話をしに来たんデスケド。
春休みに入ると、ルキナはツェンベリン家を訪ねた。今回はシアンも一緒だ。
「ミューヘーン様、リュツカ様、お待ちしてました」
ルキナがドアをノックすると、シュンエルがドアを開けて顔を見せた。この家には、シュンエルの帰省に合わせて来たのだ。ルキナは、シュンエルが出迎えてくれたことに驚かない。
「シュンエル、誰か来たの?」
家の中からロリエの声が聞こえてきた。
「うん、学校の友達が」
シュンエルはルキナ達の方から一度目を離し、屋内にいる母親に向かって言った。
「お待たせしてすみません。どうぞ中にお入りください」
シュンエルが扉を全開にして、ルキナとシアンを中に入れてくれる。
「お邪魔します」
ルキナがツェンベリン家に入ると、シュンエルの友達が訪ねてきたと聞いたロリエが慌ててお茶の準備をしていた。
「ミューヘーン様?」
ロリエがルキナに気づいたようで、目を丸くしている。ルキナは軽く会釈をして返事をする。
「お嬢様の言ってたことは本当だったんですね」
ルキナとシュンエルの母親が知り合いらしいとわかると、シアンが言った。ルキナはシアンに、自分一人だけでツェンベリン家を訪ねたことがあるという話をした。どうやらシアンはその話を信じていなかったようだ。
「疑う前に少しは私を信じなさいよ」
ルキナがふんっと鼻を鳴らす。すると、なぜかシアンが呆れ顏になった。
「そうですね。申し訳ありません。さすがにそこまで非常識なことはしないだろうと思っていたので」
「何よ、その言い草」
ルキナはアポもなしに突然この家を訪ねた。しかも、シュンエルと知り合う前だ。シアンは、そのことを非常識として、それが事実でないことを願っていた。だが、残念なことにルキナは本当に横着なことをしでかした。シアンがルキナに呆れ、ツェンベリン一家に申し訳ないと思っている。ルキナはそれが気に食わない。なぜなら、今日はその謝罪も兼ねてきたのだ。これ以上シアンに叱られる筋合いはない。そもそもあれもこれも全てシアンのために行ったことだ。誰かに怒られるのは仕方ないにしても、シアンにだけは怒られたくない。
ルキナが家にやってきたとわかると、ロリエはすぐに夫を呼びに行った。ルキナとシアンが短い口喧嘩を終えると、グンテがロリエに連れられ姿を現した。
「改めまして、先日はお世話になりました。突然押しかけて申し訳ありません。本日は、お二方に謝罪と報告をしに参りました」
ルキナは丁寧にお辞儀をする。ルキナの斜め後ろで、シアンも一緒に頭を下げた。
「謝罪?」
ロリエが困惑している。グンテが座って話をしようと言うので、皆、ダイニングテーブルに席に着いた。といっても、椅子は三つしかないので、ルキナとシアンが横並びに座り、向かい側にグンテが座った。
ロリエがルキナ達の前に紅茶を置いた。
「おかまいなく」
ルキナは、ロリエに笑顔を向ける。ロリエはカップを置き終えると、いそいそとグンテの後ろに移動した。
「それで、お話なんですが…。」
グンテとロリエがそろったところで話を始める。ツェンベリン夫婦は、ルキナの方を見ているが、チラチラとシアンの方が気になっている様子。
「あ、話の前に紹介した方が良いですね」
ルキナは、二人にまだシアンのことを紹介していないことを思い出した。シアンに視線だけで自己紹介をするように指示する。
「えっと…シアン・リュツカです」
シアンは、名前の他に何か言うべきか迷ったが、結局何も言わなかった。だが、それでも充分だったようだ。
「あなたがリュツカ家の」
ロリエがシアンの顔を見て、納得したように言った。
「キーシェルと仲良くしてくださっていたようで」
グンテはシアンに感謝の言葉を述べた。以前、ルキナがこの家を訪ねた時、二人にはシアンがキーシェルの友達なのだという話をした。だから、二人に伝えるべきシアンに関する情報はすでに話してある状態にあるということだ。
「今日はそのキーシェル君に関するお話なのですが」
ルキナがキーシェルの話をするつもりなのだと言うと、グンテもロリエも、困ったような顔になった。
「私たちは、キーシェル君が寄生妖精であることを知っています。お別れの瞬間にも居合わせました」
ルキナは、夫婦に何も誤魔化そうとする必要はないと言う。グンテたちは、キーシェルのことを寄生妖精であることを伏せて何とか誤魔化すつもりだったはずだ。だから、ルキナがキーシェルの話をしたがると、困っていたのだ。だが、その必要性は全くない。
「実は、前回、ここに来た時点で、私はキーシェル君の正体に薄々気づいていました。むしろ、キーシェル君が寄生妖精であることを確かめようと思って、来ていました。試すようなことをして、ごめんなさい」
ルキナは椅子に座ったまま、深々と頭を下げる。すると、グンテたちが焦り始めた。
「顔を上げてください。こちらこそ、キーシェルに関することを隠すようなことを…。」
ロリエが、謝らなければならないのは自分たちも同じだと言う。
「すみません。あの頃、シュンエルはキーシェルのことを知らなかったものですから」
「そのあたりの事情は理解しているつもりです。お気になさらないでください」
グンテとルキナが話していると、シュンエルが「謝るのはそのへんにして、次の話に移りましょう」と言った。シュンエルには、ルキナが何を話すつもりなのか伝えておいた。ルキナがここに来たのは、ただ己の不祥事を謝罪するためだけではない。
ルキナは、こくりと一度頷き、シュンエルの提案を採用することにした。
「先ほど、私たちは、キーシェル君のお別れの瞬間に立ち会っていたと言いましたが、私は、その時の話をさせていただきたかったんです。お二人が、シュンエルさんを一人、遠い王都の学校に送りだしたのは大きな覚悟が必要だったことと思います」
シュンエルは十六回目の誕生日をクリオア学院で迎えた。それはクリオア学院に入学する時点でわかっていたことだ。両親二人は別れの直前にキーシェルと会うことは叶わない。シュンエルのことを寮に入れる時、そのことを覚悟していたはずだ。だから、この二人には、キーシェルの最期を伝えておくべきだと思ったのだ。
「ありがとうございます」
ルキナの意向を理解し、ロリエがお礼を言う。彼女が笑顔なのを見る限り、喜んでもらえているようだ。
「…こういうのってどうやって話すのが正解かしら」
前置きを終え、いざ話そうと思ったら、最初の言葉が出てこなかった。何と始めるのが良いのかわからなくなったのだ。ルキナは、シアンに顏を近づけてひそひそと言った。
「知りませんよ」
シアンが顔をしかめて言う。ルキナが気合を入れて話す準備をしていたので、シアンはルキナがそんなことを言い出すとは思っていなかった。
「お父さんとお母さんが質問して、お二人に答えていただくという形でどうでしょうか」
ルキナが困っているのを見て、シュンエルが助け舟を出してくれる。
「それは良い考えね」
ルキナは、シュンエルに心の中で感謝する。
「それなら…キーシェルが妖精の国に帰る瞬間に居合わせた経緯は…?」
「ちょうどあの日、私はシュンエルさんと知り合ったんです。寄生妖精のことが頭にあったので、シュンエルさんに誕生日を聞こうと思ってたんです。そしたら、シュンエルさんが寮にいないことに気づいて。外に行ったら、シアンがキーシェル君に会ったと言うものですから、もしかして、今日がその日なんじゃないかって。それで、シュンエルさんの居場所を探して、何とか間に合ったという感じですね」
ロリエの最初の質問に、ルキナが答える。
「キーシェルとはどのくらいの頻度で会ってましたか?」
「私はシアンと一緒にいるキーシェル君にしか会ったことがないので…シアン」
「あ、はい。初等学生の時に、こちらの方に帰ってくるようになったんですけど、こちらに来た時はいつもキールが会いに来てくれました。毎年、夏に。夏休みの間、三日に一回くらいの頻度で遊んでいた気がします。でも、中等学校に入ってから、だんだんキールが来てくれることが少なくなって、去年…一昨年もほとんど会ってません」
「夏の間、キーシェルが外に遊びに行ってばかりだったのは、リュツカ様がいらっしゃってたからなんですね」
ロリエが微笑む。キーシェルはシアンに会うことを楽しみにしていたらしいが、シアンのことは家族に話したことがなかったそうだ。
「リュツカ様の言う、兄が来なくなったというのは、この体を操る力が弱くなったからですよね。でも、そもそも今年の夏休みは帰省しなかったので、兄が体を操れたとしても、リュツカ様に会いに行くことはできなかったんですけど…。」
シュンエルは、寄生妖精への理解を深めようと、話に参加する。
「シュンエルさんが学校に残ってたんなら、シアンの家に行くことなんてできないわね。夏休みに会えていたのは、キールがこっちにいたからだものね。だから、夏以外には会ったことないんでしょ?」
「夏以外に会ったのは、あの日が初めてですね。キールがツェンベリンさん…シュンエルさんの体から離れる儀式に入る前に、僕に会いに来てくれて、少しだけ話をしました。僕にお別れを言いに来たんだと言っていました。いつまでも居座るとシュンエルさんがかわいそうだとか、別に死ぬわけじゃないから、みたいな話をしました。でも、僕は寄生妖精のことは何も知らなくて…。」
シアンの声が少しずつ小さくなっていった。まだキーシェルとの別れに関して完全に整理がついているわけではないようだ。
「キールというのはキーシェルのあだ名ですよね?リュツカ様が呼び始めたんですか?」
ロリエが努めて明るい声で言った。しんみりしないように配慮したのだろう。
「キールが自分でキールと呼ぶように言ったんです。初めて会った日に」
「キーシェルはリュツカ様のことは何と呼んでいたんですか?」
「キゾクって呼ばれてました」
「キゾク?」
「僕の家の庭に入って遊んだ時に、大人に貴族の家だから入らないように注意されたらしくって。それから、あの家はキゾクって人の家なのだと思ったそうです。だから、あの家は僕の家だと言ったら、僕がキゾクっていう人だと勘違いしたらしいです」
「キーシェルは貴族という言葉を覚えてなかったんですね。ちゃんと教えておくべきでした。いつもはどんな遊びをするんですか?」
「すぐそこの山に登って、川遊びをしたり、木登りをしたりしました。キールは、自分は山登りが速いから有名だって自慢げでしたよ」
「あの子、本当に小さい時から高いところが好きで。山にもしょっちゅう行ってたみたいですけど、まさか、近所で山登りで有名になっていたとは…。」
ロリエは、自分の知らない息子たちの話が聞けて嬉しいようだ。次々に思いついたままに質問を重ねる。そして、シアンがそれに答えていく。
「キーシェルとはどんな話をしましたか?」
「いろんな話を。キールはシュンエルさんの話をすることが多かったです。僕はクッキーが好きなんですが、そのことを知って、キールは妹と同じだって」
「兄が私のことを?」
ロリエとシアンが話していると、それを聞いて、シュンエルが驚いた。
「キーシェルには、一つの体を二人で使っていて、双子の妹がいるんだよって話してあったの」
「なんで私には教えてくれなかったの?」
ロリエの告白に、シュンエルが不満そうにする、なぜキーシェルはシュンエルの存在を知っているのに、自分はキーシェルのことを教えてもらえなかったのか。シュンエルは、一方的に知られていたという状況が、シュンエルは気に入らないらしい。
「いろんな人と相談してね。お医者さんとか、お父さんとか。キーシェルとも話したのよ。それで、シュンエルにはキーシェルのことを隠しておこうってことになったの。キーシェルは本来いなかったはずだから。シュンエルには不自由なく一人の人生を歩んでもらうべきだって。キーシェルも、シュンエルには迷惑かけたくないからって」
「でも、そのせいで、知らないうちにお兄ちゃんがいることになってて、いろんな人に知らない人のことを聞かれて困ったんだけど」
シュンエルは、近所の人たちに、キーシェルのことを聞かれた。シュンエルはキーシェルのことを知らされてなかったが故に、混乱する事態になったのだ。
「近所の人にも口留めしておくべきだったわ。隠しててごめんね」
ロリエがシュンエルに謝る。
「それに、どうせ隠すなら、ちゃんと隠してくれないと。クッキーをくれる妖精さんの話も無理があるし、男の子の服がうちにあるの見たことあるし」
「え、うそ」
シュンエルは、この際、思っていることを全部言ってしまおうと考えたらしく、少し厳しい口調で暴露する。ロリエは、隠してたキーシェルの服が見つかっていたことに驚いた。すると、グンテが少し笑った。
「服のことを何も言ってこなかったから、バレてるなんて思わなかったよ」
「だって、男の子の服があったところで、何かわかるわけじゃないし」
グンテと話す時も、シュンエルは反抗期気味な話し方になっている。それだけ、シュンエルは両親に心を許しているということなのだろう。
「仲の良いご家族ね」
ルキナは目を細めて言う。寄生妖精が原因で、シュンエルとその両親の間に確執が生まれてしまったのではないかと心配していた。長い夏休みに帰省しなかったと聞いて、シュンエルがこの家に帰りたくないと思っていたのではないかと思った。どうやらそうではなかったようなので、ルキナはほっとする。
「妖精さんが来てくれるような家ですから」
シュンエルが冗談交じりに言った。彼女は、妖精に寄生されていたことを不幸だと全く感じていないようだ。そのことに、ルキナは心から安心した。




