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もう冬デスケド。

 冬が来た。シアンがミューヘーン家から出て一度目の冬が来た。

「さっむ」

 ルキナは両手をこすって、白い息をハーっと吐いた。黄色や赤色だった葉は全て落ち、木々は枝が丸見え状態。代わりに、足元は白色の雪で埋め尽くされている。

「なんで今年に限ってこんなに寒いのかしらね」

 ルキナはかじかむ指先をほぐすように自分でマッサージをする。それを見たユーミリアが手袋をつけるかと問うた。ルキナは首を横に振って断る。

「本番で使えないものは練習で使いたくないわ」

 ルキナは軽く準備運動をしながら上を見た。ゴールである木のてっぺんを見る。

「それじゃあ、今日もよろしくね、シュンエルさん」

 ルキナは目線をもとの高さに戻すと、シュンエルの方を見た。シュンエルは真面目な顔をして頷いた。

「では、いつも通りに」

 シュンエルはそう言って、目の前の木に手をかけた。その後、足を木の幹の小さなでっぱりにかけると、体を持ち上げた。木のでこぼこを器用に使ってするすると上って行く。

「やっぱりシュンエルさんは速いわね」

 ルキナは、あっという間にゴールに到着したシュンエルを見上げて言った。シュンエルがこの木は比較的上りやすい木だと言った。

「先生、ささくれに気をつけてくださいね」

 ユーミリアがルキナの手を両手で包み込んで言った。ユーミリアの方が体温が高いのか、ユーミリアの手からじんわりと熱が伝わってくる。

「何回も言わなくてもわかってるって」

 ルキナは笑顔で応え、シュンエルが待っている木を見つめる。シュンエルが手と足をかけた場所を思い出し、登るルートをシミュレーションする。

「それじゃあ」

 ルキナはユーミリアから手を離して、木の幹に手をかけた。ルキナは、シュンエルほどスムーズにとはいかないが、ゆっくり木を登って行く。その様子をユーミリアが固唾をのんで見守っている。

 ルキナは手足がかけられそうなでこぼこを見極め、手を伸ばす。上に近づくと枝を使って登れるようになる。そうしてなんとかてっぺんにたどり着いた。

「最初よりずっと速くなりましたね」

 枝に腰かけていたシュンエルがニッコリ笑う。太陽の光が白い雲と雪で乱反射して、まぶしい。シュンエルの顔は逆光でルキナにはあまり見えない。

「そうね。でも、もっと速くならないと。ゆくゆくはシュンエルさんくらい速くなりたいわ」

 ルキナも木の枝に腰かけ言った。ルキナは、秋から木登りの練習をしている。期間としては十分なほど練習していることになるのだが、日常的に練習を行えているわけではない。学校の敷地内にも木ははえているが、そんなところで練習するわけにはいかない。そこで、木登りの練習場として、シュンエルの実家近くの山を選んだ。ここなら木がたくさん生えているし、木登りをしたところで叱られはしない。だが、問題は学校とこの山まで距離があるということ。二週間に一度、週末に訪れるくらいしかできない。だから、どうしても思ったように上達しない。

「すみません。言葉で説明できなくて」

 シュンエルが、自分にもっと教える力があれば、ルキナの上達も見込めただろうと言う。しかし、ルキナはシュンエルが謝るようなことではないと思っている。

「シュンエルさんは感覚派だものね」

 ルキナはふふっと笑う。ルキナが初めて木登りをした日、シュンエルも物は試しと一緒に登った。キーシェルが散々木登りをしていたため、その時の記憶が体にしみこまれていたのか、シュンエルは初日にして木登りを習得してしまった。だが、シュンエルは頭を使って登っているわけではないので、ルキナにコツを教えようと思っても不可能なのだ。

「それでは、今度は下りる練習ですね」

 シュンエルは、言うが早いや、気づいた時には地上に降り立っていた。ルキナは負けじと素早く降りようとする。ルキナも練習の成果が全くないわけではなく、最初に比べれば格段に速くなっている。しかし、それは相対的な話であって絶対ではない。無理をすればそのつけは回ってくる。

「あと少しです」

 ユーミリアが応援の声をかけた。その時、ルキナは右足をずるっと滑らせた。靴が雪で濡れていたのだ。その勢いで左足も滑り、突然全体重が両手に重くのしかかった。木登りを始めてから、少し筋肉がついた。しかし、小さなくぼみに入れた指で体を支えるほどの力はない。そのまま両手も木から離れ、落ちる。ボスっと音がして、ルキナは雪の上に落ちた。

「先生!」

 ユーミリアが悲鳴を上げる。幸いなことに、柔らかい雪が落下の勢いを殺してくれて、ルキナは怪我をせずにすんだ。

「なんか『高名の木登り』を思い出したわ」

 ルキナは、雪の上に横たわったまま言った。落ちる瞬間は一瞬で、ルキナは驚きのあまり声が出なかったし、今も放心状態にある。視界にユーミリアの顔が入って来て、ルキナに大丈夫かと問う。

「だーいじょーぶ」

 ルキナは親指を立てた手を天に掲げた。ルキナに怪我がないとわかると、ユーミリアとシュンエルがほっとしたように胸をなでおろした。

「それで、そのコウミョウノキノボリとは何ですか?」

 ユーミリアがルキナのそばでしゃがんで尋ねる。ルキナは天に向かって伸ばしていた右腕を下ろし、雪の上で伸ばす。

「『高名の木登り』っていうのは、簡単に言えば油断大敵っていう話よ。木登りの名人がすっごく高い木の手入れを人に任したんだけど、上の方の危ないところでは何も言わなくて、あと少しで地面ってところで気をつけなさいって言うの。名人が言うにはね、本当に危ないところでは自分で気をつけるから注意しなくても大丈夫だけど、あと少し、大丈夫だって思ったところこそ怪我をしやすいんだって」

 ルキナがそこまで言うと、ユーミリアが顔を曇らせた。自分があと少しだなんて言ったから、ルキナは落ちたのだと思っているようだ。ルキナはそのことを察し笑う。

「別にユーミリアを責めようっていう話じゃないわよ。ただ油断こそ一番の敵よねっていう再確認の話。落ちたのは私自信のせいよ」

 ルキナは体を起こし、立ち上がった。雪の上で寝転がっていた時間が長かったので、背中がじんわりと濡れている。このままでは風邪をひいてしまうだろう。

「あーあ、せっかく濡れたし雪遊びでもしていこうかしら」

 ルキナは着替えに馬車に戻る前に、せっかくなら遊んでいこうとかと考える。

「雪合戦でもしますか?」

 意外にも、ルキナの言葉に最初に乗り気になったのはシュンエルで、さっそく雪に手をつっこんでいる。一方で、ユーミリアはルキナが風邪を引いてしまわないか心配する。

「明日は、小さいとはいえ、お城でパーティですよ」

 意外にもお祭り好きのルイスは、王に即位してからというもの、度々お城でパーティを催している。ルキナたちも当然のように招待されている。ルキナはもちろん行くつもりだったので、ユーミリアの言う通り、風邪をひくのはよろしくない。しかし、ルキナはユーミリアの心配を取り合わない。

「大丈夫よ。動いてれば暑くなるって」

 ルキナは雪をかきあつめての中でぎゅっぎゅっと丸くする。

「顔に当てるのは禁止ねっ」

 ルキナは丸めた雪玉をシュンエルに向かって投げた。シュンエルは、丸め途中の雪玉を抱えたまましゃがんでよけた。その後、シュンエルが雪玉を投げた。それはルキナを狙ったが、ルキナがよけ、近くにいたユーミリアにあたった。

「…わかりました」

 ユーミリアは足元の雪を拾って丸めた。それをシュンエルに投げつけた。シュンエルは雪を集めていたのでよけきれず当たってしまう。

「あ、やりましたね」

 シュンエルが新しい雪玉を作り、ユーミリアに向かって投げる。

「やった!当たった!…いたっ」

「油断大敵って話をしたばっかでしょ」

「こっちもいますよ!」

 三人は夢中になって雪合戦を続けた。雪玉を当て、当てられの攻防戦のすえ、皆の手が赤くなった。

「指いたーい」

 ルキナはかじかんだ指先を温めるように指を動かす。

「先生、私が温めます」

「ユーミリアの手も冷たい…。」

「すみません」

 ユーミリアがルキナの手に手を触れたが、ユーミリアの手も雪を触って冷たくなっていたので、むしろルキナの手を冷やしている。ルキナがそのことを言うと、ユーミリアが慌てて手を離した。

「私の家に行きましょう。お湯を用意します」

 シュンエルが山を下りようと雪の上を歩き始めた。ルキナたちはその後に続き、山を下りる。

「ミューヘーン様たちは、もうこの後すぐに帰られますか?」

 シュンエルが後ろを歩くルキナ達の方へ振り返って言った。いつもはここに来るのもなかなか骨が折れるので一泊していくのだが、明日は城に行く予定があるので、今回は早めに戻らねばならない。

「そうね。すぐとは言わなくても、日が暮れる前には出発していたいところね」

「そうですか」

 シュンエルは聞きたいことを聞き終えると、前を見た。ルキナはその背中に帰りも一緒に馬車に乗って行くのかと尋ねた。シュンエルは少し考えるように間を置いた後、首を振った。

「私は明日汽車で学校に戻ります。せっかくなので、両親と過ごそうかと」

 シュンエルはルキナの方をチラリと見ると、照れたように笑った。

「私もそれが良いと思うわ」

 ルキナは、シュンエルが以前のように家から、両親から離れようと考えているわけではないことがわかり安心する。シュンエルは家と故郷に居場所を感じられず、その身一つで王都の学校に通い始めたが、今はそのことを少し後悔しているようにすら感じる。ルキナはうずうずが堪えられなくなって、シュンエルに抱きついた。

「わっ、どうしたんですか?」

 シュンエルはルキナに抱きしめられて驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「シュンエルさんが同じ学校で良かったと思って」

 ルキナは、シュンエルが親元を離れようと考えていたことを後悔しても、クリオア学院に通っていることまで後悔してほしくないなと思った。

「私もミューヘーン様と同じ学校で良かったと思ってますよ」

「先生、私は?」

 ルキナとシュンエルが顔を見合わせて笑っていると、ユーミリアがルキナの前に立ち、上目遣いになった。

「あんたは自分から編入してきたんでしょ」

 ルキナはユーミリアを冷たくあしらって、シュンエルに抱きついたままユーミリアの横を通り過ぎる。

「先生!」

 ユーミリアが悲鳴に近い大声を上げ、ルキナを呼ぶ。ルキナは片手だけシュンエルから離して空中でひらひらさせる。後ろからまた「せんせーい!」とユーミリアの声が聞こえてくる。

「ミューヘーン様、ほどほどにしてあげてくださいね」

 シュンエルが苦笑する。

 三人は、ツェンベリン家で温かいお風呂に入り、体を温めた。昼食にはロリエが手料理を振る舞ってくれた。グンテがシアンの話題を振った時は、ルキナはシアンのことを忘れたフリをしなくてはならず、とても心苦しかった。

「今日はありがとうございました。またお礼もかねて来ますね」

 夕方になり、ルキナはユーミリアを連れてツェンベリン家を出た。ツェンベリン一家は、また遊びに来てほしいと言ってくれた。次にここに来た時はシアンも連れて来たいと、ルキナはそう強く思った。

 ルキナとユーミリアは同じ馬車に乗り、向かい合って座った。馬車が走り始めてしばらく経ち、ガラガラと馬車の走る音が大きくなると、不意にユーミリアが話し始めた。

「チグサ様がおっしゃっていた謎は解けましたか?」

 チグサは、秋の集会から度々謎を解けと繰り返すようになった。チグサがしつこく何度も言うので、その謎を解くことが状況を変える重要なチェックポイントであることはわかっているが、そもそも謎が何なのかわからない。

「ううん、全然。ヒントくらいあれば良いんだけど…。」

 ルキナが言うと、ユーミリアが険しい表情になった。チグサにヒントを言える術があったなら、とっくに教えてくれているだろう。何としてでも自力で謎を解かねばならない。

「あ、そうだ。タシファレド情報だと、明日、カンベルさんもパーティに行くって」

「お話できると良いですね」

「うん。全然会う機会なかったし。っていうか、なんか避けられてるっぽいし」

 ルキナは、タシファレドの父、カンベルと話をしたいと思っていたのだが、ここのところ、話せる機会がなかった。とはいっても、全く顔を合わせることがなかったわけではない。話そうと思えば話せたはずだ。それでも、話をすることができなかったのは、もしたしたら、カンベルの方がルキナを避けていたからかもしれない。

「なんで先生のことを避けるのでしょう?」

「さあ、あんまり私はあんまりあの人に好かれてないし、それか、なんとなく話の内容を察してるのかもね」

「あの方にとって不利な内容でしたっけ?」

「いや、全然そんなことはないはずなんだけど」

 ルキナはユーミリアと話をしながら外を見た。既に雪が地面を覆い隠しているが、また新しく雪が降り始めている。シアンがルキナのもとを去ったのが夏。あれから季節がまた一つ変わってしまった。そのことに、ルキナは寂しくなった。

「先生、いつを実行日にするんですか?」

 ユーミリアが話を変えてきた。馬車の中の話は外に聞こえないと思っているのか、安心しきった様子で、随分と踏み込んだ話をする。ルキナはユーミリアを怪訝そうに見た。ユーミリアの質問の意味がわからないのではない。他人に聞かれては困る話をこんなところでするのが嫌なのだ。そんなルキナの不安を感じ取ったのか、ユーミリアが「大丈夫です」と言った。

「私、チグサ様に魔法を教えてもらいまして、狭い範囲なら防音できるようになったんですよ」

 ユーミリアが胸を張って言う。

(そういえば、ユーミリアも魔法を使えるんだった)

 ユーミリアは普通科に編入してきたが、本来、魔法科に入れるほどの魔法の才能がある。ユーミリアの人の目をひきつける魅了の力は、魔法の一種ともとれなくはない。シアンやチグサのように飛びぬけて魔法の扱いが上手いわけではないが、ユーミリアは常人より才能がある。ルキナはそのことを失念していた。

「チグサ様ほどとまではいかなくても、これで先生のお役に立てます」

 ユーミリアがニコニコと言う。ルキナは、ユーミリアを珍しく頼もしいと思った。

「それなら安心したわ。ユーミリアが危機感の足りない子だと思っちゃった」

「私、先生の足を引っ張るようなことだけはしないつもりですよ」

 ルキナがユーミリアの神経を疑ってしまったことを正直に話すと、ユーミリアは不本意そうに頬を膨らませた。それでも、本気で起こっているわけではなさそうで、すぐに笑顔に戻る。

「それで、先生、いつ実行するんですか?」

 ユーミリアが身を乗り出して尋ねる。

「そうね…。木登りもだいぶ慣れてきたし、そろそろ頃合いかもしれないわね」

「それじゃあ…」

「でも、焦ったら駄目だと思うの。それに、シアンと話ができたとして、目的もなく危険なことをするメリットはないわ」

「そうですけど…。」

 ルキナはシアンに会いに行く手立てを考えている。そのための準備も進めている。しかし、いつ決行するのか、そのタイミングを決められずにいた。

「私、先生にはあんまりメリットとか考えずに、気持ちのままにやってほしいなって思うんですよ。私はそれに協力するだけですし」

 ユーミリアがチラチラとルキナに視線を送りながら言う。

「先生は今までたくさん我慢してきたじゃないですか。だから、そろそろ先生が好きなように動いても良いんじゃないかなって」

「それで自分の首を絞めるようなことになったら元も子もないじゃない。私にシアンの記憶があるってバレるだけで大惨事よ。下手なことはできないわ。最終目標を見誤っちゃだめよ」

「でも、先生はあの人と会って話がしたいんですよね?」

「…。」

 ユーミリアの問いに答えられず、ルキナは思わず黙った。すると、ユーミリアは、これをチャンスと捉えたのか、攻めの姿勢に入る。

「先生、会いたいなら会いたいと言えば良いだけなんですよ。好きな人に会いたいという気持ちは間違いなんかじゃないんですから。誰も先生を責めたりしません。私たちは会おうと思えば方法はあります。でも、先生は簡単には会えません。でも、だからって、先生が我慢する必要はないんです。私たちが全力でサポートしますし、会える方法があるなら、さっさと会った方が良いと思います」

 ユーミリアは何としてでもルキナをシアンのところに向かわせたいようで、必死の説得を試みる。しかし、ルキナは混乱していた。ルキナが慎重に慎重にと思っている一方で、ユーミリアは早く早くと急かす。

(ユーミリアは私に失敗してほしいの?)

 ルキナは、ユーミリアがただ純粋にルキナを元気づけようと思って言っているだけだとは思わず、ユーミリアを疑ってしまう。ルキナは自分の精神が疲れていることに気づいていない。演技を続けるうちに、本音を隠すことになれてしまった。ユーミリアは、そのルキナの疲弊に気づき、何とかしなくてはならないと思った。そこで、ルキナをシアンに引き合わせるのが一番良い手だと考えた。

「ほら、やっぱり、あの人が考えていることを聞いたりとか、無理矢理従わされているのかの確認とか、早めにしたほうが良いじゃないですか。ね?目的はないわけではないんですよ。だから、先生…」

「考えさせて!」

 ユーミリアはルキナの説得を続けたが、ルキナは耐えきれず、ユーミリアの言葉を遮った。ルキナは、ユーミリアの話を真っすぐに受け止める余裕もなく、ユーミリアを疑ってしまう自分が嫌だった。ルキナが泣きそうな顔になると、ユーミリアは下唇をきゅっと噛んだ。ルキナにそんな顔をさせるつもりはなかった。

「…先生、休憩も大事ですよ」

 ユーミリアは声を絞り出すように言った。ルキナは背もたれにぐったりと体重を預け、窓の外を見た。相変わらず、白い雪がひらひらと降っていて、ルキナの心のことなど素知らぬ顔だった。

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