優秀すぎて怖いんデスケド。
ルキナはシアンを連れて学校の外に出た。とある人に会う予定があるのだが、放課後になってからしか時間が作れないので、授業が遅くまであると、日が沈みかけた頃にしか会いに行けない。ルキナたちは、オレンジ色に染まった空の下を歩き、待ち合わせ場所へ向かう。
学校のある王都はどの道も交通量が多く、たくさんの馬車とすれ違う。途中、路面列車の横を通り過ぎながら、小さな道に入る。馬車二台分の広さはあるのだが、人通りが圧倒的に少ない。その道の真ん中あたりに、馬車が一台停まっている。
ルキナは馬車のドアをコンコンとノックする。すると、間もなく、中からドアが押されて開いた。ルキナとシアンは何も言わずに馬車に乗り込み、ドアを閉める。二人が椅子に座って落ち着いたころに馬車が動き始めた。
「お待ちしておりました、ヘンミル先生」
地面とタイヤのこすれるガタガタという音を遮るように男が言った。ルキナとシアンの目の前に座るこの男が約束の相手だ。
「その名前は駄目ですよ、クマティエさん」
ルキナは少し笑いながら言う。カテル・クマティエは「すみません」と頭を下げた。ヘンミルというのはルキナの小説家としてのペンネームで、このカテルという男はルキナの担当編集者である。ルキナは、自分が小説家のミユキ・ヘンミルであるということを隠して活動しているので、外でその名で呼ばれるのは良くない。
「いつもはそんなミスしないのに。疲れてるんですか?」
カテルはルキナとの約束を守り、今まで一度もルキナをペンネームで呼んだことはなかった。そんな彼がこのようなミスをするのは珍しい。
「嬉しいことではあるんですけど、最近、ミューヘーンさんのお名前を見ることが多くて」
そう言いながら、カテルが目がしらを指で押す。目が疲れているようだ。
「私の名前?」
「はい。作家としてのお名前の方なんですけど。うちに届く手紙の量が急に増えまして」
カテルはミユキ・ヘンミルに届く手紙の処理に追われ、忙しい毎日を送っているようだ。
「急に?」
シアンが不思議そうに首を傾げる。最近はシリーズ物の最新刊を発売しただけで、新たに話題になるような新作を発表したわけではない。シアンが疑問に思うように、急に手紙の量が増えるわけがわからない。
「それが、シャネイラ芸能事務所のアイドルが映鏡でミューヘーンさんの小説のファンだって公言したらしいんです。その時、うちに手紙を送ってミューヘーンさんから返事も来たって話もしたらしくって」
クマティエが走っている馬車に誰かが張り付いてるわけでもないのに、ひそひそと小さな声で話す。
(映鏡…あのテレビみたいなやつか)
ミューヘーン家では映鏡を見る文化がないので、ルキナは映鏡に慣れ親しんでいない。ルキナは、映鏡は魔法の力を使ったテレビのようなものと認識しているが、どんな番組を放送しているのかは知らない。
「じゃあ、そのアイドルさんにはお礼をしないとね。おかげで新しいファンが増えて、ファンレターも増えたわけでしょ?」
ルキナが嬉しそうに言う。
「これぞ、嬉しい悲鳴ね」
カテルは手紙が増えたせいで忙しくなったわけだが、本人も言っていた通り、これは嬉しいことだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?つまりは、お嬢様の返事待ちの手紙ってことですよ」
ルキナが能天気に喜んでいるので、シアンが心配そうに言った。アイドルの発言で手紙を増えたということは、ミユキ・ヘンミルからの返事を期待して送ってくれた手紙が多いということになる。ルキナは彼らに返事を書いてあげるべきだろう。
「…少しずつやるわ」
ルキナはやっと事の重大さに気づいた。
「待っていてください。こちらの方で中身を確認してからお渡ししますので」
作家の心身を守るため、編集者の方で一度全ての手紙の中身を確認しなければならない。残念ながら、まだその作業は全然進んでいない。カテルが申し訳なさそうに言うので、ルキナは「ファンレターの返事は待たされてこそ価値があるのよ」と慰めるように言う。
「あ、こちらだけ先に」
カテルがカバンから一通の手紙を取り出した。例のファンレター騒ぎになる前に届いたものだそうだ。
「ああ、差出人不明のやつね」
ルキナは受け取った封筒に名前が書かれていないことを確認する。この人の手紙は既に何通も受け取っている。いつも同じ封筒と便箋で、小説の感想を丁寧に書いてくれている。住所はちゃんと書いてあるので、返事は送れるのだが、仮名だけでも書いておいてくれれば良いのにと思う。
「あれ?もしかして、忙しいのは手紙関係だけじゃないんですか?」
ルキナは、ファンレターの処理で忙しいと言っているわりに、カテルは一通しか渡してくれないので疑問に思う。
「実は…新人作家の対応に追われていまして」
カテルがためらいがちに答えた。
「へー、新人ね」
ルキナが腕を組んで呟いた。
「私もまだ新人の枠に入るのかしら」
「いやいや、ミューヘーンさんはデビューから四年くらい経ってますからね。ラザフォードに紹介された頃が懐かしいくらいですよ」
ルキナは、中等学校に通っていた頃、そこの教師であるラザフォード・ラルクが編集者であるカテルに紹介してくれたから、小説家になれたのだ。ルキナはラザフォードのことを恩師のように思っている。
「ラザフォード先生ね。もう懐かしく感じるわ。卒業してから一か月も経ってないのに」
ルキナがラザフォードの顔を思い浮かべながら笑う。ルキナの言葉にシアンも頷いた。シアンはアクチャーという弓を使う競技の部活に参加していたが、その顧問がラザフォードであり、アクチャーの魅力を教えてくれたのも彼だった。シアンにとっても恩師のような人だ。
「そっか。新人ね。そういえば、コンテストとかってないんですか?」
ルキナが言うと、カテルがコンテストとは何かと尋ねた。
「誰でも応募できる小説の大会です。何文字って条件を決めて、小説を書いてもらうんです。ジャンルを決めることもあるんですけど。その小説を読んだ審査員が賞をあげて、コンテストによってはそれを実際に出版したりなんかするんですよ。そうやって新しい才能を見つける…みたいな」
ルキナは前世で小説のコンテストに応募したことがあるが、何度やっても入賞できたことがない。しかし、この世界に、そんな一般人が夢を見られるコンテストがないのは信じがたいことだ。
「逆に、持ち込みだけでよくやってましたね」
自ら作品集めに動かない出版社に作品が集まり、出版される本が途切れなかったのは驚きだ。ルキナは感心する。
「作家になるかならないかは、行動力があるかないかの差ですから」
カテルが苦笑した。その後、「まあ、多少のセンスもいりますけど」と付け足した。
「でも、面白そうですね。コンテスト。審査員は編集者がやるものなんですか?」
カテルがコンテストに興味を示す。
「小説家が審査員のコンテストもありますよ。小説を書いたことのないファンも応募したりするので、コンテストごとに特徴があったりするんですけど」
「では、ミューヘーンさんに審査員になってもらったりとかは…?」
「あ、コンテストやるんですか?楽しそうですね。私も審査員とかやってみたいです。人の評価できるほど書けるわけじゃないですけど」
カテルがコンテスト開催に前向きなので、ルキナは嬉しくなる。
「ちなみに、そのコンテストの情報はどこから?」
カテルが今まで一番興味を示して質問をする。顔が真剣だ。
「秘密です」
ルキナがそう答えると、カテルは「またですか」と笑う。前世の話をするわけにもいかないので、こういう答え方しかできない。小説の打ち合わせをしていても、こういうやり取りが多いので、カテルはルキナが秘密主義であることには慣れきっている。
「それでは、いただいても良いですか?」
カテルがいろいろと省略して言う。それでも、ルキナは何のことがすぐにわかる。
「シアン」
ルキナがシアンの名前を呼ぶと、シアンが持っていたカバンから紙の束を取り出した。小説の原稿だ。シアンが原稿をカテルに渡す。
「ありがとうございます。ミューヘーンさんは締め切りを破ったことがないのでとてもやりやすいです」
カテルが原稿を確認するようにパラパラと紙をめくる。
「パソコンがあればもっと速いんですけど」
ルキナがぼそりと呟いた。ルキナの声は小さく、カテルの耳にまでは届かなった。しかし、カテルもルキナが何かを言ったのだということはわかり、顔をあげてルキナを見る。
「筆が速いことだけが、私の取柄ですから」
ルキナが笑顔で言う。
「そういえば、今週末でしたね。予定の変更はしなくて大丈夫そうですか?」
カテルがそう切り出して、カバンから一通の招待状を取り出した。カテルはそれをルキナに渡す。
「ついに演劇化ですね。なんだかドキドキしますね」
カテルが嬉しそうに言う。ルキナの小説が演劇になるのだ。
この世界の娯楽はルキナの前世と比べればだいぶ限られていて、ドラマや映画は存在しない。アニメやテレビゲームもない。そんな中で、演劇が娯楽界のトップにある。基本的に貴族の人間が楽しむものだが、青空演劇と言われる庶民向けの演劇も存在する。庶民は劇場で演劇を見るお金がないので、外で公演が行われるのだ。青空演劇という名はそこから来ている。演劇は誰もが親しんでいる娯楽文化だ。この世界で演劇が最も発展した娯楽なのだ。
小説がそんな演劇の演目にされるのだから、とても光栄なことだ。それだけ、ルキナの小説が人気であるということを示している。
(実写映画化のような感じね、きっと)
ルキナは自分なりの解釈で演劇化という言葉を受け止め、笑顔になる。今週末にその演劇の初公演が行われる。そこに原作者としてルキナが招待されている。
「人数を増やすことは可能ですか?」
突如、シアンが口をはさんだ。この口ぶりだと、ルキナの許可もなく、勝手に誰かを誘ったのだろう。当然のようにシアンと一緒に行くつもりではいたが、シアンが人を誘うのは話が違う気がする。ルキナに確認をとってから誘うのが道理だろう。
「大丈夫だと思いますよ。一応、連絡は入れておきますが。何人ですか?」
カテルは、まさかシアンがルキナの許可もなしに勝手に言いだしたことだとは思っていない。メモ帳を取り出して、忘れないようにメモを取り始める。
「一人増やしたいです」
シアンがルキナの顔色を伺いながら答えた。
(こいつ、わかっててやってるわね)
ルキナはとりあえずここでシアンに文句を言うのはやめておく。カテルの前で喧嘩は良くない。ルキナが黙っていると、カテルが「わかりました」と言って、メモ帳をしまった。
「そうそう。だいぶ前に出した『夜の街に眠る』を覚えてますか?あれ、けっこう評判良いですよ。新しいジャンルを開拓した本だって盛り上がってます。次々とその関連の本が出てますよ」
「みたいですね」
カテルの話に、ルキナが曖昧に頷く。ルキナは自分の出した本は全て覚えている。しかし、中には黒歴史ともいえるものも存在するわけで。
「また書きませんか?何て言うんでしたっけ…びぃーえる?」
カテルが例のジャンルでまた書かないかと提案する。ルキナはそれをきっぱり断る。
「残念ですけど、私は腐女子じゃないんで」
「婦女子?」
聞きなれない言葉にカテルが首を傾げる。シアンはどうせまた前世の話だなと思い、軽く聞き流す。ちょうどその時、元居た場所に馬車が停まった。
本当はどこかのお店に入って打ち合わせをすれば良かったのだが、ルキナが正体を隠している以上、周りに会話を聞かれるわけにはいかない。今まではミューヘーン家の屋敷にカテルが訪ねてきて、打ち合わせを行っていた。でも、今は寮生活をしており、ルキナの方も手間が増える。そこで、馬車の中で打ち合わせをしようということになったのだ。同じ場所に止め続けることはできないので、適当に馬車を走らせ、その間に打ち合わせをする。走っている馬車に聞き耳を立てる者はそういないので、ルキナの秘密は確実に守られる。
「もっとちゃんとした場所を用意できたら良かったのですが」
わがままを言っているのはルキナの方なのに、カテルが申し訳なさそうに言う。
「密会みたいで楽しかったですよ」
ルキナは馬車を降りる支度をしながら言う。すると、カテルがほっとしたように笑う。
「また次も期待してますよ」
カテルが自分のカバンをつつく。中にはルキナが渡した原稿が入っている。次の話もちゃんと書いてくれということだろう。ルキナは「頑張ります」と返事をする。
「ミューヘーンさんが学生であることを明かしたら、もっと話題になると思うんですけどね」
カテルが冗談っぽく言う。笑っているが、半分くらい本気で言っているだろう。
「そんなことしたら、お父様に怒られてしまいます」
ルキナは冗談で返すように笑う。ルキナは学生の間は正体を明かさないことを条件に小説家になった。ハリスとの約束を破ってしまったら、小説を書き続けられなくなる。カテルだってそれはわかっている。
「そうですね」
カテルが頷いた。そのまま流れるようにドアに手を伸ばし、扉を開けた。外の空気が馬車に流れこんでくる。
「では、お気をつけて」
ルキナとシアンが降りたのを確認すると、カテルが扉を閉めて、馬車を出発させる。ガラガラと音を立てながら馬車が離れて行く。ルキナたちはそれを少しの間見送った後、学校に向かって歩き始めた。
「それで?」
ルキナは大げさにため息をついて怒っているアピールをする。しかし、シアンはそれだけではルキナが何を言いたいのかわかってくれない。ルキナはもう一度ため息をつく。
「シアン、私に話すことがあるでしょ?」
ルキナがシアンを睨むと、シアンは「あぁ」と思い出したように呟いた。
「演劇の話ですね」
シアンは勝手に話を進めたくせに、反省している様子が全くない。ルキナは眉をひそめる。
「お嬢様にはまだ言ってなかったんですけど」
「真っ先に私に言いなさいよ」
ルキナがシアンの話を邪魔するように口をはさんだが、シアンは意に介さない。ルキナの言葉を無視して話を続ける。
「チカを誘いました」
シアンが淡々と言った。ルキナは話が飲み込めず、しばらく固まる。
「チカ?チカって、あのチカ・ライトストーン?」
ルキナが何度も確認するので、シアンはその全てを肯定した。
「…やるじゃない」
本当はもっとシアンを怒ってやるつもりだったが、シアンは思っていた以上に優秀だった。チカとの接点を作るために、誘ってくれたのだろう。しかも、あのチカだ。デートイベントまで果てしない道のりのある攻略難易度高めの、あのチカだ。そんな彼をシアンは上手く誘ってみせたのだ。
「優秀すぎて怖い」
ルキナが自分を抱きしめるように両手で腕を掴み、怖がるポーズを作る。
「お褒めにあずかり光栄です」
シアンは笑顔で頭を下げた。シアンはルキナの邪魔もするが、強力な助っ人なのだということをルキナは身を染みて感じた。