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厄介な弟デスケド。

 ルキナは、ミユキ・ヘンミル宛てに送られてきたファンレターの山に手を伸ばす。その中から一通の封筒を適当に選んで中を確認する。

「姉が先生の作品が好きで、気になったので僕も読んでみました。その中の一冊に兄妹が結ばれる恋愛物語があり、感動しました。あの話が一番好きです。しかも、あれが演劇化すると聞いた時は本当にうれしかったです。現実も、あのように、素敵であったら良いのにと思いました。よろしければ、また兄弟が結ばれる物語を書いてください。先生の力があれば、姉もそういう恋愛を受け入れてくれるかもしれません。姉弟の物語だとより嬉しいです。」


「チグサ!」

 ルキナはチグサの姿を確認し、名前を呼ぶ。ちょうどチグサを探していたところだった。

 上級学校に入学してから一か月と少しが経った。ルキナもクリオア学院での生活に慣れてきた。一方、チグサはルキナより一年先にこの学院に入学しているのでここでの生活はお手の物だ。それでも、後輩がいるという状況にはまだ若干慣れていない。たった一年、後輩がいなかっただけで、違和感がある。

 ルキナに呼び止められたチグサは眠そうな顔をしている。なんだかけだるそうな、元気のなさそうな顔だ。でも、これがチグサのデフォルトだ。基本的に無表情で、何があっても大きなリアクションをとることはない。

(ナマケモノみたい)

 ルキナは親しみを込めて、チグサをナマケモノに例えている。おっとりした性格とゆっくりな話し方はナマケモノと例えるにふさわしいだろう。

 チグサは、ルキナが紙の束を持っていることに気づく。そして、ルキナが何の用で話しかけてきたのかも理解した。

「時間ある?」

 ルキナが紙の束を持ち上げて尋ねる。チグサはすぐに頷いた。ちょうど昼時だったので、二人は食堂に向かった。昼休みに入った学生たちで混みあっている食堂の中を進み、向かいあって座った。

「じゃあ、よろしくお願いします」

 ルキナはチグサに紙の束を渡す。ルキナが渡したのは小説の原稿だ。次のミユキ・ヘンミルの作品だ。これをチグサに読んでもらうのだ。チグサには自分が小説家であることを伝えてある。彼女は口が堅いし、読書家なのでルキナの手助けをしてくれる。こうして書きあげた小説をチグサに読んでもらい、感想や直すべきところを教えてもらう。学生として生活しながら小説を書いているルキナにとって、編集者との打ち合わせがなかなかできない中、読者としての言葉を教えてくれるチグサの存在はとても大きなものだ。

 チグサは、ルキナの原稿を読み始める。指で文字の上をなぞる。マクシスからチグサは本を読むのが速いと聞いていたが、指の動きを見る限り、特段速く読んでいるわけではなさそうだ。実に平均的なスピードだ。

(片目だと、いろいろ不便そうね)

 ルキナはチグサの眼帯で隠された右目を見る。黒色の皮のような素材でできた眼帯にビーズで蝶の形の装飾がされている。これはシアンがチグサに贈ったものだ。シアンがプレゼントしたのはだいぶ前のことになるが、チグサは今も大事に使っている。

 ルキナは、眼帯を見続けたら透けてその奥が見えるのではないかと無意味な期待をする。ルキナは一度もチグサの右目を見たことがない。なぜ眼帯をしているのか尋ねたことはあるが、チグサは決してその質問に答えない。それこそ重大な秘密があるのだろうが、隠されれば隠されるほど気になるものだ。

(やっぱり眼帯は厨二心をくすぐるわ)

 ルキナがぼんやりと考え事をしながらチグサの読書姿を眺めていると、その彼女の横にいつの間にかマクシスがいることに気づく。チグサはマクシスが隣にいることに気づいていないはずはないのに、無視をして読書を続けている。

「チグサ」

 ルキナが呼びかけると、チグサが顔を上げた。ルキナはくいくいと顎でマクシスを指す。マクシスはチグサの横顔を見つめてうっとりしている。その隙に、チグサはルキナに原稿を返した。マクシスにはルキナが小説家であることは話していない。原稿を読まれるわけにはいかない。

「マクシス、奇遇ね。こんなところで会うなんて」

 ルキナは努めて笑顔で言った。危うく秘密がマクシスに知られてしまうところだったので、少し動揺している。

「そうだね。姉様がいつものところにいなかったから探しちゃったよ」

 マクシスがそう言うので、ルキナはチグサにマクシスと待ち合わせをしていたのかと尋ねる。チグサはその問いに首を振る。マクシスのことだ。チグサの行動を把握して、勝手に待ち伏せているのだろう。

「今日も僕がお手伝いしますね」

 マクシスがフォークを使ってチグサのご飯を持ち上げる。チグサは片目でしか物が見えないので距離感がつかめないのか、食事をとるのも苦労している。家にいる間は使用人が手伝ってくれるのだが、ここに使用人はいない。そんな時、マクシスがチグサの食事の手伝いを申し出た。普段はマクシスの好きなようにやらせても問題はないが、今はルキナと小説について話そうとしているところだ。マクシスにいてもらっては困る。

「まーくん、今日は…」

「大丈夫よ。ご飯を食べてからゆっくり話しましょ」

 チグサがマクシスを退席させようとしたが、それをルキナが止めた。せっかくマクシスと話すチャンスだし、小説の話をするのを後回しにしても今のところ問題はない。

「では、姉様、はい、あーん」

 マクシスがチグサにご飯を食べさせる。チグサは食べるのが好きだ。実は暴食で、その細い体のどこに入るのかと疑問に思うほどたくさん食べることがある。マクシスの手によって口に入れた料理を噛んで、チグサが嬉しそうにする。といっても、表情はほぼ変わらないので、マクシスくらいにしか顔の変化には気づけない。

「チグサもどこ行っても変わらないわね」

 ルキナはチグサがパーティ会場で食事に集中して、いろいろと食べまくっていたことを思い出す。ルキナもチグサが嬉しそうなのは感じているが、表情からわかったわけではなく、ただ雰囲気で察しているだけだ。

「姉様は姉様だからね」

 マクシスがこれまた嬉しそうに言う。決して胸を張るような話をしていたわけではないが、なぜかマクシスは誇らしげだ。

「そういえば、マクシスのご飯は?まだ買ってないの?」

 ルキナはマクシスの前に彼の分の料理が置かれていないことに気づく。いつもならチグサと同じメニューを選んで、チグサがもぐもぐしてる間に自分も一緒に食べている。チグサと喜びを分かち合いたいとかなんとかで。

「後で食べるよ。今は姉様が優先だから」

 マクシスはチグサの食事の面倒を見るばかりで、自分の昼食のことはあまり考えていない。チグサもマクシスのことが心配になって、「買って来たら?」と勧める。しかし、マクシスは席を立とうとしない。

「姉様のご飯を中断させて待たせるわけにはいかないので」

 マクシスはチグサの幸せを一番に考えている。チグサが関わっているなら、自分のご飯など後回しにして当然だ。

(まあ、いいか。マクシスがご飯食べている間にチグサと打ち合わせができるし)

 マクシスが良いと言うのだから良いのだろう。必要以上に口をはさむことはない。今はマクシスと話せる時間を有意義に使って、後でゆっくりチグサと小説の話をすれば良い。

 主にルキナとマクシスが談笑しながら、ルキナとチグサの食事をすませた。ルキナとチグサが椅子から立ち上がる。昼食を終えたのに食堂にいる意味はない。一向に人が減る様子のない食堂を後にする。

 食堂を出たところで、くるりとルキナが体の向きを変える。ルキナの体がマクシスの方に向く。

「マクシスはいつまでついてくるの?」

 ルキナはマクシスの顔を見て問う。マクシスはまだこれから昼食だ。食堂に残って料理を買いに行くべきだ。でも、なぜかマクシスはルキナたちから離れようとせず、何食わぬ顔して一緒についてこようとしている。

「いつまでって…いつまでも?」

 マクシスが首を傾げながら答えた。彼にとって最優先事項はチグサと共に過ごすこと。言ってしまえば、チグサと一緒にいることは彼の中では常識なのだ。わざわざルキナが質問してくるのが理解できない。

「じゃあ、どこまでついてくるわけ?」

 ルキナは、マクシスの言い方に少しむかついて睨むようにマクシスを見る。マクシスはチグサ中心にしか物を考えていない。わかってはいたが、自分が全く相手にされていないのは不愉快だ。

「どこまでも!」

 今度はマクシスも自信満々に答えた。ルキナは大きなため息をついた。マクシスの実に単純な思考回路に頭を悩ませる。

(普通にやってもマクシスはチグサから離れないか)

 ルキナはこれからチグサと内緒の話をしようと思っていた。何としてでもマクシスから距離を取りたいところだ。

「チグサ、行きましょ」

 ルキナがチグサの手首を掴んで歩き始める。マクシスが何も言わないでついてくる。ルキナはチグサを引っ張って走り始める。すると、マクシスもスピードを上げた。堂々としたストーカーだ。

(こうなったら意地でも逃げ切ってやるわよ)

 ルキナはチグサを連れて、近くにあった建物に入る。廊下を走り、階段を駆け上る。マクシスをまくつもりで、複雑な動きをして建物内を回る。マクシスの姿が見えなくなったところで二人は別の建物に移り、とある部屋に身をひそめた。窓際に体を寄せ、姿勢を低くする。

 少ししても廊下から足音やマクシスの声が聞こえてこない。

「まけたかしら」

 ルキナは様子を伺うように少し離れた部屋の出入り口に目をこらす。チグサは黙ってルキナにつきあっている。チグサは意外と体力があるほうで、息はまったく切れていない。

 ルキナは立ち上がって廊下の方に目を向け続ける。マクシスが近づいて来る気配がない。本当にまけたのかもしれない。ルキナが安堵の息を漏らす。隣にいたチグサも立ち上がる。これで落ち着いてチグサと話せる。

「かくれんぼでもするつもりなんですか?」

 マクシスの声だ。後ろから聞こえる。ルキナは背後を振り向く。すると、窓から入ってこようとしているマクシスがいた。

「キャー!」

 ルキナはホラー映画なみの悲鳴を上げた。ホラーが特別苦手ではないルキナも、さすがにこれには驚いた。

 ルキナはまたチグサの手首を引っ掴み、その場から駆け出す。勢いよくドアを開け、部屋から飛び出す。その後も、マクシスから身を隠そうと、ロッカーに入ってみたり、倉庫にあった布の下に隠れてみたりした。しかし、何をしてもマクシスはチグサを見逃さない。

「何なのよ、あの弟は」

 ルキナが嘆くように言うと、チグサが苦笑いをした。普段はマクシスが何をしようが反応を見せないが、もしかしたらチグサだってマクシスの行き過ぎた愛に迷惑しているのかもしれない。

 二人は女子トイレにも避難したが、マクシスは悪びれることもなく女子トイレに堂々と入ってきた。そのマクシスの態度を見て、ルキナはもうだめかもと思った。

 ルキナはチグサの手を引いて走り続けた。廊下を走っていれば、いつか誰かとぶつかる。曲がり角で死角になっていたところから現れた人物に、ルキナは思い切りぶつかりに行ってしまった。

「あ、ごめんなさい」

 ルキナは相手の体から離れながら謝罪をする。

「お嬢様?」

 なんとぶつかった相手はシアンだった。ルキナが飛び出してきたので、シアンも驚いている。

「ちょうど良かった。シアン、マクシスの暴走を止めて」

 ルキナは背後に迫ってきているマクシスを確認する。そして、シアンの背中に隠れるように、チグサと一緒に移動する。ルキナは、シアンの背中から様子を伺う。

 マクシスがどんどん近づいて来る。しかし、シアンはどんと構えて身動きしない。ただマクシスがやってくるのを待つ。

「あれ?シアン。姉様がどこにいったか知らない?」

 マクシスがシアンに気づく。ルキナは慌てて壁の奥に頭をひっこめる。シアンが足止めをしてくれそうなのに、見つかってしまっては元も子もない。

「マクシス、パンが焼けたって聞いたから探しに来たんだけど」

「パン?」

 シアンはマクシスをパンで釣るつもりらしい。でも、マクシスはピンと来ていないようだ。そわそわしているので、早くチグサを探したいのだろう。

「うん、パン。前に言っていただろ?チグサ様が好きなパン。焼きあがる時間が不定期だって」

 シアンがそこまで言うと、マクシスが納得したような顔になった。

「姉様に買ったら喜んでもらえるかな」

 マクシスが呟いた。シアンがその呟きに大きく頷いた。マクシスはチグサの好物を手に入れることにしたらしい。チグサを探すのはやめて、ルキナ達とは反対の方向に歩き始めた。

「やるわね、シアン。マクシスってばチグサにGPSでもつけてるのかと思ったわ」

 ルキナが壁の陰から出てシアンを褒める。シアンがルキナに呆れ顔を向ける。ルキナが変なことをしでかしたとでも思っているのだろう。

「まあ、いいわ。おかげでやっとチグサと話せるわ」

 ルキナはカバンの中に原稿があることを確認する。

「お嬢様、もう授業が始まる時間ですけど」

 シアンの言葉を聞いて、ルキナは手の動きをピタリと止める。マクシスから逃げるのに時間を使ってしまい、結局、目的のための時間を確保できなかったようだ。

「チグサ、寮でやりましょ」

 ルキナは昼にチグサと秘密の話をするのは諦めた。女子寮にはさすがにマクシスも近づいてこない。放課後、どちらかの部屋に集まるのが一番良さそうだ。

「厄介な弟をもつと大変ね」

 ルキナが他人事のように言う。チグサは何も言わなかった。しかし、ほんのわずかだが、頷いたように見えた。

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