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引き籠りデビューデスケド。

「ルキナ、ルキナ。大丈夫?」

 ドアの向こうからメアリの声が聞こえる。トントントンとドアを叩き、ルキナに呼びかける。ルキナはドアの方をじっと見つめた。

「ルキナ、起きてる?」

 ルキナを心配するメアリの声が続く。だが、ルキナは返事をしない。返事をする必要性を感じていない。ルキナはメアリの呼びかけを無視して、ベッドに横たわった。朝食の後に薬は飲んだのに、頭が痛い。朝から頭痛で何もする気になれない。

「いつもこんな感じなの」

 メアリがルキナを呼ぶのをやめ、誰かに話しかけた。おそらくハリスだ。まだ夏は終わってない。四頭会議で忙しい時期のはずだ。それなのに、ルキナを心配して帰ってきたのだ。

「お嬢様はここ一か月ほどお部屋から出られていません」

 ハリスに状況を伝える使用人の声が聞こえてきた。

(部屋から出ないのってそんなに悪いこと?)

 ルキナはベッドの上でため息をついた。最近、頭痛が酷くて外に出る気になれない。ただそれだけのことだ。もちろん、部屋の外に一歩でも出た方が両親や使用人たちが安心してくれるということはわかっているし、このままではメアリが精神的に疲れてしまうこともわかっている。それでも、ルキナは外に出る気になれない。

 別に人と話していないわけではない。この部屋に誰かが入ることを許していないわけじゃない。ルキナの身の周りの世話のために使用人が一日に何回も部屋に入ってくるし、メアリとも時々話をする。でも、やはり部屋から出ないというだけで心配は募るらしかった。

「でも、チグサさんやクマティエさんとは会って話せているんだろう?」

 ハリスの諭すような声が聞こえてきた。ルキナは寝たまま顔の向きを変え、ドアの向こうにいるであろうハリスの方に視線を向けた。ハリスならルキナのことを理解してくれているかもしれない。

「大丈夫だよ。ご飯も食べれて、話ができるなら、あの子は元気だ。たぶん学校が始まったらちゃんと学校に行くだろうし、ほんのちょっときっかけがあれば出てくるよ」

 ハリスの声に、ルキナは「そうだよ」と部屋を飛び出して肯定したくなった。でも、全くそういう気分ではないし、そういう元気はない。

 ルキナはごろっと転がって体の向きを変えた。ドアに背を向けて目を閉じる。

「本当に…?」

「気持ちはわかるけど、そっとしておいてあげるしかないね。ルキナにはたぶんこういう時間が必要なんだよ」

 メアリの不安そうな声とハリスの優しい声が聞こえてくる。

(そんなに心配なら部屋に入ってこれば良いのに)

 ルキナは、自分がメアリを不安にさせる原因なのだと理解している。だが、これほど何度も、大丈夫かと尋ねられると、逆に疲れてしまう。ハリスの言う通り、部屋の外に出られないわけではない。誰かと話すより一人で過ごす方が楽だし、どうせ外に行っても楽しいことはない。頭痛を我慢するほどの魅力を感じないから、外に出ない。

 誰かが言った。一人で部屋に籠り続けていると心が死ぬ、と。たしかに、外部からの声を聞き入れずに一人でい続けるのは、気分がマイナスに進むばかりで病んでしまうかもしれない。しかし、休息は必要だと声を大にして言いたい。幸い、今は夏休み期間真っ只中で、理解者がいる。やはり適した環境なしにこのような休息の時間も得られないのだから、周囲には感謝しなくてはならないだろう。

「よいしょっと」

 ルキナは起き上がってベッドから下りた。鎮痛剤が効いてきたのか、頭痛がましになってきた。そろそろ執筆作業に入ることにする。今日は担当編集のカテルが来る日。気合を入れて小説の続きを書き始める。

 この夏で変わったことがいくつかある。

 まず、ルキナは部屋を出なくなった。戴冠式の翌日、ひどく気分が沈んでいたルキナは寝ることで精神的疲労の回復を図るようになり、いつからか部屋から出なくなった。ルキナ本人はこのことを別に大した問題だとは思っていないし、引き籠る理由も目的も特に意識しているわけではない。必要に駆られたら外に出る準備はできている。

 二つ目に、鏡を見なくなった。鏡で自分の顔を見ると、なぜか頭痛が酷くなる。そこにどんな因果関係があるのかはわからないが、とにかく鏡を見ると頭が痛くなるのは確かで、そうと分かれば鏡を見ないようした。

 そして、チグサがよく部屋に訪ねてくるようになった。

「ルキナ、入って良い?」

 ドア越しにチグサの可愛らしい静かな声が聞こえてきた。ルキナはペンを置き、ドアに駆け寄った。スッと迷いなくドアを開け、ドアの前に立っているチグサに笑いかける。

「チグサ、いらっしゃい」

 ルキナはチグサを部屋に招き入れ、椅子に座らせた。以前までは、ルキナの方がチグサの家に遊びに行ったり、誘ったりすることが多かった。今はルキナの方が動かなくなったので、チグサの方から来てくれるようになった。

「ドア開けておいたら?」

 ここに来るまでにメアリに会ったのだろう。チグサが、メアリに心配をかけない方法を提案する。チグサはルキナが完全に引き籠りたいわけではないと理解しているので、ためらうことなくドアの開放を提案する。しかし、ルキナはそれを断った。

「別にそれでも良いんだけど、なんか小説書いてる時に入られたら嫌じゃない」

 ドアを開けておきたくないのは本当になんてことのない理由。でも、ルキナにとって大切なので、できればドアは閉めたい。

「心配してる」

「そうね」

 チグサはメアリが気に病むことを気がかりに思っている。それはルキナも心配している。

「やばそうだったら開けるようにするわ。でも、たぶん、その前に夏休みが終わるわよ」

 ルキナはそう言って、さっきまで座っていた椅子に座った。目の前の机から原稿用紙を取り上げ、一部をチグサに渡した。

「最近、ペースが落ちたのよね」

 ルキナは自分で肩をもみながら言う。

「頭痛いの?」

「うーん、薬飲んでれば良いんだけど、朝起きた時とか最悪よ」

「そういえば、チョコレートケーキ持ってきた」

 チグサは、ルキナの話を聞いてるのか聞いてないのか、中途半端なタイミングで話を変えていく。

「うっそ!ケーキ!?チグサはわかってるわね、私の好物を」

「知ってるのは私だけじゃない」

「え?私がチョコケーキ好きなのって有名?」

「有名」

 ルキナはチグサと言葉を交わしながらペンを手に持った。そうしてルキナが執筆作業に入ると、会話は徐々に少なくなっていく。ルキナは小説の執筆に集中し、チグサはルキナが書いた物語の推敲を行う。ルキナはこの時間を心地よく思う。チグサなら、すぐ近くにいても気にならずに作業に集中できる。

(チグサにもいたはずなんだけどな、そういう人)

 ルキナは不意にペンを止め、ぼんやりと考えた。チグサのもつ空気感は独特なものだが、居心地は不思議と悪くない。気づいたら傍にいて、一緒にいる方が自然だと思える存在が他にいたはずなのだが…。

「ルキナ?」

 ルキナの手が止まったので、チグサが不思議そうに声をかけた。ルキナは何でもないと言い、チグサがいくつか指摘を書き入れた原稿を受け取った。チグサはルキナの小説を読んで、誤字や物語の構成の不備を教えてくれる。こんな関係はかなり長いこと続いていて、ルキナはカテルに読んでもらう前にチグサに読んでもらわなくては気が済まない。

「うわっ、今回もびっしり書いてあるわね」

 ルキナは、チグサの手で書かれた小さな文字を一つずつ読んでいく。

「一区切りついたら休憩」

「そうね」

 チグサが無理はしないでゆっくり作業するように言った。ルキナも無理は良くないとよく理解している。

「最近どう?マクシスとか。元気?」

 ルキナは原稿を読み返しながらチグサに尋ねる。

「元気」

「それは良かった。意外なのが、ユーミリアがうちに来ないことなのよね。毎日でも来ると思ってたわ」

「仕事が忙しいって」

「やっぱり?」

 ルキナは読み終えた原稿を机に置き、このまま休憩にしようかと言った。チグサが頷いたので、ルキナは椅子から立ち上がり、部屋のドアを開けた。ドアの隙間から顔をのぞかせて様子を伺っていると、部屋の前を使用人が通りかかった。

「あ、お嬢様、どうされました?」

 ルキナが顔を出していたので、誰かに用があるということにすぐに気づいたようだ。使用人が近くに来てくれる。

「お茶を用意してもらって良い?チグサと私の分」

 ルキナは使用人に用を伝え、チグサのもとに戻った。

「そういえば、またパーティやるんだってね。お城で。チグサは行くの?」

 ルキナのもとには意外と外の情報が入ってくる。だから、割と最新の話題にものれる。

「行かない」

「そうなの?まあ、私も行くつもりはないけど」

 新国王ルイスは祭りごとが好きらしく、度々パーティを開いては人を招待している。ルキナも既に何回か呼ばれているが、しばらく行くつもりはない。これだけ何回も招待されているのだから、いつか行く機会は訪れるだろう。

「ルイス様って結婚するのかしらね。今のところ、そういう噂は聞いてないけど」

 ルキナがルイスの話を続けるとわかると、チグサは少し顔を曇らせた。

「どうかな」

「一時期、チグサも噂されてたでしょ。どう?チグサはそういうの興味ない?」

「興味ない」

「そっかー。私がノア様と結婚して、チグサがルイス様と結婚したら義理の姉妹になったんだけど」

「そういう冗談は嫌」

「ごめんって」

 ルキナはチグサとたくさん話をした。基本的にチグサは聞き手に回ることが多く、ルキナばかり話している気がする。紅茶とチョコレートケーキでおやつを楽しんだ後、チグサは颯爽と帰って行った。

 昼食を終えた頃、カテルがやってきた。約束通りの時間だ。

 ルキナは机に広げていた原稿を束ね、それらを引出しの中に入れると、別の原稿の束を取り出した。カテルに今日渡す原稿は執筆途中のものとは別の原稿だ。

「ミューヘーンさん、お疲れ様です」

 カテルが部屋に入ってくる。ルキナは椅子を用意し、カテルをそこに座らせた。

「これが今回の分です」

 ルキナはカテルの目の前に座りながら原稿を渡した。カテルはパッと原稿を確認し、それを終えるとカバンに入れた。

「体調はどうですか?締め切りを守っていただけるのはありがたいですが、無理はしてませんか?」

 カテルが心配そうにルキナを見る。ルキナの頭痛のことはカテルも承知しているので、ルキナが無理していないか心配する。

「大丈夫ですよ。調子が良い時に少しずつ書いてるだけですから」

「そうですか。まあ、無理しないようにお願いします。それで、今後の予定なんですけど…」

 カテルがスケジュール帳を取り出し、次の締め切り日とその他の予定を教えてくれる。

「いくつかパーティの招待や取材の依頼もきてるんですけど…しばらくはやめておきましょうか」

 カテルがパタンとスケジュール帳を閉じた。ルキナの体調が悪化したと聞いているので、人に会う必要のあるような仕事はルキナにさせられないと言う。

「正体がバレないようにしようとするといろいろと大変ですし、たぶんストレスにもなりますからね」

 カテルは自分で言いながら、うんうんと頷いた。

「それと、今度、こういう企画をするので、ミューヘーンさんも良かったら」

 そう言って、カテルは『有名作家による恋愛物語対決』と書かれた企画書を見せてくれる。

「企画自体はまだ先の話ですから、気が向いたらで良いですよ。一応、恋愛ものの小説を書いていただくことになるので…ミューヘーンさんの得意分野かと思いますけど」

 話したいことがたくさんあったのか、カテルは次々に話題を変えて話し続ける。ルキナは相槌を打ちながら、それらの話を順に頭に入れていく。

「いろいろ企画されてるんですね」

「ミューヘーンさんが全てに手を出す必要はありませんよ。大事なのは今の連載を継続することとコンクールの審査員の仕事です」

「そうですね。今ある仕事をちゃんとやらないとですね」

「あ、気負う必要はないですよ。最初にも言いましたが、無理は禁物です」

 カテルはいつも以上に饒舌で、なかなか話が止まらない。嬉しいことでもあったのだろうか。ルキナが若干気圧されていると、カテルが不意にルキナをじっと見つめた。

「あと、関係はないですが、ラザフォードが仕事場に招待したいと」

 カテルがゆっくりと言った。仕事の話ではなく、完全プライベートの話。そのことを意識して、カテルは空気を変えようとしたのだろう。

「ラザフォード先生が?」

「約束していたから、と」

「約束…してましたね」

 カテルはラザフォードの旧友。ラザフォードからの伝言を任されていたようだ。

「クマティエさんは最近ラザフォード先生と会ってるんですか?」

「頻繁にではないですよ」

「ラザフォードの仕事が変わってからまだ一回しか会ってませんし」

「クマティエさんはラザフォード先生の新しいお仕事が何かご存知なのですか?」

「知ってますが、言いませんよ。ラザフォードに口留めされてますから」

 カテルがいたずらっぽく笑った。

「ラザフォードは早くミューヘーンさんに会いたがってましたから、早めに行ってあげてくださいね」

 カテルはそう言って立ち上がった。もう帰るのだろう。

「今日はありがとうございました」

 ルキナも椅子から腰を上げ、丁寧にお辞儀した。

「それでは、また来ます」

 カテルは荷物を持ってルキナの部屋から去って行った。

(なんか、全く引き籠りって感じがしないわ)

 ルキナはカテルを見送ると、倒れこむように椅子に座った。チラリとドアの方を見ると、メアリがこっそり中の様子を伺っていた。皆、ルキナを一人にはしようとしない。それはとてもありがたい話だし、幸せなことだ。

「お母様、バレてるわよ」

 ルキナはくすっと笑った。すると、メアリは潔くドアの陰から姿を現した。

(あと少し…、あと少し…)

 ルキナは心の中でひっそりカウントダウンを始めた。

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