ファラーナとリガロ 10
三人が戻ったとき、テッサがまず口にしたのは朗らかな「お帰り」であり、次が「地図に印をつけてある」だった。
「地図?」
「あんたがたの潜伏先だよ。いや、潜伏なんて大仰な言葉を使うのはやめた方がいいか。暮らしていけそうな場所、かねぇ」
なにがあったとは訊かず、テッサはかれらに、部屋に戻って家具を直してくれないかね、と頼んだ。飲み物と軽食と、地図を持ってくるあいだに、と。
必死だったとはいえ、家具を手荒に扱ったことに恥じ入りつつ、ファラーナは箪笥を押した。ほとんどの家具は、リガロが動かしてくれたので、なおさら恥ずかしい。
片付けが終わった頃にテッサが来た。言葉通りに、飲み物と軽食と地図を持って。
「×をつけてあるのが、神殿の場所。黒い丸で塗りつぶしてあるのは、公式に、聖域の存在が喧伝されてる神殿。塗りつぶしてない丸は、聖域がありそうだと思われる神殿」
「……ありそうだと思われる?」
リガロの問いに、テッサは肩をすくめて見せた。
「建前上、神殿はすべて聖域があることになってる。でも、実際はそうじゃない。特別な、選ばれた神殿だけに、実効のある聖域が存在する。当然、そういう神殿のほとんどは、うちの神殿は凄いですって、ことあるごとに告知する」
「ああ、そういえばクリャモナも、最前線の騎士団を支える絶対の聖域、とかなんとか……」
「そういうのだよ。ただ、公知はされていないけど、こりゃ聖域があるな、っていう神殿もいくつか存在する」
「えっ、なんで?」
「可能性のひとつとしては、神殿側がなんらかの事情で秘匿してる。いざというときに使いたいとか、あるいは便利に使われるのは困るからとか。そうでなきゃ、ほんとに知らないかだ。全然知らぬ間に聖域ができてました、なんてことは滅多にないだろうけど、情報が古過ぎて忘れ去られている場所もあるかもね。神官長の代替わりのときに、引き継ぎ忘れたとか」
エオネイアが顔をしかめた。そういう不手際は、不快なのだろう。
で、とテッサは話をつづける。
「三角を描いた場所は、神殿ではないけど聖域がある、あるいは維持できる可能性がある場所」
「え、そんなのあるの?」
「描いてあるだろ、三角形」
「ほんとだ。あるね」
簡単に丸め込まれたリガロを無視して、エオネイアが尋ねた。
「どういった場所なんですか?」
「古い聖地だよ。昔は神殿があったけど放棄されたとか、〈聖女〉伝説があるとか、女神様の奇跡が記録されてるとか、そういうの」
「それが聖域に関係が?」
「あるよ。今は社会の利便性を重視して街ができるし、街があれば神殿も建つ。だけど、聖域っていうのは、もともと向いてる土地でしか維持できない」
よく見てごらん、とテッサは地図を示した。
「わかるだろ。歴史が古い街だけなんだよ、聖域を有する神殿があるのは」
ファラーナは地図をよく見た。テッサが付けた印とその意味を踏まえてから見直すと、違ったものが見えてくる。
テッサの言葉通りだ。面白いほど、新興の街には聖域がない。
「では、聖域があるかもしれないと思われる場所、というのは」
「古くはその清浄さに惹かれて人が集い、利便性の薄さから今は見捨てられた場所、ということさ。どうだい、あんたたちに向いてるだろう?」
「はい」
自分で継ぎ足したお茶を飲みながら、テッサはエオネイアを、次いでファラーナを見て、尋ねた。
「で、あんたたちは、これからどうしたい?」
「神殿には戻りたくありません」
エオネイアが即答し、ファラーナもうなずいた。
「わたしも。神殿には必要とされていないでしょうし」
「それはどうだかわからないが、まぁ、愛想も尽きるって心境はわかるよ。でも、確実に生き延びたいなら、神殿という選択肢も捨てるべきじゃないだろう。よくよく考えた上で、それでもどうしても神殿に頼りたくはないというなら、三角のしるしをつけたどこかで、聖域を展開、維持できるかやってみるしかないね」
「はい」
「その上で、もうひとつ。あんたたち、やりたいことは?」
――やりたいこと。
なにか、あるだろうか。
エオネイアが、先に口を開いた。
「つい先ほど、わたしは死にそびれました。騎士様が制止してくださらなければ、わたしはファラーナを道連れに、この岩山から飛び降りていたことでしょう。それを思いとどまり、生きていこうとは決意しました。けれど、どう生きるかは選びたい。最低でも、生きかたを選べるかも、と思ったからこそ戻って来たのです。その選ぶ道の中に、神殿は含まれていません」
「なぜ?」
「どうなるか、もうわかっているからです。経験してきたことですから。保護といえば聞こえは悪くないでしょうが、ほとんど囚人と同じでした。神殿の外には出られないし、内部であってもごく限られた場所にしか行けません。それも、監視付きです。あの生活に戻るという選択肢は、あり得ません」
テッサは腕を組んで、ため息をついた。
「やりたくないこと、だね」
「そうです。生き延びることが多少難しくても、わたしは、教えてくださった古い聖地に賭けたいと思います。それで魔族があらわれて、ふたたびわたしを自由にしようとするなら――聖域が間に合わず、抵抗しきれなければ、また傀儡として使われるのでしょうし、そうなったら、さすがに誰かに始末されるでしょう。そのこと自体は、もう納得して生きていくつもりです」
でも、とエオネイアはファラーナを見て言葉をつづけた。
「あなたには、あなたの人生がある。わたしと行動をともにしなくてもいい」
「……そんなの、嫌です。一緒に行きます」
「ファラーナ」
「さっき、いいました。やっと一緒にいられるのだから、ふたりで……」
「うん、どっちも気もちはわかるけどさ」
割って入ったのは、リガロだった。焼き菓子を手に、明るい笑顔でふたりに提案する。
「とりあえず、否定はやめない? あれは駄目とかこれは駄目とかも、わかりやすくていいけどさ。なにがやりたいって話をしてほしいんだよ。テッサがいってるのは、そういうことだから」
今度は、先に口を開いたのはファラーナだった。
「わたしは、聖域の研究がしたいです。限られた神殿でだけ聖域が維持できる現状を、打破できたら、いろいろ変わるかもしれない……大それた望みですが、できれば、魔族の誘惑を解除する方法も、探し当てたいと思っています」
全員が、少しおどろいたような顔をしてファラーナを見ていた。
ファラーナも、自分で自分におどろいていた。そこまではっきり考えたことは、なかったから。
でも、口にしてみると、その望みはすとんと腑に落ちた。
――エオネイアには、いえないけれど……。
ファラーナが調べた範囲では、誘惑に堕した者の多くは魔族の命令で罪をおかし、神殿に捕らえられ、処刑されていた。ごく僅かな者だけが、回復の見込みなしとされながらも、聖域で保護されていたのだ。それはすなわち、魔族の誘惑を解く方法は、さほど真剣には研究されていないだろうということでもある。
エオネイアに真の自由をもたらすには、やはりそれが重要だろうとファラーナは思う。そのための時間稼ぎに、まず聖域。彼女の中での優先順位は、そんな風にできあがっていた。
「なるほどね。いいんじゃないか?」
うなずいたテッサが、地図を示す。
指先には、クリャモナからそう遠くない三角の印。
「ここが、都合がいいと思うよ。クリャモナから近いのに交易路からは外れているせいで、人がいなくなってしまった場所だ。元はクリャモナ神殿の支部があって、魔法の論理面の研究所だったらしい。荒れ放題だが、蔵書もそのまま放り出されてるから、いくらかは読めるのも残ってるだろう」
あっ、とリガロが声をあげた。
「訓練のとき、湖がある場所を教わったけど、それかな?」
「湖の中の島に建物が残ってる」
「それだよ」
「でも、あの島に行くなら船がいるんじゃ? 橋はなかったと思う……」
「地下道があるんだよ。入口もわかる」
どうやら、テッサは実際に行ったことがあるらしかった。
「テッサはなんでも知ってるなぁ」
「あそこに勤めてたことがあるって爺さんが、常連だったことがあるんだよ。いろいろ喋ってくれたから、ちょっと詳しいよ。採算がとれないっていうんで、うち捨てられたそうだ。近いから、うちから支援も出しやすい」
「支援?」
眉を上げたエオネイアに、テッサは無邪気な笑顔を向ける。
「そうだよ。研究には出資者が必要だろ。面白そうな研究じゃないか」
「でも、あなたに利益を出すとは思えません」
言外に、食堂の女主人がなぜ? という雰囲気を漂わせている。同情なら許さない、といったところだろうか。
だが、テッサはそれを笑い飛ばした。
「わたしはね、この街一番の食堂をやってる。金持ちだ。上客もたくさんいる。べつに、たくさん食べてくれるってわけじゃない。あらゆる情報をくれる、上客だ。そういう客が、自在に扱える聖域に興味がないはずないだろう。魔族の誘惑をしりぞける方法だって、そうだ」
まぁ、とテッサは一転、凄みをきかせた顔になった。
「先行投資ってやつだからね。ありがたく受け取ってくれると、お互いに気分よくつきあえると思うよ」
ファラーナは、テッサの言葉のどこまでが真実なのか、よくわからない。ただ、これもまた、人に頼り、守られるということなのかもしれない、と思った。
「エオネイア、お話を受けましょう」
「……あなたは神殿に戻れるのに」
「戻ってどうするの。逃げ出した元〈聖女〉として、新たな〈聖女〉に祝福を与えたりするの? あなたは頑張ってね、わたしはもうおさらばするわ、って?」
エオネイアのくちびるに、ようやく笑みが宿った。
「なかなか強烈な祝福になりそうね」
「たぶんね」
「アリィなら、なにかいい感じの返しをしてくれると思うよ」
のんびりとリガロが話に入って来て、ファラーナはふと、アリスティアのことを考えた。
何年も、かなり近くに暮らしていたのに。興味がなかったから、彼女のことをなにも知らない。幼馴染が追って来て、神殿騎士になった……ということくらいしか。
ファラーナは、エオネイアを見る。どうしたの、と目線でエオネイアが尋ねる。
「わたしはそういうの、うまくないから。やっぱり神殿に帰るのは遠慮する」
「祝福してた、っていうことだけ伝えるよ。いずれ落ち着いたら」
リガロは切り取りがうまい、とファラーナは思う。たぶん、アリスティアもそうなのだろう。現実から、なにか受け入れられる部分を見出して、それを足がかりに進んでいくのだ。
自分はそんなに器用じゃない。きっと、〈聖女〉にも向いていなかった。
「当分は、黙っていてもらえると助かります」
「もちろんだよ。それに、神殿に戻る前に、まず護衛任務がある気がするんだよね」
「よくわかったね、リガロ」
「場所、わかってるからねぇ……。でも地下通路は教えてもらわないと無理」
眼をしばたたいているファラーナの横で、エオネイアが深く息を吐いた。
「わたしたちを送り届けるところまで、やってくれるということね」
「近いから。連れて行って、一晩様子を見て、それで戻る感じでいいかな」
「荷物をまとめようか。いろいろ必要だろう……毛布に着替え、食料はもちろんだけど、ああ、食器もいるね。たぶん」
立ち上がったテッサを見上げて、リガロは尋ねる。
「日暮前に、出られるかな?」
「疲れてるだろうから休ませてあげたいけど、魔族がいつ来るかわからないことを考えると、まぁ……さっさと発つ方がいいね」
そうして、ふたりが出て行ったあとで、ファラーナはあらためてエオネイアを見た。
「わたし……確認しておきたいのだけど」
「なに?」
「ついて行っても、いいのよね?」
エオネイアは眼をみはり、そして、声をあげて笑った。
「今になって、なにをいうの」
「だって、たまに……不安になるの。わたしはエオネイアに憧れているけど、わたしには、……なにもないから」
「なにもないなんてことは、絶対ない」
エオネイアは即答した。
それでもまだ不安を拭えないファラーナに、エオネイアは言葉をつづける。
「わたしもね、あなたが羨ましかった」
「えっ?」
「最初ね。家族と一緒に、何不自由なく暮らしているお嬢様、って思ってたから。実態を知ってからは――」
「哀れんだ?」
「いいえ。もっと、羨んだかもしれない。あの親たちに育てられて、よくここまで折れずにいられたな、って。わたしだったら、とても無理」
「……冗談でしょう?」
ファラーナの問いは、ささやき声にしかならなかった。
けれど、それはエオネイアの耳にはしっかり届いたようで、彼女はあの、なにもかもを見通すような眼差しでファラーナをみつめて、こう告げたのだった。
「もちろん本気だし、あなたはわたしの憧れ。だけど、信じてくれなくてもかまわない。憧れなんて、一方的なものなのだから。わたしたち、これからちゃんと友だちになりましょう。お互いをよく知って。欠点なら、補い合えるはずだし」
「ええ」
「ふたりとも苦手なことも、練習すれば、なんとかなる」
「人を頼ること、とか?」
エオネイアはやさしく、いつもの彼女とは思えないほどやわらかに微笑んだ。その表情があまりに綺麗で、ファラーナはすっかり見とれてしまった。
いつか、〈聖女〉の絵を飽かずに眺めていたように。
「否定するのではなく、肯定することとか」
「未来に希望を抱くこととか」
「たくさんあるのね」
「ええ。一緒に、探しましょう。もっともっと、たくさん」
その夜、ふたりはクリャモナを後にしたのだった――そして、二度と神殿に戻ることはなかった。
ファラーナとリガロが姿を消していたあいだの話は、これで完結とします。
このあと、ファラーナとエオネイアは旧研究施設で小規模ながら聖域の展開と維持に成功し、それによって魔王がエオネイアを便利に使うことはできなくなって、本編での「エニィを連れてきた方がよかったかな」発言のついでに確認してみたら、どうも聖域に入ってるっぽくてコンタクトとれないため、「たぶん、作り直した聖域に保護されちゃったね」という認識へと繋がるのですが、物語としてはここで切るのがいいなと思ったので、ここまでです。
なお、リガロは二人を潜伏先まで送り届けたあと、少し様子を見て、大丈夫そう(若い女二人暮しになるので、周辺に危険がないかも軽く調査する必要がありました。地下通路が発見されない限りは、まぁまぁ安全なんですけど、念のため)だと踏んでクリャモナに戻り、ダレンシオに接触して聖域が壊れていることを確認、夜会に出席していたアリスティアのところへ……という流れで本編に合流するという設定になっております。




