気遣いは嬉しいデスケド。
夏休みが終わり、新学期が始まった。ルキナは久々の学校にほんの少しなつかしさを感じた。
ルキナは制服に身を包み、寮を出た。食堂に朝食を食べに行くのだが、早めに出たので、まだ人は少ない。ルキナは食堂に着いてもすぐには中に入らない。ここで人を待つのだ。
ルキナは壁にもたれて、食堂の中に入って行く生徒や教師たちの姿を見送った。皆、ルキナがいることに気づかないか、気づいてもすぐに興味をなくして、ルキナがそこにいないかのように振る舞って中に入って行く。ルキナはそんな人の流れをぼんやりと眺めた。
しばらくすると、見知った人物が通りがかった。
「タシファレド」
ルキナは、アリシアとハイルックを連れて歩くタシファレドに声をかけた。タシファレドたちが来る前で、ルキナはだいぶ長いこと待たされたが、ルキナが早めにここで待ち構えていたというだけで、彼らがここに来る時間が遅いわけではない。
「タシファレド、おはよう」
ルキナは、タシファレドからの反応が返ってこなかったので、もう一度呼びかけた。しかし、今度もタシファレドは無視した。タシファレドにもルキナの声は聞こえているだろうに、ルキナの方は見向きもしないで食堂に入って行った。
「たっちゃん?」
アリシアがタシファレドのあからさまにルキナを避ける態度を疑問に思う。アリシアはまだ二人の間に何があったのか聞かされていないようで、事情がわかっていない。
「ルキナ様、すみません。よくわからなんですけど、たぶんたっちゃんがルキナ様に失礼なことを…」
アリシアは、タシファレドが勝手にルキナに強く当たっていると思ったらしく、ルキナに謝ろうとした。だが、実際はタシファレドが理由なしにルキナを無視しているわけではない。それなのに、タシファレドがアリシアにルキナに対する謝罪を許すわけがない。
「アリシア!」
タシファレドが少し大きめな声でアリシアの名を呼んだ。アリシアはびくっと体を震わせた。タシファレドの声に怒りがにじみ出ていたので、いつもはタシファレドに強気に接しているアリシアもビビッてしまったようだ。
タシファレドは、アリシアの方が謝罪をやめたのを確認すると、一人で先に中へと入って行った。事情を知っているハイルックが、アリシアの肩をトントンと優しく叩いた。アリシアは、ハイルックがタシファレドについて行こうと言おうとしていると解釈し、小さく頷いた。そして、アリシアはルキナに頭を下げ、お辞儀をすると、何も言わずに食堂に入って行った。ハイルックもそれに続く。
ルキナは、三人の背中を見送り、ため息をついた。タシファレドはそう簡単にルキナを許してくれそうにない。タシファレドの怒りがすぐに収まるとは思っていなかったが、あの食事会から一週間経っている。日にちを置いて、会話ができるくらいにはタシファレドが冷静になってくれているのではないかと期待していた。
(状況を変えるのは地道な努力ってね)
ルキナは、甘い考えは捨てるべきだろうと思った。
「先生!」
ルキナが食堂の入り口で突っ立っていると、ユーミリアがどんとルキナに勢いよく抱きついてきた。
「なんで先に行っちゃうんですか」
ユーミリアはルキナの顔を見上げてぷりぷり怒っている。ルキナはここで待ち伏せをするために、ユーミリアにも声をかけずに先に寮を出た。ルキナは、朝早くから付き合わせるのは悪いと思って、あえてユーミリアの部屋は訪ねなかった。しかし、ユーミリアにとってみれば、その気遣いはむしろいらないもので、ルキナに振り回せれようが、迷惑をかけられようが、それは喜びに変わる。
「でも、先生、どうしたんですか?タシファレド様と喧嘩ですか?」
ユーミリアも例の食事会には居合わせてないので事情は知らない。ユーミリアは「仲直りに協力しますよ」と自信満々に胸を叩いた。
「喧嘩というか、私が一方的に悪いだけだから。私を許すのか許さないのかは、タシファレドが決めることだから」
ルキナはユーミリアに「自分の力で何とかしなくちゃいけないから、手伝いはいらない」と断った。ユーミリアは、ルキナの話を聞いて、少し驚いたような顔になった。
「先生にしては珍しいですね」
ユーミリアがルキナの顔を見つめて言う。ルキナは、ユーミリアが「珍しい」と言ったのが、喧嘩の原因を百パーセント自分にあると考えていることだと解釈した。ルキナは、自分を善人だとは思っていないが、そこまで極端に性格が悪いとは評価していない。ユーミリアに悪口を言われた気がしてムッとする。
「私を自分の非も認めない最低な人間だと言いたいの?」
「違います!違います!」
ルキナが怒り始めると、ユーミリアは慌てて否定した。ユーミリアは、全くルキナを悪く言うつもりがなかったうえ、むしろ、ルキナを褒めるような内容だったので、ルキナが怒るのは全くの不本意だった。
「そうではなくてですね。先生も、そりゃあ喧嘩とかすると思いますけど、完全に先生が悪いっていう喧嘩はしないじゃないですか。誰かが傷つきそうだったら、先生はそうなる前に対処しますから」
「私、そこまで立派な人間じゃないわよ。そんなに人の気持ちに敏感だっていう自信ないし」
ユーミリアがルキナのことをべた褒めしたので、ルキナはユーミリアにそれは過大評価だと言う。たしかに、不必要な衝突や喧嘩は避けようとするが、そんなに器用でもない。
「いえいえ、先生はとても立派な方ですよ。私の中では、尊敬する人第一位です!私、初めて会った時から…いえ、お会いする前からそう思ってました。先生の人柄の良さは、先生の小説からも…」
ユーミリアが熱く語り始める。ルキナは、ユーミリアの勢いに引き気味になる。そんなルキナたちのもとに、ベルコルが現れた。
「ミューヘーンさん、アイスさん、おはようございます」
「「バリファ先輩」」
ルキナとユーミリアが同時にベルコルの方を見て、名前を呼んだ。全く同じタイミングで同じ動きだったので、ベルコルは思わずくすっと笑った。
「さっき、小説って聞こえたけど」
ベルコルは二人に何の話をしていたのか尋ねる。ルキナたちの会話を聞いている人などいないだろうと踏んで、ルキナはユーミリアが小説のことを口走ってもスルーしていたが、まさかのベルコルに聞かれていたらしい。
「あー、ユーミリアと小説の貸し借りをしているんです」
ルキナは、自分が書いた小説の話ではないと誤魔化すため、それっぽいことを言う。ベルコルは「そうなんだ」と若干興味なさげに相槌を打った。ただの導入の世間話でしかなかったので、ベルコルがこのような態度をとっても、誰かが気を悪くするわけではない。
「それはそうと、大丈夫なのか?ロット君、だいぶ怒っていたようだが」
「あ…見てたんですね」
ベルコルに、ルキナがタシファレドに無視されているところを目撃されていたらしい。ルキナは途端にいたたまれなくなって、気まずくなった。ベルコルが二人のことを茶化したり無理に話に入ってこようとすることはないだろうとわかっているが、それでも、ああいうところを見られて気分が良いわけがない。
「仕方ないとは思うよ。ロット君はリュツカ君と付き合いが長いから」
ベルコルが肩をすくめて言った。ベルコルはタシファレドがルキナに対して怒っている理由を知っている。
「でも、それと同じくらい君たちも付き合いが長いだろう。いつか機会は訪れるさ」
ベルコルは、ルキナ達の喧嘩をそれほど深刻な問題だとは考えていないようで、何かきっかけがあればまたちゃんと話せるようになるだろうと言った。
「そうですね」
ルキナはベルコルに向かってニコッと笑った。そんなルキナとベルコルのやり取りを見て、ユーミリアが不満そうな顔をする。ベルコルは喧嘩の原因を知っているのに、ユーミリアは知らない。その差を感じて嫌だったのだろう。ユーミリアは、二人の話についていけず、のけ者にされたような気分になった。
「頭痛は治った?」
ユーミリアがイライラしていることに気づかず、ベルコルはまた新しくルキナに話を振った。
「だいぶ良くなりましたよ。新しい薬もらいましたし」
「ああ、弱い薬にシフトしたって聞いたよ」
「先生、また病院に行かれたんですか?」
ルキナとベルコルが話していると、やや強引にユーミリアが話に入ってきた。これ以上のけ者にされたくなかったのだろう。
「うん。ちょっと検査しなきゃいけないことがあったから…。」
ルキナの返答が歯切れ悪く、そのことがユーミリアは気になったようだ。
「検査?定期健診のことですか?」
ルキナが頭痛に悩まされるようになってから、ルキナは度々病院に通っている。しかし、ユーミリアはその時期としては早い気がして、定期健診とはまた別の話なのだろうと予測しながら尋ねた。察しの良いユーミリアに、ルキナは自分の身に何があったのか話さざるを得なくなった。だが、ルキナは自分の口から言うのは難しいと考え、助けを求めるようにベルコルの方を見た。ベルコルはルキナの考えを全て理解したようで、ルキナの代わりに口を開いた。
「実は、ミューヘーンさんは、リュツカ君と過ごした約十年の記憶をなくしているんだ」
ベルコルの端的な説明に、ユーミリアは口を半開きにして驚いた。
「先生が…あの人のことを忘れた…?」
ユーミリアが、ベルコルの言葉を受け入れようと努力する。しかし、予想にもしていなかった展開に、ユーミリアはとても受け入れられようだ。
「先生?」
ユーミリアがショックを受けたような顔をルキナに向けた。ルキナはユーミリアの気持ちをわかってあげたかったが、ルキナにはそれは不可能だ。ただ、申し訳なさそうな、悲しそうな顔をして頷く。ベルコルの言っていることは本当だと言うように。
「一週間くらい前だったかな。私、その…リュツカさんのことを忘れちゃったらしいことに気づいたの。まあ、ちょっと話すと長くなるんだけど。だから、病院で検査してもらったの。結果は、ショックとかストレスが原因の記憶喪失だって。でも、忘れちゃったのは一部だし、日常生活には支障はないだろうって」
ルキナは病院で言われたことを思い出しながら、ユーミリアに説明する。タシファレドとの喧嘩もこれが原因だと言う。
ユーミリアは、しばらく黙って、ルキナとベルコルの話を嚙み砕こうとした。ユーミリアにとってもにわかには信じがたい話ではあったが、二人が嘘をついているとは思われなかったので、信じるほかなかった。
「でも、それじゃあ、今までの思い出はどうなってるんですか?あの人が先生の近くにいないことの方が少なかったですよね?たとえば、私たちと海に行った時のことも全部忘れちゃってるんですか?それとも、あの人に関する…」
ユーミリアはためらいがちに、記憶喪失の具体的な状態を確かめようとした。しかし、それをベルコルが視線を送って止めた。今大事なのはそんなことではない。ユーミリアは、ルキナが悲しそうな顔をしていることに気づき、口を閉じた。そして、そっとルキナに抱きついた。
その時、シェリカとティナが食堂にやってきた。二人はルキナたちに気づいた。
ルキナが食堂に先回りしていたのは、シェリカと会うため。タシファレドにも会おうと思っていが、本命はシェリカだった。
「シェリカ」
ルキナはシェリカに声をかけた。すると、シェリカは顔をこわばらせて立ち止まった。ルキナの顔をチラッと見たが、すぐに顔をそらし、うつむいた。
「シェリカ様、行きましょう」
ルキナとシェリカが互いに何も言えずにいると、ティナがシェリカの背中をおした。シェリカは、タシファレドほど露骨に嫌悪感を表に出さないが、シアンのことを忘れてしまったルキナのことを軽蔑しているのは同じのようだ。
シェリカは、嫌な空気から逃れるように、ティナに促されるままに先に進んで行った。ティナは何も言えなかったシェリカの代わりに、ルキナたちに一礼だけした。その後、すぐにシェリカを追いかけ、食堂の奥へと消えて行った。
「先生、大丈夫ですよ。私が一人にしませんから」
ルキナは、大切な人に関する記憶を失い、そのことを友人から責められている。ユーミリアは、ルキナの心を気遣う。
「うん、ありがと」
ルキナはユーミリアを抱きしめ返した。ルキナは、ユーミリアの言葉は信用できると思った。ユーミリアなら、しつこいくらい傍にいてくれるだろう。今のルキナには、そういう存在が何より救いになる。
ルキナは、ベルコルとユーミリアの三人で朝食をとり、その後、授業を受けに行った。例の如く、ユーミリアはルキナと全く同じ授業を選択した。おかげで、ユーミリアはさっそくルキナの傍を離れることはないと証明することができた。
昼休みになると、ルキナはユーミリアと一緒に食堂に行った。そこで、アーウェン姉弟と鉢合わせた。今朝のこともあって、ルキナは二人の反応に警戒していたが、アーウェン姉弟は何事もなかったかのようにルキナに接した。当然のように昼食を共にした。
ルキナはチグサと向き合って座り、ルキナの隣にはユーミリアが座った。マクシスがチグサの正面ではなく、隣に座るのは、マクシスがチグサの食事を手伝っていた頃の名残だ。今は、チグサは眼帯をとって視力のある右目を使っている。食事も一人で十分できるようになった。それでも、長年の癖は抜けないようで、マクシスはチグサの隣に座った。
「姉様、聞いてください。シアンと授業かぶったんですけど、全然話せなかったんですよ」
マクシスがチグサに甘えるように言った。マクシスはシアンと同じ学科で同じ学年。授業がかぶることもあるだろう。だが、シアンからの話しかけるなオーラがすさまじくて、声をかける勇気が出なかったそうだ。
「ルイス様の目も怖いし」
マクシスが体をぶるっと震わせた。ルイスは国王となった現在も学校に通い続けている。出席回数は少なくなってしまうだろうが、この学校でルイスと会わなくなるわけではない。そのルイスは、シアンに近寄る者たちに警戒しているようで、シアンの傍にはいつもルイスの視線を感じるようだ。
「まーくん」
マクシスが怒涛の勢いでシアンとその周辺の話をしていると、チグサが止めた。チラッとルキナの方を見た。それだけで、マクシスはチグサが何を言わんとしているか理解した。
「あ、ごめん」
マクシスはルキナに謝った。今や、ルキナの前でシアンの話題はタブー。ルキナはそんなに気にしてもらわなくても良いと思ったが、たしかに、話においていかれている感は否めない。
「ううん。みんな反応見てたらわかるわ。その人は、私にとっても大切な人だったんでしょ?」
ルキナは、皆の気遣いに感謝しつつ、シアンの話を無理して禁止することはないと言う。チグサはルキナの言葉を聞いて微笑んだ。
「イリヤ」
ルキナたちのテーブルの近くをイリヤノイドが通りかかった。イリヤノイドに気づいたユーミリアが呼び止めた。イリヤノイドは、ユーミリアのそばに駆け寄った。
「一人でどうしたの?」
イリヤノイドはご飯も持たずに、食堂をウロチョロしていた。席を探しているようには見えなかったので、ユーミリアが不思議がる。すると、イリヤノイドは何かに怒ったように頬を膨らませた。
「今日、まだ先輩と話せてないんですよ」
ここにもルイスの妨害の被害者が一人。イリヤノイドもシアンに話しかけようとしたが、何度もルイスに妨害されて近寄ることすら許されなかったようだ。
「学校にいる間くらい独り占めしなくても良いのに」
イリヤノイドがぷんぷん怒っているが、誰もイリヤノイドに同情できなかった。イリヤノイドが自分のことを棚に上げた発言をしたためだ。イリヤノイドは散々シアンを独り占めしてきた。ルイスほど強い妨害でなかったにしろ、イリヤノイドはシアンを独占していた。いつもはイリヤノイドの味方であるユーミリアですら、イリヤノイドがルイスを責めるのは少々無理があると思った。




