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もう懲り懲りデスケド。

 ルキナは、ユーミリアの怪我を冷やすために、売店の方にユーミリアを連れて行った。ユーミリアは、可愛らしい水着を着て、ルキナの腕にしがみついている。いつも以上に肌の触れている場所が多いので、ルキナは変な気持ちになる。

「それで?なんでユーミリアがここにいるのかしら」

 ルキナは、患部を冷やせそうなものを手に入れ、ユーミリアに渡した。ユーミリアは大人しく頬を冷やし始める。ルキナは、右頬を手で押さえるユーミリアに尋ねた。

「なんでって、先生に会いたかったからに決まってるじゃないですかぁ」

 ユーミリアが嬉しそうに肩をぶつけてくる。ルキナが遊べるのは今日だけだと知り、仕事の日程を調整して、なんとか今日体をあけたのだ。おかげで、前後の仕事はハードになってしまったが、これもルキナと海水浴を楽しむためだと思えば、簡単に乗り越えられるものだ。

「聞いた私が馬鹿だったわ」

 ルキナの質問は、いわゆる愚問というやつだった。聞くまでもなく、ユーミリアの答えなどわかっていた。ルキナは、聞くんじゃなかったと少し後悔した。

「そういえば、シェリカ様たちは?」

 ユーミリアが、シェリカとティナの姿が見当たらないと言う。シェリカたちもいてもおかしくないと思っていが、まだ会えていないので、ユーミリアが不思議がっている。

「シェリカは来ないわよ」

「えっ?そうなんですか!?」

 ルキナの答えを聞いて、ユーミリアが驚く。ユーミリアの中で、シェリカはこういう遊びに誘いは誰よりも断らない人だというイメージがあった。実際、シェリカはたいていどこにでもついて来る。でも、今回だけは違った。

「おうちの方が忙しいみたい」

 シェリカは、早めに結婚相手を見繕いたい父親の相手が大変なようだ。今日だって、お見合いのようなものに行かねばならない。シェリカ自身は海に行きたがっていたが、予定をずらすことはできず、仕方なく断念したのだ。

「それに、シアンとのことで、ちょっと気まずいみたいだったし」

 ルキナは苦笑しながらユーミリアの顔を見た。ユーミリアは、納得したような反応を見せる。

 シェリカは、シアンに振られてから、あまりシアンと話せていないようだった。気まずいと感じるのは仕方がないことだろう。しかし、いつまでも逃げているわけにはいかない。ルキナの周りの交友関係は、深く狭くという傾向が強い。今後、シェリカがルキナと付き合っていく以上、シアンのことを無視しつづけることはできない。シアンも同様だ。いつかはこの関係の修復を図らなくてはならないだろう。

 ルキナたちがベンチに座って話をしていると、海水浴目的ではなさそうな若者が何人かやってきた。

「えー、ここがバクナワが出るって有名なの?別に普通の海じゃん」

「でも、出たんだって、ここで」

「それももう何年も前の話だろ?」

「いや、一回出たってことはまた来るかもしれないってことじゃんか」

「だからってそんなに通いつめなくても良いじゃん」

「今度こそ見逃さないようにしないと」

 どうやら、バクナワという怪物を探すためにこの海水浴場にやってきたらしい。たしかに、この海岸にはバクナワが一度姿を見せている。ルキナもその目で見た。だから、彼らがここでバクナワを探すのはあながち間違っていなさそうだ。でも、バクナワは伝説級の希少な生物。そうそう簡単には出会えないだろう。

「もしかしたら見れるかもしれませんね、あの人たち」

 ユーミリアがくすっと笑いながら言った。

「だって、二級生の夏に海に来ると百パーセント来ますもん」

 ユーミリアが自信満々な態度で言う。『りゃくえん』のシナリオ通りいけば、ユーミリアの言う通り、今日、この海にバクナワが出現する可能性はある。『りゃくえん』内で、ルキナがユーミリアとその他友人たちを誘って海に遊びに行くと、浅瀬に現れるはずがないバクナワが迷い込んでくる。バクナワはユーミリアに襲い掛かるが、それをタシファレドが助ける。そういう筋書きだ。ユーミリアは既にその流れを何度も経験している。ユーミリアが自信ありげなのは、実体験に基づく推測だからだろう。

「でも、今回も同じとは限らないでしょ?」

 この世界はユーミリアが経験してきたものと違うところがいくつかある。このストーリーだって、今回だけは変わる可能性はある。ルキナは、個人的な希望も含め、ユーミリアの発言を否定する。

「そうですかね」

 ユーミリアは納得がいかないという表情で言う。ユーミリアは今回もバクナワが来ると本気で思っている。しかし、ルキナにだって否定するだけの根拠はある。

「ほら、日にちだって、メンバーだって、今まで違うじゃない」

「そうですね、全然違いますね」

 ユーミリアは、ルキナの言葉に一度は同意する。『りゃくえん』の中で海に行った日にちは今日にあてはまらないし、その時のメンバーも明らかに違う。しかし、ユーミリアは「でも」と続けた。

「でも、来ると思います」

「なんでよ」

 ユーミリアがなぜか強情に意見を曲げないので、ルキナは思わずつっこんだ。

 ルキナは、自分がモテるために必要ならば『りゃくえん』のシナリオ通りに進んで欲しいと思っているし、それと同時に、ユーミリアに邪魔されたくはないからシナリオ通りに進んで欲しくないとも思っている。ルキナは複雑なのだ。でも、今回ははっきりと、シナリオ通りになってほしくないと言える。自分の考えを固持するユーミリアに少し腹が立ったので、ユーミリアの思い通りになってほしくないのだ。

「そういえば、先生は泳げるんですか?」

 ルキナがムスッとしていると、ユーミリアが突然ルキナに問いかけた。ユーミリアの中で、ルキナ・ミューヘーンは泳げないというイメージが強く残っている。『りゃくえん』のルキナは、上級学生になって初めて海に遊びに行く。そのため、金槌で水が嫌い。ユーミリアは、ルキナ・ミューヘーンという人間が海で楽しそうに泳いでいるところを見たことがない。

「泳げるわよ。なんだったら、見せてあげましょうか」

 ルキナはニヤリと笑って立ち上がった。前世の記憶を持つルキナは、海や水に恐怖を全く感じない。泳ぐことだって得意だし、好きだ。ルキナがユーミリアに勝負をふっかけると、ユーミリアは「競争ですね?」とキリっとした顔になってルキナを見た。勝負に乗るつもりらしい。

「そうと決まれば早く行くわよ」

 ルキナはそう言って走り出した。海に向かって一直線だ。ユーミリアも走ってついて来る。二人はそのままの勢いで海水に入り、泳ぎ始めた。人の少ないところを見つけ、スタートとゴールの位置を決める。

「よーいっ、どん!」

 ルキナの掛け声で競争が始まり、ゴールに少し先に到着したルキナが勝った。

「やっぱり先生は先生ですね」

 ほんの少し遅れてゴールにたどり着いたユーミリアが、水から顔を上げると言った。ユーミリアは、目の前にいる少女が、それまでの人生で出会ったルキナとは別人なのだと再確認した。

「変なこと言ってるユーミリアには罰ゲームね」

 休憩がてら浜辺に戻ると、ルキナは意地悪な顔をしてユーミリアに言った。

「え?罰ゲームですか?」

「ユーミリアが負けたんだから、罰ゲームくらい良いじゃない」

「先生がやれって言うなら、罰ゲームでも喜んでやりますけど」

「喜ばれても困るんだけど」

 ルキナとユーミリアが岸で話していると、冷たい風がふっと一度吹いた。ルキナは濡れた風が急に冷えたので、自分の腕で体を包み込む。その隣で、ユーミリアは海をじっと見つめた。ユーミリアは、この背中がぞくっとする感覚を知っている。

「来ます」

 ユーミリアが海から目をそらさないで言った。ルキナはユーミリアが何を言いたいのか察し、顔を青ざめさせた。

 ユーミリアとルキナが身構えていると、突然、ザバッと大きな水しぶきが上がった。まだ距離はあるが、あまりに大きな水しぶきに、皆、騒然とする。誰かが「バクナワだ」と叫んだ。それからは皆恐怖に頭を支配され、冷静に物を考えなくなった。海水浴を楽しんでいた人たちも、悲鳴を上げながら海から逃げる。どっと人が浜辺に押し寄せてくる。

 ルキナは、ユーミリアと手を繋ぎ、はぐれないようにした。皆がパニックになって逃げ惑う中、ユーミリアは海をじっと見据えたまま動かない。ユーミリアは、現れたバクナワが人を襲わないことを知っている。ユーミリアが襲われそうになったは、たまたまバクナワの近くにいたからだ。バクナワに人を襲う意思はない。

「みんな逃げきれれば良いけど」

 ユーミリアはぼそっと呟いた。バクナワが来ると自信をもって言っていたが、皆に事前にそのことを告げ、海に近づくなと言うほどの自信はなかった。ルキナの言うように、歴史が変わり、未来が変われば、バクナワがここには来ないという今だってあり得たわけだ。でも、今は、恐怖をあおるだけになってしまったとしても、嘘つきと言われてしまう結果になったとしても、皆に伝えておくべきだったと後悔している。何かあってからでは遅いのだ。

「ユーミリア?」

 ユーミリアが、せめてルキナのことは守り抜こうと、手に力を込めた。ルキナは繋いだ手が痛くて、ユーミリアに呼びかけた。しかし、ユーミリアの返事はない。ルキナは、ユーミリアが不安を抱えていることに気づいた。

「ユーミリア、別にあなたは預言者でも何でもないのよ。とにかく、今は、みんなを落ち着かせなきゃ。こういう時、パニックになるのが一番危ないのよ」

 ルキナはユーミリアの耳に声が届くように、ゆっくり大きな声で言った。ユーミリアは頷き、ルキナから手を離した。

「先生、そっちはお願いします」

 ユーミリアは、逃げる人たちの流れに乗って姿を消していった。ユーミリアは人の目をひきつける能力を持っている。今のパニック状態の集団相手でも、その力は有利に働くだろう。ユーミリアは、皆を守るため、自分の戦うべき場所に向かったのだ。

「…って、言われてもね」

 ルキナは、ため息をついた。ユーミリアはバクナワの方をルキナに任せて行ったが、ルキナに何かできるとは思えなかった。魔法も身体能力も、こんな時に役に立つ知識ももってない。ルキナの体一つで、バクナワ相手に何ができるのだろう。ルキナは呆然と立ち尽くし、ただ人の間から海を見た。

 海のヌシとも呼ばれるバクナワは、とてつもなく大きな体をもっている。碧のうろこを持ち、蛇のような長い体をくねらせ泳ぐ。竜の仲間とされているのは、バクナワが二対の翼を持っているからだ。感覚の鋭いひげで獲物を探し、赤い舌で捕まえた獲物は逃さない。バクナワが人まで食べてしまうのかは不明だが、あの大きな口に飲み込まれたらひとたまりもないだろう。

 ルキナは目をこらし…目をこらすまでもなく、バクナワの姿を確認した。バクナワの体の一部分が海水面から出ている。それだけで、バクナワが桁違いな大きさであることがわかる。

 海水浴客はほとんど避難を終え、砂浜がきれいに見えるようになってきた。そんな中、海の中にいくつか人影が見えた。

(誰か逃げ遅れた!?)

 ルキナは助けに行かなくてはいけないと思い、海に向かって走り始めた。海に近づくと、誰がそこにいるのか見えてきた。

 海にいたのは、アリシア、タシファレド、ハイルック、それと見知らぬ女の子だった。ハイルックが女の子を抱きかかえ、他二人が浜辺に誘導している。あの女の子が逃げ遅れ、三人が助けに行ったようだった。

 ルキナは逃げ遅れた四人のもとへ急ぎながら海の状況を見た。バクナワが浅瀬で暴れている。なぜこんなところまで来たのかはわからないが、とても良い迷惑だ。ルキナはバクナワに対するいら立ちを覚えながら、走り続けた。

 その時、大きなバクナワの顔が海面から現れた。ルキナの背後から大きな悲鳴が聞こえてきた。非難を終えた人たちが恐怖のあまり叫んだのだろう。

 バクナワがしばらく顔を出した状態で動きを止めた。と、思ったその時、タシファレドたちがいる場所に頭を沈めようとした。このままではみんながつぶされてしまう。ルキナがまずいと思った時、タシファレドが魔法を使った。伸ばしたから手から炎を渦が広がり、バクナワをひるませた。

「ハイルック!」

 今がチャンスだと思ったルキナは、女の子を抱いているハイルックの名を叫んだ。ハイルックがルキナの声で我に返った。水の中で必死に足を動かし、バシャバシャと岸に向かって走る。ルキナは固唾を飲んで、ハイルックのおぼつかない足取りを見守る。そうして、ハイルックが命からがら女の子を連れて逃げてきた。

「こっち!」

 ルキナは、ハイルックから女の子を受け取り、抱っこを交代して海から離れる。浜辺の中腹あたりまで走ったところで、女の子一人で皆のいる方に走らせ、ルキナとハイルックはその場にとどまった。まだタシファレドとアリシアが逃げ終わってない。

 ルキナたちが振り返って状況を確認すると、タシファレドはまだ炎でバクナワを遠ざけていた。バクナワは大きな体をよじってたじろいでいる。そして、炎に恐れをなしたのか、バクナワが海に顏を引っ込めた。

(終わった?)

 ルキナは静かになった海を見つめて、ほっと胸をなでおろす。ルキナの隣で、ハイルックも安堵のため息をついた。

 皆が緊張で強張っていた体の力を抜いた時、ザバァっと何かが海から出てきた音がした。ルキナは、その音の正体を知ると、大きく目を見開いた。アリシアのすぐ近くにバクナワの顔があった。大きな口を縦に開いて、アリシアに迫っている。そのままアリシアを丸のみにしてしまいそうだ。アリシアは呆然とバクナワの口を見つめている。

「アリシアちゃん!」

 ルキナはアリシアの方に向けて腕を伸ばし、アリシアの名を呼んだ。それと同時に、タシファレドがアリシアのもとへ向かって駆け出した。

「アリシャ!」

 タシファレドが手を伸ばす。

(間に合わない!)

 タシファレドの手もアリシアには届かない。ルキナは絶望的な状況に、頭が真っ白になった。

 その時、アリシアが突然姿勢を低くした。そして、一度前に倒した上半身を勢いよく反対側にそらし、体のばねを利用して足を空中に振り上げた。アリシアの手が地面についた時、彼女の足はバクナワの下あごに直撃していた。アリシアの小さな体から繰り出された蹴りのパワーはすさまじく、人間のものとは思えないほどだった。自分の何倍も巨体をもつ怪物相手でも、アリシアの体術は通用するようだった。

 バクナワが蹴られた勢いで頭部を天に向かって伸ばした。みんなが思わずつられて空を見上げていると、バクナワが重力に従って頭を落とし始めた。今度こそアリシアがつぶされてしまう。ルキナが慌ててアリシアの方に視線を戻すと、アリシアは既に体勢を整え始めていた。地面につけた手を基準に体を回し、地面に足をつけると、ぴょんと横にとんだ。バクナワの落ちてくる場所から移動したのだ。脚が水に浸かっているとは思えないほどの身のこなしだった。

 バクナワが重い頭を地面に近づける。バクナワの頭部が海面につく直前で、アリシアがその場でジャンプした。空中で下半身をひねり、左足の甲をバクナワの頬にあてた。バクナワの頭部はびゅんっと水平に飛ばされた。進行方向にタシファレドが立っており、タシファレドは猛スピードで迫ってくる巨体に「ひぃっ!」と悲鳴をあげる。常人ではとてもよけられない勢いで近づいてきたが、タシファレドはビビッて腰を抜かし、結果、偶然にも海に倒れこむ形でバクナワとの衝突を避けた。

「えー…こわっ…。」

 ハイルックはやっとの思いでそれだけ呟き、絶句した。伝説の生物と素手でやり合えるアリシアの異常さを前にして冷静でいられる者の方が少ないだろう。

 バクナワは、アリシアに二度も蹴られた後、逃げるように海に姿を消した。

「あれはしばらくこたえそうですね」

 いつの間にかシアンがそばにいて、バクナワに同情するように言った。

「今回は、あの時より避難が速かったですね」

 シアンが、少しずつ砂浜に戻ってきている海水浴客を見て言った。シアンの言う「あの時」というのは、前回、バクナワがこの海に現れた時のことだ。たしかに、あの時よりずっと人々は冷静だったように思える。ルキナは視線をきょろきょろと動かして桃色の頭を探す。

「そう…。ユーミリアが上手くやってくれたのね」

 ルキナは、これだけ事態が大きくならずに済んだのは、ユーミリアのおかげだと思った。ユーミリアが天性の能力を使って、人々の心を一つにしたのだ。

「タシファレド、アリシアちゃん、たぶん今日はもう泳いでく人はいないわよ」

 ルキナは、いまだに海の中に残っている二人に声をかけた。遠くに国軍らしき姿も見える。この海はしばらく封鎖されることになるだろう。海水浴場だというのに、今は海に入っている方が目立ってしまう。

「何してるの、二人とも」

 ルキナは、動き出そうとしない二人に近づく。

「ねぇねぇ、たっちゃん、さっき、私のことアリシャって呼んだよね?たっちゃんてば、私のこと心配してくれたのね!」

 アリシアが、海に尻餅をついたタシファレドに駆け寄る。バシャバシャとアリシアが蹴った水がタシファレドにかかる。

「うっせ」

 タシファレドは、飛んでくる水を避けるように顔をふいっとそらした。実際は、照れてアリシアの視線から逃れようとしたのだろう。アリシャというのは、タシファレドが幼い頃にアリシアにつけたあだ名だ。アリシアに危険が迫った際、咄嗟にアリシアを昔の呼び方で呼んでしまったのだ。タシファレドはそのことが恥ずかしいようだ。アリシアは、タシファレドが久々にアリシャと呼んでくれたので、とても嬉しそうにしている。

「お二人さん、仲が良いのはわかったから、早く行きましょ」

 ルキナは早く来るよう急かす。しかし、タシファレドは動かない。

「たっちゃん、行かないの?」

「お前、先行ってろ」

 アリシアが不思議そうに尋ねると、タシファレドは何かを隠すように、アリシアを追い払った。その態度を見て、アリシアはあることに気づいた。

「たっちゃん、腰抜けちゃったの?」

 タシファレドは、動かないのではなく、動けないのだ。アリシアの指摘は図星だったのか、タシファレドが歯を噛みしめ、アリシアの顔を鋭く睨んだ。

 アリシアは、タシファレドが動けないとわかると、タシファレドに近づき、その細い腕でタシファレドを持ち上げた。逆お姫様抱っこだ。当然、タシファレドは嫌がる。

「暴れると落ちちゃうよ」

 アリシアがニッと笑って言う。タシファレドは急に大人しくなって、せめて顔は見られないようにと、アリシアの首に腕を回し、アリシアの体に顏をうずめた。でも、残念ながら、真っ赤な耳が隠れていない。

 ルキナはふと、ハイルックの反応が気になって、右隣を見た。ハイルックは騒ぎ立てることもせず、ただ静かに二人のやりとりを見ていた。

「最近、ハイルックは静かね」

「え?そうですか?」

 ルキナが声をかけると、ハイルックは何のことかわからないと言うように、きょとんとしてみせた。タシファレドがアリシアに取られている状態にあるというのに、タシファレドが邪魔しようとしない。おかしい。ルキナには、このハイルックが別人のようにすら感じてしまった。そのくらい違和感があった。

「たっちゃん、偉い、偉い」

 アリシアが楽しそうに笑いながら歩いてきた。タシファレドが大人しくじっと運ばれているので、アリシアが褒めている。

「アリシアちゃんは本当に力持ちね」

 自分の体よりずっと大きいタシファレドを持ち上げても、アリシアは顔色一つ変えない。ルキナはアリシアに感心する。すると、タシファレドが顔を上げた。

「見せもんじゃねぇよ」

 タシファレドが舌打ちをする。タシファレドはルキナに対して強がっているが、顔は真っ赤で恥ずかしいという本心は全く隠せていない。腰を抜かしてしまった上に女の子に運ばれているなんて、タシファレドも、己をふがいないと思っているようだ。

「え?見世物以外の何物でもないでしょ?」

 ルキナは、タシファレドが可愛く思えてきて、調子にのってからかう。今、タシファレドにルキナに仕返しをする手段はない。タシファレドはただ言われっぱなしになるしかない。

「…下ろせ」

「まだたっちゃん自分で歩けないでしょう?」

 タシファレドは屈辱に顏を歪ませながら、アリシアに下ろすように言ったが、アリシアに却下されてしまった。タシファレドは大げさに舌打ちをして、またアリシアの体に顏をうずめた。ルキナは、そんなタシファレドの言動を見て、きゅんとした。

「良いわ。良い。正直、タシファレドのことは好きになれなかったけど」

「ぶっちゃけますね」

 ルキナが無意識に呟くと、シアンがつっこみを入れた。ルキナはシアンの声も無視して、そっと両手を合わせ、目を閉じた。

「萌えをありがとう」

 ルキナは、タシファレドとアリシアのカップルに拝んだ。シアンとハイルックがルキナのことを奇異の目で見ていたが、ルキナはそんなことも気にならなかった。

 その後、ルキナたちはユーミリアや他のみんなと合流した。

「先生、ご無事ですかー!?」

 ユーミリアがルキナに飛びつく。そのすぐ近くでは、イリヤノイドがシアンに抱きついていた。

「はいはい、無事無事」

 ルキナは慣れたように適当に受け流す。

 ルキナたちの横を、見覚えのある若者たちが通って行った。バクナワを見るために海に来たと話していた人たちだ。

「見られて良かったね、バクナワ。けっこう怖かったけど」

「一応お目当ての物は見れたわけだけど、まだ通うのか?」

「バクナワもうこりごりだよ」

 実際にバクナワを目にした結果、若者はバクナワに憧れを抱くのをやめてしまったらしい。彼にとって怖い経験となってしまったのだろう。そんな彼らの話を聞いて、ルキナはユーミリアと顔を見合わせて笑った。ユーミリアの方が飽きるくらいバクナワを見ている。あの若者たちは比べ物にならないほどたくさん。

「こっちこそ懲り懲りよね」

「そうですね。もう百年くらい、顔も見たくないですね」

 ルキナとユーミリアが笑っているのを、みんなが見ていたが、誰にも会話の意味は理解できなかった。でも、二人とも、他の誰かに理解してほしいとは思わなかった。これは二人だけの秘密だ。

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