場だ。彼女の両親の師でもあったから、娘というよりは孫を見るような気もちもあるのだが――そんなことはともかく。
魔王の相手をするのではなく、アリスティアの面倒をみると考えれば、この役目が自分にまわってくるのは無理のないことと思えた。
同じく家族のように育ったリガロは、若い男性であるせいで、間違いなく魔王に嫌がられるだろう。ダレンシオが魔王の立場なら、セレスティオの次か、その次くらいには遠ざけておきたい人物だ。
遠ざけておきたい度でリガロと競っているのは、王子である。あの王子も、かなりやばいという印象がある。
「……引き受けていただけますか?」
「ご命令とあらば」
「命令、などと。老師に向かって、そのようなことは」
じゃあなんだよ、とダレンシオは思う。命令じゃないなら、なんなんだ。
しかし、視線をあわせてもセレスティオはたじろがない。慈愛に満ちた微笑に、わずかに困惑を滲ませているだけだ。
しかたがない。
「大神官のお言葉であれば、それはもう、命令と同じこと」
「お願い、とは思っていただけませんか」
どこも変わらねぇだろ、可愛いらしく小首をかしげてるんじゃねぇぞ、と内心で悪態をつきながら、ダレンシオも笑顔で答えた。
「では、そのように。かつての弟子の『お願い』にほだされて、老骨に鞭打つことになった、と。アリスティアには、そう話すか」
「まるで、わたしが老師を酷使しているかのようではないですか」
酷使してるからな、とダレンシオは思った。思ったが、にっこりしただけで無言をつらぬいた。
この弟子は、やばい。
誰にどう思われようが、まったく揺れないし、気にもとめない。困りましたね、と微笑むだけだ。つまり、苦情をいうだけ時間の無駄なのだ。
セレスティオは、自分がしたいようにする。
「お引き受けいただけるなら、王宮の方に使いをやりましょう」
「や、書状を用意してくれればいい。それを渡せばなんとでもなる、というものをくれ」
「先触れ不要ですか」
「そういうことだ。いろいろ忙しいだろう、大神殿も。浄めの有効範囲の確認がどうとか、話してるのを聞いたぞ」
「ああ……そうですね。魔王が立ち入るとまずい場所、まずくない場所の洗い出しが必要なので」
――ついでに、立ち入っても大丈夫と思わせておいて、いざとなったら封じ込めができる場所、とかも考えてるだろうな。
絶対に、間違いなく、確実に、用意しようとしているだろう。そうでなければ、セレスティオではない。
が、そんなことは知らない方が、ダレンシオは楽だ。
心に乙女を飼おう。本格的に稼働させよう。大神官様は今日もお綺麗だわ〜、くらいの気もちで弟子を鑑賞できるようにしたい。
うまくいけば、魔王様もいつ見てもお美しいわ〜、まで行けるかもしれないではないか。絶対、その方が楽だ。
「そういう、こまかい仕事は向いてないしな。王宮で、アリィの話し相手をつとめて来るさ」
「助かります」
そう告げるセレスティオの声と表情に、真情がこもっているように思えて、ダレンシオは眉を上げた。
「おいおい。断られるとでも思っていたのか?」
「断られると困るな、とは考えていました」
「おまえの頼みを断ったことがあるか?」
「ありますよ。大神殿に戻って来てくださいというお願いは、絶対に聞いてくださらなかった……」
「ああ、そりゃあだって、ここに戻ったら職務放棄の罪を問われかねないしな」
ダレンシオは、書き置きを残して勝手に大神殿を去った過去がある。
ふつう、神官は退職しない。一回なったら自分から辞めるものではないし、どの神殿でどの役職をつとめるという辞令に逆らう者もいないので、かなりの型破りである。
要は、神官の資格を剥奪され、あらためて追放されてもおかしくない立場なのだ。
もちろん、追放されるのは大歓迎だ。なんなら、神官の資格だって失ってもかまわない。ただ、ほかに罰則を科されたりするのは困る。だから、できるだけ中央には近寄りたくなかった。
大神官と王太子という強過ぎる後ろ盾による「アリスティアの面倒をみてくれ」という依頼のために、渋々神殿組織の末端に戻ったが、かかわりたくないのが本音だ。こっそり辺境に逃げようか、しかしアリスティアの今後も心配だしどうしよう、と迷っているところをセレスティオに引っ張られて、このありさまだ。
――だいたいアリスティアのせいだな!
面倒ごとの根がどこにあるかは歴然としている。が、不思議と腹立たしくはない。
「その件に関しては、ご安心を。特赦を使います」
「特赦? いったいなんの」
「近々、天の御使が降臨しますので……」
実態は魔王だ。
ダレンシオは苦笑した。
「権力濫用じゃないか」
「権力は、使うためにあるのだそうです」
「あるのだそうです、って、おまえ」
他人事のようにうそぶかれてしまった。
呆れるダレンシオを前に、大神官は平然とつづけた。
「力を使うためには、地位がいる。おまえの理想の世のために、その地位を掴め――と、我が師が教えてくださったのですよ」
「……俺か」
大神官は微笑んだ。
ダレンシオの頭の中で、乙女たちが、美し過ぎるという呻き声を漏らしてバタバタと倒れた。
「俺だな?」
「師の教えを胸に、使うべきところでは力を使っていこうと思います」
「いやいや、もはや逆だろう。こっちが弟子で、そっちが師。そういうことにしないか?」
「無理ですよ、老師。では、任命書を書いて参ります。暫しこちらでお待ちください。飲み物など運ばせましょう」
やばい弟子は、衣の裾を払って小堂を出て行った。
残されたダレンシオは、頭の中の乙女たちを立ち直らせる作業に集中した――ちょっと楽しくなってきたぞ、と、さっそくの「乙女効果」に気を良くしながら。
なお、戻って来たセレスティオから、
「実は極小範囲で発動する、持ち運び可能な聖域の試作品があるのですが、これを持参して魔王の反応を見ていただけませんか。もちろん、発動はさせなくてかまいません、まだ」
などという依頼が追加され、脳内乙女だけではしのぎきれないと思うことになります。
次週、たぶんナターリャ。たぶん。




