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散々な文化祭デスケド。

「先生!先生!どうでした!?」

 ルキナたちのクラスの劇は無事に公演が終了し、ユーミリアは褒めてほしそうにルキナの周りをうろちょろする。

「良かったってさっきも言ったでしょ。ほら、早く、集計して。午前中の分を開票しちゃわないと、またすごい数溜まるんだから、手を動かす」

 ルキナははしゃぐユーミリアの前にどんっと投票箱を置いた。この箱の中には、ミスコンとミスターコンの投票用紙が入っている。まだ初日で数はたかが知れているが、半日ごとに集計することで、最終日の負担を減らそうとしている。ルキナは箱の中から投票された投票用紙を取り出し、枚数を確認する。枚数を数えるだけの単純な作業だが、機械化してしまいたい気持ちに駆られる。

「どうせ今はどこの展示も休憩入ってるし、飲食系は混んでるから、今のうちにやっちゃうのがチャンスなのよ」

 ルキナはユーミリアにさっさと働けと言う。

「はい、これで十枚」

 無理矢理十枚の投票用紙の束を押し付けると、ユーミリアは渋々受け取った。十枚の束がバラバラにならないようにまとめる。

「もうちょっと褒めてくれても良いんじゃないですか?」

 ユーミリアはぶつぶつと文句を言いながらも、やっと手を動かし始めた。

「だって、主演ですよ、主演。仕事でも演劇はやったことないのに。そりゃあ、先生の書いた脚本ですから頑張って練習はしましたけど。でも、ちょっと褒め足りないと思いません?」

「褒めてほしかったら手を動かしてちょうだい。これ終わらない限り、私の文化祭は始まらないのよ」

「文化祭はもう始まってますよ。なんならクラスの出し物終わっちゃいましたから、文化祭終わったも同然ですけど」

「私、まだ遊んでないのよ。ずっと生徒会の仕事と、劇の裏方。まだどこも見てないじゃない。ユーミリアも、私とデートだって言ってたけど、今のところ、それっぽいことは何もできてないのよ」

「私は、先生と一緒にいられればそれで良いですから。でも、それより、先生。先生もデートだって思ってくださってたんですか?」

 ユーミリアが感激のあまりルキナに抱きつこうとした。しかし、ルキナは先にユーミリアを睨みつけ、制止した。

「別にデートとか思ってないわよ。あんたが勝手に言っただけだし。でも、楽しんでないのは本当じゃない」

「そうですね。それじゃあ、早く終わらせないとですね」

 ユーミリアにスイッチが入り、作業速度が上がった。

「あ、そういえば」

 なんとか気になってたイベントの時間には間に合いそうだと思った矢先、ユーミリアの手がぴたりと止まった。

「劇の直前に話してたのって何ですか?」

 ルキナは、手を止めたまま質問をするユーミリアの手元を見る。すると、ユーミリアがはっとして、また手を動かし始めた。

「あれね。別に私がどうこうとかの話じゃないのよ。ただ、無条件に信じていた人を疑うべきかもしれないと思っただけ」

「ルイス様のことですか?」

「うん。私、シアンとルイス様は仲が悪いんだと思ってたの。でも、違ったみたい。シアンはルイス様のことが苦手っていうか…怖がってるみたいなの。実際、シアンがルイス様と話した後は、なんでか体調悪そうだし」

「体調が悪くなるんですか?」

「うん。しかも、それはシアンだけじゃなくて、チグサもみたいなの。ルイス様が何をしているのかは本当にわかんないんだけど、チグサはシアンがルイス様にとられるのを恐れてて。シアンはそう簡単に傷つけられるような人じゃないけど、いつでも、誰が相手でも強いわけじゃないのよ。だから、守ってあげるなんて言い方はおこがましいけど、シアンが危ないなら、私も協力するつもりだっていう話」

 ルキナは作業の区切りがついたので、一息つく。そして、すぐに新しい作業に入る。

「先生の身の危険は?」

 ユーミリアが心配そうにルキナの顔を見て問う。ルキナの話は具体性を伴っていないので、ユーミリアが知りたいことは何も聞けていない状態だ。ルキナはユーミリアの顔をチラリと見て、ふっと笑った。

「何かあったらっていうのは、私が動けない時のことを言っただけで、たとえば今とか、生徒会の仕事に縛られてる間はシアンのことを気にしてられないでしょ?そういう時、ユーミリアが少し気にしててくれたら嬉しいなって」

「それならそうと早く言ってくださいよ。先生が危ない橋を渡るつもりなのかと」

 ユーミリアがあからさまに安堵した。ルキナはユーミリアに必要以上に心配させるようなことを言って申し訳なかったと思った。チグサの身は心配だが、今のところ、ルキナの身に何か起こるという心配はない。それに、今は、もし、本当にルイスが自分たちと敵対する立場にあったとしても、ルキナがルイスを疑っているということはルイス本人には知られていないはずだ。案ずるような危険はないと思われる。

「私は誰より自分が大切だからね。そんなことしないわよ」

 ルキナが茶化すようなことを言うと、ユーミリアがルキナをじっと見つめた。

「なによ」

 ルキナは、何も隠していることはないのに、ユーミリアに何かを見透かされそうな気がした。

「いいえ、先生は嘘をつくのが下手だなって思っただけですよ」

「嘘って。別に嘘なんか」

「自分が一番大事な人は、背中に怪我なんかしませんよ」

 ユーミリアがニッコリ笑う。ルキナはぞくっとして無意識に自分の背中をさすった。ユーミリアは、ルキナがシェリカを守るために身を呈してかばったことを言っているのだろう。しかし、その話はユーミリアにはしていない。なぜユーミリアは話してもないことを知っているのだろう。

「そんなに怖がらないでください。シェリカ様から聞いただけですから」

 ユーミリアはそう言って、片づけを始めた。とりあえずの集計が終わったのだ。

「なんでシェリカのそんな話を」

 ルキナは冷や汗をかきながら、さも何でもないように尋ねる。

「世間話をしただけですよ」

 ユーミリアはルキナが怯えているのを見てふふっと笑う。

「やっだなー。別にシェリカ様を問い詰めたりしてませんって。そんなことしてたら、シェリカ様はたぶん私と一生口をきいてくれませんよ」

「…そうね」

 ルキナは一瞬ユーミリアが恐ろしいものに見えたが、そんなはずはないと自分で否定する。ルイスの件で疑心暗鬼になっているのだ。悪い傾向だ。

「ごめん」

 ルキナは、ユーミリアに変な疑いをかけてしまったことを謝る。ユーミリアは「謝ることではありませんよ」と笑う。

「まあ、先生の身に取り返しのつかない何かが起ったなら、拷問でもして聞き出しますけどね」

「怖いこと言わないでよ」

「冗談はさておき、仕事も終わったことですし、早く行きましょう」

 ユーミリアがルキナの腕にくっついた。ルキナは一つため息をついて、廊下に出る。

「私、外のステージで見たいのがあるんだけど、良い?お昼ご飯、遅くなっちゃうけど」

「もちろんですよ。先生の行きたいところに行きましょう」

 ルキナはユーミリアと一緒に外に出る。外はやっぱり暑かった。ユーミリアがくっついているので、より一層暑さを感じる。

「「「ユリアたーん!」」」

 外では、ユーミリアの帰りを待っていたファンがいた。ユーミリアが後で話をしようと言ったので、こうして待っていれば話ができると思ったらしい。

「ユリアちゃん、この前のライブで目が合ったよね?」

「違う!あれは俺と目が合ったんだ」

「ユリアたんが困ってるだろ」

 ファンたちがいがみ合う。ユーミリアはこのままファンを残しておけないからと、ルキナに先に行っているように言った。このままユーミリアと一緒にファンの相手をしていたら、ルキナのお目当ての出し物を見損ねてしまう。

「ほどほどにしなさいよ」

 ユリア・ローズと話ができると噂を聞きつけたファンたちがどんどん増えていっている。これでは際限なく増え続けてしまうだろう。ルキナはユーミリアに困ったら自分を呼ぶように言って離れる。

 ルキナが野外ステージに向かって歩いていると、一人でぼんやりとしているノアルドを見つけた。

「ノア様、こんなところでどうしたんですか?」

 ルキナがノアルドに声をかけると、ノアルドはルキナに笑顔を向けた。

「こんにちは、ルキナ。なんだか久しぶりですね」

「そうですね。ミッシェルは?」

「ミッシェルは今飲み物を買ってくると走って行ってしまったんですよ」

「それでこんなところで待ってるんですか?せめて日陰で休んだ方が」

「それもそうですね」

 ノアルドは、ルキナに言われた通り日陰に移動した。ルキナはそこまで一緒についていく。

「あ、そうだ。ノアルド様、お話があるんです。文化祭が終わった後でも良いので、聞いていただけますか?」

 ルキナは、ノアルドにも自分の気持ちに答えが出たと報告しなければならないことを思い出した。これだけ聞いて、ノアルドは何の話か察したのだろう。一瞬、寂しそうな顔をした。

「今でも構いませんよ」

 ノアルドが周囲をきょろきょろと確認する。人がいないか確認したのだ。

「少しこちらへ」

 ノアルドが近くの建物の裏にルキナを連れて行く。ここならわざわざ来る人は少ない。内密な話も聞かれる可能性は低い。

「日陰側どうぞ」

 ノアルドはルキナを建物の壁側に立たせた。

「いえ、ノア様こそ」

「良いですよ」

 一応、ノアルドの立っている場所も日陰になっている。

「どうぞ。答えが決まったんですよね」

 ノアルドがルキナに話すように促した。

「はい…。私、シアンのことが好きです。だから、ノア様のお気持ちにお答えすることはできません。でも、ノア様に好意的に思ってもらえて嬉しかったです。そういう気持ちを正直に話してくださって嬉しかったです」

 ルキナは、自分の気持ちを確かめるようにゆっくりと話していく。ノアルドはそれを静かに聞いている。ノアルドはこの時をずっと覚悟していた。

「私の答えを聞くまで待っていてくださってありがとうございます。それで、婚約のことなんですけど…ノア様?」

 ルキナが話をしていると、突然、ノアルドの様子がおかしくなった。ノアルドがルキナの肩を掴み、壁に押し付けた。

「ノア様?あの…?」

 ルキナはわけがわからず、ノアルドの名前を呼び続けることしかできなかった。そうしているうちに、ノアルドは頭が痛いのか、ルキナを壁に押し付けたまま、右手で顔を押さえ始めた。

「ノア様、大丈夫ですか?」

 ルキナが心配して声をかけると、ノアルドが顔を上げた。ノアルドがルキナの目を真っすぐ見る。ルキナがノアルドの目を見つめ返していると、ノアルドの青色の目が一瞬赤くなったように見えた。

「ノア様…痛いです…!」

 ノアルドが、ルキナの肩を掴む左手に力を込めた。ルキナは痛みに顏をしかめる。すると、耳に知らない言語の言葉が聞こえてきた。ノアルドがぶつぶつと何かを言っているのだ。ルキナが目をあけて確認すると、ノアルドは右手をルキナの顔にかざしていた。ルキナの視界が光で奪われる。

(魔法!?)

 ルキナはノアルドが何をしているのか理解する。

「やめてください!」

 ルキナは思いきりノアルドを押した。ノアルドは呪文を唱えるのに集中していて、ルキナに押されるとは思っていなかったらしい。ノアルドがよろめいた。その時、ノアルドの服から何かが落ちた。ルキナはノアルドが落とした物が気になったが、そんなことを気にしている場合ではなくなった。

「うっ…くぅ…。」

 激しい頭痛がルキナを襲った。ノアルドに魔法をかけられたせいかもしれない。ルキナは頭痛に苦しみ、両手で頭を押さえる。手で頭を押さえたところで痛みが治まるわけではないが、そうする他ない。

「お嬢様!」

 シアンがルキナのことを大声で呼びながら現れた。ルキナの身に何かあったのだろうと察して走ってきたようだ。だが、ルキナは返事ができない。

「お嬢様、何があったんですか?」

 シアンがルキナに駆け寄り、声をかける。シアンは頭を押さえて苦しんでいるルキナと、なぜか呆然と立ち尽くしているノアルドとを見て、状況把握をはかった。そして、ノアルドがルキナに危険な魔法を使ったのだろうと結論を出すと、シアンはルキナを守るように前に立ち、ノアルドを鋭く睨み上げた。突然、シアンの周りの温度が下がった。霜が降り、草が氷に覆われ、その範囲が広がっていく。

「たとえあなたであろうとも、許しはしない」

 シアンの目が光る。赤い瞳が煌々と輝く。シアンの感情が昂ぶっている。魔法は精神状態に深く関わっているので、シアンが感情的になるに伴って、シアンの魔法が暴走を始める。シアンとルキナを囲むように氷の柱がいくつもできあがり、先端がとがる。まるで外敵から身を守るウニのようだ。

「あ…え?」

 ノアルドが素っ頓狂な声を出す。シアンとルキナ、氷の柱を見、驚いている。状況ができてないように見える。ルキナに魔法をかけたのは、ノアルド本人であるはずなのに。

(やっぱり、魔法を使ったのはノア様本人じゃないんだわ。シアンに言わなきゃ)

 ルキナは朦朧とする意識の中考える。

「シアン」

 ルキナはシアンの服を引っ張る。シアンの暴走を止めようとする。しかし、限界がきてしまって脚の力が抜ける。

「お嬢様?」

 シアンがはっとして、倒れそうなルキナを支える。ルキナはそのまま気を失ってしまった。


 目が覚めた時には、医務室のベッドの上にいた。シアンがここまで運んでくれたらしかった。

「ミューヘーンさん、どこか痛いところとか、気分が悪いとかないですか?」

 養護教諭がルキナに優しく声をかける。もう初日の文化祭は終わってしまったらしく、廊下から、明日の準備に勤しむ生徒たちの声が聞こえてくる。

「あなたのお母さんが来てくれるみたいですから、一緒に病院に行ってくださいね」

 養護教諭は、ルキナの反応がないので、メアリが来ることだけ伝えて離れた。他にも体調不良者がいるため、ルキナにつきっきりというわけにもいかないのだ。

(ノア様、大丈夫かしら。たぶん、誰かに操られてあんなことを…)

 ルキナはぼんやりと天井を見ながら考え事をする。ノアルドがルキナに対して使った魔法が何なのかわからない。その検査のために病院に行くのだろうが、なんだか気分が沈む。

(ノア様、シアンに責められてなければ良いけど)

 ルキナは、ノアルドは悪くないと思っている。でも、シアンがどれだけ状況把握できているかによって、ノアルドを必要以上に責めてしまう可能性がある。

「いっ…。」

 急に頭が痛くなって、ルキナはベッドの上で丸くなる。目が覚めてすぐは何ともなかったのに、また突然頭痛が始まった。

(痛い痛い痛い痛い…)

 ルキナはあまりの痛さに悲鳴を上げたくなった。でも、必死にこらえる。

(助けて。誰か助けて。助けてよ、シアン!)

 ルキナは思わず心の中でシアンに助けを求めた。シアンにこの頭痛が止められるとは思っていない。でも、ここにシアンがいてくれないことが不安でしかたないのだ。ルキナは痛みに耐えながら、心の中でシアンの名前を呼び続ける。

「ルキナ!」

 不意に名前を呼ばれた。ルキナは体を起こして、名前を呼んだ人物を確認する。

「お母様…?」

 メアリが見たことないほど焦った顔で立っていた。そういえば母親が来ると言われていたと、ルキナは激しい痛みの中思い出した。

「頭が痛いの?」

 ルキナの苦しそうな顔を見て、メアリが泣きそうな表情になって言う。ルキナは、その母親の心配でいっぱいの顔を見たら安心して、涙が出て来てしまった。

「うん…。」

 ルキナは泣きながら頷く。すると、メアリがルキナの顔に手を伸ばし、指でルキナの涙を拭った。そして、ぎゅっとルキナのことを抱きしめた。

「辛かったわね。ほら、早く病院に行きましょう」

「うん…。」

 ルキナはメアリと一緒に医務室を出た。馬車まで、ルキナは子供みたいにメアリに抱きついて歩いた。メアリは、自分の服がルキナの涙で濡れることなど全く気にせず、娘を抱き寄せ、頭を撫でた。馬車に乗っても、メアリはルキナの頭を撫で続けた。

 ルキナが連れられて行ったのは、王都で一番大きな病院だった。ベルコルの家が経営している病院だ。ルキナはそこで様々な検査を受けた。見たこともない機械を使った検査がいくつもあった。事前にルキナのことは学校から連絡が入っていたので、検査までさほど時間はかからなかった。検査を一通り終えると、ロビーで結果を待つように言われた。ルキナが頭痛を訴え、ある程度の検査を終えた時点で、鎮痛剤を処方してもらえた。その薬のおかげで、随分と痛みが和らいだ。

「遅いね」

 メアリが薬の副作用でうとうとしているルキナに言った。検査までの時間はかなり短かったが、検査結果が出るまでが長い。他の患者たちは診察を終え、すぐに帰って行く。ルキナたちだけがいつまでも帰れないでいる。

「そんなに悪いのかしら」

 メアリが深刻そうな顔をする。待ち時間が結果に関係はないとしても、待たされれば待たされるほど不安になってくるものだ。

「大丈夫だと思うよ」

 ルキナは小さく欠伸をしながら言った。

「ミューヘーンさん、結果が出ましたので、こちらへ」

 座って待っていた親子のもとへ、一人の看護婦が呼びに来た。ルキナたちは立ち上がって、案内されるままに診察室に入った。

「ミューヘーンさん、どうぞこちらへお座りください」

 診察室には男性医師がいて、向かいの椅子に座るように言った。ルキナとメアリは用意された椅子に座る。

(最初と違う先生だ)

 検査結果をドキドキしながら待っているメアリの横で、ルキナは吞気にそんなことを考えた。最初にルキナを診察した人はもっと若い男性だった。これだけ大きい病院だし、医師が何人いてもおかしくはない。この医師は何かしらの専門医なのかもしれない。なんらおかしいことはないはずなのに、ルキナは違和感を覚えた。

「何も異常はありませんでした」

「え?」

 ルキナが他事を考えている間に話が進んでいたようだ。結果を告げる医師の声と驚いたメアリの声が聞こえてきた。

「魔法を受けたというお話でしたが、そのような形跡も見つかりません。頭痛の原因としましては、疲労やストレスかと」

 メアリはこの医師の言葉に納得できないようで、疑うような視線を向けた。しかし、医師は全く意に介さなかった。

「痛みを抑える痛み止めを処方しますので、そちらを飲んでいただいて、しばらく様子を見ましょう」

 医師は言いたいことを言ってしまうと、ルキナたちを追い出すように診察室から退室させた。

「なによ、お母様。異常がないならその方が良いじゃない」

 腑に落ちないという顔をしているメアリをルキナが笑う。

「別に異常があってほしいわけじゃないけど、あんなに痛がっていたのに…。」

 メアリは、異常がないという結果に素直にほっとできない様子だった。ルキナもその気持ちは少しわかったが、この結果を伝えればノアルドが安心すると思って、喜びの方が勝っていた。

「薬もらって帰ろ」

 ルキナはメアリの腕を引く。メアリはルキナに急かされ、腑に落ちないながらも病院を後にした。

「本当に文化祭行くの?」

 病院から学校へ向かう馬車の中、メアリがルキナに確かめる。既に何度も聞かれた質問だ。ルキナは、正直少しうんざりしていたが、メアリに心配をかけてしまったのは事実だ。メアリの優しさを無下にはできない。

「行くよ。生徒会の仕事が残ってるし。異常がないなら、薬飲んでれば大丈夫でしょ」

 ルキナは楽観的に答える。もらった鎮痛剤も完全に痛みを消せるわけじゃない。副作用も強いし、薬だけに頼るのは良くないだろう。それでも、辛かったのは頭痛だけで、何も悪いところがないのなら文化祭には出たい。

「体調が悪くなったらすぐに休むのよ」

 メアリは、娘の学校生活の楽しみを簡単に奪うことはできず、結局学校に戻ることを止められない。

「うん、わかってる」

「文化祭が終わってもまだ頭が痛いようだったら、他の病院も行くから」

「うん」

 何度も同じやり取りをした。ルキナは、それほど心配するメアリのもとから離れるのは不安ではあった。自分よりメアリの方が体調を崩しそうだ。それでも、文化祭に戻りたいというルキナの意思は固かった。

「それじゃあ、お母様、気をつけて」

 学校の前に止まった馬車から、ルキナが一人で降りる。メアリは馬車に乗ったままルキナの顔を見る。

「文化祭終わったら一回家に帰るから。すぐに夏休みだし」

 ルキナはメアリに笑顔を見せる。メアリは渋々頷いた。馬車の扉が閉まり、馬車が動き出した。ルキナは手を振って見送る。

「ふぅ…。」

 馬車が見えなくなると、ルキナは思わず大きく息を吐いた。

(さっ、帰ろっと)

 ルキナは寮に向かって歩き始めた。もう夕食の時間はとうに過ぎ、夏でももうすっかり夜だ。そんな時間でも、明日のための準備をしているのか、学校の灯りがちらほらついているのが見える。こんなに人が出歩いている夜は珍しい。文化祭のこういうところが、ルキナは好きだ。

 ルキナは真っすぐ寮に戻り、帰ってきたことを示すプレートを壁に貼った。

「先生」

 ルキナが自分の部屋に向かおうとした時、ユーミリアが声をかけてきた。

「先生、大丈夫ですか?どこか悪いんですか?病気ですか?怪我ですか?誰かに襲われたんですか?」

 ユーミリアは寮の入り口でずっとルキナの帰りを待っていたようで、待ちかねていたとルキナに飛びついた。そして、ルキナの体をぺたぺたと触り、異変はないか確かめる。ルキナはそれがうっとうしくて、ユーミリアを引きはがした。

「やかましい」

 ルキナが怒ると、ユーミリアが目に涙をためた。さっきまではしゃいでいたので、ルキナはそんなユーミリアの反応にぎょっとした。

「ユーミリア?」

「本当に先生の身に何かあったのかと思って…だって、先生、自分の身に何かあったら、みたいな話してたし…。」

 ユーミリアは今にも涙が溢れそうになりながらルキナに抱きついた。ユーミリアが泣きそうなのを見て、さすがに今度はルキナも引き離すことはできない。

「あの時は本当に身の危険を感じてたわけじゃないのよ」

「やっぱり何かあったんですか?」

 ルキナはユーミリアの反応が予想と違ったので驚く。どうやらユーミリアはルキナの身に何があったのか知らないようだ。

「シアンから聞いてない?」

 ルキナの問いに、ユーミリアが首を横に振る。どうやら、シアンはルキナとノアルドの間で起こったトラブルに関して、言いふらすようなことはしていないようだ。

(まあ、あのシアンが確証もないのに人に言うわけないか)

 ルキナはユーミリアの頭をぽんぽんと優しく撫でる。

「何があったかは落ち着いてから話すわ」

「わかりました」

 ルキナたちが寮の玄関付近で騒いでいると、シェリカとティナが顔を見せた。

「ルキナ様、お帰りなさい。お身体は大丈夫ですか?」

「大丈夫よ」

 シェリカも、ルキナが病院に行っていたことは知っているようだ。ルキナは、シェリカに心配してくれてありがとうと伝える。

「ルキナ様、一つ、伝えておきたいことがあるんですけど」

 シェリカが改めて話を切り出した。

「何?」

 ルキナが尋ねると、シェリカが心を落ち着けるように深呼吸をした。そして、言った。

「私、シアンにふられました」

「へ…?」

 予想にしていなかったシェリカの発言にルキナは素っ頓狂な声を出した。

「え、告白したの?」

「はい、今日」

「え、でも…。」

「私とのデートすっぽかして、ルキナ様のところに走って行ってしまいましたから」

 シェリカは、ルキナが倒れた時、シアンが駆けつけられたのは、二人がちょうど近くを通りかかったからだと言う。ルキナの尋常でない声を聞いて、シアンがシェリカを置いて走りだしたようだ。それを見て、シェリカは、シアンが自分のことなどこれっぽちも想っていないのだと理解し、自分の気持ちに区切りをつけるために告白したそうだ。

「ずっとわかってたんですけどね、自分に勝ち目はないって。ずっと片思いするのはしんどいので、終わらせちゃいました」

 シェリカが力なく笑う。そういえば、シェリカの目が赤かった。もう既にたくさん泣いたのかもしれない。

「…。」

 ルキナはかけるべき言葉が見つからず、黙ってしまう。シェリカは、そのことを察して、小さく笑った。

「今度はルキナ様の番ですよ。頑張ってくださいね」

 シェリカはそう言って去って行った。ティナがルキナに向かって礼をし、すぐにシェリカの後を追いかけた。

「先生、先生が泣いちゃ駄目ですよ」

 ユーミリアがルキナの頬を指でつつく。

「泣かないわよ」

「それは良かったです」

 ユーミリアは、ルキナが言うより早くルキナから離れた。明日に備えて早く寝ようと言う。ルキナは病院から帰ってからずっと眠かったので、その意見に賛成した。

「波乱の文化祭って感じですね」

 ユーミリアがルキナの横を歩きながら言う。ルキナは、まったくだと思った。シェリカは骨折するし、失恋するし、ルイスのことは気がかりだし、ルキナ自身もノアルドに魔法かけられるし、散々だ。

「チグサ様、目が覚めると良いですけど」

 ルキナは思わず立ち止まった。ユーミリアも立ち止まって振り返った。

「チグサがどうかしたの?」

「知らなかったんですか?チグサ様、倒られたんですよ。詳しくはまだわかりませんが」

 ルキナは頭の血がさーっと引いた気がした。

(まさかルイスが…?)

 ルキナは悪い予感がして、体を震わせる。ルキナの知らないところで何かが動いている。実態のわからない恐怖がルキナを襲った。

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