芸術は人生に影響を与えるものデスケド。
ルキナは朝から気合を入れている。今日はチカと一緒に観劇に行く日だ。チカとは既に何回か会っているが、彼は誰よりも他人に興味がない人だ。名前も知らないルキナのことなど彼の記憶から抹消されていることだろう。ならば、いわば今日は、チカの中でのルキナの第一印象が決まる日だ。気合が入って当然だ。
ルキナは自分で手配した馬車の前に立ち、シアンとチカが来るのを待つ。だいぶ長いこと二人を待っていたが、怒ることはない。ルキナが早く来すぎただけだ。シアンは約束の時間通りにチカを連れて現れた。
「来たわね」
ルキナは気合を入れているためか、無意識に仁王立ちになっている。シアンがそれを不思議そうに見ている。
「お待たせしました」
シアンがルキナに一言言い、チカの方に振り向いた。ルキナを紹介するつもりなのだろう。チカもそれを察し、「この方が?」とシアンに尋ねた。シアンは事前にチカには自分ともう一人同行者がいると説明している。おかげで話はスムーズだ。
「ルキナ・ミューヘーンです」
ルキナはスカートをつまんで丁寧にお辞儀をする。
(これで第一印象は完璧でしょ)
ルキナはちゃんと自己紹介ができたので満足する。ルキナが顔を上げると、チカがルキナに続いて「チカ・ライトストーンです」と自己紹介をした。
「じゃあ、さっそく出発しましょうか」
ルキナはそう言って、馬車に乗り込む。シアンとチカもその後に続いて馬車に乗る。三人が馬車に乗ると、御者が車のドアを閉め、馬車を走らせる準備に入った。そして、少しして馬車が動き出した。
しばらくの間、三人の間に会話はなく、馬車の中は静かだった。幸い、外からの音はそれなりにあるので、間がもたなくてつらいなんてことはなかった。その間、チカは馬車の外を眺め続けていた。心なしか、チカは少し楽しそうに見える。もしかしたら、チカは馬車にも乗ったことがないのかもしれない。
(貴族の生活を基準に考えては駄目よね)
ルキナは心の中で呟いた。『りゃくえん』のキャラではチカが唯一の平民キャラだが、世間的には貴族より平民の方が圧倒的に多い。自分やその周りが貴族だからといって、その常識をチカにおしつけてはいけない。
(それにしても)
ルキナはチカの横顔をじっと見つめる。チカがこうして同じ馬車に乗っているのが信じられない。チカと一緒に出かけるまでに何か月かかるともしれない。それくらい難易度が高いのだ。
「よく手懐けたわね」
ルキナはシアンに感心する。チカには聞こえないように、シアンに近寄って言う。シアンにチカのことだとわかるように、チラッとチカの方に視線を送る。
「言うほど難しくなかったですけど」
シアンがなんてこともないように言った。ルキナはシアンの言葉を信じられないと思う。難しくないなんてことがあるはずがない。
「えー?」
ルキナが疑いの目をシアンに向ける。
(あ、そうか。シアンにはチカの話をあんまりしていなかったわ)
ルキナは、シアンがチカの情報に乏しいからルキナの驚きがわからないのだと気づいた。せっかくの機会であるし、シアンにチカのことをちゃんと話しておく方が良いだろう。
「チカっていうのはデートを誘うまでに時間がかかるキャラなのよ。心を開いてくれるまでの難しさはイリヤなみよ。デートに誘えないだけだから、話しかけても答えてもくれないイリヤよりはましともいえるけど。問題は、好感度がマックスに近づくまで愛情表現全くなしで、可愛げがないのよね」
シアンはイリヤノイドの扱いが難しいことを身に染みて理解しているので、ルキナの話をだいたい理解できたようだ。チカがいかに攻略しづらいか、攻略しがいがないか、シアンも多少はわかってくれたことだろう。
「理由はたぶん、チカのお母さんが貴族に殺されちゃったからだと思うけど」
ルキナはチカに聞こえてしまわないように注意深く声を小さくする。この話はチカ本人に一番聞かれてはいけないところだ。
チカは貴族を恨んでいる。貴族というだけでどんな人も信じられないのだ。『りゃくえん』のヒロインであるユーミリアは、アイス家の隠し子で、クリオア学院に編入するまで平民として暮らしていた。貴族といっても、価値観や常識はチカとさほど変わらないのに、チカは、貴族という肩書を手に入れてしまったユーミリアのことをなかなか受け入れられない。
「じゃあ、なんでゲームの中で、チカはお嬢様には心を許してるんですか?根っからの貴族でしょうに」
シアンがもっともなことを指摘する。これはルキナも疑問に思っていたことだ。というか、ルキナこそ知りたかったことだ。
「私にとっちゃ、そのへんの設定が一番大事なのに、全然ストーリーもなきゃ、裏設定にも説明がなかったのよ。そういう詰めが甘いから、三流二番煎じのオトゲーって言われるのよ」
ルキナは『りゃくえん』の制作者たちに怒る。作品として未熟なところも愛してはいるが、今は少し『りゃくえん』に腹が立っている。
あまりに情報が少なすぎる。いくらストーリー通りに進めたくても、この状態ではそれは叶わない。既に、全キャラの攻略を失敗しているという気がしてならない。
「誰か攻略ブック書いてくれないかしら。ちょっと無理ゲーすぎるわ」
ルキナは盛大にため息をついた。
そんなことを話しているうちに、馬車が目的地に到着した。チカが窓の外にある大きな建物に目を輝かせている。そこへ御者がドアを開けにやってきた。チカはドアが開くと、真っ先に馬車から降りた。そして、会場となる劇場をいろいろな角度から見始める。このはしゃぎようを見ると、建築物に興味があるのかもしれない。
(無口と無表情は別ってね)
ルキナは嬉しそなチカの横顔を見る。チカは意外と人当りが良い。あまり自分から話そうとはしない性格だが、感情を顔に出すので、コミュニケーションはとれているようだ。
「これでもたぶん私への好感度ゼロなんでしょうね」
普段は物静かで、他に興味などなく一歩引いたところから眺めているような人物だ。それが、今は、己の感情のままに、子供のようにはしゃいでいる姿を見せている。一見ルキナに心を許しているように見えるが、そうではない。なぜなら、外からは見えないだけで、その裏に抱えるマイナスの感情は消えていないからだ。
「シアンに似てるわね」
恨みの心を見せないチカは、笑顔がデフォルトのシアンに似ていると、ルキナが言う。すると、シアンが不本意そうな顔をする。
「僕ですか?チグサ様に似てると思ってました」
シアンの言葉に、今度はルキナが首を傾げる。
チカは無口なキャラだが、チグサほど感情表現力がないわけではない。嬉しい時は嬉しいとわかるような行動をとる。その点、チグサよりチカの方がわかりやすい。ルキナにはチカとチグサは全然違うように思える。
「チグサ?どっちかっていうとティナでしょ?チグサは表情筋が死んでるから」
チカに似ているということに関して、シアン以外であえて名前をあげるならティナだ。シアンがルキナの「表情筋が死んでいる」という発言に苦笑する。
「それじゃあ、僕が言うのもなんですけど、チグサ様とティナさんの違うところって何ですか?」
シアンがルキナに質問を投げかける。ルキナはシアンに試されているような気分になりながら、真剣に考える。ルキナはもともと人間観察が好きだし、逆ハーレムを目指すために周囲の人間の性格の分析はそれなりに注意深く行っている。その分析結果を披露する機会を与えられたようだ。
「そうね。やっぱり感情表現の問題かしらね。チグサは無表情ばっかで、笑ってるとこすらあんまり見たことないけど、ティナは笑いもすれば、泣きもするじゃない」
「でも、ティナさんの場合、演技だったじゃないですか」
幼い頃、シェリカの暇つぶしになるために、ティナは演技を続けていた。シェリカに意地悪されれば泣いたり怒ったり。楽しいことがあれば笑ったり。当たり前のことではあるが、シアンはそれを演技だったという。ルキナだってそういう姿を見、いつからか、それをやめたのを知っている。今のティナは、あまり感情を表に出さない。しかし、演技とは違うのではないかとルキナは思っている。
「違うわよ。あれは、ティナの中の心の動きをおおげさに表しただけよ。チグサもティナも感情の動きが少ないけど、ティナはその動きを自分で感じ取れるし、表現もできる。チグサはそういう努力が必要なかったから、ティナみたいにはできないの。チカの無口なところはチグサと一番似てるし、場合によっては感情をおおげさに表現するだろうからティナに似てる。でも、やっぱりシアンが一番似てるわ。シアンは、普段は何も考えないで笑ったり、泣いたり…してるでしょ?」
ルキナはあまりシアンが泣いているところを見たことがないので、少し言いにくそうにする。シアンが、先を促すように頷く。
「で、必要なときはその感情を隠す。それがチカと似てるのよ。チカは感情の起伏が小さいんじゃなくて、隠すのが得意なのよ」
ルキナが意識的に丁寧に息を吐いた。シアンはルキナの考えを納得したのか頷いた。
「これ以上はよした方が良いかもね。人の性格はあんまり比べるものじゃないもの」
ルキナは人間観察や人格分析をあまり人に言って良い趣味だと思っていない。誰かに聞かれてしまう前にやめておくべきだ。ここにはチカもいる。ルキナの意見にシアンも同意した。
「中に入りましょう」
ルキナはそう言って、劇場に足を踏み入れた。シアンがチカに声をかけて、一緒に中に入っていく。ルキナは、ロビーに男子二人を待たせ、自分一人で受付に行く。カテルからもらった招待状を見せると、劇場支配人が奥から現れた。
「ようこそ、ルキナ・ミューヘーン様。お待ちしておりましたよ。ささっ、お席にご案内しますゆえ、こちらへどうぞ」
支配人がホールの中に入ろうとするので、慌ててシアンを呼ぶ。すると、シアンがチカを連れて来てくれた。
「あ、お揃いですか。ささっ、こちらへ」
支配人はルキナたちを事前に確保しておいてくれた席に案内してくれる。なかなか良い席だ。三人はシアンを真ん中にして横並びに座る。席に着くと、チカがそわそわし始める。緊張しているのだろうか。
「それでは、ミューヘーン様、どうぞお楽しみください」
そう言い残して、支配人が離れて行った。ルキナは演劇の原作者として招待されているが、ミユキ・ヘンミルの正体がバレないよう、本名で呼ぶようお願いしてある。おかげで、誰も支配人に案内された貴族の娘がミユキ・ヘンミルだとは思っていない。
ミユキ・ヘンミルを噂する声はいくつか聞こえてきたが、ルキナはそれらには興味を示さない。自分のことを話題にしてもらえているのは嬉しいし、何なら自分がミユキ・ヘンミルだと出しゃばりたいところだが、今はまだ我慢の時だ。それに、今は自分の噂以上に気になっていることがある。それは、人々のチカへの反応だ。
「さすが一、二を争う人気キャラだわ。みんなチカばっかり見てるじゃない」
ルキナは、チカの姿を見た人が全員チカに目が釘付けになっているのを面白がる。チカは誰もが二度見する美貌を持つ。だから、このような状況になるのは当然といえば当然である。
「いやー、圧巻ね」
女性たちがチカに目を奪われている。ルキナはゲームの設定通りに現実が動いているのが面白くて仕方ない。
ルキナが笑っていると、シアンがルキナの顔をじっと見つめてきた。シアンからまるで「お嬢様はチカのことを見ないのか?」と聞かれているようだ。
ルキナは、シアンが自分のことを好きだと確信している。今までのシアンの反応を見て来ての判断だが、自分でもそれは間違っていないように思う。だから、シアンがルキナもチカのことを好きになるのではないかと不安に思っているのだろうと考えた。「タイプじゃないのよね」と、シアンを安心させるように言ったのはそのためだ。ルキナはシアンが可愛くてしかたない。
ルキナの言葉にシアンからの返事が返ってこないので、続けてルキナが喋る。
「というか、この世界の人、みんな同じ顔に見えるのよね。言わば、二次元の世界なわけじゃない?」
ルキナは視界に入った客たちの顔を順番に見ていく。どうしてもやっぱり同じに見えてしまう。顔のパーツも輪郭も違うはずなのに。
「知りませんけど」
そう言って、シアンがルキナから目をそらした。今度はチカの方を見ている。シアンは興味なさげな反応をしたが、ちゃんと話は聞いてくれそうだ。ルキナはシアンの相槌がないのを覚悟で話を続ける。
「三次元とは比べるまでもないけど、美形ばっかじゃん?で、それなりに人によって好みはあるから、誰からも好かれる美形にしようと思ったら、美形キャラはみんな同じ顔になりがちなのよね。髪の色とか服装で見分けてるとこあるし。そうなると、この世界は私にとったら顔が覚えにくいとこなのよね。ほんと、髪を染める文化がなくて良かった」
ルキナは、髪の毛を隠してシャッフルされたら誰かわからない自信がある。
「僕も髪色で判断してます?」
シアンが質問してきた。やはりルキナの話はちゃんと聞いてくれていたようだ。
「銀髪はシアンしかいないし、目が赤いのも目立つから、シアンを見間違えることはなさそうね。でも、たぶん、髪色とか目の色が変わっても、シアンならわかる気がする」
ルキナはニッコリ笑ってシアンを見る。シアンは一度ルキナの顔を見るがすぐにそらす。
「お嬢様の場合、ノアルド殿下を見つけるのが速そうですね」
シアンはルキナの最推しがノアルドであることを知っている。そのうえでの発言だろう。でも、ルキナはノアルドを見つけられる自信はあまりない。
「どうかしら。二次元と三次元は違うもの」
シアンとルキナが話していると、客席の照明が消え始めた。ルキナは、この照明が消える瞬間が嫌いじゃない。いよいよ始まるという感じがして、胸がドキドキする。暗闇に目が慣れる前に、ステージの照明がついた。原作に可能な限り忠実に作りこまれたセットが置かれている。物語が始まった。
ルキナの小説が原作のこの物語は、兄妹の愛の物語だ。二人は血のつながりのない兄妹だが、そのことは知らされず、本当の兄妹よりも仲良く育った。成長した兄妹の関係は、兄に婚約者ができてから変わり始めた。妹は兄を愛しており、婚約者にひどく嫉妬した。兄は妹をたいそう可愛がり、婚約者よりも妹の方を優先するばかりだった。そんな時、二人はひょんなことから自分たちに血の繋がりがないことを知る。自分の想いを伝えられずにいた妹は、兄を大きな川まで連れていった。そして、そこで言うのだ。
「あなたにとって、私は、ただの妹でしょうか?一人の女として見てはいただけないのでしょうか?愛する人と結ばれる。そんな一つの乙女の願いも叶わない運命にあるのでしょうか?もし、私をあの婚約者より愛してくださると言うのなら、私とここに身を沈めてください」
舞台はクライマックス。妹役の役者の透き通った声がホールに響く。
妹は、兄を深く愛しているがゆえに、その想いが成就しないことに絶望していた。今までの小説や演劇では、ここで二人は心中する流れだ。だが、この兄は彼女の想いを受け止め、最後まで死という結末は選ばなかった。
「いいや、愛を貫き通そう。たとえ、険しい道だろうとも、誰にも理解されなくとも、僕らが愛し合うには、ほんの小さな障害にすぎない。兄妹であろうと愛し合う二人を神は止めたりしない。想いが通じ合ったのなら、終止符を打つのではなく、永遠を誓うべきだ」
二人は抱き合い、愛を誓うキスをする。そうして舞台は幕を閉じる。
わぁっと拍手と歓声が沸き上がった。この国は、血の繋がりの有無に関係なく、兄弟間の結婚に理解はなかった。そういう近しい者を愛してしまった者たちは涙を流して終わることが多かった。そんな世界に、この作品は一石を投じることになるだろう。実際、この演目を見た多くの客たちが拍手を送っている。新たな愛の形が、既に大衆に受け入れられつつあるのだ。
この物語が人気になったとカテルから聞いた時、真っ先にマクシスのことを頭に浮かべた。彼はおそらく姉であるチグサを誰より愛している。マクシスがこの物語の存在を知るのかどうかわからないが、本を読まれたり、この劇を見られてしまったら、悪い影響を与えてしまうのではないかと心配になる。
ルキナたちは演劇を見終えた余韻に浸りながら学校に戻った。ちょうど夕食時だったので、ルキナとチカはそのまま食堂に向かう。シアンは、マクシスとの約束があるからと寮に帰って行く。
「初めてホールで劇を観た感想は?」
ルキナはチカに話しかける。
「とても素敵でした」
予想以上にチカは楽しんでくれたようだ。ルキナの問いに興奮冷めやらぬ様子で答えた。
「また観に行きたい?」
「機会があれば」
チカは演劇の世界に完ぺきに魅了されたようだ。ルキナはこれを使わない手はないと考えた。
「じゃあ、また誘うわね。もちろん、お金の心配はしなくて良いですよ。私、ちょっとしたコネでただで劇を観れちゃったりするんです」
ルキナがそう言うと、チカが困ったように黙った。いくらもともと無料なのだと言っても、チカはそんなに簡単に厚意に甘えるわけにはいかないだろう。ルキナだって、このような誘いを受けても遠慮してしまう気持ちがわからないでもない。
「ちょうど観劇仲間を探してたのよ。一緒に劇を観て、感想を言いあう友達。だから、もし良かったら、あなたに観劇仲間になってほしいんです」
ルキナはチカが遠慮で断ってしまわないように、誘っているのはあくまで自分の都合だということを強調する。すると、チカはためらいがちに頷いた。
「わかりました」
チカは素直に受け入れた。これでチカとの繋がりはこれからも存在し続ける。シアンの手を借りずにそのような話にもっていけたことを嬉しく思う。